第49話 現代16分の1吸血鬼事情

 アルミサッシにはめ込まれた窓ガラスから、暖かな午後の陽が差し込んでいる。光の中を漂っているほこりが、まるでダイヤモンドダストのように輝いていた。その美しさたるや、ここがうらぶれた六畳一間であることを忘れてしまいそうだ。


 くすんだ畳の上に座布団を二枚敷き、二人の少女が向かい合って抱き合っている。

 私と角倉彩綾(かどくら さあや)さんだ。


 自分で言うのもなんだけど、私と彩綾さんは二人とも美少女である。

 私は金髪ハーフタレント風の目鼻立ちがハッキリとした顔立ち、対して彩綾さんは純和風の匂い立つような色気の持ち主だ。

 そんな二人がふざけてじゃれ合うでもなく、ただならぬ雰囲気で抱き合っている光景は、果たして端からはどう見えるのだろうか……きっと見ている側も落ち着かない、なんとも奇妙な光景に映ることだろう。


 私の耳に彩綾さんの吐息がかかる。

 その吐息は明らかに並の人肌より熱く、彼女が表情でこそ平然を装っていても、そのブレザーの中のさらに奥ではどうしようもなく興奮していることが明らかだった。


 私と彩綾さんは同じ高校に通っているので、同じデザインのブレザーを身につけている。お嬢様学校の制服として内外で人気のそれは、人々からは赤ワイン色と表現されているが、私はもっとぴったりの表現があると思っている。


 血の色。


「それではいただきます」

「……手早く済ませてくださいね」

「うん」


 私はおもむろに彩綾さんの左首筋に噛みついた。

 二本の犬歯が薄い皮膚を突き破る瞬間、私の唾液に含まれている麻酔成分が彩綾さんの痛覚を麻痺させる。彼女は酩酊にも似た高揚状態に導かれて、他人には決して聞かせられないような悩ましげな声を漏らした。


「んっ……あぁっ!」


 彩綾さんの指に力がこもり、血色のブレザー越しに指先がぎゅっと食い込む。私が傷口から漏れ出た血を吸い上げると、彼女はさらに甘ったるい声を出した。


「あんっ……くっ……ふぅんっ……」


 血を吸われているとは思えない狂おしいまでの嬌声。

 彩綾さんが目に涙を浮かべながら聞いてくる。 


「セ、セレナさんっ……まだっ……まだ終わらないんですかっ……」

「あ、あとちょっとね……本当にあとちょっと!」


 私はちゅるちゅると音を立てて彩綾さんの血を舐め取る。

 その味わいは人間の味覚にたとえるなら、極上の果実酒……いや、お酒は悪ふざけでちょっと飲んだだけなので、極上の果実酒がどんなものかは知らないけど、ともかくフルーツのように甘く爽やかで、それでいてお酒のように複雑で深みのある味わいなのだ。


(それにしても、女の子をこんなにあえがせることになるなんて……)


 彩綾さんの血を味わいながら、私はこれまでの人生を振り返る。

 それではダイジェストでおつきあいください!


 ×


 赤羽根瀬怜奈(あかばね せれな)……なんとも字数の多い名前だ。

 自分でも書くのが面倒なので、公的な書類以外はカタカナの『セレナ』で通している。


 私は物心ついたとき、すでに自分が特殊であることに気づいていた。

 なにしろ、赤羽根家に毎月必ず父方の親戚がやってきては、私とお父さんに血を吸わせてくれるのである。親戚はローテーションを組んでいるようで、中には年に一度のペースで海外から来てくれる親戚一家もいた。


 両親から伝えられたことによると、私はちょっとだけ吸血鬼らしい。

 お父さんは8分の1だけ吸血鬼で、お母さんは100%普通の人間だから、私は16分の1だけ吸血鬼ということになる。


 なにしろ16分の1だけ吸血鬼なので、吸血鬼らしい弱点は全く持ち合わせていなかった。太陽光は気持ちいいし、ニンニクは大好物だし、十字架のアクセサリーも身につけられる。

 まあ、その代わりにコウモリに変身するとか、霧になって消えるとかみたいな、吸血鬼らしい特別な力も持っていないわけだけど……。


 で、そんな私に唯一残された吸血鬼らしいところが『吸血の必要性』だった。


 私は小学生の頃、8分の1吸血鬼であるお父さんと同じく、月一ペースで吸血していた。

 お母さんの親戚は吸血鬼の存在を知らないため、お父さんの親戚から吸血させてくれる人を募っていたわけだ。

 流石は吸血鬼と結婚した女だけあって、お母さんは私とお父さんに血を吸わせてくれていたけど、そこはちゃんと健康に問題が出ないように計算していた。


 問題が起こったのは私が高校生になってからだ。

 私の吸血衝動が急に強くなったのである。

 その結果、私は高校の女友達に手を出してしまった。


 家族や親戚にこれ以上の負担をかけたくない……というのは建前で、正直な話、あのときの私は吸血衝動を我慢できていなかった。

 血に対する欲求を我慢しているときの苦しみは筆舌に尽くしがたい。喉の渇き、飢え、睡眠不足、暴力的衝動……それらが一度に襲いかかってくるのだから大変だ。


 女友達を騙すのは簡単だった。

 吸血鬼の隠れた特性か、あるいは単にアメリカ人である父の血によるものか、私はハーフモデルのような美貌を持って生まれていた。

 小学生のときはクラスの悪ガキから、外国人だのなんだのと言われたけど、高校生にもなると私の容姿は武器になった。背もぐんぐんと伸びて、あっという間に七頭身である。


 私はハーフモデルのようなルックスを生かして女友達に近づき、スキンシップの激しい女の子(帰国子女風)を装って抱きつくと、その首筋から血を吸い取った。


 吸血鬼である私の唾液には麻酔成分が含まれている。

 しかも、吸血する血の量は100ccと献血よりも遥かに少ないから、健康体の女子高生からなら問題なく吸えた。

 ちゅーっと吸って、最後にぺろっとひと舐めすると傷口もふさがるので、私に吸血された女の子はみんなキスされたとしか思わないのである。


 もちろん、吸血する相手はしっかりと選んだ。体調の悪い子、普段から貧血気味の子、注射や採血の苦手な子は避けた。

 そうしているうちに血を吸う相手が五人から十人になり、十人から二十人になり、とどめに女教師へ手を出そうとしたところで親にバレた。


 私は病院に連れて行かれた。

 頭の病院とかではなく、ちゃんとした吸血鬼のための病院である。


 私を見てくれたのは8分の1吸血鬼の女性開業医で、私やお父さん、それから父方の親戚吸血鬼たちの例に漏れず美人だった。普段は美容外科を営みつつ、たまに吸血鬼を診ているらしいけど、もしかして患者に手を出していたりとか――


「先祖返り、というやつかもしれないわね」


 美人の吸血鬼女医はアンニュイな顔をして言った。


「週に一回ペースの吸血というと、2分の1吸血鬼レベルの吸血衝動ね。たまに吸血鬼の血が極端に濃く遺伝してしまうことがあるの。もしかして、吸血鬼らしい能力が使えるようになってない?」

「あー」


 これには少し心当たりがあった。

 モデル並にぐんぐんと背が伸びたこともそうだけど、私は運動部でもないのに身体能力がやたらと高かった。ちょっと本気を出すだけで、運動部のエースたちに勝ってしまうのである。

 あまり目立ちすぎても困るので、体育の授業では本気を出さないようになった。ファンタジーな能力ではないが、これは明らかに異常事態だ。


「吸血衝動を抑える方法とかないんですか?」

「それがあったら苦労しないわよ」


 美人の吸血鬼女医はさらにアンニュイな顔をして言った。


「週一ペースの吸血を安定して行うには、今までのように月一で親戚を頼っているだけでは足りないわ。もちろん、手近な友達を騙して吸血するのは言語道断よね。いくら仲のいい女の子同士といっても、そんなに頻繁にキスするなんて不自然だもの。いつ何時バレてもおかしくないし、吸血できるくらい仲良しの友達をキープするのって本当に大変よ?」

「ううう……」


 女教師に手を出そうとして痛い目を見た私には身に染みる言葉だ。

 いくら容姿に自信があろうとも、失敗するときは失敗するのである。

 今回は表沙汰にならずに済んだけど、もしも本気で嫌がる女友達が現れて大騒ぎされたりしたら、今現在の学校生活どころか進学にまで関わりかねない。


「私のオススメは吸血鬼の本場、ルーマニアの吸血鬼コミュニティに行くことね」

「ル、ルーマニアですかっ!?」

「ルーマニアのとある村に世界中から吸血鬼とその親族が集まっているの。そこでは人目を気にすることなく、安定して吸血することができるわ。学校も病院も会社もあるから、その気になれば村から一歩も出ずに生きていくこともできる」

「私はそこに海外留学するってことですか!?」

「まあ、いきなり海外留学ってのもアレだから、他に手がないでもないけど……」


 というわけで、私は『他の手』とやらにすがることにした。

 それが謎の女子寮『少女九龍城』に引っ越すことである。


 少女九龍城は部屋数不明、住人数不明のカオスな女子寮である。

 古めかしい木造とコンクリが組み上がった無数の建物の集合体……それは住人少女たちが勝手に増改築したとも、建物自体が自己増殖したとも言われている。まさに現代の九龍城、あるいは日本のウィンチェスターミステリーハウスだ。


 そんな少女九龍城では日常的に超常現象が起こっているのだが、私の身の上話にはあまり関係ないので割愛する。引っ越し初日に無限回廊へ閉じ込められ、泣きべそかいていたところを救出されたのはいい思い出だ。


 で、そんな少女九龍城のある意味一番の特徴が、やたらと女の子同士のスキンシップが激しいことである。


 少女九龍城の煮詰まり具合といったら、そんじょそこらの女子校や女子寮と比べものにならない。

 ここは女の子しかいない天国でもあり地獄でもある。かつて女性のいない戦場で武将たちが男色に走ったかのように、少女九龍城では少女たちが激しめの百合ムーブに走るのだ。

 もちろん、そこにはガチな感情もあれば、所詮は遊びの一時的な感情もあるのだが、どちらにせよ私としては吸血しやすいのでありがたかった。


 持ち前のルックスを生かして女の子を釣り、キスのフリをして吸血する。少女九龍城の女の子たちにとっては、このくらいのスキンシップは日常茶飯事なので、女教師相手にやらかしたときのように騒がれる心配はない。


 むしろ問題なのは人気が出すぎてしまうことだった。ちゃんと口にキスしてほしいとねだられたり、ベッドへ連れ込まれそうになったりするたび、私はどうにかこうにか誤魔化さなくてはいけなかった。


 そうして少女九龍城に引っ越してから三ヶ月……私はすっかり疲れてしまっていた。

 キスした相手を手帳にまとめて、不公平にならないように満遍なく相手をしつつ、けれどもガチムーブに引き込まれないように警戒する日々。

 私は気がつくと少女九龍城に引っ越してくる前よりもストレスフルな生活を送るようになっていた。


 そんなときにやってきたのが角倉彩綾さんである。

 彩綾さんと出会ったときの第一印象は「とにかく顔がいい!」だった。


 自慢ではないけど、私とためをはるレベルの美少女はなかなかいない。黒髪で純和風の顔立ち、しかも簡単に抱きかかえてお持ち帰りできそうなほど小柄……金髪ハーフ顔で高身長の私とは正反対で、これぞ私の大好きなタイプの見た目である。


 私は自室にて、彩綾さんと話すことになった。

 その日、薄っぺらな座布団に正座して、私たちは向かい合っていた。


「赤羽根さん、あなたを監視するためにヴァンパイアハンター協会から派遣されてきました」

「ヴァンパイアハンター協会?」

「はい」


 彩綾さんがブレザーの内ポケットから、唐突におもちゃの水鉄砲を取り出す。

 プラスチックのフレームの中には、透明な液体がたっぷり入っていた。


「この水鉄砲には聖水が入っています。2分の1吸血鬼相当の吸血衝動を持つあなたには、かなり効くことが予想されます。もちろん、試してみるまで分かりませんが……」

「こわっ!?」

「あなたが必要以上に血を吸ったり、吸血鬼の力を悪用したりしなけれは、当然ながら退治するつもりはありません。でも、日常生活は基本的に監視させていただきます。こちらも任務ですから悪く思わないでくださいね。その代わりに手伝えることがあったら、私にできることなら可能な限り――」


 その言葉を聞いた途端、私は思わず彼女の手を取っていた。


「角倉さんの血を吸わせてっ!!」

「えっ……ええっ!?」


 驚いた様子で目を見開いている彩綾さん。

 私の方だって、自分の言ってしまったことに若干驚いている。


 こんなこと、初対面の相手に言うようなことではない。でも、これから私の生活を24時間監視し続ける彼女にしか頼めないことだったし、私の精神状態はあと一秒も待てないくらいにパンク寸前だったのだ。


 私は押し倒すような勢いで綾瀬さんに迫る。


「私、正体を明かせない相手から血を吸い続けるのがつらくて……でも、角倉さんが血を吸わせてくれるなら精神的にすごい楽だから!」

「いや、事情を知らない人から血を吸うのが大変なら、ルーマニアの吸血鬼コミュニティに行ってくださいよ! そっちなら私たちヴァンパイアハンターも血の提供に協力してます。血を吸うことになんの気兼ねもありませんよ?」

「いきなり海外に引っ越しなんて無理だよ! 学校にも少女九龍城にも友達がいるし、家族から離れるのは不安だし、ルーマニア語もしゃべれないし、外国のお水でお腹を壊すかもしれないし……」

「わ、分かりました! 分かりましたから!」


 彩綾さんが眼前に迫った私の体を押し返した。


「流石に週一ペースはきついから月一ペース……いえ、隔週ペースなら血を吸ってもらって構いません。でも、それなりのお返しはしてもらいますよ! 私が一方的に血を吸われるだけでは不平等ですからね!」

「ありがとう、角倉さん! これから彩綾さんって呼んでいい?」

「いや、いいですけど……」


 こうして、私と彩綾さんの奇妙なコンビ関係が始まった。


 ×


 私を監視するのが任務だけあって、彩綾さんの監視体制は徹底していた。


 彩綾さんは私と同じ学校、しかも同じクラスに転校してきた。

 さらには私と同じ整美委員会に入ってゴミ拾いをしたり、私が本屋の棚卸しのアルバイトをしたいと言うと一緒にしたり、可能な限り私と一緒に行動していた。

 少女九龍城に帰ってくると部屋は隣同士で、壁が薄いせいでお互いの生活音が丸わかり。さらには食堂で食事をするときも、大浴場でお風呂に入るときも一緒で、もうほとんどトイレと寝るとき以外は常に二人という毎日である。


 私と彩綾さんは仲良しコンビとして学校では認識されるようになった。

 少女九龍城ではそれに加えて、彩綾さんは私の『本妻』という認識が生まれていた。


 私の本妻は彩綾さんで、それ以外の女の子にキスをするのは単なる遊び……そういう認識が成り立つことで、私を本気で自分のものにしようとする子がいなくなったのである。お互いに遊びと割り切った関係……これほど楽なものはない。


 そうして、私が彩綾さんと出会って半年が経過したのだが――


「んぁっ……んんんっ……くっ……」


 私はいつの間にか、吸血するだけで彩綾さんをあえがせるようになっていた。


 どうやら私の唾液は麻酔だけではなく、吸血している相手を気持ちよくさせる作用まで持つようになってしまったらしい。もしかしたら吸血鬼の持つ『魅了』の力かもしれない、と彩綾さんは言っていた。

 よりにもよってヴァンパイアハンターである彩綾さんにやたらと効いてしまうのは謎だけど……。


「お、終わったよ?」


 私は吸血した傷口をぺろりと舐める。

 そうすることで、彩綾さんの首筋にできた傷口は簡単にふさがった。


 私は座布団の上で腰砕けしている彼女に、近所のドラッグストアで買ってきた『じゃがりこサラダLサイズ』を手渡す。


 じゃがりこを受け取った彩綾さんは、女の色香を漂わせながらそれを食べ始めた。額に玉の汗を浮かべ、ばっちり頬を紅潮させながら、悩ましげな表情でじゃがりこを食べている姿は、淫靡であると同時にきわめてシュールである。


(なんだか、お菓子で騙して悪いことしてるみたいだなぁ……)


 よからぬ妄想が浮かんだものの、流石に口に出すことはやめておいた。


「実際、セレナさんはどうするつもりなんです?」


 彩綾さんが私の買ってきた『小岩井ミルクとコーヒー』を飲んだ。


「吸血鬼同士で結婚するんですか? それとも人間同士で結婚ですか?」

「いや、そんなのまだ分かんないけど……」

「吸血鬼は世界に1万人と言われています。そのうちルーマニアの吸血鬼コミュニティで共同生活しているのが3000人。日本にいるのは10人くらいですね。ここまで減ってしまったのは、私たちヴァンパイアハンターが狩ってしまったせいもあるのですが……やはり一番の原因は『血の薄まり』ですね」


「血の薄まりっていうと、人間と結婚して吸血鬼の血が薄まるっていう……」

「16分の1を下回ると吸血衝動はほとんど消えて、肉体的にも血を摂取する必要性がなくなることが判明しています。そうなると人間と全く変わりませんね」

「それならいっそのこと、人間として生きられるようになった方が楽なんじゃ……」

「そう考えて人間と積極的に結婚しようとする吸血鬼もいるようですね」


 血を薄めることによって人間になる。

 合理的ではあるけれど、なんだかちょっと寂しい話だ。

 かといって、絶滅寸前の動物みたいなノリで保護されるのはなんか嫌だ。


「ともかく高校卒業までの残り二年ちょっとで、将来どうするのかを決めておくことです。私の任期もそれで終わりになりますからね」

「あの……結婚以外の道ってないのかな? たとえば友達をたくさん作るとか?」


 私がそう言った瞬間、彩綾さんは「こいつなに言ってんの?」という顔をした。


「ハーレムでも作るつもりですか? 今以上のコミュニケーション地獄ですよ?」

「ハ、ハーレムとまでは言ってないけど……」

「そもそも人間の縁というものは切れやすいものです。中学、高校、大学を卒業した時点で多くの人間と縁が切れ、社会人になったら仕事づきあいで精一杯……あとは学生時代に作ったつながりを維持していくだけ。人付き合いはそんなものです」

「さ、冷めてるなぁー」


 と言いつつも、私のも思い切り心当たりがあった。

 小学生のときに転校していったクラスのあの子、中学校進学の際に学区の別れたクラスメイトたち、高校進学でバラバラになった仲良しグループの女の子たち……確かに連絡を取っていないのがほとんどだ。


 それに大人になったら友達を作るのがどれだけ難しいかは、私の両親を見ているだけでも分かる。二人とも社交的な性格をしているものの、それでも付き合いが一番深いのはやはり学生時代からの親友だ。

 学生時代の友達と社会人時代の友達には、その両方の時代を生きた人にしか分からない大きな違いがあるのだろう。


「大体ですね、セレナさん……あなたには私以外に吸血鬼であることをカミングアウトできている友達が一人もいないじゃないですか」

「ぐっ!?」


 私は図星を突かれて、畳に頭から突っ込んだ。

 しかし、へこたれずにむっくりと起き上がる。


「きゅ、吸血鬼の『魅了』を使えばハーレムくらいは……ひっ!?」


 彩綾さんが無言で聖水入りの水鉄砲を抜いた。

 感情のこもっていない視線をこちらに向けながら、彼女はじゃがりこを咀嚼している。


「吸血鬼の力を悪用したら、私がセレナさんを退治しますからね」

「じょ、冗談だって……あはは……」


 そこまでハッキリ言われると乾いた笑いしか出てこない。

 実際のところ、私の魅了に一番かかっているのは他でもない彩綾さんだろう。他の女の子の血を吸っても、さっきみたいな声を出してしまう子はいない。せいぜい、うっとりと私に見惚れるくらいだ。


 魅了するなら彩綾さん……そう私は考えてしまう。


 私にも多少その気があるのか、実は隠れたS性があるのか、それとも私が吸血鬼だからなのか、血を吸われてあえいでいる彩綾を見ていると私までドキドキしてしまうのだ。むしろ、私の方が彩綾さんにメロメロと言ってもいい。


「まったく、節度を持ってくださいよ?」


 じゃがりこを食べ終えるなり、彩綾さんが指を舐め始める。

 しっかり者の彼女にしては妙に行儀が悪いが、これがまた色気たっぷりの仕草で、そんなものを吸血するたびに見せられてるものだから、私はもう生殺しなのだ。

 もしかして誘ってるんじゃないか、とすら思いそうになる。


(もしも本気で彩綾さんを本気で吸血したらどうなるんだろう?)


 私の身体能力は常人を超える勢いで育ちつつある。

 いくら彩綾さんがヴァンパイアハンターでも、思い切って押し倒したら――


(いやいや、そんなことしたら退治されちゃうよ!!)


 というか、私が退治されるだけじゃなくて家族にも、それどころか吸血鬼という種族全体にも大迷惑をかけることになる。


 もしかして、彩綾さんは私の精神力を試しているのだろうか? あえて色っぽい雰囲気を出して挑発することで、私が自制のできる吸血鬼なのか、それとも自制のできない退治するべき吸血鬼なのか……。


 よくよく考えてみたら、吸血鬼の先祖返りというのはかなりのレアケースだ。彩綾さんはよくある普通の任務として私を監視しているのではなく、超危険人物である私が吸血鬼の未来を左右するような問題を起こすかどうか試しているのでは?


「なんですか、そんなに見つめて?」


 いぶかしげに私を見つめる彩綾さん。


(彩綾さんから吸血するのはしばらくやめておこう……)


 私はそう心の中で呟いた。


 ×


 それから、私は本当に彩綾さんから血を吸わなくなった。

 その間は少女九龍城の住人少女たちを頼ったわけだが、あっという間に「赤羽根セレナと角倉彩綾のコンビが破局?」という噂が流れ始め、もちろん彩綾さんがそんな噂を放っておくはずがなかった。


 彩綾さんから血を吸わなくなってから一ヶ月半が経過した頃、私は自室にて彼女から事情聴取を受けることになった。


「で、どういうわけですか?」


 怒っている彩綾さんは漫画のように口をへの字に曲げていた。


「私の体を気遣っているようなフリをしたり、他の子にキスしなくちゃいけない事情があるとか言い訳してみたり、なにやら私から吸血するのを避けていたみたいですが……まさか、のらりくらりと女の子の血を吸って生きるジゴロ吸血鬼になるつもりでも?」

「いや、その……」


 とてもではないがごまかせる雰囲気ではない。

 そもそもの話、私は嘘や演技が苦手だから彩綾さんを頼ったのだ。


(とはいえ、こんなこと言ったら怒るだろうなぁ……)


 私は内心危惧しながらも、思い切って言い放った。


「さ、彩綾さんがいけないんだからね?」

「……はい?」

「私が血を吸ってるとき、あんなに気持ちよさそうな声を出すんだもん! あれじゃあ、余計に血を吸いたくなっちゃうに決まってるじゃん! もしかして誘ってるの? 私のことを誘っちゃってんの?」

「はっ……はあああああっ!?」


 案の定、ぽかんとしたあと猛烈に怒り出す彩綾さん。

 綺麗な黒髪ストレートがぶわっと広がっていた。


「な、なにを言ってるんですか、セレナさん! あれはあなたの唾液に含まれている成分のせいで若干気持ちよくなってるだけです!」

「気持ちよくなってはいるんだ……」

「不可抗力です!!」


 彩綾さんが顔を真っ赤にして主張する。

 きゅっと結ばれた唇は意志の強さを感じさせる一方で、同時に彼女の持つ女性らしい艶をムンムンに放っていた。


 つまるところ、どうしたって彩綾さんは魅力的なのである。

 彼女が転校してきてから、何枚のラブレターを送られ、何人の男子(ときには女子も)から告白されたのかを私は知っている。


「便利な力を手に入れた途端、悪用しそうになるとか……心の弱い小市民そのものじゃないですか!」

「め、面目ない……でも、彩綾さんがエロいのは事実なわけで……」

「まだ言いますか! というか、エロいとか言わないでください!」


 彩綾さんが呆れかえり、がっくりとうなだれる。


「分かりました。担当を変えてもらいましょう」

「えっ!? そんな簡単に変えられるものなのっ!?」

「簡単に変えられるものではないですけど、私は命の危機を感じてるんですよ!」


 言われてみれば確かにそうだ。

 私のやっていることは『人間の捕食』なのである。


 吸血されていることを知らない住人少女たちならともかく、吸血されていることをしっかり自覚している彩綾さんはかなりの恐怖を感じていることだろう。健康に差し障りのない量だから、と危険意識が甘くなっていた面は否めない。


「私の代わりが見つからなかったそのときは……セレナさん、あなたにはルーマニアの吸血鬼コミュニティに行ってもらうことになるでしょう」

「ううう、そうなるかぁ……」


 それが誰にも迷惑をかけない賢い選択だ。

 賢い判断をできなかった私は、どうしようもなく子供だったのだろう。

 正直なところ、私は今でも賢い選択をできる気がしないけど……でも、流石に彩綾さんを傷つけてしまった以上、責任は取らなくてはいけない。


「こうして考えると、私と彩綾さんって本当に体が中心の関係だったんだね……」

「その表現、なんかいやらしくないですか?」

「どんな別れ方になるかは分からないけど……私、彩綾さんと思い出を作りたいな」

「……いきなりどうしました?」


 気が抜けてしまったようで、彩綾さんが両脚を投げ出した。

 私は座布団を枕にして横になる。

 日に焼けた畳の枯れ草みたいなにおいが、私を無性に寂しい気持ちにさせた。


「彩綾さんはいつも私を監視してるでしょ? 私は自由に出かけさせてもらってるけど、最後くらい彩綾さんの行きたいところに出かけてみるのはどうかな? というか、こういうことはもっと早く言えばよかったね」

「まあ、任務ですから……でも、そのお気遣いはありがたいです」


 彩綾さんがようやく笑顔を見せる。

 彼女の笑顔は等身大の女の子そのもので、ヴァンパイアハンターという特異な背景をまるで感じさせなかった。


「せっかくですから二人で出かけましょう。私たちは友達じゃないと言ったら嘘になる関係なんですから」


 ×


 こうして彩綾さんのリクエストで出かけたのが、私たちが通っている高校の近くで行われている夏祭りだった。


 せっかくだから全力で楽しもうということで、私たちはちゃんと浴衣を着て夏祭りに向かった。最寄り駅に電車で向かっている間にも、気分がそわそわして仕方がない。特別な日に特別な服を着るというのは、やっぱり気持ちが高まってくる。


 夏祭りは駅前のアーケード商店街を利用した小規模のものだった。それでもアーケードの入口から出口まで人があふれかえる盛況ぶりで、地元の学生たちが御神輿を担いでいたり、特設ステージではカラオケ大会が行われたりと催しも充実している。道行く人々はどこか浮ついており、会場に渦巻いている熱気は私たちを飲み込みそうな勢いだった。


 彩綾さんが任務のことを忘れるとは思えないが、このときばかりは彼女も任務を忘れてはしゃいでいるように見えた。


 私たちはかき氷を食べたり、たこ焼きを分け合ったり、くじ引きに興じてみたり……と夏祭りを自由に楽しんだ。お互いにインスタ映えするような流行り物に手を出さないあたり、私と彩綾さんはどこか気が合う。


「あっ! 私、あれやりたいですっ!」


 彩綾さんの目に止まったのは何の変哲もない射的だった。

 彼女は目をキラキラさせて屋台に駆け寄ると、挑戦料を支払って射的に挑戦した。


 前のめりになって台に寄りかかり、精一杯に手を伸ばしているものの、小柄な彩綾さんでは近づける距離もたかがしれている。

 彼女が五発のコルクで倒せたのは、小さな紙パックに入れられたキャラメルやガムといった駄菓子ばかりだった。


「よし、私もやってみる」


 私も彩綾さんのリベンジとばかりに射的に挑戦する。

 成人男性顔負けの高身長を生かして、思いっきり前のめりになって特賞『ニンテンドースイッチ』を狙ってみたものの、的に使われているお菓子の空き箱が明らかに棚へ固定されたので断念……結局、私が落とせたのは子供用のおもちゃの指輪だった。


「いやあ、彩綾さんに何か取ってあげたかったけど、これしか取れなかったよ……」


 受け取ってもらえないことを覚悟して、私はおもちゃの指輪を差し出す。

 すると、彩綾さんはきょとんと不思議そうな顔をした。


「もらっていいんですか?」

「もちろん、こんなものでよかったら……」

「ありがとうございます、セレナさん」


 彩綾さんがおもちゃの指輪を左手の小指にはめてみせる。

 小さな子供向けのサイズなので、彼女のほっそりとした小指にぴったりだった。指輪にはめられているプラスチックのルビーが、夏祭り会場を照らす外灯を反射して本物の宝石よりもキラキラと輝いて見える。


 彩綾さんは嬉しげにおもちゃの指輪を見つめていた。

 私はふと疑問に思って尋ねる。


「もしかして、射的に思い入れがあったりする?」

「ええ、実は……」


 彩綾さんが和柄の手提げポーチから、聖水入りの水鉄砲を取り出した。


「この水鉄砲も夏祭りの射的でもらったものなんです。あれは小学生のとき……地元の夏祭りへ家族で行って、お父さんが頑張って当ててくれました。思えば、誰かと夏祭りに行くなんてそのとき以来ですね」

「ヴァンパイアハンターの勉強ってやっぱり大変だったの?」


 半年以上も一緒にいるのに私は彩綾さんの過去を全然知らない。

 友達じゃないと言えば嘘になる関係といえども、やっぱり線引きはあるのだろう。

 彩綾さんが自分の口から話してくれるまでは聞かない方がいいだろう、と私も心のどこかで思っていた。


「ヴァンパイアハンターになるために全寮制の学校へ転入したのが10歳のとき、本格的な指導を受けるために海外の訓練所に入ったのが12歳のときですね。そうして訓練所を卒業したあとの初任務がセレナさんの監視という……」

「初任務だったの!?」


 それは初耳だった。

 ヴァンパイアハンターになって初めての任務が、日本の女子高生に扮して吸血鬼の監視することになるとは、きっと彩綾さんも想像していなかったろう。ヴァンパイアハンターになるために捨てたはずの日本の学生生活を仕事でやることになるだなんて……。


「そんなことだから、セレナさんの気持ちも分かるんですよね」


 彩綾さんが遠くを見ながら、聖水入りの水鉄砲をくるくると回す。


「訓練を終えて日本に帰ってきたとき、かつての同級生たちとの縁は完全に切れていました。海外からは気軽に連絡も取れませんし、訓練も忙しかったですし……もちろん、ヴァンパイアハンターの友達はいますよ? でも、やっぱり寂しくは思いました。小学生のときの友達が一人くらい、今でもいたらよかったなって……」


 ヴァンパイアハンターという限られた才能の持ち主にしかできない生き方をするため、彩綾さんは普通の人なら手に入る多くのものを失ってきた。それはもしかしたら、吸血鬼である私が今後歩むことになる道そのものかもしれない。


「遠い異国の地でも生きてはいけます。友達も作れます。それでもやっぱり、いつも暮らしている場所からなるべく離れたくない、生まれた場所で生きていきたい……そういう気持ちも分かるんですよね。寂しさってゼロにはならないですから」


 聖水入りの水鉄砲を愛おしげになでている彩綾さん。

 そんな彼女の姿に見入ってみたら、胸の奥から熱い感情がほとばしってきた。


「彩綾さん!」


 私はあふれ出す気持ちを抑えきれず、気がつくと彩綾さんの肩をつかんで、彼女の目を真っ直ぐに見つめていた。


「これからは……私が彩綾さんと一緒にいてあげるっ!!」

「……は、はいっ!?」


 彩綾さんが目をパチパチさせている。

 彼女の瞳はおもちゃの指輪にも増して美しく輝いていた。


「私はルーマニアにも行かないし、担当も変えなくていい。だって、彩綾さんに寂しい思いをさせたくないもん! それに吸血するときも、もっと気持ちよくできるように頑張る。私にできることはそれくらいだから!」

「ま、待ってくださいっ!! 一緒にいてくれるのはいいとして、気持ちよくするのは求めてないですよっ!?」

「私は私にできることを一生懸命やるよ。吸血で気持ちよくするなんて、それこそ吸血鬼として生まれてきた私にしかできないことだから! もしかしたら、私は彩綾さんを気持ちよくさせるために吸血鬼として生まれてきたのかも……」

「話聞いてますか、セレナさんっ!?」


 今度は彩綾さんが私の両肩をつかんで揺さぶってくる。

 ともあれ、こうして私と彩綾さんのコンビ解消は延期されることになった。


 ×


 あの夏祭りを境にして、私は彩綾さんと真剣に付き合うようになった。

 もちろん、吸血をするときだって真剣である。

 吸血させてもらったお返しが、じゃがりことコーヒー牛乳では申し訳ない。


 でも、肉体は16分の1吸血鬼なのに吸血衝動だけは2分の1レベル、そのくせ吸血鬼らしい特殊能力はほとんど使えないという『役立たずの大食らい』にできることと言ったら、吸血するときになるべく彩綾さんを気持ちよくさせてあげることだけだった。


 それから、私自身の意識も大きく変わった。

 これまでは自分の人生に付き合ってくれる人を探さなければならないと考えていた。

 自分の存在を受け入れて、しかも血を吸わせてくれる人――親友、恋人、結婚相手などなど。

 でも、彩綾さんの感じている寂しさを理解して思ったのだ。むしろ、私が一緒にいてあげたくなるような相手を探すことが重要なのではないかと……。


「ごめんね、彩綾さん。今週は他の子のところに行くね」


 少女九龍城の大食堂にて。

 私はカレーうどんをすすっている彩綾さんを後ろから抱きすくめた。

 彼女は心なしか迷惑そうな顔をしているが気のせいだろう。


 周りにいる住人少女たちは私たちの会話を全然気にしていない。赤羽根セレナと角倉彩綾のコンビ解消の噂はとっくになくなっていたし、私と彩綾さんがいつも一緒にいる光景は半年以上前から日常茶飯事なのだ。


「いや、あの……別に断りを入れる必要ないですよ? 隔週ペースですることも、合間の週は他の女の子のところへ行くのも以前と変わってないわけですし……」

「来週はいっぱい気持ちよくしてあげるからね、彩綾さん」

「で、ですから! あれはあくまで不可抗力で――」

「だから、今日はこれで我慢してね」


 私は彩綾さんの右首筋にキスをする。

 何度も吸血するうちに気づいたのだが、彼女は左首筋よりも右首筋の方が敏感らしい。

 それが分かってから、私は吸血する場所も気遣うようにしていた。


「ふぁっ……あっ……くぅっ……」


 カレーうどんを食べている最中とは思えない艶っぽい声を漏らす彩綾さん。

 キスから解放された瞬間、彼女はテーブルに突っ伏してしまう。

 吸血ではない単なるキスでも色々と効いてしまうのか、背筋をぴくぴくと震わせている。


 それからいきなり起き上がったと思うと、彩綾さんはテーブルに箸を置き、制服の懐から聖水入り水鉄砲を抜いた。


「セ、セレナさん……あんまり調子に乗ると退治しますからね!」

「そっ……それは困るかな?」

「まったく……私たちの間にキスなんて必要ないじゃないですか。私たちは血と血でつながっている関係なんですから」


 彩綾さんが水鉄砲をしまって、再びカレーうどんをすすり始める。

 私は感極まって再び彼女の背中に抱きついてしまった。


「あぁ……そうやって強がる彩綾さんがなおのこと愛おしい! うーん、好き!」

「強がってないです」

「もう彩綾さんに寂しい思いはさせないからね……」

「はいはい、ちゃっちゃと今週分のやることをやってきてください」

「はーい、いってきまーす!」


 私は彩綾さんの元を離れて、吸血させてくれる住人仲間のところへ向かう。

 その足取りは夏祭りの以前よりも遥かに軽やかだ。


 私には帰るべき場所があり、そこには友達が待ってくれている。

 そう思えるからこそ、きっと前に進む力も湧いてくるのだろう。


(おしまい)

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