012 この夜のすべて


「金髪のにいちゃんよぉ、ちぃとまけてくれたっちゃ良かろーに……」

「うるせえ、世界の終わりの夜なら何をしても許されるとでも思ったか! お買い上げありがとうございました!」


全てのお菓子とジュースのバーコードを読み取り、おれは最年長者の八鹿のおっさんの財布から万札をむしり取った。これから映画鑑賞でもする気でいるのか、おかっぱ女子高生はわくわくしながら手際よくお菓子を机の上に並べてゆく。なにが「コーラのひと〜?」だ。八鹿のおっさんが「芋ロックで〜」と手を挙げる。ひとつの丸テーブルに5つ椅子を並べ、それぞれが席に着いた。小学生が、さて。とその場を取り仕切った。


「お姉さん、こんな事態なんだ。勿体ぶってないで、知ってること全部教えてくれるよねぇ?」


おどけたような言い方だったが、どこか小さな威圧が含まれている深みのある声だった。さっきまでの調子付いた雰囲気とは打って変わって、とても小学六年生とは思えないような鋭い目付き。小さな体でどっしりと構えている。おれ達は全員ロリータ少女の方を向いた。ロリータ少女は、無表情を貫いたまま、頷いた。


「……人は、死んだらどこへ向かうか。皆さんはご存知ですか?」


突拍子もない問いかけだった。死んだらどこへ向かうか、だと?

今からものすごく重たそうな話が始まろうとしているのに、それをぶち壊すかのようにおかっぱの女子高生と八鹿のおっさんがスナック菓子の袋をがさごそとまさぐり開ける。おれはそれぞれの頭をはたき、ポテトチップスを回収した。「九州しょうゆ味だけは!」と涙目になりながら伸ばす八鹿のおっさんの手を、おれはもう一度はたいた。少しは緊張感というものを知れ。ロリータ少女は気にせず続ける。


「今からお話すること、信じてもらえなくても構いません。ですが、皆さんには聞く権利があると判断し、この場を借りてお伝えさせて頂きます」


不自然なくらいに落ち着いたトーンでロリータ少女は言った。まるでロボットのような仕草、律儀さを感じる。人間味の無い、体温の無い、無機質な、それはまるで冷たい機械のような。一度呼吸を整えて、それからロリータ少女は、おれ達を真っ黒な瞳でしっかりと見据えた。


「人は死んだら、肉体こそ燃やされますが、魂だけは消えて無くなりません。人は死んだ瞬間、ふと体重が21グラムだけ軽くなると言いますが、その21グラムとは魂の重さのことです。たったの21グラムのその魂は、銀河鉄道に乗って天国へと向かいます」


死者の魂。銀河鉄道。天国。唐突に出てきた宗教じみた単語に、おれは眉間にしわを寄せた。意味がわからなさ過ぎて話の内容が全然頭に入らなかった。魂が、なんだって?さすがに只ならぬ雰囲気を感じたのか、おかっぱ女子高生も八鹿のおっさんも、真面目な顔つきでロリータ少女の話を聞いていた。


「天国へ向かうまでの、長い長い旅路の途中で、たったのひとつだけ停車駅があるのです」

「停車駅?」

「そう。その駅の名は、月光ステーション」

「月光、ステーション」


ロリータ少女は長いまつ毛を伏せて頷いた。どこか、遠い故郷を懐かしむような恍惚とした表情を浮かべる。出会ってから無表情を貫いていた少女が見せた、初めての表情だった。


「月光ステーションは、憎しみや悲しみに満ちた魂、未練のある魂が降りる駅です。負の感情や未練を天国へと持ち込むことは、固く禁じられているのです。本来、それらの魂は月明かりを浴びることによって次第に浄化されていきます」


——つまり。つまり、死んでしまっても魂の中には感情がそのまま残り、負の感情を抱いたまま死んでいくような奴は天国にすら行けないってか?馬鹿げている。とんだ宗教家だったか、この女は。今夜はどうも宗教勧誘ばかりに出逢う厄日らしい。おれは頬杖をついて小さくため息を漏らした。


そんなの信じない。絶対に、そんなことがあってたまるものか。死んだら人はそこで終わりだ。死後の世界なんかあるわけが無い。死んだ瞬間に、テレビを消すみたくぷつっと記憶が途絶えて、そこで終わり。全部終わり。すべての感情が無に返って、その人の肉体も、精神も、最初からまるで何もなかったみたいになる。宗教や、天国や、神様なんてものは、遺された人間が自分の悲しみという脆弱な感情を誤魔化す為に、人の死を、自分の都合の良いように解釈し、浄化する為の手段にすぎない。そんなものは、すがるものを求めた、残された人間が創り出した幻想だ。おれは少しずつ自分の呼吸が乱れるのが分かった。現実的じゃない。そんなことはありえない。だって、そうじゃなきゃ、おれは。


でも、じゃあ、あの空っぽの着ぐるみはなんだ?この街から人が消えたのはどうしてだ?この体の違和感は?レグルスとかいうおっかない女の言葉は?あまりにも不可解な現象がこうも立て続けにおきているのに、おれは簡単にこの少女を否定できるのか?


震える手を握りしめて、おれは乱れた呼吸を気付かれないように整えた。何か反論しようにも、言葉が出てこなかった。ロリータ少女は毅然として話を続ける。


「しかし、7年前のことです。神様が、それらの負の魂、未練の残った魂を、悪用し始めたのです」

「7年前……?」


おれと女子高生は視線を合わせた。7年前といえば、丁度この街から星が消えたのと同時期だ。空気汚染の影響だとか、宇宙人の仕業だとか、あるいは祟りだとかなんとかで一時期ニュースがその話題で持ち切りになった記憶がある。確かあれは中学生の頃だった。思い当たる節があるのか、小学六年生も足を組み、親指をかじって何か考え込んでいる。


「理由は私にも分かりません。神様は、その負の感情を悪用して、この世界を消し去ろうとしています負の感情を入れられた人形。星の光を喰い潰して、この世界を終焉に導く闇。それが、ステラ」

「あっ! ステラって!」


おかっぱ女子高生が椅子の上に立ち上がった。なるだけ見ないようにしてはいたが、椅子の上で体育座りをしていたので立ち上がりやすかったんだろう。どんだけ自由人なんだこのおかっぱ頭は。おれは膝丈スカートの裾を引っ張って、とりあえず座るように促した。おにーさん、ステラって!と口をぱくぱくさせながら興奮するおかっぱの詰まる言葉をおれは代弁した。


「つまり、さっきのレグルスって奴は、負の魂を容れられた神様の操り人形ってことか?」

「その通りです。ステラの原動力は星の光。ステラが星の光を侵食し、この世界を支配していく中で、夜空はどんどん光を失う。今は夢を見ているだけのニンゲン達も、その夢の中でひと粒の光を見失えば、永遠に目覚めることはないでしょう。それが、世界の終わり。今お話したことが、この夜のすべて、です」


おおよその不可解な現象が合致した。要は、7年前この街から星が消えたのも、今夜この街から人が消えたのも、全ては神様の仕業。レグルスも、あの着ぐるみ集団も、神様の操り人形で、死者の魂が容れられた人形が今この街を乗っ取ってるって訳だ。ステラが街を踊り歩けば歩くほど、星の輝きは小さくなり、それに比例するかのようにこの街の人たちの眠りは深くなる。街が眠る。合点がいく。彼女の言葉を信じるならの話だが。


「あんた、何者なんだ」

「私は」

袖の白いレースが揺れる。少女はためらいがちに、桃色の唇を開いた。


「私はスピカ。月光ステーションで感情を容れられた神様の操り人形、ステラです」

「——っ!」


おれはすかさず椅子から立ち上がりスピカと名乗る女から距離をとった。しかし反応したのはおれだけで、あとのみんなは椅子に座ったまま呆けている。小学六年生はふんふんと頷きながらオレンジジュースをすする。おいおい、こいつら今までの話を聞いていたのか?この女の言っている事が事実なら、こいつは神様の操り人形で、負の感情を容れられていて、それで——。


スピカと名乗る少女は、おれを向き直って申し訳なさそうに言った。


「どうか勘違いをしないで頂きたいのです。レグルスから酷い仕打ちを受けたばかりで、そう易々と私の事を信用できないのは分かります。ですが、どうやら、私は手違いで負の感情とは違う感情を容れられたみたいなのです。この感情がなんという名前なのか、私には、分かりませんが、とにかく貴方達の敵にはなり得ません」


あまりにも真っ直ぐなその眼差しに、おれは一瞬、何かとても大切なことを思い出しそうになった。あれ、この少女。なんだろう。こんな変な格好をした女に出会ったこともないはずなのに、まるで機械のような無表情なのに、なぜだか懐かしい感じがする。深い海のようなその瞳の奥に吸い込まれそうになる。その奥に、誰か、いるのか?おれの中の警戒心が、光を浴びた雪のように、次第に柔らかく溶けていった。不思議な感覚だった。まるで魔法みたいだった。

今度はおかっぱ女子高生のほうがおれの制服を引っ張る。おれは仕方なく席に着いた。


「その神様ってのはどこにいるのさ」


小学六年生が腕組みをして尋ねる。スピカと名乗った女は、諦めるように首を振った。


「……それが、分からないのです。どこか、深い海のような場所で、私はたった一度だけ神様に出会った記憶があります。私には、神様こそが深い負の感情の渦中におられるように感じました。息もできずに、もがき、苦しみ、深海の中で、ひとつぶの光を探しているように、私にも救いを求めているように見えたのです」

「神様が、悲しんでいるの?」


おかっぱ女子高生は不安そうな顔でスピカの顔を覗き込んだ。長いまつげを伏せて、スピカは口をつぐんで俯いた。沈黙が流れる。誰も聞いていない有線放送の安っぽい音楽だけが、店内に鳴り響いていた。

しばらくして、スピカと名乗る少女が顔をあげた。ここにいる誰もがはっとした。あんなに表情を変えなかった少女が、今にも泣き出しそうな、だけど意を決したような、力強い瞳でおれ達を見据えたのだ。


「私は神様を救いたいのです。私の中の、名前も分からない感情が、そうしろと叫んでいるのです。どうか、皆さん、力を貸して頂けないでしょうか」

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