第三章 秋、茜

 残暑厳しい最中でも、学生たちに時の流れは容赦なく、無情にも新学期が始まってしまう時期が訪れた。夏の間にオルハが吸血鬼であることが知れてからも、利駆たちは相変わらず校内ではつかず離れずの距離を保っていた。利駆から一方的にお友達宣言されたところで、オルハは授業に出る気はないし、利駆も利駆でやたらしつこく裏庭にやって来るといったようなこともしなかったので、目に見えて仲が進展したということはなかったのである。

 それでも級友たちは、オルハといる時の利駆には極力近づかないようにしていた。オルハが誤解を解く気がないので、例の【流血事件】の噂はほったらかしだ。つまり、オルハにつけられている【不良少年】のレッテルもそのままだった。利駆に何かすれば、オルハの報復があるのではないか――そんな新たな噂がまことしやかに囁かれる中、「であれば、一人である時を狙えばいい」と考え始める強者が存在するのも現実だった。事実今も、オルハといることが増えたのに相変わらず茜の傍からも離れない利駆が気に喰わない【アカネ】のファンの女子生徒たちに、たまたま昼休みに廊下で一人でいたところの利駆は絡まれていた。

「ねぇ、アンタさ、結局アカネのことが好きなの?」

 それは女子生徒たちにとっては至極当然の質問だったのだが、利駆にとっては勘違いも甚だしく、ついつい焦って返答してしまう。

「ち、ちが、違います! 確かに茜くんのことは大切です、ですがそれは、わたしなんかが烏滸がましいですが、家族のような想いであって、決して茜くんのことを、恋愛感情的な意味で好きになることは、未来永劫ありえないんです……!」

「ハァ? 何それ、なんでそんな上から目線なの?」

 だがそんな、どもりながら必死に反論する利駆の様子は、逆に女生徒たちの怒りの炎に油を注いでしまう結果となる。

「一緒に住んでんだかなんだか知らないけど、アンタとアカネが家族になれる訳ないでしょ?」

「何? 優越感? あたしらのことバカにしてんの?」

 【彼女たちにきちんと自分の意見を表明するように】。以前、そうオルハに注意されたことも頭にあり、一生懸命紡いだ言葉。けれどもやはり、それらがきちんと正しく相手に伝わることはなく。

(あぁ……やはり、言葉は、想いは、どんなに言い募っても伝わらなくて。それなら、わたしは、わたしは……)

 利駆はそう諦めかけ、再び口を噤もうと、ゴクリと唾を飲み込んだ。そこへ、第三者の声が挟み込まれる。校舎には滅多に現れない、オルハの姿がそこにはあった。

「いい加減にしろよ」

「なっ……狭山?」

 今ここにいるはずのない存在の突然の介入に、女子生徒たちの間に動揺が走る。が、オルハはそのようなことにいちいち気をとめる性格をしていなかった。彼女たちが怯んでいる隙を見逃さず、淡々とこう続ける。

「アンタら、どうせこいつがなんて答えたって気に食わないんだろ? そういうのやめてくんない? またこいつ肝心なこと喋らなくなるから。最近折角大事なことはちゃんと口にするように言ってんのに、台無し」

「あ、アンタなんなの? 最近権田のバックにつくようになっちゃって。何? こいつのこと、好きなの?」

 高校生ともなれば、男女の関係に敏感になる年頃だ。狭山織羽という男子学生が、権田利駆という女子学生の傍によくいる。そうなると、二人の関係性に周囲の目が行くのも、至極当然のことと言えた。当の利駆にとってはひどく心外なことであり、オルハのほうも、まともに取り合うのが面倒くさいので、てきとうに答えてしまうのだが。

「だったらどうした?」

「は……こんな、アカネの周りチョロチョロしてる、デスマス女のどこがいいの?」

「さっきそいつも言ってたけど、それ、別に蝶野のことが好きでやってる訳じゃないし。だったらオレには関係ない」

「な……何それ……わ、わかった、アンタ秘密でも握られてんでしょ、だから権田に逆らえないんだ。ねぇ、あたしら協力しない? あたしらがその女から解放してあげる、だから……」

 【秘密を握られている】というフレーズに、利駆は一瞬ギクリと揺れた。確かに、オルハの秘密なら知っているのだ。利駆はそれを他言する気はないし、ましてやそれを理由にオルハを脅すつもりなど毛頭ないのだが、オルハのほうではどうだろうか。 もしや、彼が近頃よく一緒にいてくれるのは、その【秘密】が露見するのを恐れてのことではないだろうか。自分に自信の持てない彼女は、ついついそんな風に考えてしまう。先ほど女生徒とオルハが交わしていた「利駆が好きかどうか」の応酬など、利駆の頭からはスッポリと抜け落ちていた。

「失せろ」

「え……?」

「アンタ、こいつがどんな奴か見ようともしないくせに、知った風な口をきくな。もう一度だけ言う、失せろ」

 そんな利駆の心の憂いを余所にして、事態は勝手に進んで行った。不良少年と呼ばれるに相応しいオルハの鋭い眼光に、女生徒たちは「ねー、もういいじゃん、ほっとこ!」と言って、各々教室へ帰って行ってしまったのだ。後に残された利駆はポカンとするも、オルハに声を掛けられて、すぐにハッと我に返った。

「頑張ったじゃねぇか」

「はい……?」

 すぐには何のことを言っているのか理解できなかった利駆は、目をパチクリと瞬かせる。

「さっき。自分の意見、ちゃんと言えてた。まぁ、アイツらには届いてなかったかもしれないけど。今までの殻に閉じ籠ってただけのアンタより、数倍マシ」 

 そう言ったオルハの態度は、仏頂面で、ぶっきら棒で。決して褒めている言い方としては、お世辞にも相応しいとは言えなかったけれど。努力を認めてもらえるということは、なんて救われる気持ちになれるんだろう、と。利駆は暫し、オルハの瞳を見つめてしまっていたのであった。

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