023 独りぼっちのアルファルド

ふと足音が聞こえて、俺はゆっくりと目を開けた。目の前に伸びる坂道の真ん中に、細身の青年が立っていた。青年は病的な程に青白い肌をしており、精気の宿っていない虚ろな目で俺をじっと見ていた。


 俺はまた、寂しさのあまり友達を自分で創造してしまったのか。しかし友達を生み出すたって、もうちょっとマシな容姿に出来たろうに。はだけたパジャマのような白い布。絡まったぼさぼさの髪の毛。痩せこけた胸。皮膚の所々に苔が生えており、血管のように茎のようなものが腕や首筋に浮き出ている。その先で、ぷっくりと膨らんでいるのは、蕾だろうか?

 あまりにもじっとしてそこを動かない青年に、俺は座ったままで手招きをした。


「どげんしたとか、お前さんも迷子になったとね?」


 青年はなんの反応もしなかった。風が吹いても、雨が降っても、絶対にそこを動けない案山子のように佇んだまま、青年は虚ろな瞳で俺を見続けている。不思議な青年だった。しかし、なんだって植物のようなものを身にまとっているんだろう。


 そうだ、この街には俺達5人以外は誰も居ない筈なんだ。だとしたらこの青年はやっぱり俺が生み出した幻覚なんだろう。その証拠にこんなにも不気味な筈なのに、ありえない容姿のはずなのに、俺はちっとも青年を怖いなんて思わなかった。俺はなんとなく青年に微笑んでみせた。その時どこからか声が聞こえた。


“ねェ、オジサン、ボクとトモダチになってヨ”


 目の前の青年は一つも口を動かしていない。それでも今この青年が俺の心の中に語りかけているんだという事が俺には解った。なに、驚く事じゃない。小さい頃、人形と心の中で会話したみたいな、ああいう感覚なだけだ。これは俺が寂しさのあまり生み出した幻の友達なんだから、こんな風に会話ができるのは寧ろ当たり前だろう。


「当たり前くさ、俺は八鹿。お前さんの名前はどげん言うとね?」

“ボクハ……ボクの名前ハ、アルファルド”


 彼は依然として表情を変えないままだった。アルファルド。あだ名だろうか、随分と変な名前だな。俺は青年の腕を掴んで、俺の横に座らせた。酒瓶を手渡そうとしたが、青年はそれを受け取る握力も無いようだった。俺は仕方なく青年の口に酒瓶を運んだ。


「だはは、俺の友達になったとやったら、まずは俺の酒を飲め。酒の相手をせえ! ほれ、宮崎県の良か麦焼酎・百年の孤独ばい」


 アルコールハラスメントだろうが何だろうが知ったこっちゃない。夢の中なら何をしたって捕まりやしないんだ。まるで白昼夢みたいだ。青年はだらしなく口を開き、だらだらと酒を零す。虚ろな瞳が少しだけ揺れた気がした。


“うェッ、へんな味がスル、何なのコレ、チョット変ナノ飲まさナイデヨ!”

「かあー! 良か歳こいてくさお前さんは酒の飲んだ事も無かとや! そらいかんばい、もっと飲みんしゃい!」


 それから俺達はしばらく酒を酌み交わした。酌み交わすといってもコップなど持ち合わせてはいないから、その酒瓶を交互にラッパ飲みをしながら、お互いの事について語り合った。どうせ終わりのない迷路なんだ、どうせ終わりのない夜なんだ。少しぐらい寄り道をしたってバチは当たらないだろう。


 アルファルドと名乗るその青年は基本的には寡黙で、自分のことをあまり喋りたがらなかったが、少しずつ話をしていく中で彼は俺と似た者同士なんだって事をなんとなく悟った。まあ俺が作り出した幻の友達なんだから、似た者同士だって言えば当たり前なんだが。アルファルドは言葉にできないような孤独を抱えていて、俺もきっとそうで、二人は馬が合った。


 最初は嫌そうな口ぶりだったアルファルドも次第に酒の味を覚えたのか、無表情のまま、口を閉ざしたまま、だけど心に語り掛けてくる声のトーンは上がり、確実に出来上がってきている。俺は楽しくなって思わず口ずさむ。酒やけ声で、ろくに歌えもしないがTHE BLUE HEARTSの終わらない歌がぴったりの夜だった。アルファルドもこの歌なら知っているのか、一緒になって歌っている。


“あはハ、八鹿、ヘタクソだネェ”

「うるせえ、こらあな、上手く歌えばいいって歌やなかたい! アルファルド、おめーは何にも分かっちゃおらんごたぁね、こん若造が! 世の中にはぁな、泥まみれで、汗臭いほうがずっと美しいもんだってあるってこった!」 


 少し、本音を零したくなった。それは酒に酔っているからだろうか。夢の中だからだろうか。こんな夜だからだろうか。それとも、月明りがあまりにも美しいからだろうか。今なら、アルファルドになら、どんな気持ちだって打ち明けられる気がした。俺は月を見上げたまま、百年の孤独をひと煽りした。


「……俺はさ、若い時に思い描いとった夢げなとっくに忘れてからさ。ほら、こげな甲斐性無しやけんさ、嫁も子供も愛想尽かして出てったけんね。そがんでも毎日毎日、同じように木偶の坊みたく働くしかなかっちゃん。ただなんとなく過ぎていく一日をぼーっと眺めとるだけの詰まらん人生。だけん、こげんやって泥まみれでも汗まみれでも、一生懸命、輝いとる奴らが、俺には羨ましかと」


 そうだった。気付けば同僚も、それどころか部下も出世していく。長い長い階段を、俺をいとも簡単に追い越して駆けあがっていく。俺は、ずっと迷路の中を彷徨っていた。本当にこの道で合っているのか、本当にこの道はどこかへ繋がっているのか、この先は行き止まりなんじゃないのか。そんな不安を抱えながら、それでもただ前に進むことしか出来ない不安。


“……八鹿ハ、寂しいンダヨネ”


 アルファルドの言葉に、俺ははっとした。彼は、真っすぐ前を向いたまま、硬直した表情のままで言った。だけど俺にはその言葉が月の光のように柔らかく、優しいもんだって解った。彼の言葉はきっと、慰めでもなんでもない。俺は手に持っていた酒瓶をぐっと握りしめた。


“八鹿は、ボクと一緒ダネ。寂シクて、悲しクテ、やリ切れないんダヨネ”


 そうだ。俺は寂しいんだ。悲しいんだ。やり切れないんだ。その感情を言葉にされたのは初めてだった。どんなに酒に溺れても、その感情をはっきりと認めた事など、たったの一度だってなかった。俺は、狭く薄暗い路地の片隅で膝を立てたまま遠い月を見上げた。


「……こげん寂しくて、こげん虚しくて、こげん孤独ば感じるのはきっと、自分が今まさにその感情の渦中に居るけんたいね」

“渦中?”

「そう。やけん、それでしんどか思いばせんといけんぐらいやったら、そげなん全部忘れてしまえるぐらい楽しかことで、寂しさなんか塗り潰してしまえやいいと思うったい。上書き保存するったい。例えば酒、それでもダメなら……」


 俺は立ち上がって、アルファルドのその白く細い腕を引っ掴んだ。


「走り回って、遊び回って、笑い転げるのみ!」


 なんて横暴ナ!と叫ぶアルファルドの声を聞こえない振りをして、俺はいつまでも続くその路地を駆け抜けた。アルファルドは相変わらず硬直した表情のまま、口角を一度だって上げないままだったが、それでも心の中に聞こえてくる楽しそうな笑い声を俺はしっかりと受け止めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る