幕間【麓 恭歌(Fumoto Kyoka)】

麓 恭歌 の章

 先日の鮎京くんからの指摘を、私は肯定せざるを得なかった。ごもっともである。

 青山からは少なくとも犯罪者の臭いを感じることができない。刑事一課に配属して間もなかった当時はあまり意識する余裕もなかったが、一年以上経った今、留置場の中の彼の言動を思い返してみると、やはり青山のような大人しく礼儀正しい人間があれだけの凶悪犯罪を犯すためには、解離性同一性障害などの疾患を挙げない限り説明がつかないような気がした。

 刑務所に収容されても、なおも犯罪者らしい挙動をまったく見せていないとなると、彼がやったという犯行そのものに疑義を呈する必要があるかと思う。もっとも、青山が検挙されたのは、本人の自白に依るところが大きいが、果たしてそれで事件の全容が解決できたと言えようか。もしかしたら、大きな誤りを犯してしまっているかもしれない、かとさえ思ってしまう。

 しかし、既決の事件をもう一度掘り起こして調査することは、通常は絶対に行われない。

 警察としては、この事件は無事に犯人が見つかり逮捕、送検、勾留、起訴され、判決が下って収監された、極めてスムーズに解決された事件なのだ。そこに疑いの余地はないし、敢えて疑うことも御法度なのだ。

 だから、この事件の結末に懐疑的になって、独自に捜査することは、警察にとっては反組織的な行動である。

 私は秘密裏に供述調書などを調べる他ない。誰かの協力を得ることはならないのだ。


 正直、このような行動をとることが警察にとっても自分にとっても百害あって一利なしであることくらいは頭では理解している。これを調べることは、自己満足でしかない。どうせ調書を見返しても、青山が犯人であること以外の事実は記載されていない。青山は自分が犯人だと言っていたのだから。警察としてはこれほど扱いやすい犯人も珍しいことだったことだろう。

 ならば、供述調書から読み取れる詳細な情報を抜き出して、隠れた矛盾があるかどうかを見つけ出すのだ。調書の原本は検察庁に送られるが、コピーは保管されているはずである。

 結果的に矛盾点がなく、やはり第三者的な視点からしてもやはり青山の供述どおりであったことが明らかになればそれはそれで良い。その事実を受け入れるのみだ。自らの調査によって、青山の供述に対する疑いが晴れればすっきりする。


 おそらく鮎京くん自身も、この事件をかなり懐疑的に捉えているはずだ。刑務官の立場から推理し、何かの情報を握ろうとしているに違いない。

 であれば、鮎京くんは同じ立場として私自身が調べた情報を提供する。そして双方の情報を突合させて、齟齬があるかどうかを徹底的に洗い出す。


 ただ、青山が犯人でないとなると一体誰が事件の黒幕なのだろうか。

 この事件については、警察が青山の自供も手伝ってか、殺人という凶悪犯罪と言えどさほど本格的で深い捜査は行われなかったかと思われる。浜松市は政令指定都市ではあるが、東京や大阪のように決して大都市ではない。浜松市は適度にのどかで、北区も犯罪発生率は高くない。そもそも殺人事件自体がレアなのだ。強盗、暴行、傷害、性犯罪はあっても殺人は少ない。警視庁ならまだしも、地方の警察署では殊更ことさら殺しの捜査は不慣れであったかもしれない。

 だから現時点で分かっている、この事件で関わる加害者の青山および被害者の市原以外の登場人物は多くない。青山の妻、青山の娘、あと強いて言えば青山には存命の父がいるらしいが、詳細は分からない。あとは青山の妻を指名していた常連客たち……。

 怪しいと言えば、先入観かもしれないが青山夫人の常連客なのだろうか。ただ、それも早期に事件解決の転帰を取ったため充分な捜査がなされていない。

 青山夫人が働いていたキャバクラ。捜査ができない状況で、女性である私が客を装って店内に侵入するのは疑われる。やはり自然なのは、鮎京くんたちに店に出向いてもらうことか。ただ、いかにも硬派な環境で慣れてきた鮎京くんが、あの人気ナンバーワンキャバ嬢である青山夫人をなずけることがまず無理だろうということは、私でも分かる。ソウちゃんにはもちろん行ってもらいたくはないが、あの性格からして、もし私がいなければ、鮎京くんに頼まれたときには『諾』と答えるしかなかろう。しかし、優しいソウちゃんはきっと私を気遣って、鮎京くんの願いと言えど断るはずだ。もし私がその足枷あしかせになっているのなら、自分は悪者にでも何にもなって、鮎京の捜査をサポートしてやらねばならない。それは、自分が大好きなソウちゃんの彼女であるという乙女心よりも、この事件に潜んでいる裏側を看過してはならないというような正義感が、私を衝き動かしている。


 ソウちゃんとは喧嘩をした。あとは、鮎京くんの気の済むまで、いや自分の気の済むまでこの事件の裏側とその行く末を、たとえ反対されながらも見届けたいという気概が私の原動力だ。

 どんな真実が待ち受けていようと、あるいは何も新しい真実が待ち受けてなかろうと、万人を納得させられるまで捜査し犯人を特定するのが我々の仕事だ。それが公僕たるおのれの使命。公にされない真実によって不当な不利益や損害をこうむるような者がいるようなら、たださなければならない。

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