013 スターゲイザー

緊張感は5分と持たないのがこの異質なメンバーの特徴だった。「ちょっとトイレ休憩挟も〜」と間の抜けた小学生の一言をきっかけに小難しい話は一時休戦。結局おかっぱ女子高生と八鹿のおっさんはポテトチップスやらチョコチップクッキーやら、裂けるチーズやらカルパスなんかをわいわいと机の上に広げ、先ほど自分はステラであると自白したばかりのスピカの口に無理矢理お菓子を突っ込みげらげらと笑う。スピカは以前無表情のまま、口に広がるチョコレートの味をもぐもぐと味わっていた。


小学生が席に戻ってきてから、おれはこの、のほほんとした空気を無理矢理本題に引きずり戻した。


「——でもさ、力を貸すたって、つまりどこに居るかも分かんねえ世界征服をしようとしている怪しげな宗教団体の教祖様を探し出して、説得してくれってんだろ? あまりにも勝算が無いんじゃねえの」

「スピカさんには、何か考えがあるんじゃないのぉ?」


小学生がチョコチップクッキーをひとつまみ口に入れて、スピカの方を見る。スピカは躊躇いがちに頷いた。


「私も、月光ステーションで感情を容れられたとお話ししましたが、長いあいだ月明かりを浴びていた為、そのほとんどの感情や記憶は浄化されています。だから、私がどうしてこの街にいるのか、神様がどこにいるのか、はっきりと思い出すことが出来ません。唯一の手掛かりは、この魂の共鳴です。魂の共鳴する方へ向かうと、必ずステラに巡り会うのです」


魂の共鳴。そういえばレグルスも同じような事を言っていた。彼女は魂が高鳴る方を一心に目指しておれ達を見つけたと。スピカは、その魂の共鳴が、あのおっかないレグルスとかいうステラ達を見つける手立てだというのか。


「ステラは、負の感情を容れられている為、その殆どが暴徒化しています。しかし、あの方達なら神様の居場所や、この街の夜を救う方法を知っている筈なのです。だって、彼女たちは神様の使いなのだから。それに、私はあのステラたちに容れられた負の感情を浄化してあげたいのです」


決意を固めた目だった。透き通る、深い海のような、美しい目でスピカはおれ達をそれぞれ見つめた。おかっぱ女子高生も、八鹿のおっさんも、ランドセルを背負った小学生も、おれも、誰もがスピカのその瞳の奥に惹きつけられて目をそらせない。ああ、この目は、悲しいくらいに、切ないくらいに、大切だった誰かを思い出しそうになる。


「だって、怒りや憎しみという感情だけを持ったまま死んでゆくなんて、そんなのは、あまりにも——」


スピカは言葉を詰まらせた。そうか。スピカも、レグルスって奴も、あのパレードの着ぐるみ達も、元を辿ればおれ達みたいに生きていて、どのような最期を遂げたのかは解らないが、死の瞬間は負の感情で満ち溢れていたんだ。そのまま死ぬに死にきれなくて、無くしていた何かを探すように、まるで救いを求めるように、月明かりの満ちる月光ステーションに導かれるように途中下車をしたとしたら。だけど、その魂さえも、どこかの神様とかいう奴に悪用されて、浄化されることもままならず、この世界を終わらせる為に再び世に放たれたとしたら。そんな事が、本当に起きているのだとしたら。そんなの。


「そんなの、あんまりにも悲しいことだよね」


おかっぱ女子高生は、躊躇うことなく真っ直ぐに言った。放たれた矢のように、ただただ真っ直ぐな言葉だった。スピカは少し救われたような顔で、儚げに頷いた。


「私達5人が神様の魔法にかからなかったのはきっと、この街の夜を救う為です。ステラの魂を浄化しながら、手掛かりを知っているステラを探し出す。この街の夜を終わらせる為にも、どうか皆様、お力添えをしては頂けないでしょうか」


正直、少しご都合主義な気はした。何の偶然でおれ達だけが眠りにつかなかったのか、どうやってこれからあのおっかないステラと対峙していくのか、皆目見当も付かなかった。だけど緊張感は5分と持たないのがこの異質な メンバーの特徴だった。難しい話はいくら考えたって仕方ないという顔で、おかっぱ女子高生は再び元気よく椅子の上に立ち上がった。


「もちろん! おねーさんが困ってるなら、あたしは助けるよ!」


酔っ払いのおっさんも、八鹿の酒瓶を片手でかかげて乾杯の仕草を取る。


「ここで断った九州男児の名が廃るたいねぇ!」


さっきからチョコ系のお菓子ばかりを手に取っている小学生も含み笑いを浮かべて言った。


「不可解な現象の謎を解き明かす、科学者冥利に尽きるねぇ」


決意を固めたメンバーが「あとはおにーさんの同意だけだ」という顔で一斉におれを見つめた。輝く瞳。無言の圧力。全員が初対面のはずなのに、こいつらの一致団結感は一体何なんだ。ここで頷くのが選ばれし者の宿命なのか。論理的思考のおれには、こんな訳の分からない事に賛同する義理は無かった。かといって断る理由も特に無かった。


「……まあ、てか、それしかやる事ないしな」


拍手、指笛、椅子の上の謎ダンス。おっさんはその場の空気に流されるように答えたおれの手をとり「万歳!万歳!」と叫びながら両手をあげる。こんなの誘導尋問だ。無茶苦茶だ。完全に深夜のテンションで重大な決断をしてしまったような気がする。それぞれが点でばらばらなベクトルをずけずけと進みゆく。スピカはほっとした顔でその様子を見ながら、お菓子を一つ、口に運んだ。


✳︎✳︎✳︎


レジカウンター横のラウンジで、お菓子パーティは続いていた。今後の事を具体的に話し合うでもなく、八鹿のおっさんが泣きながら仕事の愚痴をこぼし、おかっぱの女子高生が友人の恋の話に花を咲かせ、小学生が科学のなんたるかについて熱弁していた。スピカはその様子をばか真面目にうんうん、ふむふむと聞き、興味深そうに感嘆の声を漏らしている。


「ていうかさ」


痺れを切らせたおれは、裂けるチーズを細かく千切りながら、話を本題に戻した。


「スピカは自分が神様の操り人形だってカミングアウトした訳だけど、おれ達ん中にも実はそのステラって奴が紛れ込んでてもおかしくないんじゃないか? 特そこの女子高生、こいつ絶対怪しい、なんか神様がどうとか言っていたし! ほら、あんたも自白するなら今のうちだぞ!」

「やだなぁ、おにーさん。あたしの知ってる神様は歩道橋の下に住んでるもっと優しい神様だよ。スピカちゃんの言ってる神様はもっと悪くて怖い神様の事なんだよ」


なるほどどうやらこいつの信仰する宗教は一神教じゃないみたいだ。しかし歩道橋の下に住む神様って。それ絶対神様じゃなくて色々と波乱万丈な人生を歩んできたただのおっさんじゃないのか。それを神様だと信じきっているのか、やはりなかなかぶっとんだ女子高生だ。この際だ、この街の不可解な現象の前に、更に不可解な状況におれは突っ込んでいくことにした。


「大体な、こんな時間に深夜徘徊する小学生ってなんなんだよ。あんた名前は?どこ住んでんだよ?」

「えー、やだ教えなぁい」


小学生はおれが千切った裂けるチーズを横取りして、ちゅるちゅると啜った。テーブルに頬杖をついて、わざと態度を悪くして流し目でおれを見る。


「だってぇ僕、お兄さんの事ほんとに信用しちゃっていいのぉ? 僕達みたいな善良なハッカーはリテラシーを大事にするんだぁ。だから僕はコードネームが必要じゃないかなぁと思うんだけどぉ」

「あんたさっきから黙って聞いてれば、小六のくせに立派な中二病じゃねえか!」

「いいえ、この方の仰ることには、一理あります」


おれと小学生の間を仲裁するようにスピカが言った。


「古代から、名前には魔法が宿っていると言われているのです。名前に対する愛着が強ければ強い程、それに宿る魔力も比例して強くなり、名前を呼ばれた者の記憶を操ったり、過去をのぞき見たり、心を奪ったりすることができるそうです」

「わあ、なんロマンチック!」


あんたはちゃんと話を聞いていたのかと尋ねたくなるぐらい、うっとりとした表情で手を合わせて間抜けな返答をするおかっぱ女子高生。

しかし、名前には魔法が宿っている、か。おれにとってその言葉には妙に信憑性があった。名前というものの呪縛。影のように自分に縫い付けられて、一生離れられないもの。自分の存在を表明する、この世界でたったひとつの大切な単語。彼女の言葉の重みが、おれにはなんとなく分かる。スピカは自分の胸に手を当てて言った。


「つまり名前を教えるという事は、その人に自分の心を預けるのと同じ事です。何より、ステラは神様の使いです。ステラの前で本名で呼び合っていては、彼女らに心を奪われ、操られてしまうかもしれません。神様の目を欺くためにも、本名ではなく別の名前で呼び合った方が良いのかもしれません」

「そういう事なら、おれがあんた達に名前をつけてやる」


メンバーから「おぉ〜」とやる気のない歓声が零れる。ぱちぱちぱちとまばらに響く手の音は、拍手ではなく手についたポテトチップスの残りかすをはたき落す音だった。おれが命名役を買って出たのは他でもない。この小学六年生に中二病感満載の横文字ネーミングをされたんじゃ、こっちは堪ったもんじゃない。すさまじく長い横文字で名前を呼び合うこいつらの姿を想像しただけで身の毛がよだった。


「まず八鹿のおっさん、命名、八鹿!」

「わーそのまんま」

「鬼ころしでも、北斗随想でも、赤兎馬でも、八海山でも、酔鯨でも良かばってんね!」

「全部酒の名前じゃねーか!」


八鹿は嬉しそうににまにまと笑いながら頬を赤く染めている。「八鹿〜!よっ八鹿〜!」とシラフのはずの外野が囃し立てている。おれは間髪入れず小学生を指差した。


「続いて小六、命名、六年!」

「えーやだやだ、ダサい、超絶ダサい、ていうかそのまんま過ぎ、絶対やだぁ。僕、マッドサイエンティストとか、スーパーラジカルとかがいい!」

「やはりそう来たな、呼びづらいわ! 仕方ない、片仮名でロクネンで妥協してやる」


小学生はうーむと考え込みながらも、頭の中で横文字を想像したのだろう。あれ、ちょっと良いかもとぼそぼそ呟いている。これはとっておきの秘策だった。おれも中学二年生男子という貴重な時期を経験してきた身だ。こいつのツボを押さえる事ぐらい朝飯前だ。しっくり来たのか、ロクネンはおれの方を見てにんまりと頷いた。


「あたしは? ねえ、おにーさん、あたしは!」


おかっぱ女子高生はおれの制服の裾を引っ張って、きらきらした目でおれを見た。


「……みずたま」

「その心は!」

「え、っと、それは、あれだよ、ファーストインプレッションってやつだよ」


まさか出逢って一発目で目に入ったパンツの柄がみずたま模様だったからとは言えない。ちなみに今店のキャンペーンでやってるパンのシールを集めたら貰えるゆるキャラマスコット「ぽむぽむゼリー」でも良いかと思ったが、あまりにもしっくりし過ぎて、逆に怖かったので却下した。ファンシー大好き女子高生は、そんなことを知る由もなく、みずたまかぁ、やったぁ可愛いなぁと、うっとりしていた。


「そーだ、おにーさんの名前は?」


みずたまが思い出したように尋ねる。名前か。おれは、名前なんてもうとっくに捨てたようなものだった。あの日、理科室の擦りガラスの向こう側に。冷たい冬の日に。名前には魔法が宿っている。愛着が強い程、それに比例するように魔力は強くなる。ああ。おれはあの時、そういうものを全部捨てたんだった。だからこそ、今おれは此処にいるのかもしれない。なんとなくそう思った。そしてあの日同時に授かった、もう一つのおれの名前を、おれは壊さないように、丁寧に発音した。


「おれの名前は、木津 碧きづ みどり


何度発音しても、からだの隅々まで、緊張が走る。スピカはおれの名前を聞いて、何かを感じ取ったようにはっとした表情になった。やっぱり。何か変だ。おれとスピカはどこかで出逢ったことがあるのか?この少女は、おれの何かを知っているのか?思い出せないのか、スピカはしばらく考え込むような仕草で俯いていた。

みずたまが「あれ?」と首をかしげる。


「でも、おにーさ……じゃなくて、木津くん。それって本名じゃないの?」

「違うよ」


おれは小さく笑って首を振った。ロクネンが意味ありげに、おれを見上げながらジュースをすする。


「あ、そうだ。せっかくだからチーム名も考えようよぉ」

「はぁ? チーム名?」

「そ。人類最後の生き残りの5人のチーム名。これから神様の操り人形、ステラの魂を浄化する旅に出る、僕らの名前だよぉ」

「スターゲイザー」


みずたまが、思いついたように椅子の上に立ち上がった。そんなに大きな声で叫ばなくたって、ちゃんと聞こえるのに。それでも彼女はそうせざるを得ないんだろう。なんとなく分かってきた。訳が分からないぐらい大きな声で叫びたくなるんだろう。彼女のひたむきさが、おれにはなんだか羨ましかった。みずたまは、握りこぶしを作って、自信満々な顔でおれ達を見下ろした。


「あたしの大好きなローカル番組のタイトルなの。スターゲイザー、意味はね“星を追う者”」

「星を、追う者」

「ね、あたし達にぴったりな名前でしょ!」


スピカは満足そうに笑った。スターゲイザー。この街の夜を終わらせるために奔走する、おれ達5人のチーム名。こんなの非現実的でばかげている筈なのに、不覚にもちょっといいなと思ってしまった。スターゲイザー、星を追う者。これからどんな困難が待ち受けていようとも、一粒の光さえ見失わなければ、おれ達はきっと大丈夫。この訳の分からない街の夜を終わらせて、大切な日常を取り戻せる。そんな気がした。

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