第60話 夏休み、ゆずと可憐の自由研究
みなさんは親友の足を舐めたことがあるだろうか?
私、榎本ゆず(えのもと ゆず)はある。
それは今から1年半ほど前のこと、義足の少女・秋葉可憐(あきは かれん)との出会いが全ての始まりだった。
可憐の義足は魔性の魅力を秘めていた。彼女の周りの人たちは大人も子供も一瞬にして魅了されて、まともに授業もできない始末だった。その中でも特に魅了されていたのが私で、可憐の住んでいる女子寮『少女九龍城』に引っ越しまでしてしまったのである。
それ以来、私は可憐の義足で顔を踏んでもらったり、義足をぴかぴかに磨かせてもらったりという召使いのような日々を自ら望んで送るようになった。可憐は「義足の魅力に操られているだけよ」と複雑そうな顔をしていたけど、私としては毎日充実した足フェチライフを送れているので問題ない。
×
さて、そんな足フェチライフを過ごしていた夏休みの真っ只中である。
「……ねえ、暑くないの?」
「暑くない。柔らかい」
「私は暑いよ……蒸れるし……」
私と可憐はエアコンの効いている食堂でテレビゲームに興じていた。
ソファに腰掛けた可憐の足の間に座って、彼女の太ももに顔を挟んでもらう……そんな天国のような体勢でゲームを遊んでいると、脳内麻薬が止めどなくあふれてくる。
ストッキングに包まれた可憐の太ももにはマシュマロのような柔らかさと暖かみがあり、まるで母親の胎内に戻ったような心地よさに包まれてトリップできるのだ。
食堂には私たちと同じように涼んでいる住人少女たちが集まっている。しかし、可憐の美脚に魅了されているのは私だけだ。どういうわけか、住人少女たちには美脚の魔力に耐性があるらしい。誰も彼も元から濃い趣味を持っていて、新しい性癖に染まる余地がないからなのかもしれない……と私は勝手に思っている。
「そろそろ自由研究やらないと……」
「もう、そんな時期かぁー」
高校生の多い住人たちには「懐かしい」とか「またやりたい」とか言われるけど、現役中学生である私たちにとって自由研究ほど厄介な夏休みの宿題はない。自由ということは己のクリエイティブな才能を問われるわけで、センスのないやつほど題材が見つからないし、自分でもうんざりするくらいありきたりでつまらない研究結果に収まってしまう。
その点、私と可憐は救われている方だ。
少女九龍城に存在する何かを研究すればいいのだから。
「よし、加納先輩のところに行こうか」
可憐がソファから立ち上がる。
彼女の足の間に腰を下ろしていた私は、必然的にパンスト越しのパンツを真下から見上げることになった。
可憐は細身でスッキリした体のラインをしているのに、どうしてかスカートの中はふっくらむっちりとしている。私としてはそんな女体の神秘を自由研究したい気持ちもあるのだが……。
「ゆず、段々と目線がオッサン化してきてない?」
「してない。しいて言うなら、可憐の体が魅力的すぎるのが悪い」
「あのねえ……」
可憐が手を引っ張って私を立ち上がらせてくれる。
それから、豆腐をすくうような手つきで私の頬を両手で包んだ。
「ほっぺた赤くなってる。ストッキングがこすれすぎたんじゃない?」
「ふふふ、私にとっては名誉の勲章だから……」
「はいはい、さっさとチズちゃんのところに行くよ。先輩、夏休みだから本当に張り切っちゃってるんだから、地図作りにいっちゃう前に会っておかないとね」
「はーい」
私たちはエアコンの効いた食堂を出て、チズちゃんこと加納千鶴(かのう ちづる)さんの自室へ向かった。
「加納先輩、いますか? 秋葉可憐です!」
可憐が部屋のドアをノックすると、ドアを押し開けてチズちゃんの恋人・倉橋椿(くらはし つばき)さんが顔を出した。
座敷童のように切りそろえられた黒髪はくしゃくしゃに乱れて、ドアの隙間からは剥き出しになった小さな肩が覗いており、彼女が部屋の中で何をしていたのかは想像に難くなかった。私たちよりも年下にしか見えないので犯罪臭がやばい。
少女九龍城へ引っ越してきた直後は私も驚かされっぱなしだったが、いちいちびっくりしていてもきりがないと分かってからは平然としていられるようになった。同性同士云々、年齢差云々の固定概念もすっかり破壊されている。もう好きにやってください。
「一瞬待っとくれ。今し方終わったところじゃから」
椿さんはドアを閉じると、本当に一瞬で再びドアを開けた。
一張羅らしき赤襦袢を体に羽織って、彼女はそそくさと部屋から出て行った。
それから椿さんに続いて、長谷部心(はせべ こころ)さんも部屋から出てきた。
彼女は住人歴でいうと私たちよりも後輩に当たる。
長谷部さんは着替える間もなく慌てて出てきたらしく、エナメルのツヤツヤしたバニーガールの衣装を身につけている。地味で大人しい顔立ちをしている彼女が「エッチ目的です」と言わんばかりのド派手で扇情的なコスチュームをしていると、なんだか生々しいエロさを感じてしまう。
私たちが部屋に入るとチズちゃんはジャージに着替えている最中だった。
「いきなりすみません」
ぺこりと可憐が頭を下げる。
白い無地パンツ丸出しだったチズちゃんがジャージのズボンを引き上げた。
「いやいや、いいの。どこかで切り上げないと終わらないから」
女三人でしていると終わらないのか……。
私は宇宙の深淵を覗き込んだような気持ちになって遠くを見る。
いくらオープンな少女九龍城とはいえ、風呂上がりにパンツ一丁でうろうろしている人はいても、流石に公開セックスするような人間はそう多くない。そのため、具体的にどのような行為が行われているかまでは私も把握していなかった。
いや、まあ……私は百合じゃないので詳しく知りたいわけじゃないけど……。
「ゆずちゃんと可憐ちゃんは夏休みの自由研究でしょ? 二人ともスマホはある?」
チズちゃんはなにやら用意していたらしい。
彼女がタブレットを手に取って画面をちょちょいと操作すると、私と可憐の取り出したスマホに『少女九龍城マップ』という見慣れぬアプリが送られてきた。ダウンロードとインストールに時間が掛かっているので、かなり大容量のアプリであるらしい。
「これって……」
「最近プログラミングに強い人と知り合ったんで作ってもらった少女九龍城の地図アプリ。今のところは生活区画を中心とした直径1キロメートルの範囲しか繁栄されてないけど、地図は立体マップで表示されるし、目的地を設定すればナビゲーションもしてくれるよ。あとは電波の届かない範囲に入ると警告してくれたりとか」
「すごい発明じゃないですか!」
これには流石の私も興奮してしまう。
少女九龍城で迷子になったとき、今まではチズちゃんのようなベテラン住人に迎えに来てもらうしかなかった。ベテラン住人たち自身も生活区画の外へは用事がない限りめったに出なかった。しかし、これからはアプリでナビできる範囲なら、気軽にお出かけすることも可能になるのである。
「すごい! 加納先輩、これ本当にすごいですよ!」
普段はクールな可憐も目を宝石のようにキラキラさせている。
彼女の年相応な反応を見ていると、私もなんだか心がほっこりした。
×
翌日、私と可憐は早速アプリを使って少女九龍城を巡ることにした。
動きやすさを重視して山ガール系の服装に身を包み、背中のリュックには多めの飲み水と食料を詰め込んだ。迷子になる確率がグッと下がったといえども、何が起こるか分からないのが少女九龍城である。用心しておいて損はない。
それから、頭には工事用の安全ヘルメットをかぶっておいた。これは食堂前の廊下に置かれているもので、住人なら誰でも借りられるレンタルヘルメットだ。表面には細かい傷がついており、何人もの住人少女たちを救ってきたことが分かる。
「さてと、1カ所目は……」
私たちは生活区画のほど近く、アプリに『逆流雨樋』と表示されているスポットを訪れた。
雨樋……あまどいか!
その場所は少女九龍城にはいくらでもありそうな縁側で、屋根の先端伝いに雨樋が取り付けられていた。雨樋の先端からは雨が降っているわけでもないのにちょろちょろと水が流れ落ち続けている。流れ落ちた水は地面に埋め込まれた鉄格子の奥に吸い込まれていた。
「あっ!? ゆず、これっておかしいっ!?」
可憐が雨樋から流れ落ちている水に手の平を突っ込む。
すると、手のひらに当たった水が空へ向かってしぶきを上げた。
私はコップになる水筒のふたを手に取り、それを逆さまにして水の流れに突っ込む。
案の定、逆さまにしたコップの中に水がたまっていった。それから試しにコップを水の流れの外へ出すと、コップの中の水は正しい重力を思い出したのか、私たちの足下にばしゃりと落ちて小さな水たまりを作った。
「ここだけ重力が逆になってるのかな?」
可憐が口をぽかーんとさせたまま雨樋を見上げる。
足下の方に仕掛けがあるのかと思って、地面の鉄格子を外そうと試みてみたものの、コンクリートで塗り固められているかのようにビクともしなかった。
私は水が逆流する光景を写真と動画でスマホに記録して、それから思い切って二階の屋根によじ登った。可憐に手をさしのべて屋根の上に引っ張り上げて、雨樋の中を逆流する水の流れを追いかける。そのまま瓦屋根の上を鼠小僧のように渡っていった。
しかし、それも長くは続かなかった。雨樋は途中から金属のパイプに接続されていて、それはコンクリート打ちっ放しの建物に通じていたのである。しかも、その建物には出入り口が存在していない。あるのは遥か頭上、地上5~6階あたりの高さにぽっかりと開いている窓だけなのである。
ここまで豪快に追跡を振り切られると悔しさも湧いてこない。
私は「たはは……」と乾いた声を漏らした。
「仕方ない。レポート用紙に写真を貼っておこう」
「動画へのリンクもね。単なる逆再生だと思われそうだけど……」
実際、去年の自由研究でも動画編集を疑われたものだ。
私たちはアプリの画面をタッチして、逆流雨樋を『攻略済み』にする。
すると、画面に『不思議スポットを1つ訪れた!』とメッセージが表示された。
どうやら、訪れたスポットをコレクションできるらしい。
私はそれを見てますます感心した。
「これもう完全に位置情報ゲームじゃん! 実績解除したくなってきた!」
「チズちゃんのアイディアなのか、プログラマーさんの遊び心なのか……」
私は気を取り直して、二つ目の気になるスポットへ向かった。
二つ目のスポットは何の変哲もない渡り廊下だった。
アプリには『無限ループって怖くね?』と表示されている。
瓦屋根の敷かれた木造の渡り廊下で、長さは目測で30メートルはある。単純にこの長さだけでも見応えがあるだろう。足下は板張りの床で屋根は細身の柱で支えられており、柱と柱の間には腰ほどの高さの柵が張られている。極めて風通しが良くて、向かって左手から右手へと涼やかな風が抜けていた。
「怖そうな雰囲気はしないよね……」
そう言いつつも、私は渡り廊下の手前で立ち止まっていた。
無限ループに囚われて脱出できないのは、常識的に考えて怖すぎる。
そんな風に二の足を踏んでいると、
「チズちゃんが面白スポットとして登録してるんだから大丈夫でしょ?」
しびれを切らした可憐が渡り廊下に足を踏み入れてしまった。
私は慌てて彼女の背中を追いかける。
渡り廊下に入っても特別気味の悪い感じはしなかった。むしろ涼しい風が肌を撫でて気持ちいい。しかし、渡り廊下を半分ほど歩いたところで異変が起こった。いくら歩いても渡り廊下の終わりが近づいてこないのである。
屋根を支えている柱や、柱と柱の間に張られている柵、それから渡り廊下の外に広がっている景色だって、歩いているとちゃんと私たちの背後へ流れていった。
最初は「無限ループって本当にあるんだ!?」とびっくりしたものの、試しに引き返してみるとあっさり渡り廊下の入口に戻ることができて拍子抜けしてしまった。こんなに簡単に脱出できるなら、気軽に見学できる不思議スポットとして登録しても問題ないだろう。
「これ、外に出たらどうなるんだろ……」
可憐がそう言い出すなり、左手側の柵を乗り越えて廊下の外へ出た。
渡り廊下の外は小さな中庭……と呼ぶのもはばかられるデッドスペースになっている。周囲を囲んでいる建物にドアや窓はないため、渡り廊下の柵を乗り越えるしかその場所に出る方法はない。こういう無駄な空間も少女九龍城には無数にある。
「ゆず、歩いてみて!」
可憐がスマホのカメラを渡り廊下に向ける。
どうやら無限ループにはまっている人間の姿を外から録画するつもりらしい。
私はひとまず無限ループ渡り廊下を3分くらい歩き続けてみた。
それから、私も渡り廊下の外へ出て録画された映像を確認する。
まさか、私の体が次元の隙間に吸い込まれていたりしないだろうな……とほのかな不安を覚えていたら、動画の中の私はまるでウォーキングマシンの上を歩いているかのように、渡り廊下の中心を歩き続けていたのだった。
「シュ、シュールすぎる……」
「パントマイムみたいになってる」
可憐が動画を見ながらクスッと笑っている。
なんだかよく分からないけど、可憐に楽しんでもらえるならまあいいか……。
そんなことを私が考えていると、可憐が不意に真面目な顔になった。
「廊下そのものが伸び縮みしたり、ゆずの体がワープして戻ったりしてるわけじゃない。それなら床の摩擦が極端に少ない部分があって、歩いているつもりでも足が滑り続けているとか……でも、それなら歩いているときに風景が背後へ通り過ぎていかない。そうなると残されたのは私たちの脳になんらかの影響が――」
「脳とか、こわっ!?」
脳を操られて幻覚を見せられてるとか、無限ループにハマるよりよっぽど怖い。まさかクトゥルフ系の何かが潜んでいて、私たちの脳を操作していないだろうな?
私たちはそれから、柵を乗り越えて渡り廊下の出口に向かってみた。
無限ループに阻まれて渡り廊下の先には進めないのかと思いきや、出口からあっさりと先の建物に入ることができてしまった。外から回り込めば先に進めちゃう無限ループなんて、一体全体なんの意味があるのだろう?
私たちは無限ループ渡り廊下を『攻略済み』にする。
「なんか、たった二つしか回ってないのに疲れてきたね……可憐は足、大丈夫?」
「それは大丈夫。相変わらずズレたり蒸れたりはしてない」
可憐は太ももと義足の境目を隠すようにニーハイソックスを穿いている。サンタさんからプレゼントされたというこの義足はかなり付け心地がいいらしく、彼女が付け根をいたがっている姿は今まで見たことない。
しかし、いかにも作り物然とした関節部分が露出するのは気になるようで、彼女はいつもソックスやストッキングを欠かさなかった。そこに入浴中や睡眠中以外は他の人たちと変わらない生活をしている可憐の払拭しがたいコンプレックスが感じられる。
可憐のためならなんでもしてあげたい。
彼女のコンプレックスを感じるたび、私はそう思うのだった。
それから、私たちは次なるスポットへ向かった。
三つ目の不思議スポットは『風車畑』である。
それは無造作に増築された鉄筋コンクリートの建物群の屋上にあった。
私たちからペントハウスから屋上に出ると、無数の風力発電機とおぼしき金属製の装置が見渡す限り立ち並んでいた。屋上から無造作に風力発電機が生えている光景は、確かに畑と表現するのがぴったりに思える。
風力発電機は所々が錆び付き、動きが鈍くなったり、完全にプロペラが外れてしまっていたりするものも多くある。メンテナンスされている雰囲気は皆無なので少女九龍城にとって重要な設備というわけではないらしい。
プロペラの先端まで含めると風力発電機は高さ7~8メートルはある。これだけ大きな金属製のプロペラの用途と言ったら、やはり風力発電機くらいにしか考えられないのだが、電流を伝えるコードや電線は見当たらなかった。
私たちは恐る恐る風力発電機に近づいてみる。
「昔はちゃんと発電機として使われてたのかな?」
「どうなんだろう? 実は電気のコードが床に埋まっていて、どこか別の場所にある何かを動かしているとか……」
「そうだといいね」
ギシギシと鈍い音を立てながら錆びたプロペラが回り続けている光景からは、生きる意味を失ったのに死ぬことすらできない……そんな無情さが感じられた。生きた発電機として役立ててあげられないなら、せめて綺麗に解体してあげたい気持ちにすらなってくる。
「ねえ、ゆず。あそこから隣の建物に――」
風力発電機の下から可憐が離れた瞬間だった。
バキバキッ!!
頭上から嫌な予感がする音が聞こえてきたかと思うと、さっきまでかろうじて回っていたプロペラが真っ二つになって落っこちてきた。
プロペラの真下にいた私は反射的に後ろへ飛び退いてしまう。
でも、これがよくなかった。
屋上には落下防止用のフェンスなんて設置されていない。
私の体は屋上から投げ出された。
反射的に手が伸びる。
わずかな出っ張りに指が引っかかったのは奇跡としか言いようがなかった。
私はアクション映画さながらに建物の外壁にぶら下がったのだった。
心臓はバクバクと鳴り響き、体重のかかった指先がひどく痛む。度を超えたスリルで全身から汗が噴き出し、頭がくらくらとしてきた。私、まだちゃんと生きてるんだよね? 天使になって天に昇ってる最中とかじゃないよね?
「ゆずっ!?」
屋上から可憐が身を乗り出して、私に向かって精一杯に手を伸ばす。
必死の形相で頑張ってくれていたものの、彼女の手から私の手まで30センチ以上は離れていた。指先だけでギリギリ引っかかっているので、懸垂して手を伸ばすようなロッククライマー的パワーが私にあるはずもなく、道具の力を借りないと届かないのは明らかだった。
「つかまって、ゆず!」
可憐がリュックサックを背中から下ろして荷物を取り出し、右の肩紐をつかんでロープ代わりに私へ向かって差し出した。
そうすると左の肩紐が私の手元まで届いたものの、肩紐は命を預けるにはあまりにも頼りない細さだった。荷物を背負っている私は軽く見積もっても50キロはある。肩紐にぶら下がった瞬間、ちぎれてしまうのは目に見えていた。
私は涙をばらまきながら首を横に振った。
「無理! これじゃ無理!」
「うっ……それじゃあ、これなら……」
可憐がリュックサックを引っ込める。
それから数秒後、屋上の縁から彼女の右脚が下りてきた。
まさか屋上の縁にぶら下がって、自分の体にしがみつかせようと?
そう思った矢先、屋上から可憐が顔を覗かせた。
彼女は右の義足を取り外してソックスを脱がし、それを両手でつかんで私の方へ差し出していたのである。可憐の義足は膝上まであるため、出っ張りにぶらさがっている私のところまで十分に届いていた。
「だ、駄目だって! 可憐の大切な体なのに!」
「大丈夫! 300キロまで耐えるって説明書に書いてあったから!」
サンタさんのプレゼントに説明書が入ってるんだ……。
なんて暢気なことを考えてる場合じゃない!
指先の痛みに耐えきれず、私はしゃにむに義足の足首にしがみついた。
屋上に屈んでいる可憐が歯を食いしばって顔をしかめる。
私の体が少しだけ引き上げられて、つま先が外壁の出っ張りに引っかかった。そのわずかな足がかりを利用して踏ん張り、どうにか屋上まで上半身を引き上げてもらう。最後は可憐に体をつかまれて、汗だくになりながら屋上の床へ転がり込んだ。
「ゆず、よかったぁ……」
「義足はっ!?」
私はホッと一息つく間も惜しみ、命綱にされた右の義足を確かめる。
コンクリート剥き出しの外壁にこすれて、義足の表面にはいくつもの傷跡がついていた。砂利道の上で転んだかのような有様で、皮膚に似せたコーティングの下には金属かもプラスチックかも分からないフレーム素材が覗いている。
しかも、私の体重がかかったせいで、義足の足首と膝関節は緩くなってしまっていた。持ち上げてみると膝と足首が糸の切れた操り人形のようにカクンと垂れた。
こんな立派な義足、そう簡単に直せるとは思えない……いや、たとえ直せたとしても時間とお金がかかるし、直している間は可憐に大変な思いをさせることになる。単に不便を強いるだけではない。車椅子で生活していたときの苦労を思い出して、可憐はひどく落ち込んでしまうかもしれない。
自分の情けなさに涙が出てくる。
本当は義足生活をしている可憐を私が支えなくちゃいけないのだ。
それなのに今は全くの逆……私が可憐に助けられてどうする!!
「ゆず、安心して」
言葉を掛けられて顔を上げると、可憐が右の義足をはめなおしているところだった。
ストッキングと靴をはき直すと見た目だけは元通りになった。
可憐が傷ついた義足で立ち上がってみせる。
関節が小刻みに揺れているものの、なんとか普通に立つくらいならできるようだ。
「この義足、治るから」
「直るって……でも、修理にはお金も時間も……」
「『直る』じゃなくて『治る』だから。というか成長する」
「……えっ?」
私は間の抜けた声を漏らしてしまう。
可憐がハンカチを取り出して、私の涙と頬についた汚れを拭ってくれた。
「一昨年のクリスマスにこの義足をプレゼントされてから1年半……その間に私の身長、5センチも伸びてるんだよ?」
「そういえば!」
去年出会ったばかりのとき、私と可憐は同じくらいの背丈をしていた。
今は可憐の方が身長は上だ。
「私の体が成長するのと一緒に義足も成長してる。それに体育の授業で転んだり、タンスの角に小指をぶつけたりして傷つくこともあるけど、ちょっとすると怪我なんてなかったみたいに治ってる。気づかなかった?」
「私はてっきり、剥げたコーティングを夜な夜な塗り直してるんだとばっかり……」
「そんなんじゃない」
私の的外れな考えを聞いて、可憐はクスッと笑みをこぼす。
それから、励ますようにそっと私に微笑みかけた。
「だからね……ゆず、安心して。大丈夫だから。時間はかかるかもしれないけど、義足についた傷は絶対に治るから。それに左の義足しか使えない間、ゆずは私のことを支えてくれるんでしょ?」
「……もちろんっ!」
私は気合いを入れ直して立ち上がり、ぎこちなく立っている可憐と手を繋いだ。
彼女に手を握り替えされた瞬間、不意に私の胸が強く高鳴った。
二人の体温が合わさって、密着した手と手の間がポカポカしている。少し湿った感じがしているのは私の汗なのか可憐の汗なのか……いつもは軽い手汗くらい気にならないのに、何故なのか妙に気になってしまう。
このドキドキは責任感から……だよね?
「ねえ、可憐。たとえ義足が勝手に治るとしても、可憐が私を助けるために自分の体を差し出してくれたのは変わらないよ。それは本当に……本当に嬉しかった」
「そんな大げさに思わなくていいから」
「大げさなんかじゃないって! 本当に本当!」
私と可憐はいつものように言い合いしながら、鉄さびのにおいがする風車畑をあとにした。
×
可憐が言った通り、彼女の義足は1週間ほど安静にしたら勝手に治っていた。
少女九龍城にはいくつもの不思議があるけど、私にとっては可憐の義足がぶっちぎりで一番不思議だ。どうして成長したり、傷が治ったりするのかを可憐と考えたところ、『日本人形の髪が伸びるのと同じ理屈』というホラーな結論に至ってしまった。
それ呪われてない?
それから事故の起こった風車畑はチズちゃんによって『危険スポット』へ登録し直されることになった。さらには安全確認が足らなかったと平謝りされることになってしまい、私と可憐もこっちこそ危機感が足らなかったと謝罪合戦になってしまった。最終的には「ヨシ!」と安全確認するのを忘れないようにしようと私たちは誓い合ったのだった。
夏休みの自由研究については、可憐の義足が治ってから再び少女九龍城を巡り、二人合わせて10カ所の不思議スポットをレポートにまとめた。申し訳程度ながら科学的考察も添えておいたので、自由研究の宿題として理科の先生には受け取ってもらえるだろう。
さて、これで夏休みの宿題も全て終了。
私と可憐は残り少ない中学2年生の夏休みを堪能することにした……のであるが、どうもあの日から私は様子がおかしい。
かつては可憐の美脚で背中をふみふみされたり、太ももで顔をむにむにされたりするのが純粋に気持ちよかった。こんな言い方をしたら失礼かもしれないけど、それは猫の肉球で触られているのと同じ……恍惚としつつも(私の中では)とても健全なものだった。
でも、あの日から変わってしまった。
可憐の足はおろか、手に触れることすら躊躇してしまう。
目と目を合わせるなんてもってのほか。
これは、その、つまり……私も百合の扉を開いてしまったということなのだろうか?
こんな気持ち、可憐に知られるわけにはいかない。
私はただでさえ、義足の魅力に囚われて足フェチをこじらせてしまった人間である。可憐に性癖を満たしてもらう代わりとして、私生活をなるべくサポートしてきたつもりだ。でも、それに加えて一方的な恋心なんて向けたりしたら、あまりに迷惑すぎて申し訳がない。
というか、怖い。
恋心を伝えて拒絶されたりしたら、そのときはもう一緒になんていられない。恋破れたうえで足をすりすりさせてもらうなんて図太さ、流石の私も持ち合わせていない。それなら、恋心は秘めての現状維持……それがベスト! 間違いない!
間違いない、よね?
この夏、私は自分の心の中に大きな宿題を残すことになった。
(おしまい)
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