第三章 勘違い? 恋情

 梨咲というのは、元来我の強い人間の女であった。プライドも高く、いつも【自分らしさ】というものを大事にしていた。

 だが、アイドルとしてデビューすると、そうとばかりも言ってはいられない。自分の「こうしたい」という想いは封印し、トレンドを意識していかなければならなかった。事務所の意向に従う必要もある。この世界で売れるため、生き残るためには、生半可な覚悟では太刀打ちできない。それはわかっていても、自分の意に沿わないイメージ転換を迫られた時には、どうしても不機嫌にならざるを得なかった。

 そんな時に救われたのが、アカネの言葉だった。彼とはアイドルとしてのデビュー時期が近いこともあってか、同じ仕事、同じスタジオになることが多く、自然と会話する機会も増える。すれ違えば挨拶もする。その、廊下での移動の去り際に、彼は梨咲にこう投げかけてきたのだ。

「あれ。梨咲サン、メイク変えた?」

「あっ、わっかる~? そうなの。事務所の方針でね」

「ふ~ん……俺は前のほうが好きだったけどな」

 前のほうが好き。それはつまり、梨咲が自分なりに工夫していた頃のこと。些細な一言だったかもしれない。実際、アカネは大して大事なことを言ったつもりもなく、その後の梨咲の反応も待たずにそのまま先へ行ってしまった。だが、梨咲にとっては衝撃的な出来事で、たったそれだけの言葉で、とても救われた気分になってしまったのだ。今までの自分のほうを認めてもらえた。その気持ちで胸がいっぱいになり、暫くぽかんとアカネの行く様を見つめてしまう。そうして、梨咲はもっとアカネとお近づきになりたいと思うようになるのである。

 梨咲は梨咲なりに本気だった。だから、近頃アカネの周囲をうろついている爽羽のことをアカネに近しい人間と勘違いし、爽羽に取り入ることでアカネと自分をくっつけてほしいと持ち掛けたのだ。

 だが、爽羽としては、茜と親しくしてほしいのは利駆のほうだった。茜が梨咲と仲良くなったところで、爽羽にはなんのメリットもない。当然、梨咲の提案は断った。

「……申し訳ないが、彼には貴女以外の方と親しくなって頂きたい。よって、ご要望には沿えない」

「……何それ」

 梨咲の握った両の拳がふるふると震える。そして不意に、アカネの今までの発言を思い出す。

「あー! わかった、アレでしょ! なんかアカネが時々口走ってる、“アイツ”とかいう奴とくっつけようとしてるんでしょ?」

 爽羽は片方の眉だけピクリと上げる。利駆といい、梨咲といい、人間の女は何故こうも鋭いのだろうか。女の勘が恐ろしいことを知らない爽羽は、純粋に不思議に思う。そんな風に考えている間に、梨咲は一人で勝手に盛り上がり始めた。

「ヤダヤダ! そんなの、絶対認めないんだから! 見てなさい、貴方の思う通りになんて、させないんだから!」

 人差し指を爽羽に突きつけ、一方的に宣言するなり、梨咲は脱兎の如く駆け出した。

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