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同日。理由は父親から「今日は早く帰れ」との連絡を受けていた。なんでも大事な話があるらしいが、理由にはとんと見当がつかなかった。放課後は早めに支度を済ませ、いつもの近道を行きかけるも、思わず一瞬立ち止まってしまう。早く帰れと言われているのだから、ここを通るのが一番速いはずだった。けれどそこは、一度レンハに襲われている場所。躊躇するのは無理もないことだった。周囲をサッと見渡し、彼がいないことを確認する。運動があまり得意ではない理由だったが、この時ばかりは全力疾走した。滅多に頼みごとをしてこない父の、たまのお願いを叶えたい。そんな想いを抱いた成果か、普段よりいくらか早く帰れた理由は、既に父親が帰宅していたことに驚いた。
「ただいま、お父さん。なんだ、私より早かったの」
「お帰り。いや、父さんも今帰ってきたばかりなんだよ」
言葉の通り、父親はまだスーツ姿だった。だが着替える様子は見せず、上着だけ脱いで「まぁ座りなさい」と、理由に着席を促してくる。そんなに焦る必要がある話なのだろうか? 不思議に思った理由は、とりあえず鞄を床に置くと、勧められた通り自席に着いた。
「話というのはね……」
そこで一度、言葉を切る。どこか緊張している様子を見せる父親に、理由もゴクリと咽喉を鳴らした。一体何を言われるのだろう。
「父さん、再婚しようと思うんだ」
瞬間、理由は我が耳を疑った。父が何を言っているのか理解できなかった、と言ったほうが正しいかもしれない。これまでも、冗談半分でそのような話が持ち上がったことは何度かあった。だが今回のこれは、本気の話だ。父の雰囲気からそう読み取った理由は、自分がどのような感情を抱けば良いのか、全くと言って良いほどわからなくなってしまった。
父のことは尊敬している。まだ三人家族であった頃から大好きであったし、父子家庭になってからも、幼い理由のことを男手一つで育ててくれた恩もある。父に良いご縁があったなら応援したい気持ちも本物だ。ずっとずっと、自分の味方であり続けてくれた父の幸せを祝福したいのも本当だ。けれど、すぐに割り切れるほど、理由は大人になれていなかった。理由自身は気が付いていなかったが、ここ最近、レンハに掻き回されていることによる生活の変化のせいで、これ以上の環境の変化に対応しきれないといった深層心理も存在していた。
「……その反応を見ると、理由は反対、かな?」
「ち、がうの。ごめん、ちょっと急で、あの……」
なんとかそれだけしぼり出すと、俯いて、両手の拳を膝の上で震わせた。「おめでとう」、そう言えれば良いのに声が出ない。どんな顔をして良いかもわからない。「どんな人?」そう無邪気に問えれば良いのに、本心からそう思えない。
「ごめん、ちょっと……散歩、してくるね!」
ガタンと椅子から立ち上がるなり、理由は荷物も持たずにダッシュした。後ろから聞こえてくる父の制止は聞こえないふりをした。靴をなんとか突っ掛け、玄関を乱暴に開ける。出た先に待っていたのは、能天気なレンハの顔だった。
「あっ、理由ちゃん、ちょうど良かっ……」
だが理由は、ほんの一瞬立ち止まっただけで、レンハには目もくれずに駆け出して行ってしまった。レンハは思わず呆然とする。涙こそ流れていなかったものの、理由の顔は、これまでにないほどくしゃくしゃに歪んでしまっていたのだ。
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