その夜。繁華街の裏路地で、戀羽は半ば足を引きずるようにして歩いていた。吸血鬼の肉体は、常人のそれを超越して強靭だ。ちょっとやそっとのことでは傷つかない。だがそれも、喧嘩をする相手までもが吸血鬼――それも自身より格上の――ともなれば話は別だ。つまりオルハにボコボコにされた今、戀羽は文字通り満身創痍な状態だった。

「んもーオルハくんてば、ちょっとくらい手加減してくれてもいいのに……イテテ」

 壁にトンッと肩を預け、そのままズルズルと地に座る。なるべく人目にはつきたくなかった。確かに傷だらけではあるのだが、人間と比べて回復力に圧倒的な差のある身体、病院などに連れて行かれては、あっという間に正体がバレてしまう恐れがあった。オルハを連れ戻すという目的が果たされていない今、そのような行動を制限されかねない事態はなるべく避けたい。人間に見つからずに、傷を癒すほんの少しの間身を潜めるにはどうしたものかと考えていた矢先。軽い足音が、こちらに気が付いたのかカカッと立ち止まるのが聞こえた。

(ヤッバ……)

 そう思うも、戀羽は咄嗟には動けない。そうこうしている間に、足音の主は戀羽のほうへ近付いてきてしまっていた。軽やかな足取りでやってきたのは、短髪だがどうやら女性のようだった。それも若く、少女と言ったほうが近いかもしれない。制服姿に学生鞄という出で立ちだが、利駆たちのそれとはデザインが異なった。別の高校か、若しくは中学生なのだろうか。

「あの……どうかしました? 大丈夫ですか?」

 鈴のような声が鳴る。「大丈夫なので、放っておいて下さい」、そう言いたかった戀羽だが、残念ながら口の中も盛大に切っており、動かすのも億劫だった。このまま無視してたら、黙ってどっか行ってくれないかな、なんて淡い期待を抱く戀羽。だがそれは、無残にも裏切られてしまうのだった。

「! 酷いお怪我……救急車をお呼びしましょうか?」

 救急車! とんでもない。戀羽は力を振り絞って首を横に振る。救急車の行き先は病院、戀羽にとっては地獄だ。それはつまり手詰まりも同じこと。だが少女は、根気強く話しかけてきた。

「私、すぐそこの高校の看護科なんです。せめて応急処置だけでもしておきませんか? そのままでは、良くありません」

 一向に立ち去る気配のない少女を相手に、戀羽はだんだんイライラしてきた。

応急処置? 要らないから。ってゆーか早く余所へ行ってくんない?

「ですが……」

 戀羽が心の中で呟いていたつもりだった言葉は、口から外に出ていたらしい。少女がなおも食い下がってくる。そんな少女に対し、寛容でいられるほど戀羽は人間(といっても吸血鬼だが)ができておらず、また、冷静な判断を下せないほどには、色々と限界であった。

 チッと一つ舌打ちすると、戀羽はいきなり立ち上がるなり、少女の両肩に掴みかかる。今いる場所より更に暗がりの、角の奥まった所まで強引に移動させると、ドンッと乱暴に地面に座らせた。怯えた少女は、やや潤ませた目で戀羽の顔を見上げてくる。それに少し満足した戀羽は、自身も少女に覆いかぶさるように座り込み、少女にだけ聞こえるような声量で囁きかけた。

「そんなことよりさぁ、手っ取り早く、血ィ吸わせてよ」

「ち……?」

 その音が指し示すモノが何であるかを理解する前に、少女の襟元が戀羽の手によって寛げられてゆく。突然の出来事に驚き強張る少女の顔とは対照的に、戀羽はどこか楽しげですらあった。

「ボク、O型が好きなんだよね~。キミは何型かなぁ~っと♪」

 歌うように口ずさむと、戀羽はズブリと少女の肩口に牙を差し込んだ。あまりの事態に少女はヒュッと鋭く息を飲む。思わず気を失いそうになりかけるが、ここで意識を手放したら、この後更に何かされないとも限らない。少女は必死に、意識を保つために戀羽の行動理由を考察し始めた。

(血を吸う……異食? 吸血鬼にでもなったつもり? 自分は吸血鬼という譫妄とか……? こういうのなんて言うんだっけ、高次脳機能障害? 先生は交通事故とかに遭った人は自覚がなくても実は大けがをしていることもあるって言ってた……まさかこの人も? でも周囲に車はないし……轢き逃げ? もしかしてそれで血が足りないから、無意識に欲してるとか……?)

 そこまで考えが至ったところで、少女は自分が今していることが献血ないしは輸血なのではないかと思えるようになった。恐怖が臨界点に達すると逆に冷静になることができるらしい。急に頭が冴えた気分になった少女は自身に、これは輸血、医療行為、つまり自分は人助けしている、と頭の中で反芻しだした。

「んー、ん……ん~?」

 悲鳴も上げず静かな少女に気を良くして、戀羽は食事を楽しんだ。血液を摂取しているおかげで、オルハにつけられた怪我も見る間に回復してゆく。戀羽には吸血中に血の味を気に入った場合、相手を甘噛みしてしまう癖があった。今もまた、少女の肌に牙を擦りつけるように甘く食む。少女は「んっ……」と、か細く息を吐く。それほどに、少女の血は、戀羽の舌に合っていた。

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