第51話 天気の小娘

「わーい! たーのしーっ!」

「スバル! スバル!」


 ざあざあと雨の降りしきる中、水着姿の少女二人がキャッキャと戯れている。

 住人仲間の虎谷スバル(こたに すばる)さん、そして彼女の飼い犬(?)のカイだ。


 二人は学校指定のスクール水着を身につけている。カイの着ている水着は虎谷さんのお下がりなのだろうか、ちょっとサイズが小さめなものの、カイはそんなこと気にする素振りもなくはしゃいでいた。雨の中をくるくりと走り回り、水を掛け合ったり、つかまえて抱きついたりする光景は微笑ましい。


 そして、そんな二人のことを見守っているのが、二人の友達である結城アキラ(ゆうき あきら)さんである。彼女はビキニの上にパーカーを着て、日よけ代わりにタオルをかぶっていた。スマホのカメラを二人に向けて、先ほどから真剣な眼差しで動画を撮り続けている。


 雨の中で遊んでいる女の子と日差し対策をしている女の子……それらが同時に存在しているのは、晴れてるのに雨が降っている『狐の嫁入り』ならではの不思議なシチュエーションだ。


 しかも、これはそんじょそこらの狐の嫁入りではない。

 私、泉川伊織(いずみかわ いおり)を中心とした半径5メートルの範囲のみ、24時間、年がら年中、常に雨が降り続けているのである。


 虎谷さんとカイに雨のシャワーを提供するため、私は縁側に腰掛けて素足をぷらぷらとさせていた。屋根から流れ落ちた雨水が、ぷらぷらさせている生足に跳ねる。摂氏35度を超える猛暑日には、私の周りだけに降る雨が天然のクーラーになっていた。


 降り注いでいる雨粒は太陽光に照らされて、その一つ一つが宝石のようにきらめき、じゃれ合っている二人の少女の愛らしさを引き立てている。結城さんが思わずスマホで録画するのも納得の微笑ましい光景だ。


 ひとしきり遊んだあと、虎谷さんが話しかけてきた。


「泉川さんも一緒に遊ぼうよっ! すっごい気持ちいいよっ!」

「いやぁ……私はやめておくよ。雨には濡れ飽きちゃったから」


 そうなんだぁ、とちょっぴり残念そうな顔をする虎谷さん。

 しかし、すぐまた彼女は笑顔になった。


「去年の夏はね、本当に暑ったんだよ。みんなでウォータースライダーを作って滑ったり、冷蔵庫が壊れて大騒ぎしたり、空から降ってきた鯨の子供を海に帰したり……楽しいことも多かったけど、大変なことも多かったなー」

「く、鯨?」


 少女九龍城に引っ越してきてから1ヶ月ちょっとの私には、少女九龍城で頻発する超常現象には驚かされっぱなしだ。先輩住人たちから色々と話を聞くけど、にわかには信じられない話ばかりである。


(まあ、私の雨降り体質も大概だけどね)


 ふと結城さんの方を見てみると、カイにパーカーの袖を噛みつかれて、雨の中に引きずり込まれそうになっていた。このカイという子も自分のことを犬だと思っているみたいだし、結城さんは霊感があるという話だし、ここまでくるといちいち考えてたらきりがない。


 実際のところ、この超常現象や変人だらけの環境はかなりありがたかった。上空に浮かんでいる雨雲から、常に雨が降り続けている私である。かつては不思議がられたり気味悪がられたりすることは日常茶飯事だったが、少女九龍城の住人たちは耐性がついているため、全く気にする素振りがないのだった。


(こんな穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになるなんて思わなかったなぁ……)


 激動の時代を生き抜いた老人のようなことを考えてしまう。

 いや、もう私のメンタルは老人も同然なのだ。人生というものをすっかり割り切ってしまっている自覚がある。その証拠として、楽しそうに遊んでいる虎谷さんたちを見ていても、微笑ましい気持ちにこそなれど、自分も混ざりたいとはこれっぽっちも思わない。


「プールとかあったらいいのにね。大浴場で水風呂もいいけど、それだと思いっきり泳げないしさー」

「え? あ、うん……」


 虎谷さんの話に生返事をしてしまう私。

 私の意識は思い出したくもない過去に向かっていた。


 ×


 全ての始まりは10歳のとき。

 あの日、小学校の遠足で山登りをしていた私は、みんなとはぐれて迷子になっていた。

 登山道がしっかり整備されているうえ、脇道もないという親切な登山コースをクラスメイトたちと並んでのぼっていくだけなのに、どうして迷子になったのか未だに不思議だ。


 迷子になった私は池に落ちた。

 その後の記憶は曖昧だ。私はずぶ濡れになって登山道に倒れているところを救助隊の人たちに見つけてもらったらしい。

 念のために検査入院させられたものの、どこも怪我をしていなかったし、目覚めた後はご飯もむしゃむしゃと食べられた。


 しかし、恐ろしい後遺症はもっと別のところに残った。

 私の頭上、上空1000メートルの高さに、常に雨雲が発生して雨を降らせるようになったのである。

 雨の降る範囲は私を中心とした半径5メートル。雨の強さは常に一定で、傘を差さずにはいられない『ざあざあ降り』だ。


 そんな私をメディアは『降水確率100%の雨女』として紹介した。

 私に迷惑をかけている超常現象が、いつの間にか私の特異体質として紹介されていたのは、かなり不本意に感じたのを覚えている。


 けれども、なにより不本意だったのがいわゆる『時の人』になってしまったことでだ。

 ときには雨不足で困っている農家を救うため、ときには猛暑でうなだれている動物園の動物たちを元気づけるため、ときにはバラエティ番組の見世物になるために、私は母親に手を引かれて連れ出された。


 そのときの母は私の出演料でかなりウハウハだったと思う。若い頃に私を妊娠して、シングルマザーになることを選んだ母は、育児と仕事の板挟みになってかなりストレスフルな生活を送っていた。そんな母が手に入れた私の出演料は、半分壊れかけていた彼女をいよいよ全壊させてしまうには十分だった。


 メディアで引っ張りだこの私だったが、世間の飽きというのは早いもので、中学生になった頃にはすっかりテレビに呼ばれなくなくなった。


 それなら日常生活は万事OKだったかというと、無論そんなことはなかった。

 雨に打たれながら登校してくる私を生徒たちは避けて歩いたし、私の方だって迷惑をかけたくないから時間ぎりぎりに登校するようにしていた。


 体育の授業、運動会、それから修学旅行……屋外の行事は軒並み休んだ。それならせめて文化系の部活に入ろうかと思ったけど、新しい環境に飛び込むことがすっかり怖くなっていた私は、異分子として和を乱さないように集団へ所属することを避けた。


 問題が起こったのは中学二年の秋頃のことだ。


「ねえ、伊織ちゃん。ママが最近参加してるサークルのリーダーさんが、伊織ちゃんの不思議な力にとっても興味を持ってるの。地球のためにみんなで環境を守りましょうっていう平和的なサークルで、山奥に自給自足の村を作っていたり、海外で慈善活動をしていたりするんだけど、そこで伊織ちゃんの力を生かしたらどうかって……」


 母が怪しい新興宗教にはまった。

 サークルのリーダーとやらに母がぞっこんで、リーダーに気に入られたくて私を差しだそうとしているのは見え見えだったし、リーダーはきっと母になんか興味なくて、私という女子中学生を手込めにしたいだけだったのだろう。


 私は遠縁の親戚を頼って家を飛び出し、中学校を卒業したあとはその親戚の勧めによって少女九龍城に引っ越した。


 高校には進学しなかった

 その代わりに高卒認定試験の合格を目指して、私は通信教育を受けることにした。母に最後の良心が残っていたのか、虎の子として貯金しておいた私の出演料を通信教育のために使わせてくれた。


 まあ、母親としてはやって当たり前のことなんだろうけど、それがきっかけとなって私が母を致命的に憎まずに済んだのは確かだろう。


 ともかく、私は少女九龍城でせっせと自主学習に励む道のりを選んだ。高卒認定試験に合格できたなら、あとはしっかりと手に職をつけて、人里離れた場所でひっそりと暮らしていけるようにする……それが私の人生プランだった。


 ×


 虎谷さんたちを天然のシャワーで遊ばせてあげた翌日。

 私は愛用の大きめサイズの傘を差し、頭上から振ってくる雨を活用して、庭先にある小さな花壇に水やりをしていた。

 自室そばの縁側から見渡せる範囲は、勝手ながら私の庭ということにしてある。

 今は夏真っ盛りなので縁側には何本もの朝顔が咲いていた。


 小学生のとき、授業の一環で育てさせられたときはなんの感情も湧かなかったのに、ふと荒れ果てたまま放置されている花壇を見た瞬間に「なにか育ててみようかな」と思うのだから不思議なものだ。


 さて、庭の水まきくらいにしか活用していない100%の雨女体質だが、その気になれば砂漠に雨を降らせることだって可能だろう。


 新興宗教のリーダーが(表向きに)言ったように、ピンポイントに雨を降らせたりすれば地球環境を守ることだってできるかもしれない。よくテレビのCMで流れているような、水汲みに何時間もかかるアフリカの恵まれない子供たちだって救えるかもしれない。


 しかし、そんな救世主生活を私ができるかというと――


(無理だろうなぁ……)


 せめて、この力を適度に活かした生き方はないものか。

 頭上から降ってきた雨水を『泉川伊織の水』として売ってみるとか……いやいや、それでは私まで新興宗教っぽくなってしまう。

 なんてことを考えていたら、


「あなたが泉川伊織さんですか?」


 庭先に現れた住人仲間の少女から声をかけられた。

 黒髪ロングストレートの純和風な顔立ちをした美少女である。学生服のようなスーツのようなパリッとした服を着こなしており、高校生くらいの年齢なのにそこらの大人よりも落ち着いた雰囲気の持ち主だった。


 話しかけてきた美少女は骨の折れたビニール傘を差している。おそらくはそこら辺に落ちていたものを拾ったのだろう。落ち着きがあって賢そうな彼女が、そんなゴミ同然の傘を愛用しているとは思えなかった。


「はい、そうですけど……」


 私は突然の見知らぬ美少女の出現に気後れしてしまう。

 100%の雨女ブームが一瞬で過ぎたことからも分かるように、私の容姿はぶっちゃけパッとしない。芋臭いと言っていい。これで見た目だけでも可愛かったら、私が芸能界方面で生き残る道もあったのではないかと、あり得ないIFを考えることがある。


「私は稗田礼子(ひえだ れいこ)……アメリカの大学で教授をしています。専門は考古学と民俗学。日本の妖怪が大好きで、仲間内では『妖怪ハンター』なんて呼ばれています。こちらは私の名刺です」

「は、はぁ……」


 稗田さんから名刺を受け取った瞬間、私は相当渋い顔をしていたことだろう。


(もしかして、この人も新手の新興宗教では……)


 この手合いはテレビ出演していたときに何度も遭遇してきた。

 もちろん、100%の雨女の謎を解けた人はいなかったし、そもそも本気で解明しようという姿勢が見られない人がほとんどだった。


「いやはや、まさかあの有名な100%の雨女さんが少女九龍城にいたなんて……私もアメリカの研究室でニュースを見ていましたよ!」


 稗田さんの目が急にキラキラし始める。

 さながら憧れのアイドルに会ったかのような反応だ。

 しかも、お互いの傘と傘がぶつかりそうなほど近づいてくる。


「あの……私のことを研究するつもりなんですか?」

「ええ、ばっちり研究したいです」


 稗田さんは鼻息荒めにうなずいた。


「でも、第一に考えたいのは泉川さんのお気持ちです。触れないでほしいとおっしゃるなら、もちろん私はあれこれ調べたりしません。もちろん、研究を許可していただけるのなら、原因解明のためにも全力を尽くさせていただきます」

「原因解明って……私のこれ、治るんですか?」


 それは特に期待していない、社交辞令も同然の問いかけだった。

 けれども、問いかけられた瞬間に稗田さんの表情が引き締まったのを見て、彼女は本気で取り組むつもりなのだろうと直感した。

 稗田さんが透明なビニール傘越しに上空の雨雲をにらむ。


「現時点では難しいとしか言えません。この現象が呪いのような外的要因によるものなのか、泉川さんの体質のような内的要因によるものなのか……それすら分かっていないのですから。あまりに情報が少なすぎます。まずは情報を集めましょう」


 私たちは傘を畳み、縁側に上がった。

 稗田さんを追い返さなかったのは、彼女と本気で話し合ってもいいかもしれないと、心の中で思い始めていたからだろう。

 雨女になってしまった経緯について、私は改めて彼女に説明した。


「ふーむ、地元の山にある池ですか……それらしいものはありませんね」


 スマホの地図アプリを見ている稗田さん。

 山一帯を拡大して見てみても、案の定、それらしいものは確認できなかった。


「不思議な話なんですけど、私の落ちた池っていうのが全然見つからないんです。地図にも載っていないみたいで、救助隊の人とか、警察の人とか、テレビの人とか、YouTuberとか……とにかくたくさんの人が探したのに影も形もなくて……」

「それは確かに不思議ですね」


 稗田さんたスマホをしまって立ち上がる。


「よし、現地で調べてきます」

「えっ!? もしかして、もう行くんですかっ!?」

「フィールドワークなしに研究はできませんよ。では、早速出発します!」


 そう言うと、稗田さんは本当にこの場から走り去っていった。

 彼女と話していたのはわずか小一時間……思い切りの良さには感心するしかない。流石は日本の妖怪を研究するため、アメリカから飛んできた女性である。日本の国内くらいなら気軽に移動できる範囲なのだろう。


(……というより、単純に居ても立ってもいられない感じ?)


 私はそんな稗田さんの行動力がちょっぴりうらやましくなったのだった。


 ×


 2週間後、稗田さんが山ガールになって帰ってきた。

 どうやら本気で山中を歩き回ったらしく、夏山用のレインジャケットを着込み、背中には大容量のザックと寝袋を背負っている。

 山を下りて直接こちらに帰ってきたのか、髪の毛には葉っぱや小枝が大量にくっついていた。しかも、息まで切れている。


 そんな彼女の姿を目の当たりにして、食堂でソース焼きそば(いかげそ入り)を食べていた私は目を見張った。頭に葉っぱと小枝をつけたまま帰ってくるとか、小学生の男子ですらやらないレベルだろう。


「はぁ……はぁ……私も焼きそばをもらってきます」


 稗田さんは重そうな荷物を下ろし、カウンターでソース焼きそばをもらってくる。

 それから私の対面に座ると、はぐはぐとソース焼きそばを食べ始めた。


 私たちは窓際の席に座っているため、窓の外は狐の嫁入り状態になっている。日の光が差し込んでいるのに激しい雨音が聞こえている不思議空間も、今となっては少女九龍城の日常風景になっていた。


 あまりにも稗田さんが勢いよくソース焼きそばを食べるので、私は自分が食べるのを忘れて彼女の食べっぷりに見入ってしまった。


「そんなにお腹空いてるんですか?」

「……ええ、山中で遭難してましたから」

「そ、遭難って……まさか2週間ずっと山の中にいたんですかっ!?」


 稗田さんは私の問いかけに「10日だけです」と答えた。

 思えば調査に出てからの2週間、彼女からは一度も連絡がなかった。研究に熱中しているだけだと思ってたけど、まさか遭難していたとは……。こちらから連絡を取って、安否を確認するべきだったと反省する。


「それにしても……そんなにお腹が空いてるなら、帰ってくる途中でなにか食べたらよかったんじゃないですか?」


 からん。

 稗田さんの手から箸が落ちた。


「それは……気づきませんでした……」


 私はショックを受けている彼女に箸を握らせてあげる。

 私と稗田さんはしばらくの間、黙ってソース焼きそばを食べることに集中した。

 食事を終えて食器も片付け、改めてテーブルで向かい合う。

 話を切り出す気配を感じ、私はごくりと生唾を飲んだ。


「2週間にわたる調査の結果なのですが……どうやら、泉川さんは龍神にとりつかれていたようです」

「りゅ、龍神?」


 それに『とりつかれてる』ってなにっ!?

 私はやっぱり呪われていたのだろうか……。


「泉川さんの地元で資料をあたったり、土地に詳しい人に聞き込みをしたりした結果、泉川さんの落ちた池はずばり『龍神池』という名前であることが分かりました。しかし、誰も見つけられないのも無理な話です。この池はもう存在しないんですから」

「そ、存在しない……?」


 稗田さんがタブレットを取り出して見せてくれる。

 画面にはかなり古びた地図の写真が表示されていた。

 地図の中心にはひょうたんのような形の池が描かれており、ちゃんと『龍神池』と達筆な文字で書き記されている。山の中腹に存在している池で、山全体の大きさから比較するに池というよりも湖といった方がよさそうなサイズだ。


「大正時代に描かれた古地図です。龍神池が最後に確認できたのがこの地図で、この時代以降は龍神池の存在が地図から消えてしまっています。おそらく昭和に入ってから行われた山中のトンネル工事によって、地下水脈の流れが変わってしまい、池に水が湧かなくなってしまったのでしょう」

「でも、存在しないのなら、私の落ちた池は……」

「幻の池、ということになりますね」


 稗田さんがタブレットの画面をスライドさせる。

 続いて表示されたのは、かつて池があったとおぼしき乾いた窪地と、窪地の前で朽ち果てている鳥居の残骸の写真だった。


「こちらが古地図を頼りに見つけてきた龍神池の跡地です。池に向かって鳥居が建てられており、ご神体を奉っている本殿が存在しない……この形式は鳥居の目の前にある池そのものがご神体であることを示しています。鳥居の先は神域ですからね」

「ええと……それってつまり……」

「龍神池そのものが人々に信仰されていたということです」


 稗田さんがまた新しい画像を見せてくれる。

 これまた古そうな水墨画の掛け軸の写真で、日本昔話に出てくるような龍の姿が迫力たっぷりに描かれていた。


「こちらは地域で一番古いお寺に残されていた水墨画です。江戸時代に描かれたもので、龍神池に住んでいる龍を描いたものだと言われています」

「へへえ……」


 こんな不思議生物が本当に実在するのだろうか?

 超常現象と共に生きていても、なかなか簡単に信じることができない。


「日本では古くから、龍が水神として扱われていました。龍は池や川に住み着き、雨乞いの対象として祈られたり、怒ったときには水害を起こすとして恐れられていたりしました。龍神池にもそんな龍が住んでいたのでしょうが……」

「でも、池は涸れてしまった」

「はい。そのせいで龍神は涸れた池に閉じ込められてしまったのでしょう。そこへ泉川さんという依巫が……つまり巫女が現れた。龍神はこれ幸いにと泉川さんにとりつき、新しい住処が見つかるまでの避難所としたのでしょう」

「わ、私は龍神の引っ越しに付き合わされてるってことですかっ!?」


 頭上から常に雨が降ってくるのは、もしかして龍神が自分の生活環境を快適にしようとした結果だったとか……?

 私は口をあんぐりと開けたまま硬直してしまった。

 稗田さんがタブレットをしまう。


「というわけで、龍神の新しい引っ越し先を探しましょう」

「探すって……いかにも神様が住みそうな綺麗な池とか川なんて、この現代日本に残ってるんでしょうか? 残っていたとしても、もう他の神様が住んじゃってるような……」

「そう言うと思って、すでに目星をつけておきました」


 頼もしいことを言ってくれる稗田さん。

 彼女は私を励ますようにウィンクする。

 美少女のウィンクというものは同性にもなかなか効くものだ。


 ×


 後日、私と稗田さんは中庭にやってきた。

 中庭といっても少女九龍城には無数にあるが、ここで言う中庭とは大浴場の近くにあるところだ。L字の形をした草地の中心に、まん丸な池があるという奇妙な立地をしている。

 住人たちからはもっぱら釣り堀として使われているそうで、シーラカンスを釣った、鯨の子供を帰したという曰くがある。


 水は泳いでいる魚の姿がハッキリと見えるほど透明度が高く、かなり水深があるからか深みのある青色をしている。潮のにおいはしないので淡水だと思われるが、それならどうしてシーラカンスが釣れるのか……。


 ともあれ、この池は少女九龍城の中でもかなりの不思議スポットなのは間違いない。龍神が住むにはぴったりな場所だろう、という稗田さんの読みは当たっていそうだ。


「泉川さん、準備はできました?」


 稗田さんにそう問われて、私は緊張しつつもうなずいた。

 天気は完璧な快晴ながら、相変わらず頭上から雨が降り注いでいるので、いつものように愛用している大きめサイズの傘を差している。


 服装は龍神の引っ越しという神事に備えての白装束だ。

 井戸から組み上げた水で水垢離をして、ばっちり身を清めておいた。

 この白装束、濡れたらめちゃくちゃ透けそうだが……細かいことは言ってられない。


 池に面する形で、ささやかながら祭殿も用意した。四方に建てた青竹にしめ縄が張り巡らされ、その中に置かれた祭壇には日本酒の一升瓶や盛り塩、尾頭付きの鯛に果物の盛り合わせといったお供え物も置かれている。


 ちなみに稗田さんは巫女の格好をしているのだが、アメリカンサイズの隠れ巨乳があまりに目立ちすぎて、どうしてもコスプレ感が出てしまっている。とはいえ、彼女なりに本気なのは間違いない。


「よし、行きます……」


 私は池の中に足を踏み入れる。

 池底のやわらかな砂が、足の指の間に入り込む感触が妙にくすぐったい。


「龍神様、ここがあなたの新しいお家です!」


 そう宣言した瞬間、私の体の中から上昇気流が巻き起こった。

 手に持っていた傘が遠くへ吹き飛ばされる。

 つられて頭上を見上げてみると、私の体から抜け出した龍が空中でとぐろを巻いていた。


(わ、私の中からシェンロンが出たぁ――――っ!!)


 全長は10メートルを軽く超えている。全身は水色のなめらかな鱗に覆われており、頭上から降り注ぐ雨のしずくを弾いてきらめいていた。羽ばたきもせず優雅に宙を舞っている姿からは、見ているだけで鳥肌が立つような神々しさが感じられる。


 稗田さんがグッと小さくガッツポーズした。


「よし、あとは池に住んでもらえれば――」


 その瞬間である。

 突如、池から巨大な水柱が吹き上がった。


 水柱の中から龍神とよく似た姿の『なにか』が飛び出してくる。それは龍神と異なって手足が存在しないため、龍というよりも蛇……というかウミヘビに近いフォルムをしていた。けれども、立派な角と牙、そしてひげの生えている相貌はまさしく龍である。


 龍神とウミヘビ型の龍がにらみ合いになり、二頭の咆吼が四方を囲む建物を揺らした。


「リ、リヴァイアサンですっ!」


 びっくりして尻餅をつきながらも解説してくれる稗田さん。

 私はずぶ濡れになりながら、なんとか池から上がって彼女の方に駆け寄る。

 とにかく助かりたい一心で、そのまま稗田さんにしがみついた。


「リヴァイアさん、誰ですかそれっ!?」

「西洋の伝説に出てくる巨大ウミヘビです。蛇ではなく龍であるともされて……はっ!?」


 何かに気づいたらしい稗田さんが、目を見開いて私の方に振り返る。


「もしかして、少女九龍城の『龍』ってそういう意味ですかっ!? 九頭の龍が住んでるってことなんですかっ!?」

「いやいや、知りませんよっ!!」


 龍神とリヴァイアさんは威嚇合戦をやめる気配がない。

 二頭の激しい咆吼によって、ついには四方を囲む建物の窓が砕け始めた。

 このままではボロ屋だらけの少女九龍城が倒壊しかねない……というか、私たちの命が危ないっ!!


「龍神さまーっ!! 私の体に戻ってきてくださーいっ!!」


 私は興奮している龍神に向かって呼びかける。

 龍神は意外と素直に私の呼びかけに応じると、透明になって私の体の中に戻ってきた。


 リヴァイアさんも龍神がいなくなったのを見るや否や、吠えるのをやめて池の中に引っ込んでいき、その場にはずぶ濡れになった私と稗田さんが残された。


「た、助かったぁ……」

「危うく神と神の戦いに巻き込まれるところでしたね。それはそれで貴重な体験ですが……」


 ホッとして抱き合う私たち。

 頭からずぶ濡れになってしまったせいで、私たちは全身すけすけ状態になってしまったが、もはやそんなことで恥ずかしがっていられる精神的余裕はなかった。そして、私の頭上からは相変わらず土砂降りの雨が降り続けている。


「こ、こんな調子じゃあ、引っ越しが終わる前に死んじゃいますよ!」

「……確かにこのままではまずいですね。対策を考えないといけません」


 足腰のおぼつかない私たちは、お互いを支え合うようにして立ち上がった。

 状況が変わったのは、それから半年後のことだった。


 ×


 私は白装束を身につけ、プールサイドに立っている。

 ここは大型リゾート施設でも市民プールでもない。

 なんと少女九龍城の中に新しく作られた屋内温水プールなのである。


 ことの始まりは半年前、二年連続の猛暑に参った虎谷さんが、住人仲間の中でも飛び抜けて大金持ちの社長令嬢、西園寺香澄(さいおんじ かすみ)さんにプールをねだったことがきっかけだった。


 西園寺さんは父親から建築会社を任されている学生社長で、少女九龍城の増改築を一手に引き受けている。噂によると管理人さんの許可を取らず、勝手にあれこれと魔改造しているらしいが、今回の話とはあまり関係ないので言及しないでおこう。


 ともあれ、西園寺さんはプール作りに本気を出した。虎谷さんが欲しがっていたのは、せいぜいアメリカのお宅の庭にある程度のプールだったのだろうけど、実際にできあがったのは屋内に作られた25メートルの温水プールだった。


 温水プールには大浴場の排水を綺麗に濾過&消毒して再利用している。元々は捨てるしかなかったお湯をリサイクルしているので、運用にかかるコストをかなりカットできていた。ノリで建設しちゃったにしてはよく考えられている。


 さて、あの猛暑から半年が経過して、今はもう冬の真っ只中。

 私は透明なパネルで作られた温水プールの屋根を見上げる。

 空はからっと晴れているのに、相変わらず私の頭上には雨が降ってきていた。

 雨粒が透明なパネルを激しく叩く音だけが温水プールに響いている。


「泉川さん、ファイトですよーっ!」


 稗田さんは今日も巫女服を着て私に付き合ってくれている。

 夏に大失敗してからも、彼女は私をサポートし続けてくれていた。龍神の引っ越しにはあれから何回も挑戦していたが、龍神がお気に召さなかったり、他の神様が住み着いていたりして失敗ばかりしていた。

 それでも彼女は決して諦めず、最近は論文発表のために一時帰国していたけど、温水プールの完成を聞きつけてアメリカから飛んできてくれたのである。


「よし、行きます!」


 私は思いきってプールに飛び込む。

 想像していたよりも水深があり、水の中に頭まですっぽり沈んだ。


「龍神様、ここがあなたの新しいお家です!」


 私は水中で叫ぶ。

 瞬間、体の中から龍神が飛び出してきた……かと思うと、その姿は水に溶けるかのように見えなくなってしまった。


(龍神様、今度こそ気に入ってくれましたか?)


 そう心の中で問いかけると、


『小さき人の娘よ……』


 私の頭の中に直接声が聞こえてきた。


 それは優しい女性の声で、まるで母親のお腹の中に戻ったような心地よさを覚える。

 母親と関係のこじれた私がそんな表現をするのはおかしいかもしれないけど、こうして人肌に近い温かな水に包まれながら語りかけられる感覚は、そうとしか言いようがなく思えたのだ。


 優しげな女性の声は続けてこう言った。


『女の子の水着姿が見られる超優良物件なので大満足です』


 龍神様さぁ……。


(そういう要望は早めに教えといてくれませんっ!?)


 私の体が水面に浮かび上がる。

 稗田さんがプールサイドから手をさしのべてくれていた。


「大丈夫ですか、泉川さんっ!? 龍神が水の中に消えたように見えましたがっ!?」

「うん、この場所を気に入ったみたい……」


 彼女の手を借りてプールサイドに上がる。

 天井を見上げてみると、さっきまで頭上から振り続けていた雨はぴたりと止み、そこには冬のからっとした青空が広がっていた。

 自分のことのように喜びながら、稗田さんが私の両手をつかむ。


「雨が降ってない……引っ越し成功ですよ、泉川さん!」

「はぁ……よかったぁ……」


 気が抜けてしまった私は、脱力して彼女の体に寄りかかった。

 稗田さんのアメリカンサイズな隠れ巨乳は枕にぴったりだ。

 彼女の胸に顔を埋めて、私はこの上なくリラックスする。


(あぁ、私にとっては稗田さんの方が女神様……)


 稗田さんから声をかけるまで、私はひたすらそうしているのだった。


 ×


 龍神の引っ越しを終えたことで、私の『100%の雨女』としての日々は終わりを告げた。


 稗田さんは一連のことを楽しそうに研究としてまとめていたけど、私の周りが騒がしくならないように発表するのは控えてくれた。


 超常現象の大好きな彼女のことだから、発表できないのはかなりもどかしかったことだろう……そのことも含めて稗田さんにお礼をしたかったけど、彼女はまたアメリカと日本を行ったり来たりする日々に戻ってしまった。


 いつの日か、私の人生を変えてくれた稗田さんにはしっかりお礼をしようと思う。誕生日を教えてもらってプレゼントでも用意しようかな? ノリノリで巫女さんの服を着てたし、コスプレとかにも興味があるのかなぁ……。


 私について補足すると、1年遅れになるけど高校に進学することにした。

 これからはきっと晴れやかな気持ちで登校できると思う。


(おしまい)

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