第42話 私の彼女はポルノスター

 少女九龍城の地図を作ることは、この私……加納千鶴(かのう ちづる)のライフワークである。もっぱら測量器具を使って地道に作図しているが、未踏のエリアの地図を作る場合は、まず自分の足で歩き回って大まかな地理を把握する。


 私は今日もリュックを背負って、少女九龍城の薄暗い廊下を歩いていた。寝袋まで背負って歩いている様は、さながら山登りかキャンプにアウトドア少女だが、私は生まれてこの方、根っからのインドア派……というか、ぐーたら派である。


 少女九龍城の地図作りをしていなかったら、私はきっとおしゃれを知らず、恋も知らず、無趣味で無味乾燥とした人生を送っていただろう。あとは少女九龍城の地図を作ることで、お金を稼げたりしたら言うことないんだけどなあ……。


 そんなことを考えながら歩いていると、板張りの廊下の突き当たりに階段を見つけた。一見したところ、階段の先は天井にふさがれてしまっているが、こういうときは天井の板が外せるようになっているのがパターンである。


 私は階段を途中まで上って、両手で天井を力一杯の押し上げた。

 ギシギシと音を立てて、天井の板が外れる。

 板の外れた隙間からほこりが落ちてきて、私は思わず咳き込んでしまった。


 さて、鬼が出るか蛇が出るか……。

 私は懐中電灯を構えて、天井に空いた入口から顔を出す。

 すると、懐中電灯に照らされた何かの影が、やたらと白い壁にくっきりと映し出された。

 いや、これは……単なる壁ではなく映画のスクリーン?


 私はすぐ近くの壁にあった電気のスイッチを入れる。

 頭上の梁にぶらさがっている裸電球がチカチカと点滅し始めた。


「ここは……映写室?」


 私が懐中電灯で照らしたのは、ほこりをかぶった映写機だった。

 壁際に並んでいる棚には、ケースに入った8ミリフィルムが並んでいる。棚を埋め尽くすほどではないが、少なくとも両手では数え切れない量だ。こちらも映写機と同じく、すっかりほこりをかぶってしまっている。


 私はフィルムケースを手に取り、ほこりに息をふっと吹きかけた。

 昭和62年、とフィルムケースには油性ペンで書かれている。

 ざっと30年前の代物……なかなか古いものを発掘してしまったようだ。


「む?」


 私はフィルムケースの隣に置かれていたものを手に取る。

 取っ手のついている縦長のカメラ……いわゆる8ミリカメラというやつらしい。

 ということは、ここにあるフィルムは少女九龍城の住人少女が撮影した30年前のホームビデオということだろうか? 昔の少女九龍城がどういうものなのか興味はある。住人仲間を集めて上映会なんてしたら面白そうだ。


 私は8ミリカメラを片手に来た道を引き返す。

 これは今すぐみんなに報告しなければ!



 その日の夕食後、食堂で早速上映会が行われることになった。

 上映会をするにあたって、住人仲間たちは積極的に手伝ってくれた。映写機とフィルムの運び出しから、スクリーンや暗幕の設置まで、イベントごとになると実に手際がいい。映写機を動かせる子までいてくれたのは本当に助かった。


「30年前か……流石の私も生まれてないな」


 丸いすに腰を下ろして、缶チューハイをあおっている管理人さん。

 最年長の彼女がこれなのだから、30年前なんて遠い昔である。

 食堂に集まった住人少女たちはわくわくした様子で上映を待っている。


「それじゃあ始めるッスよー!」


 そう言ったのは住人仲間の二宮梢(にのみや こずえ)さんである。

 彼女はカメラマンを目指している女の子で、普段はアナログカメラで(やむを得ず)盗撮写真ばかりを撮影している。その腕前はかなりのものだが、まさか8ミリフィルムの扱いまで心得ているとは思わなかった。


 からからと音を立てて映写機が動き始める。

 8ミリフィルムがリールに巻き取られていくと、真っ白な大型スクリーンにノイズ混じりの映像が映り始めた。


 おおーっ、と住人少女たちから歓声が上がる。

 スクリーンにちょうど映し出されたのは、私たちの集まった食堂の風景だった。


 少女九龍城はとにかくボロいが、映し出された風景も今と変わらずボロい。現在との違いといったら、置かれているテレビがブラウン管だったり、ニンテンドースイッチの代わりにファミコンが置かれていることくらいか。少女九龍城の中の時間、本気で止まってるんじゃないだろうな?


 カメラが動いて、今度は30年前の住人少女たちが映される。

 瞬間、観客たちがどよめき始めた。

 これは……古いっ!

 何が古いって、ファッションが致命的に古いっ!


 黒髪ロングと呼べば聞こえはいいかもしれないが、なんだかもっさりしているし、前髪は大げさにカールしている。

 ど派手な色をしたスーツはやたらに肩幅が広い。化粧だって眉毛が太すぎるし、一周回って流行っているのは真っ赤な口紅くらいか?

 学生服を着ている子の中には、スカートが床まで届きそうなスケバンスタイルや、特攻服を身にまとったレディーススタイルが混じっている。


 で、そんな子たちが食堂の天井に設置されたミラーボールの下で踊り出す。

 これはこれで面白そうである。

 テーブルの上で扇子をフリフリしている子なんて最高にノリノリだ。

 これはしばらくしたら真似する子が現れそうだな……。


 フィルムはしばらくディスコ状態の食堂を映して終わっていた。

 観客たちから即座に「次のやつをかけて!」とせがまれる。

 二宮さんは慣れた手つきでフィルムを取り替えた。


 スクリーンには昼間の少女九龍城の風景が映し出される。

 今度は誰かの自室らしく、二段ベッドの置かれた手狭な個室に五人の住人少女が集まっていた。ファッションこそ古いのだが、やってることは今と変わらない。

 ファッション雑誌をめくったり、少女漫画を回し読みしたり、ラジカセで音楽を聴いたり、仲良さそうにくっついてイチャイチャしたり……。


 五人の住人少女はしきりにおしゃべりしているが、残念ながら音声を録音したテープは見つからなかった。しかし、彼女たちの笑顔を見ているだけで、その楽しさは十二分に伝わってくる。

 この子たちも今では40代……そう思うとなんだか感慨深い。


 記録が残る、というのはいいことだ。

 そりゃあ、人生はよいことばかりではない。

 でも、よいところだけを選んで切り取ることはできる。


 私の書いている地図も一種の記録だ。この地図はアナログ的、デジタル的に未来へ受け継がれる。それを未来の人たちが見たら、もしかしたら今の私と同じような……当時を知らないのに懐かしさに襲われるのかもしれない。


「それじゃあ、三つ目ッスね」


 二宮さんがフィルムを取り替える。

 そして、スクリーンに映像が流れ始めた瞬間、これまで以上の歓声が沸き起こった。

 三つ目のフィルムにはこれまでにないタイトルテロップが入っていたのである。

 それも『私の彼女はポルノスター』という刺激的なタイトルだ。


 私は嫌な予感を覚えた。

 もしかして、これは上映したら駄目なやつなのでは……。

 そう思った矢先、スクリーンに初っぱなから濡れ場が映された。


 それも単なる濡れ場ではない。ベッドに押し倒されている全裸の少女は十代半ば……いや、十代前半にしか見えず、どう考えてもアウト中のアウトである。音声こそ録音されてはいないが、今にも切なそうなあえぎ声が聞こえてきそうだった。


 ローティーンの少女を押し倒している方は十代後半とおぼしき少女である。この頃に流行っていたらしきソバージュヘアーで、陰影がくっきりしている鼻筋の通った顔立ちで、さっきまでは古めかしく見えていた太眉と赤い口紅の化粧が抜群に似合っていた。


 シチュエーション的にはおねロリというやつだろう。けれども、肉体的に成熟している少女が、未成熟な少女を押し倒してあえがせている様は、そんな柔らかそうな言葉には当てはまらない鬼気迫るものがあった。


 やっぱり止めるべきか……いや、でも、気になるような……。

 上映を真っ先に止めるべき管理人さんは酒が入ってすでに眠りこけていた。


 そうこうしているうちに画面が一瞬暗くなる。

 映像が再び流れ始めたとき、スクリーンに押し倒されている少女の顔がアップで映った。


 その途端、観客たちがざわめき、私は息を呑む。

 押し倒されている少女は、私たちの知っている女の子に瓜二つだったのだ。

 否、瓜二つなんてものではない。

 その女の子は私の恋人にして不老不死、倉橋椿(くらはし つばき)そのものだった。


 映像の中の椿さんが震える体をキュッとこわばらせる。

 彼女は目に涙を浮かべるほど、年上の少女からの愛撫に感じ入っていた。

 そんな椿さんの姿を目の当たりにして、私は下唇を強く噛んだのだった。


「加納さん、こ、こ、これ……」


 二宮さんがこちらに真っ赤な顔を向ける。

 観客たちも「本物? 偽物?」と聞きたそうな顔をしていた。


 今から30年前というと、ちょうど椿さんが少女九龍城に姿を現し、ガールズバンドで活動していたという時期である。だとすると、この映像に映っているのはそっくりさんではなく、やはり本物の椿さんなのだろう。


 私は両手を高く掲げて、大きくバッテンを作ってみせる。

 恋人が違うというのならそうなんだろう……と納得してくれたようで、観客たちはホッとため息をつき、再び椿さんの濡れ場を食い入るように見始めた。

 ここでふつーに見続けちゃうあたりが、彼女たちが少女九龍城の住人たる所以である。中には本気でムラムラしてきて、恋人と乳繰り合ったり、そっと食堂から出て行くものまでいた。


 ここまで来たら急に上映中止にする方が不自然か……。

 私は住人仲間たちに囲まれながら、自分の恋人が知らぬ女に乱されている姿を嫌と言うほど見続けることになったのだった。



「……で、どういうことなんですか?」


 上映会を終えたあと、私は椿さんの部屋に詰めかけていた。

 椿さんは麻縄で亀甲縛りにして布団に転がしてある。

 きんきらの屏風の傍らに布団が敷かれており、その上に縛られた赤襦袢の少女が乱暴に寝かされている有様は、どこからどう見ても女郎屋に買われてきた田舎娘だ。


「椿さんと寝ていた人は誰なんですか?」

「そ、そんな怖い顔で迫らないでほしいのじゃけど……」


 ははは、と苦笑いする椿さん。


「あれは……その……いわゆる元カノ――」

「は?」

「わ、わっちにだって元カノぐらいいるわ! 100年以上も生きてるんじゃぞ!」

「そ……それを言われると弱いです……」


 不老不死である椿さんの孤独は理解しているつもりだ。

 彼女は少女九龍城で数年を過ごしては、住人仲間に怪しまれる前に姿をくらます……というサイクルを繰り返してきた。その中では100年の孤独を埋めてくれるかもしれない相手との出会いもあったことだろう。


「でも、どうしてあんな映像を撮影したんですか?」

「おぬしは篠崎紀香(しのざき のりか)という女を知っておるか?」


 それくらいなら私だって知っている。ヴェネチア国際映画祭で賞ももらっている女性映画監督だ。アラフィフながら若々しいことで有名で、美しすぎる映画監督とか、美魔女とか呼ばれて話題の人である。


「……って、もしかして!」

「そう。あの動画を撮影した私の元カノというのが篠崎紀香ということじゃ」

「はー、未来の映画監督が……確かに面影がありましたが……」


 少女九龍城から輩出された有名人の話自体が初耳である。

 椿さんが昔を懐かしむように遠くを見つめた。


「あの当時、紀香は単なる映画オタクの女の子じゃった。必死にアルバイトして購入した8ミリカメラで、あいつは住人仲間の日常を撮影するばかりでな……わっちはしびれを切らして、映画を撮ってみたらどうだと言ってやった」


 ためらっている恋人の背中を押してやる。

 なんとも清々しい青春の思い出だ。

 それなのに……。


「どうして、濡れ場のシーンだけたっぷり30分の動画になるんですか?」

「あいつが撮りたがったんじゃもん、仕方ないじゃろ!」


 椿さんが珍しく顔を赤くして言った。


「まさか、いきなりポルノシーンを撮り始めるとは思わなかったんじゃよ!」

「まあ、そこまで吹っ切れるとは誰も思いませんよね……」


 よくよく思い返してみると、篠崎紀香の撮影した映画は濡れ場が非常に濃厚だった。

 その方向性と才能は彼女の処女作からすでに現れていたのだろう。

 住人仲間たちもあの動画に見入っていた。それは見慣れた人物のそっくりさん(ということでごまかしてある)の濡れ場だからというわけではなく、カメラアングルだとか、照明の具合だとか、画面全体から滲み出る雰囲気だとか……目の離せない魅力があったからだ。


「あいつは本格的に映画撮影の魅力にとりつかれて、映画監督になるべく少女九龍城から去って行った。わっちと一緒に生活しながら、映画を撮り続けるのは難しすぎたからのう……わっちも納得した上でさっぱりと別れた」

「そのあとは会ったりしてないんですか?」


 私がそう質問すると、椿さんはスッと視線をそらした。


「会ってはいないが……お金は送ってもらってる」

「はい?」

「あの動画を撮るにあたって、わっちはあいつと約束したんじゃ。あいつが有名な映画監督になったあかつきには、わっちの出演料込みで少女九龍城に寄付金を送ってほしいとな。その約束のおかげで、わっちはこうして家賃を払えているわけなんじゃよ」

「はー、そうだったんですか……」


 椿さんの生活費がどこから出ているのか前々から不思議に思っていた。これは勝手な先入観かもしれないが、世界的に認められている映画監督なら、仕事の稼ぎで椿さんを養うことくらい簡単だろう。


 これについて私がああだこうだ言うことはない。子供である私に椿さんを養う力はないからだ。少女九龍城を離れてから30年もの間、別れた恋人のため律儀にお金を送り続けている篠崎紀香にはむしろ頭が下がる。


「ぶっちゃけ寄付金が天文学的な数字になってきてるんで、わっち一人ではどう考えても使い切れんのでな……ちゃんと管理人さんのところに毎月少しずつ届くようにしてある。実際、あいつは少女九龍城のことも好きなんじゃろう」

「そうでしょうね」


 そうでなかったら、あんなに楽しそうな住人少女たちの姿を撮影しないはずだ。


「納得してもらえたかの?」


 椿さんが麻縄で縛られた体をもじもじさせる。


「納得してもらえたのなら、そろそろ縄を解いてほしいんじゃが……」

「ええ、確かに納得しました」


 動画を撮影した元カノとの関係。椿さんの生活費の出所。

 これらは私が口を挟む話ではない。


「でも、気持ちの方は収まっていません」


 私は仰向けに寝かされている椿さんの体にまたがる。

 それから、麻縄で押さえつけられている彼女の赤襦袢を強引にはだけさせた。

 麻縄のちくちくとした感触に刺激されて、硬くしこっている小さなつぼみが露わになる。


「チ、チズちゃん?」

「私の恋人が元カノとエッチしてる……そんな動画だけ記録に残ってるのは許せないです」


 私は8ミリカメラを取り出し、椿さんに向けて録画を開始した。

 椿さんの額から冷や汗がたらりと流れ落ちる。


「ま、待った! わっち、チズちゃんのこと愛しておる! ちゃんと愛しておるぞい! だから、わざわざ元カノに対抗してハメ撮りをおっ始めるだなんてことは――」

「今日は長い夜になりそうですね、椿さん」


 私は問答無用に彼女の乳首を指で摘まみ上げる。

 股の下で悶える恋人の姿をカメラのレンズ越しに観察していると、いつもは感じたことのないサディスティックな気持ちが胸の奥から込み上げてくるのだった。


 ×


「はい、没収!」


 翌日、私は椿さんの部屋で正座させられていた。

 彼女の手で8ミリカメラを没収され、フィルムは焼き捨てられてしまった。

 あのフィルムには乱れる椿さんだけでなく、私自身も映っていたというのに……。


「おぬし、もしかして自分の姿をビデオで見たかったとか思っておらぬよな?」

「ぎくっ……」

「おぬしのナルシスト気質は相変わらずじゃな……まあ、それを分かったうえで惚れてしまったんだから、今更ぐだぐだと言うつもりもないんじゃけども。いつの日か、おぬしのナルシスト気質が吹き飛ぶくらいメロメロにするから覚悟しておくように!」

「椿さぁん!」


 私は椿さんに抱きつき、そのまま乱れまくりの布団に押し倒した。


「それはそれとして、昨日はかなり盛り上がりましたよね?」

「おぬし、全然懲りてないじゃろっ!!」


(おしまい)

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