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「バカだね」
開口一番そう言ったのは、車で学校まで迎えに来てくれた【ばばあ】こと狭山偶見(さやまたまみ)だった。白衣を着た彼女は見た目こそ元気そうなものの、その車には高齢運転者標識が貼り付けてあり、なるほど織羽が【ばばあ】と呼びそうな年齢であるらしかった。織羽の保護者だと言って名乗り、彼を車へ乗り込ませると、彼女は利駆にも同行するよう求めてきた。未だに事情が飲み込めていない利駆であったが、このまま偶見にだけ織羽を任すのも気が咎めたため、承諾して隣に座り込んだ。滑らかに進んだ車はやがて、学校からそうは離れていない【狭山】の表札のある家へ吸い込まれる。白で統一されたその建物は一般家庭の一軒家とは少し違う様相を呈しており、何かの研究施設だと言われたほうが納得できそうな佇まいだった。
車を降りて室内へ入ると、利駆は手近な椅子に座らされ、織羽だけが奥へと連れて行かれた。戻ってきた偶見は雑然とした棚の上でホットコーヒーの準備をし、自分と利駆の分を淹れて机に置く。織羽の分がなかったので、彼は暫くこちらへは来ないということなのかもしれない。無遠慮に口にしても良いものか利駆が迷っているのをよそに、偶見はズズッと一口啜る。そうしてフゥと一息吐くと、意を決したようにこう言ってきた。
「で? どこまできいてんだい?」
「どこ……とは?」
偶見はこちらの内面を全て見透かすような目をしていた。嘘や誤魔化しはきかない。だが確かに、利駆には偶見の言っていることが理解できないでいた。
「あのバカのことさ。何かきいてんだろ?」
「いえ……あの、織羽くんは大丈夫なんですか? どこかご病気なんでしょうか?」
きいて良いものか幾分迷ったが、とりあえず容態だけでも知りたくてそう問いかける。コーヒーの湯気越しに探るような視線を寄越していた偶見はやがて、静かに目を閉じた。
「そうかい。何もきいていないんだね」
全く話が噛み合わない。少なくとも利駆にはそう感じられた。
「まぁ今んとこは大丈夫さ。薬……のようなものを投与しているから」
どこか言葉を濁したようなその言い方に、疑念はますます降り積もる。薬と言えば、ここに来る前にも織羽は何かを口にしていた。割られたガラス管。その中の液体。紅い――錆びた鉄の、匂いがするモノ。
「お薬といえば、織羽くんは先ほども何か飲まれていました。ですが、あれは……」
利駆が薬のことに触れると、偶見は再びカッとその目を見開いた。両手を組み、口元の辺りに持ってくる。何かを思案しているようにも見受けられた。
「“それ”は見ちまったのか」
その声の重さに、利駆は自分が望んで見た訳でもないのに、何か悪いことをしてしまったような気にさせられて、ますます居心地が悪くなった。相変わらずコーヒーにも口を付けられていない。できればこのまま一口も味わわないまま家に帰ってしまいたかった。そんな、尻尾を巻いて逃げてしまいたくなるような威厳が、この老婆には備わっていた。
「あれは薬なんかじゃないよ。もっとも、アンタが考えてるような代物ともちょっとばかし違うがね」
「ではやはり、あれはわたしの勘違い……?」
「……ここから先は、安易に踏み込まないほうがいいよ。一度こっちに来たら、もう引き返せないからね」
確信をつかない言い方で、偶見は遠回しに利駆に警告する。そして、右手側にあった台を手繰り寄せると、その引き出しをゴトゴトと漁り、手に取った薬瓶のような物を隣の部屋の方面へと投げつけた。利駆はギョッとするも、そちらからはシャッと間仕切りのカーテンが引かれて織羽が現れ、投げられた物をパシッと受け取る。
「おいババア。余計なこと言ってんじゃねーだろうな」
「逆に問いたいね。余計なことしといて何肝心なこと黙ってんだい」
偶見を睨んでいる織羽は、服をくつろげていることも相俟って先ほどまでと同様気だるげに見えるが、顔色は多少良くなっていた。だが表情は、これまでになく不機嫌そうで、暫し偶見との睨み合いが続く。利駆はというと、織羽の手元に視線が釘付けになっていた。偶見が投げ、織羽が受け取った薬瓶――そこには、やはり紅い液体がたぷたぷと揺れていたからだ。
「似たようなもんさ」
利駆の視線に気が付いた織羽が言う。
「アンタが考えてんのと殆ど一緒。ここに入ってんのはAB型RHマイナスの、人間の血とほぼ同じ成分の薬液さ」
利駆がこれまで避けてきた、血という言葉をあっさりと認める織羽。利駆は驚愕に、これまでにないほど目を見張る。
「オレは人間の狭山織羽じゃない。欠陥品の吸血鬼、オルハってのが正解さ」
血が吸えないという意味で欠陥品、という彼の自虐は、衝撃を受けた利駆の耳には届いていないのであった。
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