第四幕【獄卒達の矜持(Prison officers’ pride)】

25 瞋恚

「鮎京さん、それから城野先生。いつも仕事でお世話になっていて、仲良くさせてもらっているとはいえ、ちょっと冗談が過ぎるように思うのですが……」

 時間は午後六時。夏なのでまだ外は明るいが、東にはもうすぐ満月になろうとする赤い月が上りかけていた。それを眺めながら、眼前の播磨は静かに言った。

「冗談ではないです」鮎京も、発言の重みとは裏腹に、播磨の落ち着いた雰囲気に合わせるように平常心を保っていた。

「鮎京さんも真面目なお方ですし、城野先生もこんな場所にこんな時間にここにいるということは、ただ事ではないことはお察しします。もちろん根拠があってのご発言でしょうから……。聞きましょう」

 普通であれば誰でも取り乱すシチュエーションであろう。しかし、播磨は泰然自若としていた。この落ち着きを超えて超然とした態度は、鮎京に安心感以上に気味悪ささえ感じさせた。

「まず、この二つの事件には一見共通項の見られない二人の被害者が、共通の殺害方法でもって殺されているという大きな謎があるんです」

 再び播磨がいぶかしげな表情をし、鮎京は少し慌てた。現時点では播磨に、鮎京と黒羽ら警察との関係性を悟られたくなかったのだ。

「じ、実は刑務官をやっていると、意図せず事件の詳細な情報が手に入ることがあるんです。罪人を引き渡すときに、どんな罪を犯したかとか、受刑者の人間性は如何なるものかとか、刑務官として時に必要な情報ですからね」

 鮎京は必要な嘘をついた。刑務官と言えど事件の詳細は報道以上の情報は入ってこない。だが、正直に警察との関係性を見せてしまっては真実を語ってくれないかもしれない。鮎京は心のどこかで播磨を信用している。一方で、真摯な播磨に必要なものであっても、嘘をついたことに罪悪感を感じた。

 鮎京は話を戻す。

「すみません。話が逸れました。一年前の犠牲者は市原紗浦という女性です。この事件の犯人は631番の青山由栄。ネオーラルを常用している男ですから、もちろんご存知ですよね?」

「青山さんはその事件の犯人として捕まったんですか。すみません、僕は受刑者の罪状まではよく把握してなくて……」

 播磨はうそぶいているが、そんなこと大きな問題ではない。

「通常、酷似した殺され方をした遺体が、近い場所から二回も出てきたら、まず同一の犯人だと疑う。しかし、市原の殺害犯として青山は逮捕、しかも刑が確定して収監されてから川越が殺されているんです」

「なるほど。だからそもそも、最初の殺人の犯人が本当に正しかったのかを疑わねばならない、と」

「そういうことです」

「ちなみに、どういう殺され方だったんですか?」

 あくまで播磨は、犯人ではないことを自然に振る舞おうとしているようだ。その表情はまだ穏やかだ。

「刃物で臓器が摘出されたうえに、肋骨の一部が折られて持ち去られていたんです」

「なかなか、猟奇的な犯人ですね。ぞっとしましたよ。しかし、殺害方法について報道は──」

「──されていません。最近は、あまりに残酷な報道は、規制がかかるそうです。当時の事件を報道した、新聞やインターネット記事を図書館で調べました。またテレビ局にも問い合わせた情報です」

 テレビ局には麓が問い合わせてくれていたが、そのことは播磨には黙っておくことにする。鮎京は続ける。

「つまり、この事件の殺害方法を模倣できるのは、関係者だけなんです」

「関係者ですか……。それが僕であると」

「そのとおりです」

「悪いですが、僕はニュースで観た限りですが、犠牲者のお二人のことをよく知りませんよ。特に最初の被害者はまったく知らない。二人目は、私の出身医学部で教鞭をとっていた。知っているには知っているが、関わりはないに等しいです」

「なるほど……」

 播磨は明らかにシラを切っている様子だが、その表情にはまだどこか余裕を感じさせる。

 しばしの静寂。しかしながら、鮎京には気になる点があった。あのことを、播磨はなぜ切り出さない。

「播磨先生……」

「どうしたんです?」

「何で、あれを言わないんです」

「あれ、と言いますと……」意識してかしていないのか不明だが、播磨は分からない、といった表情でいる。

 しかし、密かに鮎京の中でその理由が導かれていた。

「播磨先生は、片目見えないんですよね? 普通なら、そんな遠近感が失われている状態で人を殺せるのか、ましてや臓器を摘出できるのか、っていう話になる。僕が犯人なら絶対そう言い逃れようとします」

「そ、そうです。思い出しました。私は失明して……」

「いや、違います。あなたは、それを忘れていて言えなかったんじゃない!」

「どういうことです?」ここに来て播磨が動揺を見せた。

「指摘されて、追及されるのを恐れて敢えて切り出さなかったんだ。『本当にあなたは失明してるんですか?』ってね!」

「……」

「あなたが失明してるとすれば、その左眼には義眼が入ってるということでしょう。でも自然な動きをしている。最近では義眼の眼球を動かすことも可能らしいけど、一般的じゃない。以前、先生が散剤の調剤してるのを見たことがありますが、こなれた感じでスムーズでした。よくよく考えるとおかしいです。さらに、ここには城野先生がいる。嘘を見抜かれるのは火を見るより明らかだ。だから敢えてそれを切り出さないのです」

「でも、実際見えてないですよ……」そう弁解する播磨は、苦し紛れに見える。

「そいつぁ嘘だな。俺はさっきから左眼を見てるが、眼球振盪しんとうしてるんだ。義眼じゃそんな動きはしないさ」そう補足したのは城野だ。

「それだけじゃない!」鮎京は、追及の切り口を変えることにした。

「何です?」

「あなたがこの場で目のことを切り出さない理由はもう一つあります。先生の左のまぶたにある傷です。これは、川越教授が負わせたものじゃないですか?」

 そう追及すると、ようやく諦めたかのように播磨は言った。

「……白状しましょう。執刀中にメスが僕の目に当たったんですよ。単なる事故です」播磨はあくまで、失明していることは否定しなかった。

「いや、聞くところによると、川越教授はとにかく厳しく気が短い人だった。医者だろうと学生だろうと容赦ない。そしてそれは、時に信じられない暴力に発展することもあったとか……」

「……」

「つまり、何かしら故意が働いた。あなた、そしてあなたの親御さん教授を傷害罪で訴えた。しかし、刑事事件には至らなかった」

「どういうことですか?」

「浜名湖西警察署長と川越教授が昵懇じっこんの仲だった。何でも、署長の手術を川越教授が執刀して、救命したこともあるそうじゃないですか? そして川越は市民栄誉賞を受賞するほど、対外的に見れば市の宝だった。そんな人物の名誉を、警察の手で傷つける真似などできなかったわけです。もう言わんとすることは分かりますよね?」

「僕が警察に恨みを抱いていたということですか……」

 ここに来て、播磨は急に諦めたのか、鮎京の誘導に乗ったような返答をしている。

「そうです。あなたの狙いは、ただ殺すだけではなく、警察の顔に泥を塗ることだった。だから、スケープゴートを用意し、逮捕させた」

「それが青山さんだと言うのですか」

「そうです。青山由栄を何かしらの方法で眠らせ、記憶の曖昧にさせつつ、言い逃れのできない状況で、青山さんを犯人に仕立て上げた」

「まさか、それで無関係の、えっと、市原さんという人を殺したんというんですか? それはいくら何でも無茶苦茶だ」

「確かに、あなたと市原紗浦の関係は分からなかった。でも青山……、いやその夫人とあなたとは密接な関係があった」

「どんな?」

「青山の奥さんは、浜松で名を轟かせているナンバーワンホステスです。その名前をご存知ですか?」

「知りませんよ! 青山さんのご夫人がホステスだってことも!」

「そうですか。では、夫人のげんを教えて差し上げましょう」

「源氏名? それが何か関係あるって言うんです!?」

「ええ、大有りなんです。青山夫人がキャバクラで名乗っている名前、『月浜つきはまユリカ』って言うんですよ」

「それが何か?」

「播磨先生の名前って、『はり幸克ゆきかつ』ですよね」

「ん? ま、まさか?」播磨は目を見開いた。

「お気付きのようですね。青山夫人は、あなたを慕っていたのか、『はりまゆきかつ』のアナグラムを源氏名に使用していた。源氏名の平仮名を並び替えると──」

「僕の名前ですか……」

「そうです。こんなこと普通ありますか?」

「……確かに偶然では済ませられないですね。いいでしょう。私は青山さんの奥さんのことは知っています。でも、青山さんの奥さんと犠牲者の女性の関係は?」

「姉妹です。正確には異父姉妹ですが、顔つきはよく似ています。母親似なんでしょう」

「調べたんですか?」

「一年前の事件です。顔写真くらいは載っています」

「……そうですね。でも僕には殺害する動機はない」

「先生が青山の奥さんのことを好きだったらどうです? しかもそれが結ばれない関係だとしたら」

 播磨は一瞬目を見開いた。図星だろう。でも、これは他ならぬ過去の播磨の発言から類推されることだった。鮎京は続ける。

「先生、おっしゃいましたよね? 『絶対結ばれない関係の女性を好きになって以来、それを超える人に出会ってない』って。それが青山の奥さんじゃないかって思うんです。しかもその言い方から、既婚者だから結ばれないんじゃない。きっと兄妹じゃないかってね、思ったんですよ」

「……」播磨の無言と神妙な面持ちは、それが正しいことを代弁しているようだった。

「そして、実は青山は一型糖尿病による膵腎同時移植を受けていた。そしてそのドナーは──、市原だったんです」

「よくお調べになりましたね」

「青山の奥さんは身体にメスを入れられるのを嫌って、ドナーの身代わりを市原に頼んだ。その後市原は執拗に見返りとしての報酬を要求していたそうです。そして一年前の五月。何らかのつてでそのことを知った播磨先生は、青山夫人を護るために市原を殺害する計画を立て、ダミーの犯人を仕立て上げた。予定どおりダミーの犯人は逮捕された。そして、警察にも泥を塗るために、川越を市原とまったく同じ方法で殺害するという計画を立てた」

「よくもそこまで……」おそらく播磨はそこまで調査した執念に、驚いているのだろう。

「調べるまでは、僕は先生が関与してるとは思わなかったですけどね。でも双方の被害者に接点があり、臓器を摘出するほどの犯行を行える人間が、あなた以外に見当たらなかった。医師の資格を持つあなた以外にね。でも片目の視力がないことが引っ掛かっていた。でも実はそれすら、ダミーの情報じゃないかって」

「……」播磨はうつむいたまま答えない。

「どうなんですか?」鮎京は追及する。決して脅すような口調ではなく穏やかな口調で。


 しばらくした後、播磨は顔を上げて口を開いた。

「僕がったんです。本当にご名答ですよ」

 その声音は暗いものでもなく、表情はどこか胸のつかえが取れたような、どこか微笑みをたたえているようにすら見えた。意外なほどあっさりと罪を認めたことに鮎京は若干驚いていた。

「……播磨先生。改めてあなたに聞きたい。僕はこうやって追及しておきながら、どこかであなたの『ノー』という回答を期待していた。未だに信じられないんです。あなたという人格者が凶悪犯罪に手を染めることに。本当に先生がったんですか?」

「ええ。僕は犯人。残念ながら鮎京さんのご期待には添えなかったようですね」

「……」鮎京自身まだ受け入れられずにいる。 

「動機は単純です。川越は確かに僕の目に傷を負わせた。鮎京さんの言うとおり失明には至ってはいません。でも直接的な恨みはこれが原因じゃない! 川越は、前々から留利の常連客だった。それこそ留利がホステスなりたての頃からね。そのときは、僕は医大生でしたけど、僕は妹の留利とは連絡を取り合っていました。それを何かで知った川越は、兄妹と言えど異性と仲良くしているのが余程気に入らなかったのか、医大生の当時の僕に事故を装って故意に負傷させました。幸い、間一髪で眼球は大丈夫でしたけど、これは明白な傷害罪。また、それ以上に、留利からは当時から川越に肉体関係を迫られていたことを聞かされていましたし、この際、傷害罪をきっかけに警察に川越の悪事をバラまいてやろうと思いました。でも警察は川越に恩があるらしく、捜査すらせず不問にした。医者を諦めたのは目が見えなくなったからじゃなくて、川越を見て、医師という職業に就くこと嫌悪感を感じたからなのです。って言いながら、医師免許取得して、さらに薬学部に編入してるのは大いにツッコミどころかもしれませんが、医学部を卒業した時点で、もはや医歯薬以外の道には進めないくらいつぶしが効かない状態になっていました。一方で、そうこうするうち留利は青山さんと結婚しました。妹のことは正直好きです。最初に鮎京さんにお話した、結ばれない仲っていうのは、まさしく留利のことです。でもそんな留利が幸せになるならそれで良い、と思っていた……」

 語り続ける播磨の表情は憂いを帯びていた。城野も神妙な面持ちで黙って聞いている。さらに播磨は語る。

「しかし、薬剤師免許を取得して間もない頃、唐突に留利は相談してきました。しかも、相談案件は三つ。一つ目は、夫が市原紗浦と肉体関係持っていたこと。二つ目は、実は市原紗浦は青山さんに臓器提供をしていて、その謝礼として金を無心され続けていること。三つ目は、川越が再び留利に肉体関係を強要していること。大切な妹がさんじゅうの苦しみを味わっている。僕は怒り狂いました。そこで、市原紗浦を殺害し、その罪を青山さんに着せる。青山さんを逮捕させたら、まったく同じ方法で川越を殺害する。そして、川越を個人的理由でかばっている能無しの警察の名誉を傷付けようとした。これが事件の顛末てんまつです」

 なるほど。動機についての説明は、一応整合が取れているように思える。

 きっと怪文書を送ったのも播磨だろう。それについても確かめたかったが、それは鮎京たちと警察の繋がりを打ち明けることにもなるためできなかった。

「……無情なものです。僕は医療従事者として播磨先生を尊敬しておりました」

「僕が刑務所で働く理由。覚えてませんか? 『社会勉強』と言ったのを」

 鮎京は、確かに播磨がそのように言っていたのを覚えている。播磨は続けた。

「もう、理由はお分かりでしょう? 自分が服役するときに備えてですよ……」

「そんな……」

「それが事実なんです」

「でも、幸か不幸か……。僕らは警察ではありません。刑務官と矯正医官です。お願いです。自首して罪を少しでも軽くして下さい。あなたのことは人として尊敬していた。犯した罪は重いし罪をゆるすことはできないけど、それでもあなたのような人は更生して戻って欲しい」

「それは支離滅裂です。言ってることが矛盾してますよ。更生して戻ってきて欲しいとまで思うのなら、はじめから罪を暴かなきゃ良い」

 少々呆れ気味といった表情で播磨は指摘する。

「支離滅裂は承知の上です。播磨先生は立派なお方です。だからこそ罪を償って更生して戻って来て欲しい」

 そう言うと、呆れたようにクスリと播磨は笑った。

「本当に真面目というか生真面目というか……。それで、刑期はどれくらいになりそうですか?」

「被害者は二人だけど自首した上で、動機が愛する妹を守るため、ということで情状酌量が認められれば、有期刑で済むかもしれない」

「収監先は?」

「東京矯正管区で唯一LB級の遠州刑務所うちになるでしょうね……」

「社会勉強して正解ですよ。でも皮肉だな。自分の勤務先で服役するなんて……」うつむきながらそう言った後、播磨は顔を上げて続けた。どこか吹っ切れたような清々しい表情で。

「分かりました。自首しましょう」

 鮎京が今できる最大限の減刑に資する可能性のある示唆。自首。その言葉をやっと言わしめた。が、次に播磨から発せられた言葉は一抹の不安を覚えさせた。

「でも、少し心の準備のための時間を下さい」

 心の準備とは何だろうか。なおも播磨は続ける。

「──大丈夫です。逃げも隠れもしません。男に二言はありませんから……」播磨はそう言った後、少しだけ間を置いて「二日間だけお待ちを」と言った。

 心の準備期間と言いながら事前にその期間を告知してきた。播磨は自白しているというのに鮎京は得も言われぬ不気味さを感じる。

「二日間? でも、そうしている間にも警察が真実を突き止めてしまっては、あなたにとって不利になります。警察でない僕が気付いたくらいですから、警察も確実にすぐあなたが犯人だということを見抜くはずです」

「ご心配なく。警察にはは暴けません」播磨の口角が若干上がったように見えた。

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