レンハが理由を公園から内藤家へ連れ帰ったあの日。「理由と一緒に住まわせてほしい」という自身の申し出を彼女の父親に却下されたレンハは、とりあえずその日は大人しく引き下がることにした。しかし、暫くしてからレンハの父親への猛アタックの日々が始まった。理由の祖母の形見だというペンダントトップから覗いた記憶で、彼女の父親の好み等、大体のところを把握していた彼は、少し狡いかとも思いながらも、その能力を最大限活用することにした。持ち前のしつこさでほぼ毎日説得に行く際、毎回土産を持って行った。緑が好きだということから、この時期に植えるのにちょうど良い植物の種を持参したり、流石にこの容姿では酒は購入できないので、肴に良さそうで、且つ口に合いそうな食べ物を選んで行ったり。

 何故そんな風に必死になるのか? というのも、理由の父親の再婚相手が、離婚した実の母親だった、ということが原因であった。

 離婚後も暫くは不安定な状態が続いていたらしい母親は、それでも父親とのやりとりを通して、理由の様子を確認することを怠らなかったらしい。祖母の死から時間が経った今では気持ちの整理もつき、落ち着いた状態で理由たちとの家族生活をやり直したいと望んでいるようだった。だがその一方で、両親を亡くしている母親は今現在、自分一人のパート生活では経済的に苦しい状況にあるらしかった。元々不仲が原因で別れた訳ではない父親は、そんな母親を苦境から救ってあげたいという想いもあるようだった。しかし、理由の気持ちも蔑にしたくない両親は、「あとはお前がどう感じるかだ」と、判断を理由に委ねてくれた。

 理由の正直な気持ちとしては、荷が重かった。自分の選択一つで大切な二人の幸せな未来が揺らがされてしまう。そう考えると、素直に思っていることを口にする訳にはいかなくなった。そんな彼女の迷いを鋭く嗅ぎ取ったレンハは、自分に打ち明けてみろと促した。曰く、再婚相手が全く知らない相手ではないということの安心感はあるが、幼い頃に母親に辛くあたられたことの印象は色濃く、一度顔合わせをするだけだとしても物凄く勇気が要る、ましてや再び同じ屋根の下に住むとなると、どのような顔をして過ごせば良いのかわからない、ということだった。

 そこでレンハは、やはり一緒に住むことを提案する。母親の状況から、父親は再婚を急ぎたい様子だった。理由も再婚に反対したい訳でもない。だからとりあえず再婚はしてもらう。でも、母親とのぎくしゃくが改善されるまでは、理由は別の場所で過ごす。ただし早く慣れるためにも、週末は必ず家に帰る。レンハが理由の父親に提示したのも、概ねそのような内容だった。

 始めはレンハの話に反対していた父親も、何度もやってくる彼に絆されたのか、次第に態度を軟化してゆく。学校にも行っておらず、働いてすらいないレンハのような男に、娘を持つ世の父親としては、普通なら同棲を許すはずもないのだ。だが理由の父親は、娘に負い目を感じているという違いがあった。嘗て、母親の暴走を止めてあげられなかったこと。大切に育ててきたつもりではあるが、満足に一緒にいる時間を割いてあげられなかったこと。どんなに頑張っても、決して自分では母親の役割は果たせなかったこと……。それらに加えて、決定的に彼の気持ちを動かしたのが、理由のレンハを見つめる瞳の真剣さだった。理由に尋ねても正直に白状はしないだろうが、彼女は間違いなく、レンハが態度を改めてからの様子に、徐々に惹かれ始めていたのだった。

 これまでに、理由が誰か特定の男子と仲良くなった話はなかった。その傾向は女子高に進学してからは特に顕著で、男のことなどまず話題には上がらなくなった。そこに突然現れた「高橋戀羽」と名乗る少年。彼は家を飛び出して行った理由を連れ戻してくれたばかりか、彼女に対してこんなにも一生懸命動いてくれている。何より理由が、そんな彼の行動を許容している。

 そんな二人を信じてみたくなった父親は、最終的に条件付きでレンハの提案を受け入れることに決めた。共同生活を始めるのは理由が新学年に上がってから、つまり来年の四月からということ。それまでにレンハは仕事を見つけること。三月になってもまだ仕事に就いていなかったら、この話はなかったことになるということ。レンハの言うように、週末は必ずこの家で過ごすこと。母親との関係がもう大丈夫という段階になったら、その生活はおしまいにして、きちんと家に戻ってくること。これらが守られるなら、二人の生活を許そう、と。

 理由の父親から出された条件を飲むために、レンハは利駆も働いている喫茶店での仕事を始めた。オルハの言ったように、ただ単純にお金を手に入れるためならば、爽羽からむしり取ったほうが速いのは確かだ。だが理由との生活に必要なお金は、レンハ自身で準備しないと意味がない。そんな意気込みが通じたのか、喫茶店のマスターの老爺は、突然面接にやってきたにも関わらず、快くレンハを雇ってくれた。

かくして、吸血鬼レンハの人間界での勤労生活は、幕を開けたのであった。

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