19 緊迫

 黒羽によると、麓は慌てて身支度をして署にすっ飛んでいったという。麓が呼び出されて、半強制的に黒羽も麓の部屋を出ることになり、流れで終話となった。

 なお、川越だと思われるというのは、運転免許証、大学病院の職員証など身分証明書を所持していたからだという。まず川越と断定して問題ない、とのこと。


 刑事で、あくまでも待機という立場上、署から離れることは難しい。無論、自宅(官舎)も近くにあり、黒羽は麓の部屋に上がり込んでいたらしい。警察の官舎に結婚していない異性が入って良いのか気になるところだが、状況が状況だけに聞けなかった。上司には内緒のお忍びかもしれない。限られた時間を、人目を忍んで会っていたところ見事に邪魔してしまった鮎京は、さすがに罪悪感を感じた。

 しかしそんな考え事も、川越が遺体で発見されるという報せに押し潰されてしまう。

 なぜ川越が殺されたのか。誰かに恨まれていたのだろうか。

 何と言っても特筆すべき点は、市原の事件との類似性だ。遺体の発見現場は市原のアパートと目と鼻の先。さらには臓器の摘出である。ただならぬえんがあったか。

 市原紗浦の事件現場は、黄色い立ち入り禁止のテープが貼られていただろうから、近所や通りすがりの人でも察することができようが、遺体から臓器を摘出されていたという情報は部外者である鮎京や黒羽が、今は知ってはいけない情報だ。捜査中の事件を第三者に漏らすのは御法度である。しかし、そんなことも忘れて思わず麓は口走ってしまったのだろう。

 たしかに衝撃的だ。猟奇的であることよりも、市原紗浦の事件と死体の損壊のさせ方が共通しているということだ。市原殺害の犯人は、青山由栄であるということで処理されている。収監されている青山が川越を殺害することは、絶対に不可能であることは言をたない。

 そして、青山が市原を殺害したことはニュースになっていたとしても、報道の規制で臓器の摘出がなされていたことまでは一般に知られていない。つまり、まったく関係ない第三者の模倣犯ということも考えにくい。事件の関係者ならあり得るが、それであれば青山が逮捕され刑に服していることも知っているはずだ。換言すれば、市原の殺害犯である青山に罪を着せるというのも説明がつかない。

 では、単なる偶然か。まさか。こんな普段は平和な地方都市で、犯行現場が近接した二つの殺人事件で、たまさか死体損壊の有様が一致することなんてあるわけがない、と鮎京は思う。

 川越の人間関係が分からないので、殺害動機からは犯人を突き止めることはできない。しかし、臓器の摘出という禁断のキーワードを得たところで、犯人を推測するところか謎が深まるばかりで却って混乱を招いている。すでに酔いは醒めてしまっていた。

 気付くと時計は午前二時近くになっている。いけないことだと思いながら自転車に跨がる。明日も仕事なのだ。とにかく余計なことは考えずに寝ないといけない。


 中途半端に寝たためか、朝の起床は辛かった。それでも目をこすって出勤する。

 出勤するや否や係長の岡崎に呼ばれる。西条もそこに立っている。何だろうかと思うや否や、いきなり残念なお知らせを耳にした。

「鮎京。本来なら医務課の人間の当直業務は免除されていたが、処遇部門で今年は退職者が多く出ているらしい。これでは当直が回らないらしいんだ。悪いが、君もこれから当直を受け持ってもらうことになる」

 岡崎は静かに言った。処遇部門で新人が辞めていっているという噂は聞いている。ちゅうという受刑者に対してはもちろんのこと、下官に対しても非常に厳しく当たる刑務官がいるのだ。これがパワー・ハラスメントにならないのは、ここが刑務所だからだろうか。とにもかくにも、いつか医務課の自分たちにも影響が及ぶかと思っていたが、まさかこんなに早く応援要請されるとは思わなかった。

 当直は経験したことはあるが、生活リズムが不規則になることに鮎京はあまり適応できない体質だ。それもあって准看護師の資格を取ろうと思った、という目的も実はあった。しかしそうは問屋が卸さなかった。綺麗事を言っていられない状況にあるようだ。

「分かりました」

 敬礼で応じるものの、やはり嬉しいものではなかった。

「それから西条。中途半端な時期で悪いんだが、処遇部門に移ってくれ」

「処遇部門ですか」西条は話の流れから察していたのか、意外にも落ち着いていた。

「ああ。本当は准看護師の資格を持つ君には、医務課に従事させたいが、もはや背に腹は変えられないほどマンパワーが不足しているらしい。もちろん中途採用で増員されれば、こちらに戻すこともあり得る。それまでは少なくとも処遇部門にいてもらうが、受刑者の更生に努めてくれ」

「わかりました」西条は潔く敬礼した。西条も思うところがあろうに、それをおくびにも出さないところは敬服に値する。


 悲報のせいで消沈した鮎京は、仕事にあまり身が入らなかった。それでも特に大きなトラブルなく午前の業務を終えたのは、慣れて半ばオートメーションに身体が動いていた、ということになるだろうか。

 その点、矯正医官の城野は夜勤がないどころかフレックスタイムにもできる。性格にやや難があっても医師は医師。その待遇の差を身に染みて感じる。

 そうだ。城野にまだあの件を伝えていなかった。あの件と言えば当然、川越の件である。一夜明けて、他者の手によって泉下の客と成り果てたと聞けば驚くことに違いない。

 昼休みになり、医師控え室兼更衣室でスマートフォンをいじっている城野に歩み寄る。幸いなことに他に人はいないようだ。

「城野先生、今いいっすか?」

 ちらりと、目線だけこちらに向けた城野は、「何?」と言いたげな表情だ。

「例の事件の件ですが……」

 一応、超のつく機密事項となっているはずなので、鮎京は声を押し殺した。

「ああ。川越が殺された件か?」

 何と。この男は事件の情報を得ている。

「何で知ってるんです?」

 別に驚かせるつもりはなかったが、十二時間も経過していない新鮮な情報でありながら、さも当然の如く知っていたので、肩すかしを喰らった気分だ。

「何でって、天竜医大の奴から聞いたんだ。川越が死んだって。中年だが、普通に元気そうにしている男の突然の訃報を聞いたら誰だって驚くし、しかも評価だけで言ったら日本でも屈指の臓器移植の権威だ。もちろん天竜医大の関係者で知らん奴などおらんから、大学にとっては衝撃的なニュースだ。しかも朝っぱらから警察が事情聴取に来てるときたら、事件だって思うだろう?」

「それで、先生にも連絡が来たんですか?」

「ああ。医大の外科医の知り合いからな」と言ったあと、顔をこちらに向けて「アユキョーは誰から聞いた?」と問うた。呼び捨てが緊迫感を与える。

「黒羽です」雰囲気につられて、こちらも情報提供者を敬称略とする。城野は黙って何もリアクションを示さなかった。

 それにしても城野は落ち着き払っている。出勤したときもいつも通りだったし、もし昼休みに入って、まさに今その連絡を確認したとしても、まるで動揺していない。

「先生は驚かなかったんですか?」

「そりゃ驚いてる。驚いてっけど……」

「けど……?」少し間を置いた城野の発言の続きが気になった。

「もし事件性のある死だとしたら、川越ならあり得る……」

 城野は一層神妙な顔つきになった。そして続ける。鮎京は思わず息を飲んだ。

「川越は名医と言われているが、敵もめちゃめちゃ多い。あいつにいじめられた人間は数知れない。下手すると人生を狂わされた奴だっている」

「ど、動機のある人間はいくらでもいる、と……」

「ああ」城野は静かに頷いた。

「先生、実はですね……」さすがに言うのを少しちゅうちょしたが、流れから言わざるを得ないことだ。一つ息をついて続けた。「絶対他言無用でお願いしたいのですが、臓器が摘出されていたらしいです」

 さすがにこの情報は知らなかったか。城野の眉が動いた。

「警察は、そんなことまで教えてくれたんか?」

「だから他言無用なんです」

「なるほどな。どうりで、警察が医大の医者を中心に聞き込みをしてんだな」

 城野の言わんとすることは分かる。臓器摘出をなし得る人間として、まず医師を考えるのが自然だからだ。

 しかし、逆を言えば臓器摘出をしていることによって、自分が犯人だと容疑を向けているようなものだ。もし医師が本当に犯人だとすれば。だからそんなに単純な事件ではないと思う。

 さらには、警察が最も犯人として説明のつきやすい青山が、この刑務所にいるのだ。おそらく警察は、脱獄囚がいないか問い合わせていることだろう。残念ながらそれはない。脱獄は刑務所の一大事だ。脱獄、火事、自殺は刑務所の三大事故と言われるから、そんなことが起きれば正直仕事どころではない。

 警察も首をかしげているはずだ。医者を犯人と目星をつけているかもしれないが、市原の事件と関連性を見出したときに、やはり二人に共通する関係者を洗っていくだろう。市原と川越とは直接の関連はないと思われる。しかし市原の異父姉妹である『ユリカ』こと青山留利、そしてその夫、由栄は臓器移植患者であることから、川越との関連が示唆される。

 『ユリカ』に捜査の手が及ぶはずだ。ところで、いつ殺害されたのだろうか。城野の情報から推測すると、昨日は普通に生きていた可能性が高い。もし月曜日で平常どおり出勤していたら、殺されたのは昨夜しかない。

 とすれば、昨夜開店からずっと店にいたという『ユリカ』はシロだ。奇しくも鮎京は『ユリカ』嬢に謁見えっけんしており直接その言葉を聞いている。ちょっとあんするが、裏を取りにくる警察にいろいろ事情聴取されるのだろか。キャバクラに行っていたことを白状して、その情報が捜査本部に共有されるのは非常に複雑な気分だ。

 

 『ユリカ』でもなく、青山由栄でもないとなると一体誰なのだろう。

「一体誰なんですかね? 川越をった犯人……」

 暫く沈黙のため、鮎京は思わず問うた。しかし、城野は黙ったままだ。

 川越にはたくさんの敵がいるものの、市原との関連性が見出せない。それとも川越はやはり市原を殺害していて、何かしらの関連があって、同じ方法で川越が殺された。川越が誰かと共謀して市原を殺害し、仲間割れした川越が共謀した犯人に殺された。と、いかにもありがちなシナリオを頭の中で描いていると、城野が突然口を開いた。

「アユキョー」その声は低く、どこか威厳があった。

「な、何でしょう?」

「お前、今更かもしれんけど、本気でパンドラの箱を開けにいく気か?」

 急に城野らしからぬ発言をするので鮎京は驚く。が、しかし城野の表情は神妙そのものだ。

「パンドラって……」城野の言いたいことは何となく分かったが、どこかすくめられたように、上手く言葉を返せない。

「いいか。川越が最初の被害者と同じ殺され方をした。しかも、このことは報道などで表沙汰になっていないときた。これはほぼ間違いなく二つの事件に何か関連性があることを示す。が、青山は拘禁されている。ということは、最初の事件は青山が犯人ではない、あるいは青山には共犯がいて、そいつが川越をったと考えるのが自然だ」

 聞いていて、やはり城野も概ね近い推理をしていると感じた。城野は続ける。

「犯人にとっては、川越の臓器を摘出する行為が如何いかなる意味をすか。青山に罪をなすり付けることができないことは、百も承知のはずだ。しかも、こんな手間のかかることなんて普通はしねえよ。ある意味狂気を感じる。しかし、もしこの行動に何か意図があるとしたらひとつ──」

「ひとつ──?」

「警察をおとしめることだ」

「貶める」

「そう。警察は焦ってるはずだ。ひょっとして青山が犯人ではないかもしれない。冤罪えんざいによる誤認逮捕じゃないかってね。いくら自首による逮捕であったとしても、青山が真犯人を擁護した狂言であれば、捜査を怠った警察に非が生じる。アユキョーが今からしようとしてることは、それをつまびらかにすることだ。それがいかに重いことか分かるか? さらに、実はまったく赤の他人である真犯人と青山がタッグを組んでいて、実に巧妙に二人の人間を殺害したとする。青山たちの真の狙いが警察を貶めることであって、わざと青山が自首して逮捕されたとする。しかし後日青山は冤罪かもしれない可能性が出て、一気にそれが明るみに出る。さらには青山が、自首を強迫されたなどとあとで騒ぎ立てれば、警察への信頼は一気に失墜する。それが犯人の目的であるならば、アユキョーは犯人の片棒を担ぐことになる」

「……」鮎京は声が出ない。

「いろいろな可能性があるが、どの可能性も、アユキョーに良い結末をもたらすとは考え難い。やり方を間違えると、痛い目に遭うはずだ」

「なっ?」

「警察は大きな組織だ。警察のミスは全力で隠蔽いんぺいにかかるだろう。それを無理に暴こうとすると、下手したらアユキョーが犯人扱いされかねねえな。また警察の片棒を担ぐことになっても、何かしらの譴責けんせき処分が待っている」

「僕が犯人……?」

「やるなら覚悟を」

 最後はやや無責任に言い放った。

 それは、パンドラの箱を開けてしまったら、もう城野は協力しないことを暗に示しているようにも感じた。

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