第44話 ユリ鮫嵐
木刀が湿気混じりの空気を切り裂いている。
日課の素振りをしていると、その日の体調の良し悪しが分かるようになった。
空気を切り裂く音、肌から噴き出る汗、足裏に感じる床の感触。
今日の私――キャサリン・クラフトは絶好調だ。
アメリカはカリフォルニア州の生まれである私が、日本にやってきたのはサムライになりたかったからである。この少女九龍城で何の因果か本物のサムライに出会い、それから日々の稽古によりいっそう打ち込むようになった。
憧れのあの人に近づきたい。
でも、私はあの人のようにちゃんと強くなれてるのかな?
そもそも、剣術の腕前を鍛えてるだけであの人に近づけるのかな?
今日も答えを見いだせないまま日課の素振りを終える。
木刀で竹を真っ二つにできそうなくらい体の調子はいいのに……。
「はぁ、今日の分はおしまい」
私は武道場をあとにする。
この場所には憧れのあの人に稽古をつけてもらったときの空気が残っていた。
私は大浴場で朝風呂を浴びて、浴衣姿で食堂にやってきた。
食堂には元気に早起きしてきた女の子や、徹夜で意識朦朧としている女の子が、テーブルで固まっていたり、一人の時間を楽しんでいたり、そこら辺の床に寝そべっていたり、想いもゐの時間を過ごしている。
サムライが現代に生き残っていないと知ったときこそ、日本での生活に絶望して故郷のカリフォルニアに帰りたくなったが、今はもうすっかり少女九龍城の生活になじんでしまった。ここの気楽さは実家以上と言っても過言ではない。
私がカウンターで朝ご飯(昨日のカレー)を受け取ってくると、
「キャシーちゃーん! おはよーっ!」
住人仲間の虎谷スバル(こたに すばる)さんが手を振ってきた。
虎谷さんはこの少女九龍城でも貴重なレトロゲームプレイヤーである。
私はたまに時間が合うと彼女と一緒にゲームを遊んでいるのだった。
「おはよう、虎谷さん。いつもの二人は?」
「先に二人で食べちゃったみたい。最近、仲良しみたいなんだよね」
「ふーん、あの犬猿の仲だった二人が……」
超常現象よりもよっぽどの珍事である。
虎谷さんがカレーをもぐもぐしながら言った。
「それよりもさ、このあと暇ならサムスピやろうよ」
「おっ、やる気だね」
「六道烈火の成功率、かなり上がったから試したい――」
そのとき、食堂の窓という窓がいきなり激しい音を立てた。
わいわいキャッキャと騒いでいた住人少女たちが一斉に振り返る。
少女九龍城は昨晩から激しい嵐に見舞われていた。
それはもう屋根が吹き飛ぶかと思うような勢いで、食堂の窓にはどこかから飛ばされてきた木の葉やら新聞紙やらが貼り付いている。このままではドアやら屋根瓦やらが突っ込んできてもおかしくない。こんな天気では大人しく稽古するか、ゲームでもするしかなかった。
「こいつはまるで……」
意味深なことを呟いたのは住人仲間の倉橋椿(くらはし つばき)さんである。
彼女は換気扇のそばでけだるげに煙草を吹かしていた。
可愛い女の子を引っかけてはベッドに誘い込んでいるらしい倉橋椿さんは、カリフォルニア育ちの私からしてもマリファナ決めてんじゃないかと思うほどロックな存在である。恋人ができて若干わずかに多少ながら丸くなったようだが……。
「まるで、なんなの?」
私が聞いてみると、倉橋椿さんは煙草の煙をわっかの形に吐いた。
「これはその……あくまで本で読んだ話なんじゃけどね。この少女九龍城ができる前に、ここら辺がとんでもなく激しい嵐に襲われたらしいんじゃよね。で、危うく建物が全壊する勢いだったんじゃけど――」
ドカン!!
またもや食堂に大きな音が鳴り響いて、住人少女たちが一斉に振り返る。
それはドアを蹴破るような勢いで、住人仲間の加納千鶴(かのう ちづる)さんが食堂に飛び込んできた音だった。
彼女は雨粒が窓を叩く音にも負けない大声で叫んだ。
「サメだぁ――――――――――っ!!」
窓の外を指さしている加納千鶴さん。
住人少女たちは一瞬ぽかーんとしていたが、すぐさま窓に貼り付いて外の景色を見た。
私も虎谷さんと一緒になって窓を覗き込む。
途端、驚きのあまりに口があんぐりと開いた。
私たちのいる少女九龍城の人口密集地、居住区に巨大な竜巻が迫っていたのである。
巨大な竜巻は家屋を粉々に砕きながら、ゆっくりと……しかし確実にこちらへ近づいてきていた。コンクリートや鉄筋を巻き込んだそれは、さながら生きた巨大ミキサーの如く、飲み込んだものを切り刻んでいった。
サメはその中にいた。
まるで海中を泳ぐように竜巻の中を自由に泳ぎ回っている。
それも一匹や二匹ではなく、竜巻の中に黒々とした魚群ができていた。
「ホオジロザメ!」
虎谷さんがいつの間にか双眼鏡を覗き込んでいた。
彼女の言葉が引き金となり、このままパニック突入かと思った瞬間、
「全員、地下室に退避しろっ!!」
冷静に状況を把握していた管理人さんが声を張り上げた。
竜巻に乗ってサメが襲いかかってくるという常軌を逸した状況でも、的確に避難指示を出してくれる……流石は少女九龍城の管理人さんである。住人少女たちも彼女の言った通りに慌てず騒がず避難を始めた。
「キャシーちゃん、私たちも逃げないと――」
「いや、私はやることがある」
袖を引く虎谷さんの手を振り払って、私は食堂の外に飛び出した。
住人少女たちが逃げる方向とは逆に向かって走る。
私は自室に辿り着き、畳敷きの部屋の奥にあるふすまを開けた。
「それは?」
結局、私の部屋までついてきた虎谷さんが尋ねた。
ふすまの奥にあったもの……それはガソリンエンジンで動く工作機械である。
「これは私のパパがプレゼントしてくれたマキタ製のチェーンソーだよ」
「キャシーちゃんのお父さん、木こりしてるの?」
「虎谷さんはアメリカで毎年1億人がサメに食べられて死んでいるのは知ってる?」
「それ人口の3分の1くらい死んでるんじゃ……」
「私のパパはそんな人喰い鮫を退治するシャークハンターだったんだ」
私は金色の髪をポニーテールに結び直す。
それから、ずっしりと重いチェーンソーを両手で持ち上げた。
「私もサムライに憧れて日本に来るまでは、パパからシャークハンターになるための手ほどきを受けてた。本物のサメと戦ったことはないけど、中学生のときに仮免許はもらってるからなんとかやれるはず……」
人喰い鮫にはチェーンソーで立ち向かう……それがシャークハンティングの基本である。
本当はショットガンとダイナマイトもほしいところだが、今はチェーンソーが手元にあることだけでもありがたく思うしかない。
「まさか、本当にそのチェーンソーで戦うつもりなの!?」
「あの竜巻の勢いから考えて間違いなく、みんなが地下に逃げ切る前にサメは襲ってくる。誰かが足止めしないとサメに食べられる人が出るかもしれない。それなら、半人前でもシャークハンターの私が行く!」
自室を出ようとする寸前、戸棚に飾ってあった日本刀が目に止まった。
憧れの人から受け継いだそれは、無銘であるがかなりの業物である。
ホオジロザメと戦うには心許ないが、お守り代わりとして腰に差しておくことにした。
改めて自室から廊下に出ると、その瞬間に「外に出たんだっけ?」と錯覚するほどの突風が襲いかかってくる。窓か、壁か、はたまた屋根か……どこかに穴が空いて、風が吹き込んできているのは明らかだ。
「うわああああっ!」
虎谷さんが突風に耐えきれず、コロコロと転がっていった。食堂の方に転がっていったので、きっと管理人さんが拾ってくれるだろう。
私はチェーンソーを構えながら、真正面からの突風に逆らって前進する。
それにしても、まさか日本の地でサメと戦うことになろうとは思わなかった。日本にもサメが住んでいることは知っていたけど、少女九龍城の近くに海なんて――
「……殺気!?」
私は強烈なしびれを肌で感じ取る。
瞬間、強烈な突風に乗って一匹のホオジロザメが前方から宙を泳いできた。体長は5メートルに達しており、大きく開いた口には無数の歯が覗いている。
私はとっさにチェーンソーのエンジンを吹かした。
大上段に構えてホオジロザメを引きつける。
視界がブラックホールのような暗がりと無数の歯に埋め尽くされた瞬間、ホオジロザメの鼻先に向かってチェーンソーを振り下ろした。
この世のものとは思えない雄叫びをあげながら、ホオジロザメが綺麗に真っ二つになる。
私は床まで食い込んだチェーンソーを持ち上げた。
今さっきホオジロザメを倒した攻撃……あれはシャークハンターの技というよりも、日頃から鍛えてきた剣術の太刀筋に似ていた気がする。
初めてサメを倒した手応えを忘れないうちに私は再び進み始める。
サメが侵入してきたとおぼしき場所は、それからすぐに見つけることができた。
廊下の窓ガラスが窓枠ごとぶち破られていたのである。
「おーい、キャシーっ! 戻ってこーいっ!」
そのとき、背後から管理人さんの声が聞こえてくる。
私は窓だったところを乗り越えながら声を張り上げた。
「管理人さーん! ここ、塞いどいてーっ!」
「馬鹿を言うなーっ! お前が戻ってこられなくなるぞーっ!」
「私は大丈夫だからーっ!」
どうにか建物の外に出て、私は目前の竜巻を見上げた。
巨大な竜巻はサメの群れを巻き上げながら、刻一刻と少女九龍城の人口密集地に近づいてきている。
屋根が剥がれそうなほどの突風が四方八方から襲ってくるが、私のいるところは建物同士の隙間で横幅は5メートルくらいしかない。ここにサメは一匹ずつしか入ってこられないし、風が吹き込むのも真正面からに限られていた。
竜巻の起こした突風は建物同士の隙間に流れ込み、先ほどの穴から少女九龍城の隙間に吹き込んでいる。
サメは人間の匂いをかぎ取って、少女九龍城に侵入しようとしてくるため、ここで待ち構えていれば必ず食い止められるという算段だ。
案の定、戦闘機からミサイルが撃ち出されるかの如く、5メートルを超えるホオジロザメたちが次々と襲いかかってくる。
私は大上段に構えたチェーンソーを振り下ろして一匹、そこから逆袈裟に切り上げてもう一匹、とどめ真一文字斬りでさらに一匹のホオジロザメを立て続けに倒した。
チェーンソーの刃についた血糊を突風が吹き飛ばす。
どっと吹き出した汗も雨に混じり、火照った肌の熱も一瞬で奪われていった。
でも、サメを倒したという手応えはハッキリと残っている。
この勢いなら行ける!
それは正しい確信だったのか、それとも慢心だったのか……。
突如、体長10メートルを超えるホオジロザメが襲いかかってきた。
あまりの巨体に左右の建物の壁を破壊しながら突っ込んでくる。
でかいけど戦うしかない。
覚悟を決めてチェーンソーを振り上げた瞬間、信じられないものが目に止まった。
「このホオジロザメ……頭が二つあるっ!?」
パパから聞いたことがある。
ホオジロザメの中にはより多くの人間を襲うため、複数の頭を持って生まれてくるものがいるらしい。
頭が二つある分、体の大きさは二倍、頭の良さも二倍、心臓も二つあるから一回の攻撃で倒すことも困難なのだとか……。
とにかく頭を一つだけでも潰しておくしかない!
私は突進してきた双頭のホオジロザメに向かってチェーンソーを振り下ろした。
……が、これがうかつだった。
双頭ホオジロザメの右頭部がチェーンソーを歯で受け止めたのである。
それも回転するチェーンには触れず、それを支えるガイドバーだけを噛んでいた。
攻撃を受け止められて無防備になった私に、双頭ホオジロザメの左頭部が襲いかかる。
これは、死――
「助太刀いたすっ!!」
その声の主は建物の窓を突き破りながら現れた。
私の体を突き飛ばしながら、雨露で濡れた日本刀を振り下ろす。
双頭ホオジロザメは片目を奪われると、慌てて身を翻して竜巻に一旦引き返した。
私は助けてくれた人に引っ張られて物陰に姿を隠す。
パパからもらったチェーンソーは、双頭ホオジロザメに本体を噛み砕かれて、もはや使い物にならなくなっていた。
「お前……キャシーじゃないか!」
名前を呼ばれてから、ようやく気がついた。
私を助けてくれた人が、憧れの新藤ひばり(しんどう ひばり)さんだと……。
着流しにマフラーという格好まで、あの出会った日と同じままだった。
「ひ、ひばりさんこそ、どうしてここにっ!?」
「怪雨(あやしあめ)に巻き込まれてな……気づいたら見知らぬ場所に来ていた」
「あやしあめ……ファフロッキーズ!?」
空からあり得ないものが降ってくる超常現象、ファフロッキーズ。
少女九龍城では時間と空間が簡単にねじ曲がる。空から魚が降ってきたこともあった。それなら、竜巻に乗ってサメが襲ってくることもあるだろうし、それもまたファフロッキーズの範疇だろう。
ひばりさんの生きている幕末ないし明治の少女九龍城(と同じ場所にある建物)を襲ったファフロッキーズと、現代の少女九龍城を襲ったファフロッキーズがリンクした。それは奇跡というか、災難というか……。
「キャシー、同時にやるぞ」
ひばりさんが鞘に収めた愛刀を見せる。
私も腰に差したままの日本刀を手に取った。
「……分かった。やるよ!」
「その意気や、よし!」
私たちは隠れていた物陰から飛び出す。
双頭ホオジロザメは竜巻の中を泳ぎながら、再び攻撃するチャンスを伺っていたようで、私たちの姿を見つけるなりに急降下してきた。
二つの口は鋭利な歯を剥き出しにして、こちらを丸呑みにしようと大きく開いている。
私と椿さんは刀を鞘に収めたまま、双頭ホオジロザメが迫ってくるのを待った。
「姿勢はなるべく低く……腹の下に潜るようにして切り上げろっ!」
「はいっ! ひばりさんっ!」
踏み込んだのは同時。
私たちは体と影がシンクロするように、全く同じ軌跡を描いて刀を抜き放った。
二つの刃が突風と共に降り注ぐ雨粒を両断する。
直後、双頭ホオジロザメはあごの下から脳天までを綺麗に真っ二つになった。
断末魔が嵐の空にこだまする。
それが天にまで届いたのか、あるいは撤退の合図だったのか、途端に嵐は弱まり始めて、無数にいたサメたちは竜巻の中に姿を消していった。
私は刀を握りしめたまま、呆然として雨に打たれていた。
「ん? その刀は……」
ひばりさんが自分の刀を鞘に収める。
「もしかして、私の刀とそっくり同じものではないか?」
「そ、そりゃそうだよ! ひばりさんが地面に埋めといてくれたやつだし!」
「なるほどな。よく分からんが、地面に埋めればお前に渡せるんだな?」
それでいい……のかな?
なんだか、タイムパラドックス的なものを感じる。
「それにしても、キャシーは強くなったな」
ひばりさんが私の頭をぽんぽんする。
「そういえば、ひばりさんは背が高くなったよね。頼もしくなった気がする」
「私一人ではあいつらに勝てなかった。お前はもう立派なサムライだよ」
「ひばりさん……」
ひばりさんにほめられた途端、今まで胸の奥に押し込んでいたものがあふれ出てきた。
怖かった……本当はすごく怖かった。
命を懸けるなんて恐ろしすぎて、今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。
泣いたら視界がぼやけて戦えなくなる。
だから、絶対に最後まで泣くまいと必死に……。
「よく頑張ったな。今は好きなだけ泣いていいから」
ひばりさんが震える私の体を抱きしめてくれる。
彼女から伝わる体温が優しく私の心を温めてくれた。
「ひばりさん、私は――」
私が顔を上げると、ひばりさんの体は透明人間のように透け始めていた。
おそらくは彼女の元いた時代に戻ってしまうのだろう。
ひばりさんの方もそれを察して「時間だな……」と呟いた。
「不思議なものだ。景気づけに女を買いに来た私が、異人の娘であるお前に剣術を教えて、しかも一緒になって戦った。こんなこと奇跡としか言いようがないんだが、なぜだろう……キャシーとのつながりは絶対に途切れないように思えるんだ」
「私も……ひばりさんとはまた会える気がするよ!」
「また会おう、キャシー。そのときはゆっくり『でぇと』でも――」
ひばりさんの姿が見えなくなり、彼女の声も聞こえなくなる。
私はドキドキと高鳴っている胸に手を当てるのだった。
×
数日後。
管理人さんが住人少女たちにフカヒレのスープを振る舞ってくれた。
空から降ってきたものは魚でもサメでも食料にされてしまうらしい。
ちなみに私はサメ退治の功労者として、特別にフカヒレの姿煮を食べさせてもらった。
私はひばりさんにほめてもらえた嬉しさを胸に秘めて、とても誇らしい気持ちで人生初のフカヒレを味わうのだった。
「ひばりさん、また会いたいな……」
彼女と『でぇと』できるその日まで、剣術の稽古はしっかり続けよう。
私は改めて、ひばりさんから受け継いだ愛刀に誓った。
(おしまい)
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