13 介抱

「ここは……?」と鮎京は呟く。見たことのない部屋は広く綺麗であったが、生活感は感じられたので、危険な場所ではないことは認識できた。

「俺の部屋だよ」と城野は言う。そして渋い顔で苦言を呈す。「なんであんなめちゃめちゃな飲み方するんだ? すごいことになっとったぞ!」

 えっ、と鮎京は後悔の念に襲われる。

「次から次へ、酒を勧められるまま飲んどったな。最初は普通の酒だったけど、だんだん高い酒に手を出しやがって!」

「まじっすか!?」記憶のない鮎京は、確認するすべがない。

「最初に虚勢張って良い気んなって、ストレートで四十度の酒を飲むからそうなったんだな! おかげで高くついたぞ」

「全部、城野さんがカードで支払ってくれたんだよ」と、黒羽が補足する。

「す、すみません!」

 しでかしてしまった失態に、身の縮む思いでいっぱいになり、酔いも醒める。ただし気持ち悪さはしっかり残っている。

「しかも、鼻の下を長くしてな、ホステスに抱きつくわ、胸を揉むわ、脱がそうとするわ、お前が脱ごうとするわで……」

「ええええ!!?」黒羽の衝撃の発言に、気が狂いそうになる。冗談じゃないレベルだ。

「バカか!」と、城野が一喝する。「んなわけねーだろ?」

「ふぇ?」鮎京はだらしない声で反応する。

「さすがにそれやったら、お前今頃帰ってこられねえぞ!? バックから怖いおっさんが出てきてな?」城野は溜息まじりに言う。

「そうなのか? ヤクザか?」

 ヤクザならむしろ職場でいつも相手しているからまだマシだ、と思ったが、考えていることをそのまま見透かされたかのように黒羽は言う。

「ヤクザっていっても、お前が相手しているのは坊主頭でグラサンも貴金属も身につけていない、言わば角がとれた囚人だろ。しかもお前は刑務官として接していて受刑者との圧倒的な主従関係が保証されている状況の話だ。しゃにいる現役のヤクザに、お前のようなやさおとこ太刀打たちうちできるわけねえだろう」

 黒羽の発言はごもっともだった。反論する気にもなれない。

「とりあえず、今回は城野先生がいてくれて何とかなったよ。お金もどうせ俺らには払えないだろうから良いって言ってくれてるし、自宅まで何度も背中をさすってお茶まで飲ませながら介抱してくれたんだ。お礼を言っとけ」

「ありがとうございます。そして申し訳ございません」思わず鮎京は土下座していた。

「本当は、輸液してあげたかったんだけど、道具がないからそれは勘弁してくれ。あと、この際吐き気がするなら、勝手に便所を使ってくれ。お茶も言ってくれれば出してやる。ってか明日も仕事なんだから飲んどけ」

「すみません」と少し安心すると、急に気持ち悪さが胃酸と一緒に鮎京の中で湧き上がった。「さっそくトイレ借ります」と言うと、オエオエと二、三回吐いた。

 おう、嘔吐が出現するほどの宿しゅくすいは久しぶりで、筆舌に尽くし難いほど気持ち悪かったが、冷徹な医師だと思っていた城野の意外な優しい一面を垣間見ることができ、少しだけ温かい気持ちになった。


 しばらくしてリビングに戻ると、まだ黒羽はいた。

「クロちゃんはどうするの?」気付けば時計は夜十二時近くを指している。代わりに城野が答えた。

「ああ、クロちゃんさ、明日非番だって言うし、アユキョー君の面倒見るの手伝ってもらうから、泊まってもらうことにしたよ。どうせ、アユキョー君は泊まることになりそうだったし、一人泊めるのも二人も大して変わらん」

 よく見れば、隣の部屋には二人分の布団が準備されていた。

 城野と黒羽は初対面にも関わらずキャバクラに行き、酩酊めいていした鮎京を介抱することで、結束力をさらに強めたようだ。鮎京は改めて、自分のことをひどく情けなく思う。

「結局、青山夫人からは何か情報が得られたんですか?」記憶のない鮎京は他の二人から情報を得るしかない。主催者がひどく酔っ払って収拾がつかなくなっていたと思われるのに、そんなことを聞くのは愚問だと思ったが、念のため聞いてみた。一応、それが主たる目的だったのだから……。

「ああ、『ユリカ』さんがFカップだっていうことがな」と、黒羽はどうでも良い情報を寄越してくれる。

「いやいや真面目に聞いてるんだけど……」その話はもう良いから、と言わんばかりに話を元に戻そうとする。

「残念ながら大きな収穫はない」今度は城野が答える。

「……ですよね」予想はしていたことでも、やはり意を決して臨んだだけに落胆する。「僕が飲み過ぎて羽目を外さなければ」

「いや、さっき高級酒を頼もうとしたとか言ったけど、実際は手を出しそうなところで俺がドクターストップをかけたさ。急性アルコール中毒になられて死なれたりしたら、医者として安全配慮義務を怠ったって責任を問われるのもしゃくだからね。ドクターストップをかけたところでアユキョー君は寝てしまった。まぁそのあと起こしたら盛大に嘔吐しそうになるから慌てて介抱したけどな」

 記憶がないので詳細は分かりかねる。城野の言い方には少々とげがあるが、それでも配慮してくれたのは事実だ。でも、寝てしまった後は『ユリカ』はどうしたのか。

「僕が寝てる間は、『ユリカ』は席を外したんですか?」

「いや、せっかく指名してるんだ。ナンバーワンをな。ちょうど、俺がフリーで入っていたから、最初の女の子から次の子に入れ替わるときに、『ユリカ』さんを引き継いだよ。ったくとんだとばっちりだぜ。それでも目の保養になったけどな」と黒羽は語る。若干鮎京の知らないキャバクラのシステムの話も出ていたが、興味の対象はそこではない。

「すまん。んで、どんなこと話した?」

「本来彼女たちは、どちらかと言うと客の話を聞くことが多い。特にナンバーワンの名声を持ち続けるようなだれの嬢は、話の聞き役に徹して、客が満足する話題を引き出す。客に会話の主導権を握らせているように見せかけて、実はそうなるように彼女が誘導しているんだよ。だから、客はいい気分になって延長して酒を追加して、次回の指名へと繋がる」

「なるほど。それで、相手のペースに巻き込まれて」

「早い話が、何も聞き出せなかった、ということだ。わりぃ」

 ずいぶん回りくどい言い方をする。最初から無理だったと一言言ってもらえれば済んだと思うが、相手の術中にはまってしまったことを弁明したかったのかもしれない。

「印象的にはどうだった? 警察官の第六感的に」

「第六感か。俺は刑事の経験はないけどな、少なくとも犯罪者っぽいにおいは感じなかった」

「そっか、でも今更ながら、聞いたところで正しいこと教えてくれるか分からないよね。犯罪者の香りだなんて、百戦錬磨のキャバ嬢ならそういうのうまくカモフラージュして隠してるかもしれないし」と元も子もないことを言ってみる。


「でもまったく収穫がなかったわけじゃねぇ」今度は城野が言う。

「どういうことです? 何か分かったんですか?」

「実は帰り際だが、八時からの指名客の顔に見覚えがあってな」

 東京ならともかく、浜松はそこまで広くない。市の中心地なら偶然知り合いを見かけてしまう可能性はなきにしもあらずだ。

「誰だったんです?」

川越かわごえのぶ

 知らない名前である。しかし、城野の次の発言は、鮎京を硬直させた。

「天竜医科大学、臓器移植外科学講座教授。専門は腎臓と膵臓。臓器移植界では権威の一人だ」

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