第37話 少女九龍城オブザワイルド終末旅行

 電子端末から得られた情報を簡潔にまとめよう。


 一つ、人類はとっくに滅亡している。

 二つ、私はコールドスリープで1000年くらい眠らされていた。

 三つ、あとは自力で生き延びてください。


「む、無理ゲーすぎる……」


 下着しか身につけていない半裸状態で、私は……水瀬翡翠(みなせ ひすい)は大きなため息をついた。


 灰色の建材剥き出しの殺風景な部屋には、私の眠らされていたコールドスリープ装置が鎮座している。

 ひょうたん型の真っ白な外装は、さながら大きな雪だるまのように寒々しい。

 開けっ放しのハッチからは白く見えるほどの冷気が漏れ出していた。


『マップを開いてください』


 私の両手に収まっているタブレット型の電子端末が機械音声で話しかけてくる。

 音声は中性的かつ抑揚がなく、人間らしさは全く感じられない。


「マップねえ……」


 画面のアイコンをタッチしてみると、周辺地図が電子端末の画面に表示されたが……いくつかのアイコンが表示されているだけで、周囲の状況が何一つ分からない。道の一本すら表示されてないから驚きだ。


『最新の地図情報を取得するため、ランドマークの地方端末にアクセスしてください』

「ランドマーク?」


 なんとなくピンと来て、地図上に存在する大きめのアイコンをタップする。

 すると、


『ランドマークを目的地に登録しました。ナビゲートを開始します』


 スリムな電子端末の縁から、青色のレーザービーム的な光が放たれた。

 どうやら、青色の光は目的地を示し続けているらしい。


「まあ、行ってみますか……」


 この部屋にはコールドスリープ装置以外に何もない。

 一人の女の子を1000年も眠らせたのだから、着替えや食料くらい用意してくれてもいいのに、昔の人たちは随分と気が利かないものだ。

 あるいは……そういうものを用意できないくらいに状況が切羽詰まっていたのだろうか?


 ともかく、私は電子端末を片手に握りしめて、目的地のランドマークに向かって裸足で歩き始めた。

 コールドスリープの部屋から一歩踏み出すと、そこは朽ち果てたコンクリートの回廊になっていた。

 私の背丈ほどもある穂付きの草が、回廊の外にはびっしりと生えそろっていて、風が吹くたびにさわさわと心地のよい音を立てている。


 悲観的な気分になって泣きわめかずに済んだのは、私がコールドスリープから目覚める以前の記憶をすっかり失っていたからだろう。

 家族とか友人とか人類とか、色々なものを失ったはずなのに喪失感が一つもないのである。


 覚えているのは水瀬翡翠という名前だけだ。

 この名前だって本当に自分の名前なのか確信できない。


 で、歩くこと一時間ほど……。

 私は最初のランドマークである『時計塔』に辿り着いた。


 木造の時計塔は大樹に飲み込まれて、すっかり大自然の一部になっていた。

 時計塔の中をのぼっていくのも、さながら大樹のうろを進むがごとしだ。


 目的の地方端末とやらは、かつて時計塔の最上階だったであろう幹の頂上にあって、頭上には大樹の緑葉が巨大なドームを作り上げている。

 地方端末は腰ほどの高さがある金属の直方体で、電子端末をはめるのにおあつらえ向きのくぼみがあった。


『少女九龍城、195-072エリアの地図情報をダウンロードします』


 地方端末にはめた電子端末から機械音声が聞こえてくる。

 どうやら、私のさまよっているこの場所は少女九龍城と呼ばれている場所らしい。

 私も少女九龍城の住人だったのだろうか?


「うーん、思い出せない……」


 それはそれとして、ダウンロードの終わった電子端末を回収する。


 電子端末の画面にはシンプルな等高線の描かれた地図が表示されていた。

 元時計塔の最上階から見下ろすと、眼下には大自然に飲み込まれた無数の廃墟が広がっている。

 かつては見上げるような建築物が所狭しと並び、さながら迷路のようになっていたのだろうが、今となっては所々に大きな隙間ができていた。


「これだったら、この地図でも迷わなそうかな……」


 そんなことを考えているうち、私は眼下を流れている小川を発見する。

 小川の水が綺麗だったら飲み水にできるかもしれない!


 他にもよくよく見回してみると、小川の近くには手軽に探索できそうな小さめの廃墟が点在している。

 小川の水で喉の渇きを癒やしながら、廃墟群を探索して生活物資を手に入れる……そんな明るいプランが思い浮かんだ。


 せっかくコールドスリープから無事に目覚めたのだ。

 人類はとっくに滅亡してようとも、そんなの私には関係ないことだ。

 こうなったら生きて、生きて、生き抜いてやる。


 ×


 それから、私のなりふり構わないサバイバル生活が始まった。


 小川の水をすすりながら、廃墟群から生活物資をかき集める。

 等高線を参考にして、尾根伝いに移動して視界を確保する。

 ランドマーク(大抵は巨大な建造物である。物見櫓、電波塔、高圧電線など……)には積極的にのぼって、地方端末から新しい地図情報を入手する。


 滅亡したとはいえ人類も頑張っていたらしく、廃墟からは保存食や飲料水、衣服にテントなどのサバイバルに必要なものが見つかることがあった……が、当然ながらそれだけでは足らないものも多かった。


 一番に困ったのはやはり食料である。保存食を節約しながら歩いていては、そのうちに体が元気をなくしてしまう。人間らしさを失わないためには、固形の保存食や缶詰以外の新鮮な食料が必要なのだ。


 私にとって幸運だったことは、地方端末を巡るにつれて電子端末に『サバイバル術』の情報も加わっていったことだ。人間の食べられる果実や、野生化してしまった野菜などはこの世界にごまんと残っている。


 ……いや、そういうことではない。

 私の体が欲しがっているのは肉と油だ。

 最初は銛付きや魚釣りでごまかしていたが、本格的に動物を狩ろうと思い立つまで、さほど時間は必要なかった。


 廃墟からは一体何に使っていたのか、銃火器と銃弾が余るほど見つかることがあった。それらの中から扱いやすそうなライフル銃を選ぶと、私は肉体の欲求に突き動かされるがまま狩りを行った。


 不思議なのはこの狩りがびっくりするほど上手くいったことである。

 動物たちはすっかり人類や銃火器といった脅威を忘れていたらしい。

 それだけでなく、私は自分でも不気味なほどライフル銃の扱いが上手かった。

 銃弾の込め方から狙いの付け方、果てには動物の追跡の仕方まで、その道のプロであるかのごとくその体に染みついていたのである。


 水瀬翡翠、あなたは一体だれなの?

 答えは分からなかったが、その代わりに獣肉はしこたま手に入った。


 もちろん、サバイバル生活が上手くいかないときもあった。

 動物たちの冬眠する真冬には木の根っこまでかじったし、夏場に台風が襲ってきたときは避難していた建物ごと荷物を吹き飛ばされたりもした。

 原因不明の熱に襲われて生死の境をさまよったときなんかは流石に死を覚悟した。


 そんなに辛い思いをしながら、あえて定住の道を選ばなかったのは……やはり心のどこかに孤独を抱えていたのかもしれない。

 この世界のどこかには人類が残っていて、地球上最後のユートピアで楽しく暮らしている――そんな想像が頭から離れないのだ。


『ランドマークを目的地に登録しました。ナビゲートを開始します』


 機械音声を聞きたいがあまり、間違ったわけでもないのに目的地を何度も競ってし直すこともあった。

 人間味の薄い無機質な声でも、聞き慣れてくると情がわいてくる。

 地図を表示している画面の片隅に『作成者・加納千鶴』と表示されていたことから、その無機質な音声に『チズちゃん』とあだ名をつけてしまったくらいだ。


 そんな私とチズちゃんの旅は五年間にも及んだ。

 旅を始めてから五年目のある日、私はある一つの決意をした。


 ×


 五年間もワイルドな旅を続けていると、私も少女と呼べる年齢ではなくなってくる。

 それに旅を始めた当初こそは気にしなかったが、最近は『自分とは何者か』という人生の命題が頻繁に頭をよぎるようになった。そうなると是が非でも答えを求めたくなるのが人間というものだ……という気がする。


 自分とは何者なのか。

 その答えを見つける一番の方法は『客観的な意見』をもらうことだ。


 自分が何者なのかなんて簡単には分からない。

 案外、周囲の人間の方が冷静に見てくれていたりする……なんてことを過去の記憶のない私が経験則で知っている。もしかして、コールドスリープする以前に身を以て体験したことがあるのだろうか?


 ともあれ、アイデンティティ崩壊の危機を回避するため、私はいよいよ本気で人類の生き残りを探すことにした。

 そして、そこで目をつけたのが少女九龍城の中でももっとも巨大な塔である。


 この巨塔がどれだけ大きいかというと、少女九龍城のどこからでもその姿を拝めるくらいである。

 その頂上は空に吸い込まれていて確認できず、例によって頂上に地方端末があるのかと思うと、そこまでのぼるのを想像するだけで気が遠くなる。

 けれども、五年間も少女九龍城をさまよったあげく、人間の生活している痕跡すら見つからないとなると、この巨塔くらいにしかすがれるものがないのだ。


 私は必要な生活物資をかき集め、二年目の旅から連れ添っている謎の乗り物(前輪と運転席はバイクのような感じだが、後輪は戦車のようなキャタピラになっており、寝転がれるほど大きな荷台がついている)に積み込んだ。


 巨塔の根元にある出入り口から侵入すると、正面には中央シャフトを通る大きなエレベーターが存在していたが、案の定ボタンを押してもうんともすんとも反応せず、私は螺旋状に壁を伝う坂道をのぼる羽目になった。


 巨塔の内部は自然に浸食されていない一方で、ただひたすらに無機質で殺風景だ。坂道を三日ほど登り続けて、謎の乗り物の燃料がいよいよ尽きてしまうと、持てるだけの荷物を背負って徒歩で進むことになった。


 たまり続ける疲労。

 減り続ける水と食料。

 汗まみれなのに水浴びもできないストレス。

 この塔を登り切ったところで、何も得るものがなかったら……という不安。


 そうして、食料と水も尽きかけて、歩くのも精一杯なほど空気が薄くなった頃――


「おおっ! ついに来たかっ!」


 私は巨塔の最上階に辿り着き、まるで昔話に出てくるような女の子と出会った。

 この世のものとは思えぬ愛らしさを前にして、私は喜ぶよりも先に警戒してしまう。


「あなた……人間ですか?」

「人間ではない。少女九龍城の妖精さんとでも思ってほしい」


 女の子は最上階の中央にある地方端末に腰掛けていた。


「おぬしが来るのを待っておったぞ」

「私のことを知ってるんですか?」

「コールドスリープする前から知っておるよ。おぬしの名前は水瀬翡翠……少女九龍城を守るために最後まで戦い続けた住人少女だ。その戦いの中で重傷を負って、コールドスリープしながら肉体を治療することになったわけじゃな」

「戦うって……」


 突拍子もない話であるが、思い当たる節はバリバリある。

 私が銃火器の扱いに慣れているのは、記憶を失う前は本当に戦っていたからか……。


「あの、私が戦ってたのって――」

「まあまあ、その辺の話は暗くなるだけじゃからやめておこうぞい!」


 どうやら、人類の終わり方はろくでもなかったらしい。

 そんな終焉を見ずに済んだのはある意味で幸福だったのかもしれない。


「それじゃあ、あなたは何者なんです?」

「だから、さっき言ったじゃろう。少女九龍城の妖精さんじゃよ」


 女の子がボロボロになった着物をひらひらさせる。

 妖精だからなのか下着すらつけていない。


「最初はおぬしが目覚めるのをコールドスリープ装置の近くで待ってたんじゃけど、くだらないことで友人と喧嘩してしまってのう……追いかけて探し回っているうちに何百年か経過しちゃってるし、おぬしもコールドスリープから目覚めていなくなってるし……仕方なく、一番目立つランドマークのここで待っていたわけじゃ」


 入れ違いになったのは不運だが、彼女の読みはバッチリ的中していた。

 書き置きでもしておいてくれたらよかったのに……とは思わなくもない。


「この『キマシタワー』をのぼってくるのは大変だったじゃろう?」

「そんな名前だったんだ……」


 なんだか心のざわざわする語感だ。


「ちなみにその友人っていうのは?」

「それが全然会えそうな雰囲気がない。あいつも妖精さんじゃから寿命で死ぬこともないし、気長に待っていれば会えるはずじゃろうけどな!」

「そんなもんですか」


 妖精さんの時間感覚はさっぱり分からない。

 私は目覚めてからの五年間ですっかりすり減ってしまった。

 せっかく出会った相手が妖精さんで若干心が折れかけている。


「そうそう。ところで、人類の生き残りなんじゃけど――」

「いるんですかっ!?」


 私はつかみかかるような勢いで女の子に迫ってしまう。

 女の子が地方端末の上から転がり落ちた。


「と、とりあえず、いつものやつをやっちゃっておくれ……」

「す、すみません」


 私は電子端末を地方端末のくぼみにセットする。

 電子端末が青い光を纏ったかと思うと、周辺の地図情報がダウンロードされた。

 それと同時に、である。


「うわっ!?」


 天井から目の前にいきなりハシゴが降りてきた。


 私は空気を察してハシゴをよじ登り、巨塔『キマシタワー』の屋上に出る。

 瞬間、疲れ切った体の奥底から不思議なほどの熱量が湧き上がってきた。


 ここは……地球と宇宙の境目だ。

 目線と同じ高さに黒と青の境界線が広がっているのだ。

 屋上の縁に立って眼下を見下ろすと、遙か下方にある雲海が地上を覆い隠していた。


「こんなにのぼってきてたんだ……」


 正直な話、ここまで来る最中の記憶はほとんどない。

 運転するか歩くかしかしていなかったのだから仕方もないか。


 私は屋上の中心に向かって振り返る。

 屋上は自動車に乗って走り回れるほど広々としており、中心には二階建ての一軒家ほどはありそうな立方体が存在していた。


「これは……」


 立方体の間近まで駆け寄ったら、地方端末のものと同じくぼみが外壁に見つかった。電子端末をはめ込んでみると、やはりと言うべきか、立方体の一部が大きく開いて出入り口が出現した。


「宇宙船じゃな」


 いつの間にか、私の隣にはあの女の子が立っていた。


「おぬしも気づいているだろうが、この少女九龍城はおろか地球上には人類がほとんど残っていない。まあ、残っているのもいるにはいるんじゃけど、人間性を失いつつあるというか……ともかく、少女九龍城の生き残りは月に移り住んだのじゃよ」


「そ、それじゃあっ!」

「この宇宙船に乗れば月に行ける」


 女の子がにやりと笑った。


「このキマシタワー自体が宇宙船の発着所じゃしな」

「それなら早速……あっ、でも……」


 立方体改め宇宙船に入ろうとして、私は寸前でぴたりと踏みとどまる。


「妖精さんは乗らないんです?」

「わっち?」


 一瞬ぽかんとしたあと、女の子は遠くを見つめた。


「わっちはこれから友達を探すつもりじゃよ」

「でも、この宇宙船って明らかに残り一つしか……」

「いいんじゃよ。妖精さんであるわっちのことを気にする必要はない」


 この人は本当に妖精さんなのだろうか?

 疑問はぬぐえなかったが、きっと聞かないのが正解なのだ。


「それなら……最後に名前だけでも教えてください」

「倉橋椿(くらはし つばき)じゃ。月の子たちが覚えているかは謎じゃけどな」

「月に辿り着いたら、きっと地上まで知らせます」


 私が宇宙船に乗り込むと、出入り口は魔法のようにぴたりと閉じてしまった。


『発射まで残り三分です。電子端末を座席にセットしてください』


 電子端末から無機質な機械音声が聞こえてくる。

 今の私にとっては、その声がとても心強く感じられるのだった。


 ×


 それからのことについて簡単に記しておこう。


 私の乗った宇宙船が月面都市に辿り着くまで三日を要した。

 あの巨塔を登り切るよりも短い時間で月に行けるのだから、人類の叡智というやつは驚きである。

 それだけ賢いのだから勝手に滅んだりしないでいただきたい。

 月面都市は思ったよりも栄えていて、老若男女から一通りの動物まで揃っていた。


 私はコールドスリープで生き延びた地球人として、盛大かつ暖かく月面の人たちに迎え入れられたわけだが、有名人としての生活は窮屈なものである。

 そんなわけで私はある日、月面の人たちから『少女九龍城』と呼ばれる違法建築物群に移り住むことにした。


 少女九龍城の住人少女たちは、最後まで(地球の)少女九龍城に残って戦った少女や、永遠の命を持つ少女二人組の伝説を覚えてくれていた……が、伝説の人物として大熱狂したのは最初の三日くらいだった。


 私は今、伝説でもなんでもない一人の元女の子として、少女九龍城から地球に向かってメッセージを送っている。

 椿さん、いつかまたあなたに会いたいです。


(おしまい)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る