22 隠匿

「青山は、やはり夫人である『ユリカ』さんから臓器提供を受けていた、と」

 確認するように鮎京は城野に言った。

「……」

 城野は無言であるが、この事実を認めたくないが認めざるを得ない、そんな葛藤に悩まされているのが見て取れた。

改竄かいざんって可能性はないですか?」

 鮎京は思い付いたことを言う。

「カルテの改竄か?」

「そうです。例えば、臓器は奥さんからもらったようにカルテ上には記載しておいて、実は脳死患者から受け取ったとか……」

「いやいや、だってオペに携わるのは川越だけじゃねえだろう。他のドクターや看護師ナースも絡んでいる。病棟に行けばドナーだって入院しなきゃならねぇ」

「それを、組織ぐるみで改竄したとか」

「それはない」城野は言下に否定する。「いくら川越に力があっても、不正を組織的に働きかけることはできねえ。ましてや川越は権力がある分、アンチも多いんだ。揚げ足を取りたい奴はいくらでもいるんだ」

「そうですか。じゃあ、例えば、別の生きてる人から臓器を提供させたとか」

「そんな、都合のいい代役──、あっ!?」城野は目を見開いた。

「実は、よく似てる人がいるんですよ」

 鮎京はあることを思い出していた。それは思い出すというよりもひらめきに近かった。

 青山が殺害したとされる事件をスマートフォンで検索する。被害者の顔写真が表示された。

「市原紗浦って言って、事件の被害者です。この事件の殺人犯として青山が捕まってるんです。この女性と『ユリカ』さんは異父姉妹なんですが……」

「おお……」城野にしては珍しい反応だ。目を丸くしている。

「似てるでしょう。実は463番の丸森が市原紗浦と関わりがあったらしくて、青山留利と似てるって教えてくれたんです」

 この異父姉妹が似ているという情報は、丸森からである。はじめて彼の情報提供に心の中で感謝した。

「丸森ってあの、あいつか。ワ氏陽性の……」

「そうです。偶然にも市原と昔付き合っていたらしいですよ」

「本当に偶然だな。しかし、似てんなぁ。『ユリカ』は何らかの事情でドナーになれなかった、もしくは、この異父姉妹の妹の方がドナーになるには相応ふさわしい何かがあった」

「そういうことですかね? やっぱり」

 城野は、丸森のことはさほど興味がなかったのか、意外に興味を示さなかった。やはり異父姉妹の容姿の類似性に関心を示しているようだ。

「では、何で代役としたのか?」

 城野が問題提起した。鮎京は、生体からの臓器移植のドナーの要件として、姻族なら三親等以内まで可であることを思い出した。

「血縁関係的に遠すぎたとか」

「いや、片親が違っている姉妹、つまり半血親族でも、通常の兄弟と同じ二親等になるから条件はクリアしている。だから素直にその人から臓器を受け取ったということにすれば良い」

「なるほど……」鮎京は少し落胆する。

 ここでふと、市原紗浦が青山留利に嫉妬していた、という丸森の発言を思い出した。姉妹仲はどうだったのだろう。そこで再び閃光が走る。最初に麓らと飲んだときに、言っていたではないか。仲はあまり良くなかった。市原は青山夫妻にお金を無心していたらしい、と。今日の俺は冴えている、と鮎京は思った。

「実は、異父姉妹ですが、金銭トラブルがあったという情報を握っています。もし、臓器提供を、『ユリカ』の代役として市原紗浦にお願いしていたとします。もちろん、川越医師も含めてそのように口裏を合わせておいたとする。市原は快諾した。そこには何かしらの金銭的な条件があったのかもしれない。臓器は無事に提供され、表向きは妻から夫に、ということになった。でも市原は生活に困窮していて、青山家から金を無心し続けた。それがトラブルになった」

「なるほど。それなら、第一の殺人である市原の遺体から臓器が抜き取られていたことも説明がつく」

「あ、あーあー!」思わず大きな声で頷く。

「そう。隠蔽いんぺい目的だ。市原に腎臓が一個しかなかったら、青山に臓器提供したのは市原だったのではないか。そしてカルテを改竄しているのではないかとかんられることを危惧した」

「遺体から臓器摘出することを指示したのは……、川越医師ですか?」

「分からんが、可能性は高い。ドナーが別人であることを知られちゃマズい人間の筆頭は川越だろうからな」

 川越がドナーの捏造を容認し、それに加担する。当然、医師としてあってはならない。臓器移植の権威としてなら尚更だ。名声を損なわぬよう、その事実を秘匿することは充分あり得る。しかし、その次に出てきた城野の発言は意外なものだった。

「あるいは、レシピエントである青山本人である可能性もある」

「青山本人? 何で?」鮎京はとっには理解が及ばなかった。

「市原が実はドナーで腎臓が一個しかないことを知った青山が、奥さんに疑いが向けられないようそれを隠蔽するとともに自分がその罪を被るためだ。自首のときに語った証言は、言わば狂言だ」

「青山が、わざわざ自分が捕まるために臓器を摘出させた……」

 青山は、まさしく絵に描いたような善人に見える。もちろん妻の妹と不義密通の仲であるようにも見えない。ましてや刑務所にいて無期刑に処されている人間には見えない。つくづくそのように思う。

 部屋で死んでいる市原を見た青山は、何かしらの理由で実はドナーが市原であることを知り、司法解剖で腎臓が一つしかないことが分かれば、臓器提供の身代わりをさせたことによる金銭トラブルで『ユリカ』が疑われるのは必至と考えた。青山のあの性格なら、ひょっとしたら愛する『ユリカ』の身代わりとなって、自首をするという行動に踏み切った可能性はないとは言えない。しかも自らの精液という確固たる痕跡を残し、市原と不貞行為に及んでいたというエピソードを捏造するという手の込んだ真似をしてまで。

 ただ、現段階では臓器摘出の指示、そして実行に至った人間が、イコール『殺人犯』とは限らない。

 青山夫妻には市原紗浦を殺す動機はあるかもしれない。事あるごとに金を無心していたのなら、金銭トラブルによって殺意が芽生えた可能性はある。しかし、穏やかな青山が衝動的であっても殺してしまうことがあろうか。もし愛する夫人が市原によって襲われたのなら、衝動的に殺してしまうこともあるかもしれないが、それなら臓器を摘出する必要などないと思う。もし自分がその立場なら、死体の損壊などをせず、正直に殺人を自供し、妻に危害が加わると思って衝動的に手を出したら殺してしまった、と言って殺意が否定されれば『殺人罪』ではなく『過失致死罪』となるかもしれない。そうなれば刑も軽くなる。少なくとも無期刑にはなり得ないはずだ。やはり青山が犯人とするには無理がある。また、死体の臓器を摘出することがそもそもできるか、ということに疑義を呈さなければならない。

 では、川越医師はどうだろう。川越には周囲の医療従事者との間には確執があったと聞く。しかし、患者とはどうか。市原紗浦を殺す動機なんてあるのだろうか。ひょっとしたら市原が、自分がドナーであることを打ち明けるぞ、などと迫って川越に金を無心することはあるかもしれない。しかしながら、カルテ上は然るべき患者確認を行っているという。つまり市原紗浦は入院中ずっと、青山留利として振る舞っていたのだ。カルテという最大の物証がある限り、川越が市原に脅されても痛くも痒くもないはずだ。なぜならカルテ上、川越には過失はないのだから。

 果たして、臓器摘出を指示したのは誰なのだろうか。臓器摘出の実行犯は川越。しかし、川越はこのあと同じ殺され方をされている。川越を口封じのために殺すことはできても、臓器の摘出の実行犯が別にいることになろう。

 考えれば考えるほど頭を悩ます。

「市原殺しと川越殺しの事件に、繋がりがあると考えると、青山夫妻と密接な関わりがあるの存在が強く疑われる」城野は静かに言った。

 城野は慳貪けんどんな男だが、持ち前の頭の回転の速さで、鮎京が行き詰まったときにこのように的確に鮮やかに確からしい解を示してくれる時がある。もちろん、城野自身は無自覚なのだろうが、妙に納得させられるものがある。城野は続けた。

「考えてみれば簡単なことだな。市原殺しだけを見れば、臓器の摘出に川越が絡んでいると考えられるが、川越殺しの臓器摘出の説明がつかない。川越以外にそれをなし得る人間がいない。となると、川越を殺したあと腹をかっさばいただれ、たぶん医者がいるということだ」

 医者か。誰だろうか。医者だけならたくさんいる。これまで話に上がってこなかった人物かもしれない。

 しかし、川越だけでなく青山夫妻に関わりがいるとなるとその人物は限られるだろう。青山由栄を担当していた主治医あるいは担当医、それとも『ユリカ』の常連客には川越以外の医者もいるかもしれない。ひょっとしたら娘の『青山ゆりか』を診ていた医者という可能性もある。

「じゃあ、青山の主治医とか『ユリカ』さんの客を洗いざらい調べれば──」と言いかけたところだった。

「青山の嫁さんの源氏名、何だっけ?」突然遮るように城野が言う。

「えっ? 『ユリカ』さんでしょう?」

 質問の意図がまるで分からない。今までさんざん登場する名前だ。

「いや。源氏名のだ」と城野が静かに言う。

「えーっと──」と思い出そうとするも、まだ城野の発言の意図が分からない。

「『つき……』何とかじゃなかったか?」

 鮎京は若干時間を要したが、城野のヒントのおかげで、ほどなくして思い出すことができた。

「えっと、『月浜つきはまユリカ』です」

「『月浜ユリカ』……か?」

「ええ。間違いないです」財布の中に入っている、名刺を思い出した。

 城野は何故か近くにあったメモ用紙に鉛筆で、その源氏名を平仮名で書いた。

「おい。分かったぞ」

「!? は、犯人ですか!?」と、聞くも、鮎京は城野が何を言いたいのかさっぱり分からないままだ。

「犯人かどうか分かんねぇが、候補となり得る人物がいたんだよ」

 そう話す城野は、まるで何かを確信したかのような表情だ。

「本当ですか? やっぱり医者ですか。せ、先生のお知り合いですか?」

「アユキョーの知り合いでもあるけどな」

「ええっ!?」鮎京は仰天した。「どういうことですか!?」

「声でけえよ。今ここでは大声で話せねぇ。何せ、アユキョーの知り合いだからな。その前に、一体どんな関わりがあるかを調べなきゃならねぇ。さて、どう調べようかね?」

 城野は手を自身の顎に当てて考えている。鮎京は城野の言う犯人候補が未だ分からないままだが、相当デリケートな問題なのだろう。しっかり裏を取るつもりだろう。

 城野が口を開く。

「クロちゃんの連れって、刑事だったよな?」

「ええ……、そうですが……」

「協力を頼めそうか?」

 いよいよ城野もパンドラの箱を開けようとしている。鮎京は思わず戦慄した。

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