第一幕 織羽編
第一章 春、出会い
1
都会のとある私立高校の昼休み。旧校舎にある裏庭の茂みは殆ど生徒が寄り付かず、静かに昼寝をするにはうってつけの場所であった。サボリ魔として学校で有名な一年生狭山織羽(さやまおるは)は、今日も今日とてお気に入りの指定席に寝っ転がり、惰眠を貪る予定だった。しかしその目論見は、招かれざる客によって静寂が破られたことで、脆くも打ち砕かれてしまうのだった。
「権田ぁ。アンタ何回言えばわかる訳?」
聞こえてきたのは複数の女子生徒の声と、ドスンという何かが倒れるような音。織羽は片目を開いて音の方向を見るが、勿論草陰からは何も見えるはずもない。女子同士のつまらない言い争いかと、関わるのも面倒くさい彼は、見つからないよう無視を決め込むことにし、再び顔を元の位置に戻し目を閉じた。
「アカネは芸能人なの。喋りたい人なんていっぱいいるの。アンタただでさえ一緒に住んでるクセに、学校でまでアカネの周りうろちょろして、ちょっとは人の迷惑考えたら?」
どうやらグループで誰か一人に詰め寄っている様子だが、標的にされているらしい一人は一言も口を利かない。それがまた攻めている側の女生徒たちを苛立たせているようで、織羽の早くどこかに行ってほしいという願いとは裏腹に、攻撃はエスカレートしていく。
「ちょっと! 黙ってないで何か言ったらどうなの!」
ゴンッと、一際鈍い音が庭に広がる。そこで織羽はあることに気が付き、不本意だがこのまま彼女たちを放っておくことができなくなってしまった。ハァと一つ溜息を吐くと、彼は仕方なく起き上がって庭木を掻き分け、ガサガサと争い現場の前に姿を現した。
「誰っ!」
「さっ、狭山?」
「ちょっとヤバいよ、コイツ流血事件起こしたことあるって……」
織羽はズボンのポケットに両手を突っ込み女生徒たちを見下しているだけなのだが、彼女たちの方で勝手に盛り上がってくれていた。彼はサボリ魔としてだけでなく、いわゆる不良としても有名なので、その手の噂には事欠かない。口を開くのも煩わしかった彼はこれ幸いと、彼女たちが怯えるのに流れを任せることにした。合間にチラリと旧校舎の壁際に目をやると、標的にされていたと思われる一人がへたり込んでいた。いかにもいじめられそうなおとなしめの容貌で、両手は力なく脇に垂らされている。顔が下を向いているせいで前髪が表情を覆い隠し、喜怒哀楽は読み取れなかった。
「行こっ!」
壁に凭れる女子を観察している内に攻撃グループの方では意見がまとまったようで、戦隊ものの悪役よろしく全員尻尾を巻いて逃げて行った。バタバタと走り去っていく彼女たちを横目に、とりあえず一番煩い集団がいなくなったことにひとまず安堵の息を吐く。そして座り込む生徒の方に向き直ると、相変わらず微動だにせずに地面を見つめていて、少しも動き出す気配がなかった。
「おい女。ここ、オレの寝床だから。とっととどっか行け」
痺れを切らして織羽が声を掛けると、彼女は突然ハッと顔を上げて立ち上がり、猛烈な勢いで畳み掛けるように織羽に謝りの言葉の雨を降らせてきた。
「すっ、すみませんすみません! 狭山くんのお昼寝場所とは露知らず、こんなところで煩くしてしまって! しかもお見苦しいところを……起こしてしまいましたよね、あわわわ申し訳ございません、ごめんなさい!」
だんだん見ていて可哀想になってくるくらいお辞儀を繰り返す少女に、流石に織羽も面食らった。その内、彼女の胸ポケットから何かが落ちてくる。が、少女は鳴り始めた予鈴に気を取られ、落し物には気付かない様子だ。
「はっ、予鈴です! それではわたしはこれで失礼しますね狭山くん。あ、ご安心下さい! もうここには近づきませんので、どうぞ思う存分お休み下さいねっ」
「おい、アンタ何か落としたぞ!」
織羽が声を掛けるも、少女は聞こえていないのか、そのまま新校舎の方へ駆けていく。仕方なしに彼がそれを拾うと、落し物は生徒手帳だった。
――権田利駆(ごんだりく)。男のような名前だ。織羽と同じ一年生。しかもどうやら、同じFクラスのようだった。見覚えがないのは当然だ、彼は殆ど教室に寄り付かないのだから。
「……めんどくせぇ」
織羽にも、生徒手帳が大事なものだということくらいはわかる。しかし、普段近寄らない教室にわざわざ赴いてこれを返しに行くのが、心底億劫で仕方がなかった。見なかったことにしてしまおうか、そうとも考えるが、ふと、何かが挟まっていることに気が付いた。
「写真……?」
手帳から少しはみ出していたのは、若い男女と幼い子どもの写った写真だった。子どもの方は恐らく先ほどの利駆という少女だろう。面影があった。ということは、男女の方は彼女の両親か。
毎日持ち歩く手帳に幼い頃の家族写真を挟んでおくなど、織羽には理解できないことだった。だがよほど大切にしているものなのだろう、少し古びた写真は、端の方がよれていた。
「……しゃあねぇな」
教務課に忘れ物として届けても良かったのだが、なんとなく気が向いた彼は、久しぶりに教室に出向いてみることにしたのだった。
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