14 権威
「マジですか?」鮎京は驚きのあまりにわかに信じられず、城野に問い返した。
「間違いないね、あの教授。俺も実は何年か天竜医科大学に勤めとったしさ。もともと医者の間では有名でな、お偉いさんの手術も手がけてる。浜松のどっかの警察署長も川越の腎移植を受けてたな……。とにかく臓器移植界では有名な男だ」
城野は青山由栄が何らかの事情でひた隠しにしている病歴を、『膵腎同時移植』の術後と推察(ほぼ断定に近いが)している。
青山夫人の『ユリカ』の指名客として、その手術の権威であるという医師がこの店に通っていることは単なる偶然とは思えない。
偶然でないとしたら──。
青山の手術を川越医師が執刀した、あるいは立ち会ったと考えるべきだろう。ではどのような経緯でそうなったのか。ぱっと思い付いたのは以下の二通りの可能性だ。
青山の受診が契機で同行していた夫人と川越が知り合い、何かのきっかけで『ユリカ』として水商売に手を染めていることを知り、店に通うようになった。
あるいは、たまたま店の常連客であった川越がその業界の権威と知り、『ユリカ』が夫の手術の執刀を依頼した。
「これで、俺の言ったことが裏付けられた。青山は『膵腎同時移植』を受けている、ってね」城野はしたり顔だ。
「しかし、何で青山は『膵腎同時移植』を受けたことを隠し立てしてるんですかね?」と、原点に返ったように鮎京は疑問を呈する。
残念なことに、城野から「知るかよ!」と、あっさりと一蹴された。が、城野は続けた。「それよりな、誰がドナーなんだ? それが気になるんだよなぁ」
城野は城野で、何かしらの理由で気にしているらしい。
「この間、先生、六親等以内の家族って」
「そうだな」
「それって、近親の方が、手術成績が良いという意味ですか」
「アユキョー君、何にも分かっちゃいないな。姻族なら三親等以内まで大丈夫なんだよ」
「あ、そうでした……」
そう言えば、姻族でも大丈夫だって以前言っていたことを思い出した。つまり、血の繋がりの近さは、必ずしも手術成績に関連しないということになる。
「理由は単純。倫理的な意味合いだ」
なるほど。実に単純明快な理由である。城野はさらに補足する。
「臓器移植というのは、健常者に対して莫大な侵襲を及ぼすことが認められている唯一の医療行為だ。献血や
鮎京は
「だから万が一ドナーが親族に該当しない場合は、医療機関の倫理委員会に
「つまり移植のドナーは、無償に提供される可能性が担保されているだろう親族に限定される、ってことですか?」受刑者への至って不親切な説明とは対照的に、今回の説明は具体的で比較的分かりやすかったが、念のため鮎京は確認する。
「そういうことだ」と城野は強く頷く。そして一呼吸置いて続けた。「しかし、レシピエントにとってドナーは、命の恩人とも言っていい存在だ。特に青山のような真面目で義理堅そうな性格の奴なら、なおさらドナーに対して特別な思い入れを抱くかもしれない」
いつもより城野は
「アユキョー君は、青山の人となりから凶悪犯罪を犯すような人間には見えない、実は青山は無実ではないかという仮説を立てていて、それが真実だった場合、臓器移植という強力な利害関係が働いていて、それが青山を自発的にそうさせている……」
確かに、実はいうと青山が事件の犯人だとは到底思えない。懐疑的に捉えていた。しかし、頭でそれをぼんやり考えるだけであったが、城野によって理論立てて説明されると、真実味が一気に増して恐ろしささえ感じ始めた。
「つまり……」
「つまりだ。ドナーの人間が事件の真犯人で、青山がその人物を
ここで、ようやく城野がドナーをひどく気にしている理由が分かった。しかし、一方で疑問もある。「何で遺体から臓器を摘出したんでしょうか?」
「分からん。真犯人が青山に罪をなすり付けるため? いや、違うな。真犯人であるドナーが殺害したところを青山が目撃し、罪を着るために自分と関連づけようと摘出した? いや、それじゃ臓器移植を受けたことを隠し立てしてることの説明がつかん……」
珍しく、城野が自問自答している。これに至っては、まだ結論が出せないようだ。
「ちなみにドナーとなりうる人物は?」今度はしばらく黙って聞いていた黒羽が尋ねる。
「身元引受人の欄には奥さんの名前が書いてあったな」と、鮎京は今やデータベース化された被収容者処遇関連情報の内容を思い出す。
「奥さんね。まぁ、他にめぼしい家族って言っても、子供に提供させるわけにはいかないですもんね」と黒羽。
「未成年はドナーになれない。理由はお察しの通りだと思うが」城野も確認する。しかし続けて「青山の親御さんはどうなんだ?」と尋ねる。
しまった、この期に及んでそれを麓に聞くことを失念していた。この三人揃って推理が進んでいる中で、それを阻むように自分の果たすべき役割を怠ってしまったことを悔やんだ。しかし、代わりにその答えをこの男が握っていた。
「青山の母親は他界しているらしいんですよ。直接の死因は忘れちゃいましたが、何でも腎臓病があったらしいです。父親は存命みたいだけど、膵臓の病気って言ってたかな」と黒羽が答える。
「母親が腎臓で、父親が膵臓か。遺伝かな」城野が言う。「詳しい病名は分かってるかい?」
「すんません。そこまでは」
「だよなぁ」城野は頭を抱える。しかし無理もない。警察から見て、それがそこまで重要な情報だと考えなかったのだろう。ましてや、青山は自分が犯人であると自首してきたのだ。
しかし、麓はあの後、独自で調書を調べていたのだろう。彼女自身この事件に思うところがあるに違いない。
「となると、やはりドナーは?」
「いちばんは、やはり嫁さんだろ」と言下に城野も答える。
「そうですよね」と肯定しようとする鮎京を、なぜか城野が「いや──」と遮る。
「えっ?」
「そう決めつけるのはまだ早い。詳細が分からないが、単純に母親が腎疾患だけ、父親が膵疾患だけだったのなら、父親から腎臓移植し、そのあと母親から膵臓を移植したということもあり得る。いわゆる『腎移植後膵臓移植』だ」
さすがにこの男は医者だ。あらゆることを想定している。准看護師の資格取り立ての鮎京には思い付かないことばかりだ。城野は続ける。
「こればかりは警察でも把握していないかもしれない。天竜医科大の知ってる奴に聞いてみるか」
「そんなに簡単に教えてくれるもんですか?」鮎京は疑問をぶつけた。
「悪いが、必要に応じて警察や法務省の役人が捜査上必要としているとでも言わせてもらう。それでも個人情報を流してくれるか分からないが」
警察は黒羽、法務省の役人は鮎京。確かに間違っていないが、ものぐさな城野がここまで身を乗り出して協力してくれるのも意外であった。しかし、次の城野の発言が、一部その答えになっているような気がしていた。
「実はな、あの川越のおっさん。『生体膵腎同時移植』に力を入れてる男なんだ。その症例を喉から手が出るほど欲しがっていたはずだ。つまり俺は青山の手術にまず間違いなく川越が絡んでいると見ている。それもおそらく作為的にな」
その言葉を聞いて鳥肌が立つような思いをした。
青山夫人である『ユリカ』の常連客が、『生体膵腎同時移植』の症例を集めていた。青山本人は『生体膵腎同時移植』のレシピエントであった。青山の殺したとされる遺体からは臓器が摘出されていた。
この三つの事象を、単なる偶然と片付けて良いものだろうか。いや、違うだろう。いくら青山が事件を犯しそうな男には見えない、という色眼鏡で見ても、この事件の裏には何かが潜んでいるような気がしてならなかった。
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