第二章 種蒔き

 先日怒って帰ってしまったのが嘘だったかのように、戀羽はにこやかな笑顔とともに度々理由の前に現れた。彼は登場の度に理由の心を疲弊させていった。ただ現れるのではなく、毎回、派手な演出とともにやってくるからだ。

「やっほー、理由ちゃん!」

 ある日は、先日血を吸ってきた時と同じような時間と場所で現れた。暗がりの路地裏、人気のない時間帯。理由は当然警戒し、じりじりと後ずさって距離を取る。と、戀羽は何やら懐をゴソゴソと漁り、銃のようなものを取り出した。理由は銃に詳しくない。そのため、戀羽が持っているものがどのような種類で、どれくらい威力のあるものか見当がつかない。だがこれだけはわかる。この現代日本において、いわゆる銃刀法の下、銃の所持は禁止されているということは。

「高橋さん、それっ……!」

「バーン☆」

 口で音真似をするなり、戀羽は本当にそれを撃ってしまった。思ったより音が響かなかったのは、何か細工がしてあるのだろうか。理由にはわからなかったが、今はそれを気にしている場合ではなかった。戀羽が撃ったのは、なんと彼自身だったのだ。

「あ……ぁ……」

 赤い花を咲かせて倒れる戀羽。突然のことに動けない理由。ハッと我に返って戀羽に駆け寄ろうとすると、彼はいきなりムクリと起き上った。

「なーんてね! どう? 吃驚した? あ、これ血糊ね。よくできてるでしょ?」

 両手を上げておどけたポーズをとる戀羽に、理由はなんと声を掛けていいものかわからない。だが彼に痛そうな様子は全く見られないので、確かにその血は作り物なのであろう。安堵とともに、疑問符が理由の頭に浮かび上がってくる。彼は一体、何故このようなことを……?

「あ、ヤバ。誰か来た」

 複数の足音がこちらへと向かってくると同時に、戀羽はシュルリと姿を消した。たとえサイレンサーを付けていたとしても、実際は映画やドラマほど銃声が聞こえなくなる訳ではない。恐らく音を聞きつけた通行人がいて、こちらへやってきたのだろう。

「君っ! 大丈夫? 今こっちのほうから音が聞こえたんだけど……」

「だ、大丈夫、です……あの、子どもの、性質の悪い悪戯でしたので……」

 青い顔をしていることを隠すために、理由はそれとなく顔を背ける。辺りに争った形跡もないことから、やってきた通行人たちも「なぁんだ」といった雰囲気で解散していった。中には野次馬も混じっていたのだろう、若干落胆した様子も見受けられた。

 理由は胸を両手で押さえ、バクバクと高鳴る心臓を少しでも落ち着かせようとする。暫く待っても、戀羽が戻ってくる様子はなかった。戀羽の意図は気になったが、このまま考えていても仕方がないので、大きく深呼吸をした後、再び帰路に着くのだった。

 またある日は、まだ日の高い時間帯だった。理由が大きめのマンションを横切ろうとした時のこと。頭上から、

「おーい、理由ちゃーん」

 と、聞き覚えのある声がしたのだ。振り仰ぐと、マンションの屋上から手を振る戀羽の姿が見えた。彼は、理由が自分の姿を認めたのを確認すると、そのままゆっくり柵から手を離し、こちら側へと落ちてきた。

「ッ……!」

 理由は思わず目を閉じた。戀羽は空が飛べるが、理由はそのことを知らない。当然、落ちてきたとなると物凄い音がすることを覚悟した。だがその音はいつまでもやってこない。恐る恐る片目ずつ開けると、そこには、五体満足の戀羽が立っていた。

「何? どしたの? 理由ちゃん」

「……」

 なんてことないように尋ねてくる戀羽は無視して、理由はその場で身体検査を始めた。右手、左手、右足、左足……全てがきちんとあるべき形でおさまっていることを順に確認すると、最後に戀羽の頬を両手で挟み込む。

「本当に……どこも、お怪我はないんですか?」

「……」

 理由のその発言がお気に召さないのか、戀羽は不服そうに「むー」と唸る。そして、パッと理由から距離を取ると、何も言わずに消えてしまった。

 またある時は、理由が交通量の多い道路で信号待ちをしていたところに現れた。信号がないほうの反対側の歩道から、何やら声を上げながら戀羽が手を振っている。恐らく毎度のように「おーい理由ちゃん」などと呼びかけているのだろうが、走っている車のエンジン音に掻き消されて聞き取れない。このまま気付いていないふりをして無視してしまおうか、とも思った理由であったが、戀羽が理由がこちらに気が付いていることを見過ごすはずはなかった。彼はそのままガードレールを乗り越えると、こちらに向かって走って横断し始めてしまったのだ。

 パァー! っとクラクションが鳴り、キキーッと甲高くブレーキ音が鳴り響く。「危ねぇだろ、この小僧!」と怒号が飛ぶも、そこには誰もいなかった。ドライバーは首を傾げながらも運転を再開する。幸い後続車が暫くいなかったこともあり、その車が急ブレーキを掛けたことによる事故は起こらずに済んでいた。もちろん、誰も轢かれてもいない。

 理由は目を見開いたまま、その場を動けずに固まっていた。暫くそうしていると、物陰から腕が伸び、理由を横道へ連れ去った。そこにいたのは、何事もなかったかのように平然とする戀羽その人。理由は慌てて、戀羽の頭から爪先までを、サッと眺めて無事を確認した。

「なぁに? また心配でもしてるつもり? キミもいい加減わかってんでしょ? ボクが人じゃないってことをさ」

「人じゃ……ない……」

 確かに戀羽の言う通りだった。いくら現実主義者の理由であっても、こうも立て続けに非現実的な現象を見せられては、認めざるを得なかった。高橋戀羽は人ではない。吸血鬼の、レンハであると。

「だからさ、こんなことで死んだりしないの。キミも、もう心配してるふりなんてしなくていいの。偽善者なんて気取んなくていいからさ、本当のキミを……」

 バチーン! と。昼間の街道に乾いた音が響き渡った。近くに走るのは交通量の多い道。どれだけの人が聞こえたか知れない。だが頬を叩かれた当のレンハには、この上なく大きく耳に響いた音だった。ポカーンと口を開け、打たれたほうの頬に手を添える。対する理由は、大人しそうなその相貌を、眦を釣り上げて歪ませていた。

「……心配して何が悪いんですか。助けて、何が悪いんですか。そんなの私の勝手でしょ! もう放っておいてよ!」

「な、にすんだよ、このアマ!」

 レンハは逆切れして、理由の首元に手を突っ込んだ。最初に吸血した時から、理由の首には常にネックレスがかけられていることに気が付いていた。丸い宝石のついた、少し古めのト音記号の形をしたネックレス。それを掴み、鎖をブチリともぎ取った。

「! 何するの! 返して!」

「やーだね」

 理由は必死に手を伸ばすも、レンハはするりと空へ飛んで行ってしまう。もうそんなことに驚いている場合ではなかった。理由の学校は校則が厳しい。もちろんアクセサリーなど学内につけて行ってはいけない決まりになっている。真面目な理由は大抵の規則は守っている。それを破ってでも、毎日付け続けているネックレス。それほど、彼女には大事なものだったのだ。

「返して! 返してよ!」

「キミが反省したらね~」

「反省って……私、何も悪いことしてない!」

 必死に訴えるも、レンハがそれを聞き入れることはない。伸ばした腕は虚しく空振り、レンハは空へと消えてしまった。こうなってしまっては、レンハはその日の内には戻って来ない。悲しいことに、その程度のことなら予想がついてしまうくらい、理由はレンハの行動に慣れてきてしまっていた。

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