第48話 少女499龍城
学校の教室を思わせる一室には、みっちり50人ほどの少女たちが集まっている。
少女たちは上半身が詰め襟、下半身がプリーツスカートという軍隊的な……しかもレトロな雰囲気の制服を身につけていた。それもそのはずで、ここにいるのは軍人の卵ばかりなのである。いわゆる『訓練生』というやつだ。
そんな中、私――水瀬群青(みなせ ぐんじょう)は勉強机に肘を突き、授業を聞き流しながらぼんやりと窓の外を眺めていた。
窓の外には暗黒の宇宙と無数の星々が広がっている。同じ景色は二度と見られないほど広い宇宙空間は、興味のあるものならいくら眺めていても飽きないだろうが、私に言わせてみると情報端末の読み込み画面と大差ない。
「それでは歴史の授業をおさらいしよう」
教鞭を執っているのは管理人さんだ。
見た目の年齢は20歳そこそこであるが、実際の年齢は私も知らない。
「我々、人類が地球を脱出したのはいつだったか……虎谷、分かるな?」
最前列の席にいるふわふわ髪の少女が指名される。
彼女は虎谷真月(こたに まつき)さん。
私たち同期生の間ではムードメーカーとして可愛がられている女の子だ。
虎谷さんは起立すると、あわあわとしながら答えた。
「ええと……今から1000年くらい前です」
「くらいって曖昧だなぁ……でもまあ正解。西暦2814年に人類の地球脱出が完了した。それでは人類が地球を脱出しなければならなかった理由は分かるか?」
「それは、なんというか……地球上のお菓子を食べ尽くしちゃったからとか?」
虎谷さんの可愛さ極まる発言に訓練生たちが笑いを誘われる。
これには管理人さんも怒るに怒れないようだった。
「それじゃあ、虎谷の代わりに……加々美、答えてくれ」
「委員長、お願いしますっ!」
管理人さんに指名された女の子に向かって、虎谷さんが深々と頭を下げる。
彼女の代わりに指されたのは、眼鏡に三つ編みに太い眉毛とレトロな軍服風制服にも増してレトロな雰囲気のある女の子だった。
加々美玲音(かがみ れおん)――虎谷さんが言ったとおりの委員長である。
「人類が地球を脱出しなければいけなかったのは、地球が長期にわたる氷河期に突入したためです。地球規模の気候変動によって人口を100分の1まで減らしながらも、人類は月の裏側に建設した月面コロニーに移住を成功させました」
「見事な回答だ」
管理人さんからほめられても、委員長はそれを誇る素振りすらない。
「我々の起源でもある少女九龍城の一部も、このときに月面コロニーに移築されている。少女九龍城の出身である宇佐見女史と大野女史によってな。さて、このあとの経緯については……水瀬、説明してみてくれ」
管理人さんにいきなり指名されて、私はようやく教壇の方に向いた。
「……分かりません」
「お前、さっきからやる気あるのか?」
私は「見て分かりませんか?」という態度を決め込む。
管理人さんは諦めたように大きなため息をついた。
「それじゃあ……加々美、続きも頼む」
「はい」
再び指名された委員長がじろりと私をひとにらみする。
「西暦3399年、敵性宇宙生命体『泥人形』が月面コロニーに侵攻を開始……このときの第一次月面侵攻で人類は半数に減りました。国連は人類滅亡の危機を回避するため、月からの脱出計画『少女九龍城エクソダス』を始動しました。私たちの暮らす『少女499龍城』も、そのときに建造されたものです」
この辺りの『人類の宇宙史』は子供の頃から耳にたこができるほど聞かされた。
少女九龍城には驚くべき特性がある……それは宇宙空間でも地球上と同じ生活環境を維持できること、それから建物が破壊されても自己増殖で築造することだ。
これらの特性は少女九龍城が『宇宙船』として最適であることを意味している。
月面コロニーで暮らしていた人類は『少女1龍城』から『少女500龍城』まで500機の宇宙船を飛ばして、地球や月に代わる安息の地を探すことにしたのだが……ただ一つ、少女九龍城型の宇宙船には大きな問題があった。
「少女九龍城には若い女性……すなわち少女しか住むことができません。そのため、人類は加齢をストップさせる『遺伝子操作』と遺伝子情報を元に人口を増やせる『クローン技術』によって、この問題をクリアしました」
委員長はさらっと言っているが、地球時代や月面時代の人類が聞いたら、きっと目の飛び出るような話だろう。
つまるところ、現在の人類には女性しか……というか少女しかいないのである。
もちろん少女九龍城型の宇宙船には、男性の遺伝子や精子もしっかり保存されている。入植可能な星を見つけられた暁には、宇宙船の一部を切り離して自己増殖させて、そこを人類の新たな出発点にすることが可能なのだ。
ただし、今のところ入植可能な星は一つも見つかっていない。他の少女九龍城型の宇宙船との通信が途絶えて、すでに100年以上が経過しているらしいので、もしかしたら彼女たちがとっくに安寧の地を見つけている可能性も否定できないが……泥人形という人類の天敵がいる以上、そう楽観視できないのが現実だ。
だからこそ、私たちのような『人類防衛軍』を目指す訓練生たちがいるわけである。
「分かりやすくまとめたな、加々美」
管理人さんが声を張って言い放つ。
「来週は実地での卒業試験が行われる。操縦士に希望を出しているものは実地試験に必ず参加するように! 泥人形を倒さない限り人類に安寧は訪れない。我々のしていることの意義、そして責任の重みを感じながら試験に臨んでほしい!」
教室に集められた少女たちが「はい!」と一斉に返事した。
私は窓の方に視線を戻す。
窓ガラスには私のつまらなさそうな顔が映っていた。
授業を終えたあと、私は食堂を訪れていた。
少女499龍城は全長10キロメートルに達するほぼ球形をしており、総人口は10万人に達すると言われている。そのため、食堂といってもそこら中にたくさんあるのだが、私が利用しているのは訓練学校の一番近くにあるところだ。
食堂には宇宙カレーのスパイシーな香りが充満している。
金曜日のメニューはカレー、というのは地球時代からの習慣らしい。
カレーに使われている食材はもちろん少女499龍城の中で生産されている。少女499龍城の半分近くは、食料を生産するための区画になっているのだ。自己増殖する建物をぶちぬいて作られた巨大水槽と巨大農園の光景は、ここが本当に宇宙船の中であることを忘れさせられるほど圧巻だった。
(まあ、それを見たのも何年も前だけど……)
私がテーブル席で宇宙カレー(宇宙イカと宇宙エビと宇宙ホタテの入っている宇宙シーフードカレー)を食べていると、加々美玲音が……委員長がいきなり私の方にやってきた。彼女の抱えているトレーにも宇宙カレーがのせられている。
「そこ、いい?」
委員長が私の対面の席を目で示す。
私は「勝手に座れば?」と同じく目で返事した。
こんな私に突っかかってくるのも、今では委員長くらいなものだ。
「あなた、さっきの授業態度はなんなの?」
委員長が宇宙カレーを食べながら早速説教をしてくる。
「座学の成績も落ちているって先生も言ってたわよ」
「お前は私のなんなんだよ……」
「そんなんじゃ、織姫の操縦士試験にも合格できないわよ?」
織姫というのは泥人形と戦うために作られた人型戦闘機だ。
訓練生の中には織姫の操縦士を目指しているものが多い。
泥人形との戦いはきわめて危険な任務だ。生還率の決して高いとは言えない。しかし、それだけ人類にとっては重用で光栄な仕事なのである。これまで数え切れないほどの少女たちが泥人形と戦い、そして死んでいった。
ちなみに委員長もそんな操縦士を志望する一人だ。
「就職希望は内勤にした」
「はぁっ!?」
私の答えを聞いて、委員長の手からスプーンが落ちた。
「あなた『水瀬』でしょう?」
「関係ないよ……」
私の遺伝子元である水瀬のご先祖様は、地球時代から軍人一筋で、少女499龍城ではいつも織姫のエースパイロットだった。私のお母さんもそうだったわけで、当然のことながら私もそうなることを期待されている。
「そういう委員長は『加々美』じゃん?」
私はイラッとしてつい言い返してしまう。
誰も彼もクローンとして生まれてくるため、どのクローンがどんな能力に優れているか、過去にどんな仕事をしてきたかは自然と話題に上る。そのため、名字を聞いたら素性が分かるなんてこともざらなのだ。
「加々美のクローンはずっと内勤ばっかりやってきた。それはつまり操縦士としての適性がないってことじゃないの? 少女499龍城でも職業の自由は認められてるけど、適性がないんじゃあ操縦士になったところで――」
パシン!
私の左頬に鋭い痛みが走る。
委員長が目に大粒の涙を浮かべて、私のことをにらみつけていた。
彼女と口喧嘩することは何度もあったが、いきなり叩かれたのは初めてだった。
「適性のない人間が操縦士を目指したら悪いの? 私たちの未来は生まれたときから決まってるわけじゃないじゃない!」
「だったら……」
私は椅子から立ち上がって、思わず委員長の胸ぐらをつかむ。
「水瀬だから操縦士にならなくちゃいけないってのもおかしいだろ!」
「そ、それは……」
「――す、すとっぷ! その喧嘩、すとーっぷ!」
私たちの喧嘩を聞きつけて、虎谷さんが全力疾走で駆けつけてきた。
彼女が髪の毛をふわふわさせながら一目散に走ってくる姿は、さながら尻尾を振りまくりながら主人を出迎えに来る子犬のようだ。そんな姿を見せつけられてしまったら、流石の私も喧嘩を続ける気にはならなかった。
「はぁーっ……もういいよ」
私は大きなため息をつくと、宇宙カレーののっているトレーを抱えて、その場からさっさと立ち去った。
×
あれから一週間、委員長とはぎくしゃくしたままだった。
実地訓練の日時を迎えて、委員長を含む操縦士志望の訓練生たちは、少女499龍城から1000キロほど離れた小惑星に向かった。きっと今頃は正規操縦士たちに見守られながら、危険度の低めな泥人形を相手に奮闘していることだろう。
私は結局、実地試験には参加しなかった。
就職希望を内勤(大農園の管理業務)で出したとき、管理人さんはなにも言わずにそれを受理してくれた。言いたいことは内心たくさんあっただろうに、それを黙って受け取ってくれたのは大人の度量というやつなのだろうか。
(なーんであんなこと言っちゃったかな……)
委員長と喧嘩したことを未だに引きずりながら、私はお母さんの使っていた部屋でうだうだしていた。
少女499龍城の500年近い歴史の中でも、お母さんはトップレベルのエースパイロットとして伝説になっている。そのため、彼女が現役時代に使っていた部屋や、彼女の専用機(予備の機体だけど)が今も残されているのだ。
純和風の六畳間の片隅には、部屋からはみ出るようにして旧式の『仮象訓練装置』が置かれている。それは織姫の操縦席を模したシミュレーターで、操縦席が卵形の外殻に覆われている姿は、大昔にあった大型の筐体ゲームにさも似たりだ。仮象訓練装置にはお母さんのスコアが今も残されているけど、誰もその記録を未だに抜けていない。
そんなお母さんも最後は泥人形との戦いで命を落としてしまった。彼女にしかできないと言われていた難しい任務に挑み、任務自体は成功したものの彼女自身が少女499龍城に帰還できなかったのである。
あのとき、私は肉体年齢で10歳……クローン育成装置を出されてからは3年しか経っていなかった。織姫に乗り込もうとするお母さんに向かって「行かないで!」と喉がすり切れるほど叫んだ覚えがある。
お母さんは私との未来ではなく人類の未来を選んだ。今なら彼女の判断が正しいことは理解できる。でも、私に同じことができるかと聞かれたら……私はとてもじゃないけど、首を縦に振れる気がしなかった。
エースパイロットの重責に堪えられる精神力もないし、死ぬと分かっている戦いに赴くような勇気もない。自分に子供がいたら、その子を一人残すこともできないだろう。そんなことになったら、私はきっと後悔する。
(お母さんが生きていたら、どうしてそんな生き方ができるのか聞きたいけど……)
それは突然のことだった。
私が左腕に巻いている携帯情報端末から、緊急警報のアラームが鳴り響いてきた。かつては地震の予兆を知らせていたらしい尋常じゃなくやかましい警報である。
とっさに携帯情報端末の画面をタッチすると、立体映像で訓練生向けの緊急メッセージが浮かび上がった。
『実地試験の行われている惑星に想定を上回るの数の泥人形が出現した。正規操縦士は織姫に乗って全機出撃せよ。繰り返す。実地試験の行われている惑星に想定を上回る――』
それを目の当たりにした瞬間、私はお母さんの部屋を飛び出していた。
板張りの廊下を駆け抜けて、一番近くにあった駅を利用する。
少女499龍城にはそこら中に鉄道網が張り巡らされており、縦軸の移動に便利な高速昇降機と合わせて、少女たちの日常的な移動手段として使われているのだ。
司令室および格納庫直通エレベーター前の駅で降りると、コンクリート剥き出しの倉庫のような空間に正規操縦士だけではなく多くの訓練生も集まっていた。おそらくはこの緊急事態に助力を志願しに来たのだろう。
「水瀬さーん!」
手をぶんぶん振りながら、虎谷さんがこちらにやってくる。
私に突っかかってくる人間は委員長くらいしかいないが、同期生のムードメーカーである彼女だけは例外だった。
「水瀬さんもお手伝いに来たの?」
「まあ、うん……」
正規の操縦士たちは続々と格納庫行きのエレベーターに乗り込んでいる。
「現場、すごいことになってるみたい」
虎谷さんが真剣な顔をして、自分の携帯情報端末をタッチした。
画面から立体映像が浮かび上がる。
どうやら訓練生の実地試験を撮影しているカメラが、現場の風景をそのまま流し続けているらしかった。
私は急いでいたというのに立体映像をまじまじと見てしまう。
そこに映し出されていたのは、数え切れないほどの泥人形が訓練生の乗っている織姫を次々と撃墜している光景だった。
織姫は全高10メートルを超える人型戦闘機であるが、泥人形たちはそれらを優に超える巨体を有している。しかも、その形は私たちもよく知っている地球上の動物たちによく似ていた……否、動物たちの一部によく似ていた。
動物を完璧に模した泥人形は存在しない。上半身と下半身が別々の動物だったり、虫や植物が混ざっていたり、それらは神が悪意を以て作り出したとしか思えない造形をしている。そして、地球上の動植物を模している理由はただ一つ……やつらには自分の捕食したものの姿を真似する習性があるのだ。
泥人形はあらゆる有機生命体を捕食する。せっかく入植可能な星を見つけたと思ったら、すでに泥人形に食い散らかされて汚染された(泥人形も食べたら出すらしい)あとだった……なんてことが500年の間に何回もあったそうだ。そして、中でも人間はやつらの大好物であるらしく、そのため人類は泥人形にしつこく狙われ続けている。
立体映像を目の当たりにした訓練生たちの間に絶望的な空気が広がり始めていた。
現場に到着した正規の操縦士が操る織姫すら、次々と撃墜され始めたのである。
こんなときに昔みたいなエースがいたら……。
そんな嘆きがどこからともなく聞こえてきた。
「虎谷さん……私、行かないと!」
私は携帯情報端末をかざして、司令室直通の高速エレベーターを起動させる。
高速エレベーターに乗り込んでから数分後、私は少女499龍城の(物理的に)頂点に位置する司令室に到着した。
司令室は前面が巨大なスクリーンになっており、戦闘の行われている惑星近辺の立体地図が映し出されている。スクリーンに向かい合うようにしてデスクが階段状に並んでいて、そこでは通信士たちが情報端末を使って前線の操縦士たちと連絡を取り合ったり、混迷する状況の分析に急いでいた。織姫が撃墜されたという報告や、救援要請が飛び交っている様子は、第二の戦場と言って差し支えない。
それらの全てを見下ろせる位置には、司令官も務める管理人さんがいる。情報端末の画面から放たれる淡く青い光が、彼女の真剣な横顔を照らしていた。
「どうやって司令室に入ってきた?」
私に気づいて管理人さんが振り返る。
「私の携帯情報端末にお母さんの権限が残ってました」
「こんな一大事のときに悪用したりして……どうして来た!」
「織姫は全機出撃してるって言っても、お母さんの使っていた旧式はあるんですよね?」
私は管理人さんの返事を待たず、携帯情報端末から彼女に向けて情報を送った。
管理人さんが自分の目の前にある情報端末の画面を確認する。
「これは……」
「お母さんの部屋にあった旧式仮象訓練装置の戦闘データです。お母さんの全盛期には遠く及ばないけど、旧式の織姫ならちゃんと動かせる自信があります! それに旧式に積まれている『あの武器』なら――」
「どうして戦う気になった?」
「……後悔したくないんです」
ここで委員長と喧嘩別れしたら、きっと私は一生あとを引きずるだろう。
エースパイロットの責任感に耐えることも、死の恐怖を克服することもできていない。お母さんの境地に達することなんて、もしかしたら私には一生無理なのかもしれない。
それでも、なにもしないまま心の傷ついた人を死なせたくはなかった。その原因が自分にあるというのならなおさらだ。
「分かった……水瀬訓練生、格納庫に向かえ」
「……ありがとうございますっ!」
私はきびすを返して高速エレベーターに乗り込む。
こちらを見送る管理人さんは厳しくもどこか優しげな表情を浮かべていた。
高速エレベーターで格納庫に下りると、そこはすでに第三の戦場と化していた。
鉄骨とコンクリートが剥き出しになった巨大空間では、大勢の整備工たちが慌ただしく旧式織姫の出撃準備を行っている。旧式織姫はちゃんとメンテナンスされているらしいが、それはあくまで展示するためだ。彼女たちは急ピッチで実戦用に調整してくれているのである。
私が更衣室で操縦士用のフィットスーツに着替えて戻ってくると、
「おい! お前! おい!」
ターレットレンズのゴーグルをかぶった作業着姿の女の子が詰め寄ってきた。
ゴーグルで目元は見えないものの、あまりの激怒っぷりに私は気圧されてしまう。
「な、なんでしょう?」
「お前! 7式織姫はもう一機しかないんだからな! 分かってるのか! おい!」
「わ、分かってます……」
「お前の母親が使ってたやつの予備機体だからってなあ! 万が一にも壊したりしたら、この私がお前のことをバラバラにしてやるからな!」
整備工というのはみんなこんなに荒々しいのだろうか……。
私は彼女から目を背けるように7式織姫を見上げた。
織姫は真っ白なフレームで組み上げられた人型の戦闘機である。曲線の多い女性的なフォルムが特徴で、無重力での運用を前提としているので脚部が細い。
旧モデルである7式織姫は最新型である8式織姫と違って、背部に設置されているエーテル推進機関が大型なので判別が簡単だ。それにお母さんが使っていた7式織姫には彼女専用のカスタムがされており、刀状の専用武装が腰の鞘に収められている。
「整備完了! 搭乗準備!」
ゴーグルの女の子が声をかけると、整備工たちがタラップを運んできた。
「いいか、水瀬群青。お前には釈迦に説法かもしれないが、7式織姫には8式織姫に標準装備されている『自動補正機能』が搭載されていない。電子脳が動きに補正をかけないから、動きの自由度が高くスピードも出る……が、その代わりに自動ブレーキなんて利かないからな。泥人形と正面衝突するのは絶対に避けろよ!」
「……はい!」
彼女の助言をありがたく聞いて、私はタラップを駆け上がる。
胸部ハッチから操縦席に乗り込むと、自動的に胸部ハッチが閉じて、操縦室の内壁に設置された計器類が起動した。メインモニターにはゴーグルの女の子を初めとして、機体の調整をしてくれた数え切れないほどの整備工たちが並んでいた。
彼女たちが手を振る姿を眺めながら、7式織姫の機体が昇降機で上昇し始める。
そのときになって、私はメインモニターの隅に一枚の写真が貼られていることに気づいた。それは私がクローン育成装置から出て間もない頃の写真で、肉体年齢で7歳の私がお母さんにだっこされている光景だった。
当然ながら、お母さんは私と同じ遺伝子を持ったクローンなので、今の私とそっくりな姿形をしている。しかし、彼女の浮かべている柔らかい笑顔からは、私の持ち合わせていない母親らしい母性が感じられた。
7式織姫が発進レーンに到着する。
すると、すぐさま通信機から発進の秒読みが聞こえてきた。
「水瀬群青、7式織姫で発進します!」
私は操縦席の左右にあるアーム型の操縦桿を握り混む。
秒読みが0を迎えた瞬間、7式織姫が前方に向かって高速射出された。
トンネル型の発射レーンを通り、少女499龍城の外に機体が飛び立つ。
7式織姫の背部にあるエーテル推進機関が青白い光を放った。
さらにエーテル推進機関の側面にあるスリットから、帯状をした半透明の幕が左右に展開される。それは宇宙全体に満ちている万能エネルギー『エーテル』を移動しながら回収する装置で、その見た目から『羽衣』という名前で呼ばれていた。
宇宙を高速で飛び回りながら、羽衣でエネルギー源のエーテルを回収して、本体に貯蓄されているエーテルを節約する……というのが『一般的な織姫』の戦い方だ。
流星のように尾を引きながら、私は戦いの行われている小惑星を目指す。
数分後、小惑星が近づいてくるとレーダー用のモニターに無数の敵影が映った。
その敵影の中に委員長の機体の反応を見つける。
彼女は四方八方を泥人形に囲まれながらも、8式織姫の主武装である『エーテル弾高速射出装置』を連射してどうにか耐えていた。しかし、機体内部に残されたエーテルが少なくなっているのだろう……エーテル弾が命中しても泥人形はびくともしなかった。
私は腰の鞘から『エーテル無尽刀』を鞘から抜いて振り上げる。
エーテル無尽刀は7式織姫お母さんカスタムの固有武装だ。5メートルを超える刀身がエーテルをまとって青白く輝いている。柄尻からはエーテルを補給するための導線が伸びており、7式織姫の胴体につながっていた。
「いいんちょぉおおおおおおっ!!」
委員長の機体に群がる泥人形たちに向かってエーテル無尽刀を振り下ろす。
鯨の巨体に象の頭がついている醜悪なキメラ。
蔓植物の先端にライオンの頭が無数についている怪物。
空間を覆い尽くすほどに群れている犬の顔をした魚たち。
私は一瞬も止まることなく泥人形たちを斬り捨て続ける。
泥人形は体を多少切断しても、周囲のエーテルを吸収して再生してしまう。しかし、その頭部にある『中心核』を破壊することができれば、泥人形の体は細かく分解されて宇宙の塵となるのだ。
『み、水瀬さん……』
通信用のモニターに委員長の姿が表示される。
泥人形との戦いで心身共にすり減らしたようで、彼女の声はいつになく弱々しかった。
「エーテル残量が少ないんだろ? ここは私に任せて帰れ!」
『どうして、水瀬さんがここに……』
「そんなの今はいいだろ! とにかく戦えないやつは下がれ!」
『……わ、分かったわ!』
委員長の機体がよろめきながら引き返す。
彼女に続いて生き残った訓練生たちが帰還し始めた。
正規の操縦士たちは奮闘しているものの、なにしろ星々よりも泥人形の方が多く見えるくらいだ。泥人形を一体撃破しても、すぐにその数倍の量が群がってくる。そして、泥人形に囲まれたら織姫の動きが鈍り、羽衣のエーテル回収率が落ちてじり貧に……という悪循環だ。
しかし、7式織姫お母さんカスタムだけは事情が違う。
自動補正機能のついていない7式織姫は、新型である8式織姫よりも遥かにスピードを出すことができる。動きが素早いほど羽衣のエーテル回収率は上昇し、ある一点から『消費するエーテルの量よりも回収できるエーテルの量が多くなる』のだ。
すなわち、7式織姫は理論上エーテルを無限に使って動くことができる。莫大なエーテルを消耗するエーテル無尽刀が使えるのも、無尽蔵にエーテルを回収することができるからだ。
「いくらでもかかってこいっ!」
私は虚勢を張る。
さっきから心臓の高鳴りが止まらない。泥人形たちの群れに飛び込むのは恐ろしく、背筋が冷たくなって全身が震えてくる。それでも今ここで戦うしかない。泥人形を倒せなかったら次に狙われるのは少女499龍城だ。
(もしかして、お母さんも同じ気持ちだったのかな……)
私はようやくその考えに至る。
後悔したくない、今はやるしかない、他にどうにもならない。そんな状況はきっといくらでもある。お母さんは勇敢に戦っていたわけじゃなく、もしかしたら状況に迫られて……けれども誰かに強制されたわけではなく、必死に戦いを切り抜けていたのかもしれない。
死ぬほど怖い……でも、戦いからは逃げない。
(私、お母さんと同じことができてる?)
一心不乱に戦い続けること数十分。
気がつくと泥人形たちの方が敗走を始めていた。
泥人形たちが散り散りになる光景を目の当たりにして、私は少しだけホッとする。
モニターに表示されている泥人形撃墜数は軽く三桁に到達していた。
(これで危機は脱したはず……)
正規の操縦士たちの喜ぶ声が、無線通信からいくつも聞こえてきた。
そのときだった。
8式織姫をすれ違いざまに撃墜しながら、一体の泥人形が超高速で私たちの間に飛び込んできたのである。
私は思わず目を見張る。
流線型をした女性らしい人型のフォルム……その泥人形は織姫と同じ形をしていた。しかも背部のエーテル推進機関が大型で、腰にはエーテル無尽刀を装備している。
「お母さんの7式織姫!」
織姫型の泥人形が私めがけて襲いかかってくる。
私は超高速の一撃をエーテル無尽刀で受け止めた。
「お前が……お前がお母さんを殺したのかっ!」
織姫型の泥人形は答えることなく、接近と離脱を繰り返しながら私を攻め立てる。そいつの軌道はエーテル推進機関(を模したもの)から放たれる光の筋にしか見えない。
私は攻撃をしのぐので精一杯で、その場で完全に足が止まってしまった。静止状態では羽衣でエーテルを回収できず、みるみるうちに7式織姫の本体に残されたエーテルが減少し始める。
『水瀬、そいつから離れろ!』
通信機から司令室にいる管理人さんの声が聞こえてきた。
『そいつは7式織姫の性能を……しかも、お前の母親の動きすらも完璧に模倣している! こちらで対処するから、あと三分だけ指定の座標に引きつけてくれ! その間、絶対に死ぬんじゃないぞ!』
「死ぬなって……それが一番難しいですって!」
メインモニターに送られてきた座標が浮かび上がる。
私は逃げるようにして織姫型の泥人形を引きつけた。
もはや正規の操縦士たちが戦いに割り込む余地はない。
受け止めきれなかった敵の攻撃が、7式織姫の装甲を剥がしていく。
操縦席に伝わってくる衝撃と振動で目眩がしてきた。戦いが始まってから心臓は爆発しそうなほど高鳴りっぱなしだ。7式織姫の高速移動で発生する重力を『重力相殺装置』が相殺しきれず、全身が押しつぶされそうなほど圧迫される。
『グンジョウ……グンジョウ……』
突如、私にも似た聞き覚えのある声が通信機から流れてくる。
通信の発信元は織姫型の泥人形を指し示していた。
『オカアサンヨ……アナタノ、オカアサンヨ……』
「ふざけるなっ!! お前なんか、お母さんじゃないっ!!」
私はエーテル無尽刀を振りかぶり、織姫型の泥人形に斬りかかる。
瞬間、カウンターを取られて7式織姫の右腕が斬り飛ばされた。
苦し紛れに胸部の実弾滑空砲を連射するものの、予備武装の威力では織姫型の泥人形を一時的に追い払うので精一杯だった。
(でも、三分は稼げた!)
予定通りの時間に管理人さんから通信が飛んでくる。
『水瀬、全力退避!!』
「――はいっ!」
私は機体を反転させて、その場から一目散に退避する。
直後、隕石のような巨大物体とすれ違った。
それは少女499龍城の本体から切り離された建物の一部で、大きさは100立方メートル程度……その重量はおおざっぱに計算しておおよそ100万トンに達する。これぞ少女499龍城の最終兵器『本体分離重質量砲』だ。
私を追いかけてきた織姫型の泥人形が、100万トンの建物の固まりに衝突する。そいつの体は建物にめり込むと、そのまま宇宙の彼方へとすっ飛んでいった。
あっという間にレーダーにも映らなくなる。
『本体分離重質量砲、命中だ』
管理人さんの声が通信機から再び聞こえてきた。
『ひとまず100万キロメートルほど吹っ飛ばせるだろう。体勢を立て直すだけの時間はこれで稼ぐことができた。よくやったな、水瀬!』
「そ、そうですかぁ……」
私は戦いの終わった安堵感と疲労感でぐったりしてしまう。
素直に喜ぶ気力もないまま、どうにか帰還に向けて7式織姫を動かすのだった。
少女499龍城に帰還した私は、ひとまず7式織姫を格納庫に移動させた。
格納庫では帰還した8式織姫の修理が急ピッチで始められている。
みんなに拍手されながら凱旋できるのでは……と心のどこかで期待していたのだけど、実際はそんな暇があるはずもなく、ゴーグルの女の子を初めとする整備兵たちは、とてつもない慌ただしさで仕事に追われているのだった。
私は胸部ハッチから外に出て、やっとのことでタラップを下りる。
(や、やばい……意識が……)
どうにかタラップを下りきったものの、前のめりに倒れそうになってしまう。
しかし、そんな私を抱き留めてくれる人がいた。
委員長だ。
彼女はフィットスーツを脱いですらいない。
もしかして、私のことを待っていたのだろうか?
「委員長、本当にごめん……」
彼女の胸に顔を埋めたまま、私は早く楽になりたい一心で言った。
「えっ……い、いきなりどうしたの?」
「加々美の遺伝子には操縦士の適性がないって言ってごめん。あれは根拠のない私の完全な決めつけだった。委員長は本当にすごいよ。初めての実戦だったのにあれだけの泥人形に囲まれても耐えていた。絶対に委員長には操縦士の才能があるよ」
「そ、そんないきなり謝られたりほめられたりしても……」
委員長が私の両肩を持って体を起こさせる。
すると、眉毛がハの字になった彼女の困り顔が目に入った。
「……あれは私が悪かったのよ。あなたの才能をうらやんでいた。でも、それは自分に自信がなかっただけなの。実地試験のことが不安で仕方なくて、あなたに当たることでしか気持ちを誤魔化すことができなかった。叩いてしまってごめんなさい」
「はー、なんだなんだ……」
私はなんだかホッとしてため息をついてしまう。
委員長が怪訝そうに眉をひそめた。
「な、なんだなんだ……ってなによ?」
「委員長でも嫉妬とかするんだって分かって逆に安心した」
「あなたは私をなんだと思ってたのよ……」
あきれたような安心したような顔をする委員長。
そんな彼女の表情を見て、私もつられて顔が緩んだ。
「私、やっぱり操縦士を目指すよ。今更って思われるかもしれないけど……」
「なってもらわないと困るわよ。あの7式織姫はあなたしか操縦できないじゃない」
「そう考えると……私、やっぱりお母さんの娘でよかったな」
後悔しないために戦いたい。
そう思ったとき、実際に戦える力が私にはある。
それはきっと厳しいけど悪くない運命だろう。
「ねえ、あなたのこと……これから下の名前で呼ぶわね」
委員長が唐突に言ってきた。
私は面食らってきょとんとしてしまう。
「え? なんで?」
「だって、大切なのは遺伝子じゃなくて、あなた自身であることでしょう? だから、これからは私のことも『加々美』でも『委員長』でもなくて、ちゃんと『玲音』って呼んでよね。それでフェアってものでしょう?」
こんなに強く迫られたら断るわけにもいかない。
(しかし、今更になっていきなり名前で呼び合うって恥ずかしいな……)
なんだか顔が少し熱くなってきた。
「わ、分かったよ……玲音さん」
「改めてよろしくね、群青さん」
今まで見たことのない満面の笑みを浮かべている委員長。
どうやら、妙に意識してしまって恥ずかしがっているのは私だけらしい。
よくよく考えてみると、クラスメイトに下の名前で呼ばれるなんていつ以来だろう? もしかしたら、それは初めての経験だったかもしれない。私はいつも水瀬のクローンで、エースパイロットの娘で、やる気のない冷めたクラスメイトだった。
(それにしても、私だけ恥ずかしがってるってのはシャクだな……)
私はおもむろに委員長の……玲音さんの両肩をつかむ。
それから、間髪入れずに彼女の唇にキスをした。
「むぐっ!?」
玲音さんがおかしなうめき声をあげる。
それから、彼女の顔が沸騰したように赤くなった。
「な、な、なにするの、群青さんっ!?」
「操縦士同士でキスしておかないと実戦で連携が乱れる……ってジンクス、知らない?」
「し、知らないわよ、そんなのっ!!」
そりゃあ知らないだろう。
なんたって、これはお母さんが勝手に言っていたジンクスだ。それを口実にして可愛い操縦士とキスしようとしていたらしいけど、大人気のエースパイロットなんだから、そんなことしなくてもキスくらいし放題だと思うけど……。
「ふーたーりーとーもーっ! おーつーかーれーさーまーっ!」
そのとき、エレベーターの方から虎谷さんの声が聞こえてくる。
私たちが帰ってきたのを聞きつけて迎えに来てくれたのか、彼女はタオルやら飲み物やらを山ほど抱えていた。
「ほら、行こう。玲音さん!」
「ちょ、ちょっと……さっきのジンクスって本当なの!?」
私は玲音さんの手を引き、虎谷さんの方に向かって歩き出す。
お互いに恥ずかしがっているせいで、二人とも手が汗まみれという始末だ。
これが私と……私たちと泥人形の本格的な戦いの始まりだった。
もちろん、あの織姫型の泥人形との再戦は避けられず、私はあいつと決着をつけることになる。
でも、それはまた別の話だ。
(おしまい)
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