第41話 若干運命黙示録

 飢えていた。

 何に? 情熱的なキスに、だ。


 私、桃原京子(ももはら きょうこ)は自他共に認めるキス魔である。

 キス魔に開眼したのは十歳のときだ。クラスメイトの女の子にキスして以来、女の子をキスでときめかせることにはまってしまったのである。何の取り柄もない自分にとって、女の子とのキスとはアイデンティティそのものなのだ。


 そんなわけで、私は少女九龍城での『キスカツ』に励んでいたのだが、心の片隅では「こんな程度でいいのか?」と疑問を浮かべていた。

 少女九龍城では性の乱れなんて日常茶飯事である。ここには女の子同士だから云々という意識は存在しないらしく、同性同士のキスくらいは当たり前で、ときには朝っぱらから夜の営みをおっ始めるものまでいる。


 それは、まあ、別にいい。朝からくんずほぐれつするやつらを相手に、キス一本で渡り歩く覚悟は決まっている。

 キスよりもセックスの方が高尚であるなどと誰が決めたのか!

 気持ちよいなどと誰が決めたのか!

 私はそんな思いを抱きながら、少女九龍城の住人少女たちに辻斬りの如くキスしてきたわけだが……どうも最近はもやっとしていた。

 原因は分かっている。禁断のキス感が足らないのだ。


 少女九龍城の外の世界では、女の子同士のキスは禁忌である。

 私にキスされた女の子は、快にしろ不快にしろ、とても大きく感情を揺さぶられた。

 しかし、少女九龍城の住人少女は女の子同士のハイレベルなスキンシップを日常的に目の当たりにしているため、私が辻ディープキスをかましても「まだ歯磨きしてないのに困っちゃうなあ」くらいの反応しかしないのだ。


 外の世界はある意味で楽である。キスの快楽さえ教えてしまえば、相手に「桃原杏子さんって素敵!」と思い込ませるのは簡単だ。

 しかし、少女九龍城の住人少女たちは『普通のキス』に耐性がありすぎる。最初の一回目からプレミアムでなければいけない。


 そのためには……ただの桃原杏子では駄目だ。

 桃原杏子は王子様にならなければいけないのだ。


 ×


 少女九龍城の食堂前には掲示板が設置されている。

 掲示板に貼られているのはもっぱら管理人さんからの伝達事項だ。今月の催し物について、食堂の献立、大浴場の清掃アルバイト募集、落とし物のリスト、家賃滞納者に対する督促状なんてものもある。

 もちろん、それら以外にも住人少女が貼った張り紙がある。それは手作りの壁新聞であったり、ぷよぷよサークルの勧誘チラシであったり、誰に向けて書かれているのか分からない暗号文であったり……。


 私もそんな掲示板に一枚のチラシを貼り付けたのだった。

 予告状――筆ペンで書かれたその文字は住人少女たちの目を引いた。

 夕食の時間ということもあり、掲示板の前には女の子がわんさかと集まっている。


 私は廊下の角からざわつく住人少女たちを眺めながらほくそ笑んでいた。

 ふふふ……盛り上がれ! もっと盛り上がれ!


「なんなんですか、あれ?」

 尋ねてきたのは住人仲間のチズちゃんこと、加納千鶴(かのう ちづる)さんである。

 いきなり声をかけられて、私は内心びっくりしていた。


「チ、チズちゃんさんか……な、なにって……予告状だけど?」


 驚きが顔に出ないように気をつけながら答える。

 少女九龍城で最も唇を奪うのが難しい相手から、その唇を必ず奪ってみせる――と予告状に書いておいた。


 私自身、その『最も唇を奪うのが難しい相手』というのが誰なのかは分からないが、明日になれば住人たちが勝手にターゲットを噂してくれる。どんな相手にしろ、相手は少女九龍城に住んでいる女の子だ。難しいとはいっても限度がある。あとはキスさえ済ませてしまえば、私は晴れて『予告キスを成し遂げたすごいやつ』だ。


 経験上、キスとは雰囲気が八割、テクニックが二割である。

 テクニックを鍛えるのは難しいが、箔がつくことで雰囲気を出すことは簡単なのだ。


「いやぁ……これはやめておいた方が……だって、この相手って――」

「それでは私は失礼するよ。さらば!」


 私はチズちゃんさんに背を向けて食堂前から立ち去る。

 この場で注目を浴びるのは避けたい。

 何も考えてないことがバレたら目も当てられないし――


「あっ!」


 自室に戻る途中、大事なことを思い出した。


「夕食、食べてないじゃん!」


 今から食堂まで引き返すのはあまりに格好悪すぎる。

 キスで腹がふくれたらなぁ……と、このときばかりは真剣に思った。


 ×


 翌朝。

 私が空きっ腹を抱えて食堂にやってくると、掲示板の前には昨晩を超える人だかりができていた。チラシを貼った当日よりも、翌日の方が人が集まるとは知らなかった……なんて暢気なことを考えていたのだが、その余裕はすぐに打ち砕かれた。


「やあ、みんな! そんなに騒いでどうしたん……げ、げげ――っ!?」


 王子様らしからぬ声が喉の奥から飛び出す。

 私が貼り付けた予告状の隣、掲示板の中心に折りたたみナイフが突き立てられており、一枚のチラシが貼り付けられていたのだ。しかも、チラシには血文字としか思えないどす黒い塗料で「決闘、承った。夕刻、武道場で待つ」と書かれている。


 少女九龍城に変わった女の子が集まっているといっても、ナイフを持ち歩いているようなやつは一人しかいない。

 殺人鬼、三島悠里(みしま ゆうり)である。


 あなた、家賃払ってないから正確には住人じゃないでしょっ!?

 なんで『最も唇を奪うのが難しい相手』に名乗り上げちゃってんのっ!?

 あと、なんで決闘することにしちゃってんのっ!?


 私の動揺が伝播したのか、集まった住人少女たちがどよめき始めた。

 彼女らは「やめた方が……」とか「逃げてもいいんじゃ……」と呟いている。


「だ、だ、大丈夫だって!」


 私は口に出してから、なんて自分に言い聞かせてるっぽい言葉なんだ……と思った。


「三島悠里は殺人鬼って呼ばれてるけど、どっちかっていうと正義の味方だし!」


 そうなのである。

 三島悠里は確かに人を殺しているが、狙っているのは汚職した政治家とか、子供を虐待している親とか、ぼろ儲けしている新興宗教の教祖とか、狙っているのはいかにも死んだ方がマシ的な連中で――


「でも、被害者の家族のことまでは考えてないよね」

「うぐっ!」


 人混みの中から飛んできた言葉が私の胸にグサッと突き刺さる。

 そ、そうだよね、殺人鬼が100パーセント善人なわけないよね……。


「私も……決闘はやめておいた方がいいと思います」


 不意に声をかけられて振り返る。

 瞬間、私は声の主の顔ではなく、彼女の脚に視線を吸い寄せられた。


 黒のストッキングに包まれている両脚は、腰の位置が高く、スカートが短いため、ちょこんとした全体のシルエットに対してかなり長く見える。普通に立っているだけなのに、まるでバレリーナが背伸びしているような印象を受けた。

 すらりとしているにもかかわらず、太ももの肉付きはしっかりとしている。膝小僧のあたりはストッキングが透けて、淡雪のようにきめ細かい肌の様子が見えてきた。甘い香りの匂い立つような色気のある脚である。


「桃原先輩、ストップ!」


 呼び止められてハッと我に返る。

 私はいつの間にか床に跪き、ストッキングに包まれたつま先に顔を押し当てていた。

 止めてもらっていなければ、間違いなく脚を舐めていたことだろう。


「すみません、私の義足のせいで……」


 魔性の美脚の持ち主、秋葉可憐(あきは かれん)が申し訳なさそうに頭を下げる。

 義足をつけている中学生がいる、という話は私も知っていた。なんでも、先生も生徒も美脚に見とれるあまり、義足をつけ始めた当初は授業にならなかったとか……。眉唾だと高を括っていたが、本物を目の当たりにした感じ真実のようだ。


「以前はスカートも長いものを穿いていたんですけど、先輩のみなさんが慣れてきたみたいだったので、最近はミニスカートやパンツを穿くようにしてしまって……」

「あー、それで新参者の私は美脚耐性がないから引っかかったわけか」


 魔性の美脚、恐るべしでだ。


「ふっふっふ……すごいでしょう、可憐ちゃんの美脚は!」


 自分のことのように自慢げに言ってきたのは、先ほど私を呼び止めてくれた榎本ゆず(えのもと ゆず)である。

 聞くところによると、可憐の美脚に惚れ込んで少女九龍城に移り住み、今では一番の親友なんだとか。


「私なんか毎日踏んでもらってますよ! ときには顔を挟んでもらったりとか!」

「それは誇らしげに言うことなのかな……まあ、私も分からなくはないけどね。このスレンダーなのにむっちりとした太ももなんて、膝枕してもらうにはちょうど良さそうだ」


 私はカレンの太ももをじっと見つめる。

 すると、彼女は急に顔を赤らめた。


「あ、あのっ……太ももは……自前です……」


 普段なら「キスカツチャンス!」と襲っているところだが流石に自重する。

 可憐は軽く咳払いをして話し始めた。


「悠里さんは……三島悠里は悪い人ではありません。私とゆずちゃんは暴漢に襲われそうになったところを助けてもらったことがあります」

「なーんだ、それなら安心だ」

「でも、良い人とも言い切れません。三島悠里は気に入らない人間はすぐに殺します。あの人に我慢するとか、後先考えるとか、周りに配慮するとかいう概念はないんです。運命に突き動かされるように自分が悪だと感じたものを殺します」

「それはどういう……」

「桃原さんは善人ですか?」


 可憐から禅問答のような問いかけが飛んでくる。


「これまで生きてきて、取り返しのつかない悪いことはしていませんか?」

「し、して――」


 していない、はず。

 私の人生はキス魔であることを除けば平凡そのものだ。


 食べ残したピーマンをこっそり飼い犬に食べさせたとか、庭先でトカゲを捕まえたら尻尾が切れちゃったとか、病欠と偽って家族でディズニーランドに行ったとか……その程度だ。

 キス魔としての活動にしたって、私とのキスがトラウマになって転校し、引きこもったあげくに自殺した――なんて話は聞かない。たぶん大丈夫。私の知らないところで、そんなことになってたりはしないよね? 平気だよね?


「私なら問題ないよ、可憐さん」


 そもそも、押すか引くかの選択肢で言ったら、ここは押すの一択なのだ。

 私はアイデンティティをかけてキスをしている。それはある意味、命を懸けるよりも重いと言える。三島悠里と命のやりとりをすることになったとしても、私はそうなる以前から己の命を懸けて戦ってきているのだから平気なのだった。


「私は三島悠里の唇を奪ってみせる!」


 平気、ということにして自分を励ますのだった。



 夕刻。

 武道場には決闘の当事者と大勢の野次馬が集まった。


 武道場というのは板張りの大部屋で、もっぱら剣道やら空手やらをたしなむ住人少女たちが利用している。それが今日に限っては決戦のバトルフィールドと化していた。

 スポーツ観戦感覚で見に来ているもの、三島悠里をつかまえてやろうと武装しているもの、ホワイトボードにオッズを書いてお金をかけているもの、決闘そっちのけで持ち込んだアナログゲームに興じているもの……カオスにもほどがある。


 私が武道館にやってきた直後に三島悠里は姿を現した。

 返り血で真っ赤に染まったというコートを暑くもない季節なのに愛着している。コートの袖からは今にもナイフが飛び出してきそうだ。私のことを見てニコニコしているが、決闘前だというのに笑顔を浮かべているというのが実に不穏である。


 私の方はとりあえず、衣装はできるだけ王子様っぽくしてきた。

 仲良くなった演劇部の子から、詰め襟の軍服(オスカルっぽいアレ)を借りてきた。スラックスを借り忘れたので、仕方なく下は制服のスカートだが、私は『王子様ポジション』になりたいのであって、男装したいわけではないのでよしとする。

 武器としては同じく演劇部からエクスカリバー(模造刀)を借りた。演劇部の部室の傘立てに突き刺さっていたもので、切り出した鉄板を溶接して作られた正真正銘の鈍器である。演劇で使うには危険すぎるだろ!


 私は命のやりとりをする覚悟で来ているが、だからといって心と体の構えができているわけではない。詰め襟の中は汗びっちょりである。三島悠里から放たれる殺人鬼のオーラを前にして、気を張っていなければ腰を抜かしてしまいそうだった。


「合意と見てよろしいですねっ!?」


 野次馬の群れをかき分けて、可憐とゆずの二人が武道場の中心に飛び出してくる。

 可憐はお姫様のようなドレスを着ており、何故か二輪の薔薇を携えていた。彼女は私の着ている軍服の胸ポケットに一輪、それから三島悠里の着ているコートの胸ポケットに一輪、持ってきた薔薇を差した。


「胸の薔薇を散らされた方の負けになります。お二人とも頑張ってください」


 キリリとした表情で説明して、さらに激励する可憐。

 それにしても、その決闘のルールはどこから出てきたんだろ……。


「私の唇を奪いたいというのはきみでいいのかな?」


 最終確認をするように三島悠里が聞いてくる。

 私は無言でうなずいた。

 唇は奪いたいですが、決闘はしたくないです……とは言いにくい空気だ。

 しかし、虎穴には入らずんば虎児を得ず、という言葉もある。

 真っ赤なフードの奥で光る目は「唇を奪いたければ私を倒してみろ」と言っていた。


「……よし」


 目をつぶって突進しよう。

 私は勉強もできなければ運動もできない。格闘技や武道も未経験で、否定しようのない空っぽ人間だ。

 でも、だからこそ、キスのことになったら一歩も引けない。自ら前に進まずして女の子にキスすることはできないからだ。


「始めっ!!」


 可憐によって決闘の口火が切られた、その瞬間――


「うっ……うわあああああああっ!」


 私は雄叫びを上げながら、エクスカリバーを振り回しつつ突進した。

 目をつぶっているため何も見えない。

 案の定、数メートル進んだところで前のめりに倒れた。


「うげっ……」


 王子様らしからぬうめき声が漏れ出てしまう。

 私は起き上がろうとしながら、自分の首を手でぺたぺたと触った。

 よ、よかった……頭と胴体は切り離されていない。

 でも、その代わりとして胸ポケットの薔薇は花弁が見事に散らされていた。


 私を倒した三島悠里はというと、ちょうど先ほどまで私がいたあたりに立っており、右手にはナイフ代わりに使ったであろうしゃもじが握られていた。

 真っ赤なコートの胸ポケットには一輪の薔薇が優雅に咲き誇っていた。

 負けた……完膚なきまでに、である。


「悠里さん……み、三島悠里の勝利です!」


 可憐が戦いの決着を宣言すると、野次馬たちが「おおーっ!」と歓声を上げた。


「お疲れ様でした」


 三島悠里がフードを外して、尻餅をついている私に微笑みかける。


「私に向かって正面から突っ込んできた人なんてきみが初めてだよ」

「ど、どうも……その、キスしたかったので……」

「あっ、本当に私とキスしたかったんだ?」


 目をパチパチさせる三島悠里。

 彼女は可憐の方に視線を向けた。


「それでさ……私が決闘に勝ったってことは、私が敗者の唇を奪っていいわけだよね?」

「えっ!?」


 可憐がびっくりした顔をして、私の方に視線で助けを求めてくる。

 いやいや、その要求は私だって想定外だって!

 それにキスするのは得意だけど、キスされるのはそんなに得意じゃないし!


 私が顔を真っ赤にしていると、


「あはは、冗談!」


 三島悠里は子供のように無邪気な笑顔で言ってきた。

 私は「なにそれー!」と板張りの床に大の字で寝転がる。

 ひとまず今は『生きてて良かった』という安堵感に浸っておくことにしよう。


 ×


 私との決闘を終わらせたあと、三島悠里は可憐とゆずの二人と少し話していた。その後、三島悠里の捕獲を狙っているものたちがしびれを切らして飛び出してくると、彼女は武道館を脱出してどこかに去っていった。


 私の方はどうなったのかというと、三島悠里に勝つことこそできなかったが『殺人鬼と一対一で決闘をした女』として少しだけ評判が上がった。憧れの王子様にはほど遠いが、以前よりも女の子とキスしたとき、ドキドキしてもらえる確率が増えたように思える。それに私の方も以前より盛り上がることができるようになった。


 あぁ……話に尾ひれがついて私が勝ったことにならないかな。

 でも、女の子の方から寄ってこられても、それはそれで攻略のし甲斐がないかも?


 そんなことを考えながら、私は今日もキスカツに励んでいる。

 決闘のときのコスチュームを時々身につけながら……。


(おしまい)

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