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オルハのほうを向いて固まった首を、利駆は苦労してぎしぎしと偶見のほうへ向ける。
「アタシは違うよ。れっきとした人間さ、吸血鬼じゃない」
期待していたものとは違う答えが返ってきたが、利駆は少しホッとした。今この場にいるのが自分以外人間でなかったとしたら、ますますここから逃げ出したかったところだ。
「きゅ、きゅ、吸血鬼って……あの、ホントに?」
「さっきこのバカも言ってたけど欠陥品さ。こいつは血が吸えない。吸うと拒絶反応が出る、血液アレルギーなんだよ。で、アタシはこいつの人間界での保護者代わりの吸血鬼研究者。表向きは架空の存在としての吸血鬼を研究してるってことになってるけど、実際は実在するこいつみたいな奴らを研究対象にしてる。狭山ってのはアタシの名前を貸してやってるだけ」
偶見はスラスラと淀みなく説明してくれるが、利駆の頭にはその半分も理解できていなかった。服を整え始め、薬瓶をしまうオルハのほうを再度振り向くも、その容姿は大して普通の人間と変わりはない。だというのに、彼は本物の吸血鬼であるという。それも血液アレルギーの。吸血鬼であるというだけでも信じられないのに、更に血液アレルギーであるなどきいたこともなく、到底納得できる話ではなかった。
「じ、実在するって、吸血鬼が他にもいるってことですか?」
利駆から質問されると、偶見はサッとオルハの顔を確認する。「本当にいいのかい?」と言うように。その無言の問いに、オルハは「こいつなら構わねぇよ」と目を閉じて頷いた。それを受けて偶見は顔を利駆のほうへ戻すと、顎に添えていた両手を組み直し、静かに語り出す。
「大前提から話そうか。まず、吸血鬼は実在する。そこは理解しときな」
そうして説明された偶見の吸血鬼についての解説は、利駆のこれまでの常識を覆すものだった。
吸血鬼は実在する。それも、驚くほど身近なところに。ただし、彼らの集落は人間からは認知できない。目にしてもそれとはわからないように、特殊な結界が張り巡らされているという。オルハがやってきたのも、そんな吸血鬼の世界からだった。成り損ないの吸血鬼ということで、半ば追放されるかのような形で。偶見のところに打診が行ったのは、もし克服したなら帰ってきても良いという、お情けをかけられたからだった。
「閾値ってわかるかい? そうさね……花粉症のアレルギーコップ説を例にとろうか。それまで花粉症じゃなかった奴らが、ある年になって急に花粉症になっちまうことってあるだろう? あれをわかりやすく説明した、【コップに花粉に対する抗体が溜まっていって、溢れ出た時に発症する】って説だ。アタシはこれが、こいつの症状にも当てはまるんじゃないかと踏んでる」
「つまり……【花粉】が【血】であると?」
「フフッ。察しが良いのは嫌いじゃないよ」
ニィッと笑うと、偶見は説明を続ける。
「吸血鬼にも太古の昔から続く歴史ってのがある。それを通して、血液中の何らかの閾値が吸血鬼の中で超えちまったんじゃないかと思ってね。発症したのが偶々こいつ個人だったってだけで、吸血鬼という生き物そのものの身体の仕組みに変革の時期が来ているんじゃないかってさ。まぁこれは推測の域を出ないから、完全にアタシが立てただけの仮説なんだけど」
そう言ってオルハのほうを、偶見は親指だけで指さした。オルハは先ほどの位置から移動して、壁に不機嫌そうに背を預けている。
「あいつが今摂取してるのは、そんな血液の中でも口にする機会の少ないAB型RHマイナスに限りなく近づけた、吸血鬼にとっての【栄養剤】みたいなもんさ。まぁ副作用が全くないって訳じゃあないけど、効果は概ね表れてるから、当座はそれで凌げる。だのにこいつときたら、定期的に摂取しろって口を酸っぱくして言ってんのに、きちんと飲んだ試しがない」
「あんなクソ不味いもん、誰が好き好んでしょっちゅう飲めるか」
横を向いてボソッと言ったオルハの呟きを、偶見は聞き逃さなかった。
「それで結局栄養失調になって、切羽詰まった時に飲んで人間に見つかってたら世話ないよ。今回だってこの嬢ちゃんの目の前で飲みくさって、どうせ説明のこととかなんも考えてなかったんだろ」
「あ……もしかして、入学式の時の流血事件って」
利駆が、オルハが高校の入学式の日に流血事件を起こした不良少年であると騒がれていた件を思い出す。お気に召さない薬の話をこれ以上したくないのか、オルハは気まずそうに頭をガシガシ掻き回す。
「ムカついてぶん殴ったのは本当だよ。だけど血が出るほど喧嘩した訳じゃなくて、飲もうとしたら『入学早々クスリやってんのか?』って絡まれて、中身ぶちまけられたのを見に来た奴らに誤解されて、一回広まったら収まりつかなくなって」
「別に弁解する気もなかったんだろ」
偶見のツッコミに「まぁな」とオルハは面倒そうに答える。オルハたちはなんてことないように話しているが、利駆はとても安堵していた。これまでのオルハとの付き合いの中で、校内で噂されている【不良の狭山】と自分が接している【織羽くん】との間に齟齬があり、なんとなく違和感を覚えてきていた。それが今、ようやっと解消されたのだ。自分が見て、感じてきた、彼の優しさは嘘ではなかった。それだけで、充分だった。非現実的な話を色々聞かされもしたが、利駆にとっては、それが唯一の現実だった。話が済んで帰る段階になった時も、
「悪ぃな、オレから帰って休めって話してたとこだったのに」
と謝ってきた様子に、利駆は改めて、自分が抱いてきた印象は間違ってはいなかったのだと確信した。玄関まで見送りに来てくれた偶見は、
「まぁ、そういう訳だから、いきなりアンタや他の人間を襲ったりなんてこたぁしないとは思うけど、もしこいつに迷惑かけられたらアタシに言っとくれ」
と、利駆に連絡先を渡してくれた。「何だよ迷惑って」とぼやきつつ、先ほどまで自分が具合が悪かったにも関わらず、オルハは利駆の反対をおして帰り道に付き合ってくれた。
「あ、あの、オルハくん!」
「何? 正体知って幻滅した?」
「そ、そうではなく」
ズボンのポケットに両手を突っ込み、相変わらず気怠そうに隣を歩くオルハ。そんな彼に、利駆は意を決して声を掛けた。先ほどから考えていた自分の想いを、どうしても今の内に、彼に伝えておきたかったのだ。
「何か困ったことがあったら言って下さいね! これまではわたしが助けられてばかりでしたが、今度はわたし、ご恩返し致します!」
どこかで聞いた言葉だな……と、オルハは少し嫌な気持ちになる。利駆はそれには気づかず続ける。
「その……お、お友達として!」
「は? オレらいつから友達だったの?」
オルハが正直にそう告げると、利駆はショックを受けた顔をし、一瞬立ち止まってしまう。口も開けっ放しだ。夏だしそのままだと虫が入りそうだな……とオルハは思う。だが利駆はすぐに正気に戻り、小走りで先を歩くオルハに追いつくと、グッと拳を握ってめげずに提案してきた。
「で、では、今からお友達になりましょう! わたしはオルハくんの味方ですから、どうかご安心下さいね!」
「……はぁ」
(こいつ、能天気だよな。知ってたけど)
利駆は見た目によらず打たれ強いのかもしれない。あんな素っ頓狂な話を聞かされた後なのによくそんな会話をしようと思えるよな、と、オルハは感心半分、呆れ半分であった。
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