川流れ
泉宮糾一
川流れ
「人を殺したよ」
吹き荒ぶ秋の風に運ばれて、君の言葉は僕を衝いた。唐突すぎる告白は物騒だ。夕暮れの田畑の長閑さに、君のぎらつく瞳ははなはだ不釣り合いだった。
「誰を?」
真っ先に思いついた疑問を口にすると、君は不意に笑窪を作った。
「驚かないんだ」
「驚いてるよ」
「ごめん、嘘」
糾弾されているのかと思ったが、それは違った。彼女の言葉を指して言っていた。
「過去形じゃない。未来予測」
畦道に差し込む僕らの影が、どこまでも平行線に、しだいに長く延びていく。
「これから殺すんだけど、どうする?」
遮るものは何もないのに、君の声はどこか遠くから聞えてくるかのようだった。
君と同級生の間には目に見えない壁があった。その壁は僕が自分の周りに対して時折感じるそれと同質で、より複雑なものに思われた。君の視点はいつもどこか遠くに向いていて、僕以外に君に注意を払っている人はいないように思われた。高校生になって初めて君を眼にしたときから、隙あらば君を眺めていた気がする。
僕の視線に気づくと、君はいつも眉をしかめた。嫌がっていることは明らかで、そのたびに僕も頭が上がらなくなる。それでも、たとえばクラスの連中の視線が君に向いているときに、君の視線がわざとらしく右上のあたりを彷徨いていいても、僕は君から目を逸らさなかった。君のきつい視線も我慢した。とうとう君が折れ、溜息をついて、クラスに反応をしめすに至って、僕はようやく胸を撫下ろすことができた。
君にとって僕は相当な邪魔者だっただろう。それでもいつか、君が壁を乗り越えてくれると思っていた。今にして考えると、それはただの驕りで、君には壁を登る気など最初から微塵もなかったのだ。
住宅街からは離れ、畑の中を突っ切って、街を見下ろす小高い山の、麓の茂みに立ち寄った。街灯に灯りがついたと思ったら、瞬く間に日が暮れて、東の空に浮かぶ星々が次第に数を増していった。茂みの奥はすでに暗い。枯れ葉の目立つ土が、僕らのローファーを汚していった。
「これだよ」
と、君が指し示してくれたのは、黒いビニール袋に詰められた胴長の物体だった。薄暗い中で眼にしたそれに、最初は息をのみ、身動ぎしたものの、怪しげな匂いはどこにもなかった。それは多分人ではないのだ。君はそれの先端を持ち、脇に置いてあった寂れた一輪車に乗せた。
「奥まではこんでいくから」
茂みに分け入る彼女の姿を僕は慌てて追っていく。振り向きもせずに突き進む、彼女の背中は今まで見たことのないほど活き活きとしていた。
街灯も届かない暗闇の中、揺れる君の髪が月明かりを反射するのだけを頼りに進んだ。君の身体はすぐそばにあるのに、光りだけを見つめていると、まるで発光する虫を追いかけているかのような心地になった。ついていく意味などほとんどないのかもしれない。まして碌な事にもならないのかもしれない。前に進む意欲が薄れていく。何度も振り返った。街灯は確かに遠かったが、走ったら届くような距離が、しばらく続いていた。
川の音が聞えると、彼女の歩みが早くなった。木々の途切れる場所に着くと、月明かりに浮かび上がる水面が見えた。彼女は一輪車を止め、袋の先端を水の中に押しやると、端のつなぎ目を解いた。
袋が解ける。中から零れ出たものはガラクタだった。古びた時計やスプーン、ブタの形をしたぺしゃんこのぬいぐるみ。写真もいくつか流れていった。画の中では小さな彼女がそこかしこにいた。みなどちらかというと顔がかたく、すねているようでもあった。
「もう殺したも同然なんだよ」
譫言のように呟く君は、礫に引っかかるガラクタを自らの脚で踏みつけた。砕ける音が響くと、月の光に照らされたプラスチック片がポロポロと涙のように流れていった。砕ける前がどんな形だったのか、もう思い出すこともできなかった。
君は何度も脚を動かし、自分のガラクタを踏みつけていった。時には声も混じって、水しぶきを上げながらそれらを破壊した。君は気分が良さそうで、それにもかかわらずとても苦しそうだった。やがて君が川を掻き分けつつ、その動きが止まった。足下には銀色の欠片が波打って揺れていた。
袋からはまだガラクタが流れ出していた。君はそれを恨めしそうに睨み、それから僕の方へと視線をずらしていった。君は青い顔をして僕に微笑みかけてくれた。自分がやったことを僕に見せつけているかのようだった。
僕は君の過去を知らない。きっとある程度後ろ暗い過去があって、ある程度塞ぎ込んでいた時期があった、もしくは今もそうなのだろう、そんな勝手な認識を拾い集めて君を想い描いている。まるで知らない君のことを知っているだとかわかるだとかで片付けるのは傲慢だ。君は僕から遠いところにいるし、近づいてほしくないと再三言っている。僕のつけいる隙はどこにもないのかもしれない。
僕は懐をまさぐった。何も入っていないと思ったが、内ポケットから煙草のひとつを見つけた。吸うつもりもないのに、煙草屋で試しに注文したら手に入れることのできたものだ。そのうち誰かにあげようと思いつつ、すっかり忘れて持ち歩き続けていたらしい。
水面に近づき、そっと煙草を浮かべた。流れに乗っていくそれは、先行く君のガラクタを追いつつも、しょっちゅう礫に躓いて頼りない。僕はしばらく並行して歩き、何度かつついて軌道を直す。
「そんなのずるい」
と君が笑って言うのが聞えた。心なしか気分が晴れた。煙草はいつの間にか、川面に砕けて散っていた。
川流れ 泉宮糾一 @yunomiss
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