太陽が中天に差し掛かる頃。流石に暑いから家に帰れと、織羽は利駆に促した。歩き出そうとする前に、利駆はおずおずと心配事を口にする。

「あの、マスターにこのことは……」

「チクったりしねぇから、余計なこと考えてねぇで今日はしっかり休んどけ。明日は出るんだろ?」

「はい。あの……すみません」

 喫茶店の店主に休んだ理由を告げ口されてしまうことを懸念する利駆に、織羽は肩を竦めて呆れながらそう答える。密告したところで織羽には何のメリットもないことだし、何より織羽は利駆に、自分がそういうことをしそうな性格に見られるのがなんとなく嫌だった。

「そういう時は謝るんじゃなくて、素直に礼を言っとけば良いんだよ」

「そ……うですね。はい、そうです」

 納得すると一つ頷き、彼女は深く腰を折った。

「ありがとうございます、織羽くん。今日だけじゃなく、いつもいつも」

「……何もそこまでしろとは言ってないんだけど」

 自分から言い出したこととはいえ、予想以上に厚く礼を述べられてしまった織羽は、少しきまりが悪くなる。目線を逸らし、頭をガシガシと掻くと、「ほら行くぞ」と先に扉のほうへ歩き出す。その声に顔を上げた利駆は、少しのあいだ彼の背を微笑ましく眺めた後、小走りで後を追った。

 織羽が扉を開けて中へ入った時だった。突然、彼の身体がガクンと何の前触れもなく頽れた。

「織羽くんっ!?」

 利駆は慌てて駆け寄って、閉まってしまいそうだった扉を引っ掴んだ。織羽の様子をうかがうと、目を見開き、身体は小刻みに震えていた。汗をかいているのも、暑さのせいだけではなさそうだ。「今、救急車を……」そう言いながらポケットの携帯電話を探る利駆を、織羽は脚を掴んで引き留める。

「落ち着け……大丈夫、大丈夫だから」

「で、でもっ……」

 なおもおろおろする利駆を目で制しながら、織羽は自分の懐を探った。そこから出てきたのは織羽の携帯電話と……アンプルのようなもの。紅い液体が入っていた。織羽はその器具の先を掴んで割ってしまうと、中の液体を乱暴に煽った。同時に携帯電話を操作し、利駆に手渡してくる。

「ここにかけて、オレが呼んでるって言って。それだけで伝わるから」

 受け取った電話の画面には、【ばばあ】の表示。事態が全くと言っていいほど飲み込めていないが、とりあえずはここに電話をかければ良いらしい。織羽は口を開くのも億劫そうだった。

「……もしもし、あの、わたし権田と申しますが、織羽くんが……」

 電話口で喋りながら、利駆は目の前で苦しそうに息を吐いている織羽の様子を窺う……ふりをしながら、先ほど織羽が割っていたアンプルのようなものの残骸から目が離せないでいた。勘違いでなければ、それが割られた瞬間漂ってきたのは……錆びた鉄のような香りだったのだ。

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