翌日はアルバイトが無かったため、利駆はオルハとともに狭山の研究所を訪れた。蝶野の家があまり居心地が良くないこともあり、アルバイトの無い日の放課後はここで過ごすことが、半ば日課と化しつつあった。それは利駆だけではなかったようで、扉を開けると、中には先客が一人、椅子に腰掛けて待っていたのであった。

「あ……」

 その先客――理由は、利駆とオルハに気付くなり、ペコリと頭を下げてきた。近くにレンハの姿はない。どうやら彼女だけのようだ。

「こんにちは、理由さん。今日はお一人ですか?」

「あ、その……レンハは今日、バイトで」

「あっ、そういえばそうでしたね」

 利駆は頭の中で出勤表を確認する。利駆とレンハは、出勤日がかぶることもあれば、片方だけしか出ない日もあったりして、必ずしも毎回顔を合わせるという訳でもない。今日はレンハとマスターの二人で、店を回す日なのであろう。

「おっ、帰ってきたね。オルハ、コーヒー切れてるから買ってきな」

 奥から現れた偶見が、待ってましたとばかりに財布をオルハに押し付ける。

「ハァ? んでオレが……自分で行けよ。飲むのほぼアンタだろ」

「いいから行きな!」

 財布を持っているのとは反対の手で、偶見はオルハの頭にバインダーをバコンと叩きつけた。面積の広い面ではなく側面で叩いたので、いくら肉体が強靭な吸血鬼といえど、それなりに痛いだろう。叩かれたオルハはガシガシと頭を乱暴に擦りながら、

「めんどくせぇ……」

 と吐き捨てつつ、仕方なしに買い出しに出かけた。オルハと偶見は吸血鬼と人間という間柄のはずだったが、どうにもオルハは、偶見には頭が上がらないところがあるようだった。その様子をクスクスと笑いながら眺めていた利駆は、オルハを見送ると、理由の席の向かい側に腰を下ろした。

「レンハくんとは最近どうですか?」

「えっ?」

 利駆が理由に尋ねると、理由は驚いたような反応をする。喫茶店でのレンハの様子が元気いっぱいなのは利駆でも知っている。だが、理由の前での彼はまた一味違うのだろうと、そう思って自然に出た質問だったのだが、理由は意外に思ったようだ。

「もうすぐ一緒に暮らすって聞いてます。順調なのかな、と思って」

「それ、レンハが言ったんですか?」

「はい」

 利駆が素直に答えると、理由は「あの人はまた余計なことを……」とでも言いたげに顔を苦々しく歪める。利駆の周りには天邪鬼が多いが、理由もまたその内の一人だった。レンハの前では、彼を冷たくあしらう。そのくせ、彼を大事に想っているであろうことは、傍目に見ても明らかなのだ。

「その、一応軌道には乗っているみたいです。とりあえずの目標額までもうちょっとだとか」

「わぁ、それは素敵ですね! でしたら、夢が叶う日も近そうですね」

「ゆ、夢……?」

 利駆が両手を合わせて喜ぶと、理由は眉根を寄せて、複雑そうな顔をする。けれども利駆は、そこに照れの色を見出した。理由も決して嬉しくない訳ではなさそうだ。ただそれを、正直に表現することが難しいだけで。

「うまくいくよう、応援しておりますね。あっ、でも、仕事中は、どちらかというとわたしがレンハくんに助けて頂くことのほうが多いのですが」

「それはないでしょう。話、聞いてると、利駆ちゃんにお世話になってること、多いみたいだし」

 束の間、少女二人だけで会話を弾ます。利駆にとっては、同年代の女生徒と仲良く言葉を交わすというのは、随分と久しぶりのことだったので、自然と心が浮足立った。部屋の向こう側で、偶見が口端を上げて微笑む。コーヒーが切れていたのは本当のことだが、オルハを外へ追いやったのには、利駆と理由の二人だけで話をする機会を与えてやりたいがためでもあった。

「こっんにっちは~!」

 そうこうしている内に、理由の待ち人、レンハがやってきた。後ろからげんなりした様子のオルハもやってくる。どうやら外で一緒になったようだった。偶見が軽口を投げかける。

「おや、揃って煩いのが帰ってきたね」

「ねぇねぇ聞いてよ理由ちゃ~ん! オルハくんってば、ボクが炭酸買ってって頼んでるのに、無視するんだよー」

 机に近づいてくるなり、レンハは理由の首に腕を巻きつかせた。身体を傾がせた理由の顔が強張っているのが恥ずかしさの裏返しであることは言うまでもない。利駆はそれを見てニコニコする。

「悪い、もう一人、煩いのがついてきた……」

 珍しく謝罪を口にするオルハ。その言葉に、女三人が玄関のほうへ顔を向けると、なんとそこには、三人目の吸血鬼、サワが立っていたのだった。

「う、煩いのとはなんだ……おれはただ、貴方に、帰ってきて頂きたいだけで……」

「どしたのサワくん? なんだかやけに疲れてるような感じがするけど」

 肩で息をするサワに、レンハがきょとんとした顔で尋ねる。オルハやレンハは、サワが茜や梨咲と起こした一騒動を知らない。サワが何故疲れ果てているのかも、知るはずもないのだった。

 梨咲と共に、茜にこれまでの無礼を詫びに行ったサワ。彼はその日を境に、茜のことは関係なしに、梨咲から追い回されるハメになっていた。なんでも、

「アカネとのことは終わったから、今度は木下さんと真実の愛を追求するわ!」

 とのこと。一体いつ、何が彼女の琴線に触れたのかはわからないが、どうやらサワは梨咲に気に入られてしまったようだ。よって、サワは梨咲から逃げ回りながら、オルハとレンハを連れ戻すために奮闘しなければならなくなっていた。

「こうなれば、恥も外聞もない……正攻法でいく! オルハ、頼む! どうか一緒に帰ってくれ!」

 サワは真心を込めて叫んだ。だがオルハは、当然のようにそれを無視する。

「わー。オルハくん、そういうの、放置プレイって言うんだよ?」

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