24 密談

 機密性の高い会話は、居酒屋やカフェなどではすべきではないと思う。

 特に黒羽は、麓が持ち出した資料のコピーを所持しているようだ。これだけでも麓と黒羽は、世間的に見ても組織的に見ても、重大な規律違反を犯していることが分かる。換言すれば、麓も黒羽もそれだけの覚悟で臨んでいるということである。腹をくくっているのだ。そして、鮎京もまた敢えて同じ穴の狢と化そうとしている。

 怪しまれずに密談できる場所──。

 通常なら真っ先に自宅と答えたいところだが、生憎あいにく、黒羽も鮎京も官舎住まいである。築古ちくふるで建て付けも悪く、壁も薄く隣のテレビの音はまる聞こえ。あまつさえ、住人は皆、警察官/刑務官仲間と来たら、機密性も何もあったものではない。

 かと言って会議室を取るようなおおぎょうなこともしたくなかった。ましてやホテルを使うのは、男性どうしなので第三者に見られた場合は目立つ。苦悩の末、導き出した案がカラオケであった。

 カラオケは防音壁に囲まれており、男同士で入っても目立たない。しかも最近は、歌う目的以外で利用する客が多く、勉強やママ会、極端な話、仕事の打ち合わせで利用する人もいるらしい。周囲の音さえ気にならなければ、むしろ会議室よりも安く利用できる。今や、カラオケで歌わなくたって不自然ではないのだ。


「さあ、これが水面下に恭歌が調べ回って得られた資料だ」

 黒羽は、麓が収集した資料を並べた。

「恩に着るよ」

「でも、恭歌は署に軟禁状態だ。ひょっとしたら今はもうちょっといろいろ情報を持ってるかもしれんから、正確には現時点で情報ということだが」と、黒羽は補足する。

「大丈夫だ。それで構わんよ」

 複数の書類がある。供述調書、青山や被害者、その他関係者の住民票などの書類だ。どれも第三者がやすやすと閲覧して良いものではない。個人情報の漏洩行為そのものだが、所管の警察の上層が動かない以上、我々で何とかする他ない。そんな意識の表れだった。

 鮎京は資料をつぶさに眺める。

 供述調書によると、取り調べで青山が捜査官に正直に自白したと記載されている。そこには、酔って青山が市原に性行為を強要。しかしその事実を暴露すると脅され、莫大な口止め料を要求された。そして口論の末に青山が市原を家にあった包丁で刺した、と記載されている。

 おかしい。確か、青山は犯行時記憶が曖昧だったと聞いている。

「この供述調書は、本当か?」

 担当ではないにしろ警察官相手に随分失礼なことだなと思いつつも、敢えて聞いてみた。

「ほら、青山はここに署名をしてるだろう。内容を確認したってな? 表向きだが……」

 含みを持たせた発言だ。被疑者を言いくるめたか強要したかして、署名させることも実のところあり得るということを、暗にほのめかしている。実際のところうまく帳尻が合うようにそれらしく事実をわいきょくしているかもしれないのだ。だが、ここは敢えて深く聞かないことにする。


 続いて司法解剖の鑑定書だ。司法解剖率の低いと言われる日本だが、やはり凄惨で奇異な遺体のため司法解剖が執り行われたようだ。

 直接の死因となったと考えられる刺し傷自体は、背部に数箇所あった。位置的には心臓に到達する場所だろうが、何と言っても臓器が摘出されていたため、詳細は分からない。臓器の摘出は開腹手術の要領で、腹部の正中縦切開をしている。当然通常は無影灯で術野を照らしながら何人もの助手を従えて止血、吸引しつつ行うものだが。この時点で、この所作が困難を極める行為だということが想像できる。やはり素人ではない。

 しかも、肺や心臓を除いて、腹部に位置する主要臓器が摘出されているという。さらになぜか、左第十肋骨の一部が切り取られていたそうだ。それだけでも大変な動作である。腎臓の摘出が目的としても、肋骨は邪魔にはならないはずだ。しかも膵腎同時移植の場合、その位置関係から左腎を摘出するらしい。すなわち目的は遺体に残された右腎の摘出だ。従って、犯人は骨を切り取っていたことになる。

 川越の死体損壊方法と同じであるなら、やはり警察を陥れるためにやっているとしか考えられない。つまり市原の殺害犯は別に存在していることになり、青山は誤認逮捕なのだ。その事実を明らかにしないために、川越の司法解剖は行われていないことだろう。証拠となる死体の詳細も写真等の証拠も既に闇へ葬られているはずだ。そして怪文書の存在も……。真犯人の捜索も行うふりをしているだけかもしれないのだ。万が一真犯人を捕まえてしまうと、その真犯人が第一の事件の犯人でもあることを口外するという。つまり逮捕したくても、警察にはおいそれとできない状況なのだ。

 やはり、自分たち少数精鋭で解決しなければならなさそうだ。改めてそう感じた。


 鑑定書に目を落とすと、もう一つ気になる記載があった。体幹や両手のてのひらに、ブツブツの絵が描かれていた。

「これ、何だろうな?」

はんじゃないのか?」

「いや、発疹ほっしん様って書いてあるぞ」

 黒羽は医学に関しては素人だ。一方で法医学には職業柄、多少の知識があるのだろうか。死斑という言葉が出てきたが、死斑は発疹みたいに盛り上がったりしないはずだ。

 発疹の正体は今のところ不明だが、念のため気に留めておくことにする。


 続いて、青山の住民票や戸籍謄本も確認する。世帯主は青山由栄。妻は青山留利。子は一人で青山ゆりかである。本籍も住所も愛知県豊橋市中原町○○○、と刑務所で確認した記録と同じだ。何もおかしいところはない。

 取りあえず、事件の関係者とその周辺の戸籍を示すものはここに一式揃っていそうだ。収穫があるか分からないが、謎をひもとくように、順番に辿っていこうか。


 次に戸籍謄本を確認する。当たり前であるが青山の両親の名が書かれている。また婚姻情報が書かれている。結婚したのは六年前。今の年齢から引き算すれば、青山由栄は二十七歳、青山留利が二十二歳のときに籍を入れたということになる。従前戸籍も豊橋市だが、母親は故人と聞いている。

 配偶者氏名の欄には留利の名が記載されているのだが、そこには旧姓が書かれている。市原姓である。ところが市原家で虐待を受けていた留利は、児童養護施設を経てその後里親のもとで育てられていると聞いている。里親は養子縁組と違うので、戸籍謄本からその情報は得られない。

 留利は、市原秀彦ひでひこと市原えいの長女だということが記されていた。しかしよく見ると、秀彦は養父となっている。留利と紗浦は異父姉妹とのことであるから、紗浦は秀彦と英子の実子だということだろうか。では留利の実父はというと──、と思って細かい文字を見つけると、衝撃が走った。

「嘘!?」

 父の姓に見覚えがあったからだ。身近にその苗字の人物がいる。『佐藤』や『鈴木』とは異なり、あまりお目にかからない苗字。偶然とは思えない。ひょっとして──。

「な、何か、分かったのか?」

「いや、まだ確信はない。あとで説明するよ」

 続いて、第一の被害者である市原紗浦の戸籍謄本だ。

 市原紗浦は未婚である。婚姻の情報がない。そして、やはり紗浦の実親は市原秀彦と市原英子である。青山留利とは異父姉妹であることはここから得られた情報だろう。

 さらには英子の戸籍謄本もある。英子は市原秀彦の前にも夫がいた。つまり離婚歴だ。前夫は青山留利の実父だ。

 そして、素晴らしいことに青山留利の実父の戸籍謄本まで得ている。その実父は今の夫人の前に二人の妻がいた。つまり三回結婚している。

 ここで有益な情報を得る。正確には、先ほどの『ひょっとして……』の憶測を裏付けるものだ。つまり身近にいるその苗字を冠した人物と留利の実父とが、血縁関係にあることだ。具体的には親子関係である。すなわち、留利とその人物は兄妹。ただし異母兄妹だ。

「おいおい、ほんとにそうなんかよ……」思わず鮎京は呟く。

「何だよ、気になるじゃないか」

「知ってる人間が絡んでるみたいなんだ」

「マジかよ……」

「でも、クロちゃんは知らないと思う。城野先生と俺は知ってる人だ」

「ということは、ムショ関係者か?」

 黒羽の確認に、鮎京は無言で頷いた。


 ところで、どうして麓はここまで戸籍を辿ったのだろうか。普通はここまで辿ろうとは思わないはずだ。対照的に川越の戸籍はあまり辿られていないようだ。

 これは麓の恐らく独自の推理で、ある程度あたりを付けて調査したに違いない。もし正しいのなら、彼女の洞察力も侮れない。

 また、洞察力と言えば、なぜ城野はあのときピンと来たのだろうか。源氏名を復唱したときにピンと来た。源氏名は『月浜ユリカ』。それを平仮名で書いていたか。

 その瞬間ついに鮎京も閃いた。謎が氷解したのだ。

「まさかそんなギミックがあるなんて……」

 あのときの城野の閃きは、難関医大卒の卓越した頭脳がせる業だろうか。


 憶測だが、麓は青山家の戸籍謄本等を確認して、青山夫人の実父の名前を知る。複雑そうな家族環境に、何か真相が隠れているのでは、と考えたのだろう。

 そう思わせたのは、その苗字と、青山留利に関するとあるキーワードが、その人物を想起させる内容だったのだ。それは、青山留利の源氏名と、客に騙っていた偽の名前。

 麓は独自の捜査からその人物のことを突き止めていたかもしれない。血縁関係以外にも青山留利とその人物との間に関係があった。友人あるいは──、恋仲か。

 そこで、その人物があのとき言っていた発言がふと思い出された。あのとき指していた人物とは、青山留利のことではないのか。そうだとすると納得がいく。それは充分想定される。


 城野が犯人と疑っている候補者は特定できた。でもまだ分からないことの方が多い。まだまだ情報提供が必須だ。

 すぐに鮎京は電話をかける。相手は一人しかいない。

「もしもし城野先生ですか?」

『ああ、ひょっとしてクロちゃんといるのか? 男同士の秘密のお茶会か?』

「ま、そんなとこです」

 若干表現に誤解を生む表現があるが、まつな問題なので受け流した。それよりも城野は相変わらず鋭い。

『やっぱりね。単純なアユキョー君の考えることくらいお見通しだね』と嫌味も忘れない。

「お察しのとおり、クロちゃんと事件の話をしてます。ここで城野先生の持ってるピースがはまればこの事件は解決するんです」

『あ、もしかして俺にここで語らす気か?』

「言わない方が良いと思います」

 それはそうだ。機密事項中の機密事項かもしれない。決して表沙汰になってはならないような……。


「城野先生が疑っているキーパーソンってあの人のことですか?」

 鮎京はその人物の名を言った。

『ああ、ようやくアユキョー君でも分かったみたいだな』

 嫌味ったらしい物言いだったが、もともとこういう男だからか特に意に介さない。むしろ悪態をついているくらいが機嫌の良い証拠だろう。

「実は、事件の関係者と大いに関わりがありました。そして、以前僕がその人と二人で話したときも、それをにおわす発言があったんです」

『なるほど。俺も実は調査したのさ。後輩の外科医に頼んでね、こっそり教えてもらったさ』

 城野は、その調査から得られた情報を語る。そして、その件の人物が真犯人だろうと結論付けた。その情報に基づく推理と、結論を導く過程に、鮎京は驚愕した。

「あの人が、殺された川越教授とそんな関係が……」

『動機はある』

「そうですね」と言いつつ、ひとつの懸案事項はある。鮎京は続けて言った。「でも、本当に殺せるのでしょうか? だってこの人は──」

 鮎京はそう考える根拠を述べた。

『あ? それならそいつは狂言だ』城野はそう言ったあと、後でな、と言って電話を切った。


 しばらくすると、城野がカラオケ店に入ってきた。ものぐさそうな城野が、『男同士の秘密のお茶会』と揶揄やゆし、しかも傍から見れば、野郎だけで集まりながらも誰も歌わないという奇異な光景にも関わらず、ここにやってきた。

 城野が来るまでの間に、戸籍謄本から得られた情報で、青山の家系図をまとめた。青山由栄の方はシンプルだが、留利の方は複雑だ。

 なお、第二の被害者、川越のほうは、これと言って戸籍謄本等から得られる情報はなかった。特に第一の事件の関係者と血縁関係はない。また、それを察していたかのように麓も最低限の情報で足ると判断したのだろう。しかし、血縁関係以上の因縁が渦巻いているのだろう。これは城野から持ち寄られる情報だ。それによってジグソーパズルは完成するはず。

 幸い、周囲は歌声の音漏れでガヤガヤしている。多少声を張らざるを得ないが、それでも会話内容を第三者に聞き取られる心配はなさそうだ。

「じゃあ、話を整理しようじゃないか」城野が切り出す。

「すみません、急な呼び出しで」鮎京は形式的に謝る。

 城野は意に介さない様子で、語り始めた。

 それは鮎京の推度すいたくを補強するとともに、それ以上の驚愕の真相を導くに足る内容だ。衝撃的ながら溜飲が下がる思いだ。

 しかし、城野は一点付け加えた。

「一つ、この推理には欠陥がある」

「欠陥?」

「物的証拠が……」黒羽が切り出すと、すぐさま城野が「ああ、ないんだな」

 すべて人間関係や関わる人物たちの動機的な側面から話が進められている。しかし物的証拠は何もない。

「そうですよね……。これはもともと青山由栄を犯人に仕立て上げようとした事件ですから」若干残念そうに黒羽は言った。

「だから、実に申し訳ないんだが、この話を奴に切り出す場合、クロちゃんはその場にいない方がいい。知ってる人間同士の方が、いろいろ話してくれるかもしれんからだ」

「いつ話しに行きます?」

「早い方がいい。今夜行けそうか?」

「僕は大丈夫っす。でも休日ですからね。向こうは、聞いてみないと分かりませんが……」

 鮎京はその人物の連絡先も知っている。

 そう言えば今夜、確か西条は当直だったはずだ。


「どうして、ここに呼び出すんですか?」

 ここは遠州刑務所の職員駐車場である。休日の夜に呼び出されて、さぞ不思議に思っているに違いない。それでもここに来てくれたのは、彼の優しさゆえだろうか。

「まず、お示ししたいことがあります。僕のポケットにはスマートフォン以外に入っていませんし城野先生もそうです。そして何も録音環境にもなく、また盗み聞きしている人もいないことを断っておきます」

「?? ごめんなさい。話が見えてこないんですが──」

 至極当然の反応だ。いきなり話があると夜に呼び出して、録音環境でないなど告げられて、理解はずもなかろう。

「そうですよね。でも重要な話をあなたから聞きたいんです」

 語り部役を託された鮎京は、じっと相手を見据えた。

「そうですか。ご用件は何でしょうか?」

「単刀直入に伺います。浜松で起きた一年前の五月の殺人事件、それから先月起きた殺人事件について教えてくれませんか?」

「えっ? 何をおっしゃるんです。知るわけないじゃないですか?」相手はひどく狼狽している。いや、きっと狼狽しない人間などいないだろう。

「いや、あなたならご存知のはずです」

 鮎京が低い声音でそう言うと相手の眼光が一瞬鋭くなったように感じた。鮎京は息を一度大きく吸い込んで、心を落ち着かせた。そしてゆっくり切り出す。

「なぜなら播磨先生が真犯人だと思うからです」

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