第36話 君の名は聞くまでもなく

「もしかして、私たち……」

「もしかして、わっちら……」


「「いれかわってる――――――――――っ!?」」


 叫び声が綺麗にハモる。

 私、加納千鶴(かのう ちづる)は自室にて恋人の倉橋椿(くらはし つばき)さんと向き合っていた。


 書き散らした地図のせいで、部屋にはほとんど足場がない。

 私たちの足下に敷きっぱなしの布団は、さながら絶海の孤島か増水した川の中州である。

 助けを求めるにも求められない二人だけの大ピンチだ。


「まさか、わっちとチズちゃんの中身が入れ替わってしまうとはのう……」

「少女九龍城の超常現象には困ったものです」


 この入れ替わり現象はなんの前触れもなくやってきた。

 この布団で一緒に寝て、翌朝目覚めたら入れ替わっていたという唐突ぶりである。

 同じような現象が起こったという話は聞いたことがないし、解決方法なんてもちろん見当がつかない。


「それにしても……」


 私は目の前にいる少女のなんと可愛らしいことか!

 鏡で見るしかなかったときの十倍……いや、百倍は可愛い。

 そんなことを考えていたら、


「どうせ、私って美少女だなぁ……とか思ってるんじゃろ?」


 私の姿をした椿さんがむすっとした顔をした。


「い、いや、そんなことは、ははは……」

「おぬしの自分大好きナルシストっぷりは全然治らんのう」

「そ、それを言うなら椿さんの方はどうなんですか!」


 私はスタンドミラーで『椿さんの姿になった私』を改めて見てみる。


 小学生のような体格に伸び放題の黒髪と、さながら座敷童のような風貌であるが、着崩している赤襦袢から覗いている細身の体からは奇妙な色気が滲み出ていた。実に犯罪臭のするスケベボディである。


「むむむ……」


 自分の姿を客観的に見せられる椿さん。

 最初こそ複雑そうな顔をしていたが、気が抜けたのかにへらと表情が緩んだ。


「ほらーっ! 椿さんだって自分のこと大好きじゃないですかーっ!」

「そ、そんなことより、これからわっちらはどうするんじゃ?」

「どうするって、そうですね……」


 私たちは布団の上に座り込む。


「とりあえず、椿さんには私の代わりに学校に行ってもらいます」

「この問題が解決するまで休んじゃ駄目かのう?」

「駄目です。私、出席日数がギリギリなんです」

「それはおぬしが地図作りのために学校をサボりまくってるからじゃろ!」


 少女九龍城の地図作りに比べたら、学校生活のなんと退屈なことか。

 とはいえ、将来のことを考えると安易にやめることはできない。


「テストで良い点を取ってほしいとは言いませんが、学校ではトラブルを起こさないようにお願いします。特に……女の子には絶対に手を出さないでくださいね! 私は学校だと物静かな美少女で通ってるんですから!」

「おぬしはわっちのことをなんだと思ってるんじゃ……」


 椿さんに聞かれて私は首をかしげる。


「女の子なら誰でも食べちゃう女オオカミ?」


 私という恋人がいながら、少女九龍城の少女たちに手を出しまくっている椿さんだ。女オオカミという表現は実にぴったりである。

 恋人のガールハントを見せつけられている身としては、女オオカミの椿さんにはしばらく学校で大人しくしていただきたい。


「分かった、大人しく学校に通うことにしよう」


 観念した椿さんが小さくため息をついた。


「それにわっち、学校には一度通ってみたかったんじゃよ。まさか、生まれて百年以上が経過してから、ちょっとした夢が叶うとはのう……」

「うっ……」


 突然、私(体は椿さん)の目からぽろぽろと涙がこぼれてきた。


「チズちゃん、どうしたんじゃっ!?」

「いや、その……小さいときから苦労してた椿さんが、今になってようやく普通の子供らしいことができるのかと思ったら、なんだか嬉しさで胸がいっぱいになって……」

「おう、よしよし……チズちゃんの好きなチズちゃんの体で抱きしめてやるからのう」

「ううう、我ながらいい匂い……」


 そんなわけで、椿さんは私として学校に通い、私は椿さんとして少女九龍城で留守番することになったのである。

 正体がバレてはいけない椿さんに比べて、私の方は随分と気楽なものだと思っていたのだが……。


 ×


「……暇だ」


 椿さんと入れ替わってしまってから一週間が経過した。


 私はあれから解決方法を探し回ったが、これといった手がかり一つも見つからず、すっかり暇をもてあますようになっていた。

 最初こそ、真面目に学校の勉強をしたり、地図作りにも取り組んでいたのだが、そんな気力も徐々に削がれていったのである。


 で、辿り着いたのが大食堂だった。

 平日の昼間ということもあり、流石の食堂も人気が少ない。


 大食堂のカウンターに顔を出すと、そこには住人仲間の香坂白音(こうさか しらね)さんがいた。


 ボサボサの髪の毛に学校指定のジャージ姿と、かつての私のような『引きこもり体質特有のオーラ』が滲み出ている。

 一身上の都合で生活費に困っているらしく、最近はこうして食事係を引き受けて食費を浮かしているのだ。


 それにしても、なんというか、こう……引きこもりタイプの子って妙な色気を感じませんか? 眺めているとやたらと可愛がってあげたくなるというか――


「――って、いやいや! 何を考えてるんだ、私は!」


 私は自分の頬をばしばしと叩いて正気を取り戻す。


 椿さんの体になってからというものの、可愛い女の子を見てしまうとついついムラムラしてしまうのだ。

 私という恋人がいるにもかかわらず、他の女の子に手を出してしまう椿さんの気持ちが今は分かる。性欲にあらがうのは難しい。


「えーと、椿さん……じゃなくて、今はチズちゃんさんでしたっけ? ご注文は?」

「はっ!? す、すみません……ええと、ビールをお願いします」


 私はカウンターに小銭を差し出す。


「あいあーい」


 香坂さんは小銭を受け取ると、カウンターの奥に引っ込んでいった。

 すぐさま、キンキンに冷えた瓶ビールを持って帰ってくる。

 それにしても、瓶ビールの常備されている学生向けの女子寮とは一体……。


 私は大食堂のテーブルに着き、真っ昼間からビールで晩酌を始める。


 実際のところ、ビールどころかお酒を飲むのは初めてだ。

 解決方法が見つからず自棄になっているのが半分、前々から興味があったのが半分……まあ、お酒を飲み慣れている椿さんの体だし、ちょっとくらい飲んでも問題はないだろう。


 真っ白な泡の浮かぶ、黄金色の液体を一口すする。

 瞬間、背筋が反り返るほどの快感が全身を駆け抜けた。


「これは……美味しいっ!」


 私はコップに半分ほど残ったビールをまじまじと眺める。


 私自身に酒飲みの適性があったのか、それとも椿さんの体がアルコールを求めているのか……まるで『人間が生きるのに必要なエネルギーそのもの』を摂取しているかのような心地よさだ。

 これはお酒にはまる人の気持ちがよく分かる。


 瓶ビールを一本飲み終えると、体が芯からポカポカと温まってきた。

 ここまで楽しんだのだから、もう一つの方も楽しんでみることにしよう。


 私は赤襦袢の袖の中から、煙草とライターを取り出す。

 ソフトパックから煙草を一本取りだし、それを口にくわえてライターで着火した。

 椿さんは火をつけるときに息を吸っていたはず……。


「んあぁーっ……最っ高……」


 肺いっぱいに煙を吸い込むと、意識が一瞬遠のくような感覚に襲われた。

 これがまた布団で寝落ちする瞬間のような心地よさである。


「よお、椿……じゃなくて千鶴! 昼間っからお楽しみじゃないか!」


 声をかけてきたのは少女九龍城の管理人さんである。

 そういう彼女もくわえ煙草で、片手には缶チューハイを持っていた。


「お前の体じゃないんだからほどほどにしておけよ?」

「はーい! ほどほどにしておきまーす!」


 軽く忠告して去って行った管理人さん。

 私は早速、再びカウンターに向かった。


「香坂さん、ビールもう一本!」

「あいあーい……って、またビールだけでいいの?」


 きょとんとした顔をする香坂さん。


「お昼ご飯の材料が少し残ってるから、おつまみでも何か作ろうか?」

「……お願いします」


 私はカウンターに小銭を差し出す。

 香坂さんはそれを受け取ると、食材を求めて台所の方に向かった。


「さてと、おつまみができるまで暇ですが……」


 二本目の煙草に火をつけて、それを吸いながら香坂さんの調理風景を眺める。

 包丁で野菜をとんとんと刻むリズミカルな音。

 料理のできない私とは違い、同じ引きこもりタイプでも彼女は料理上手らしい。


「それにしても……」


 私は誘蛾灯に吸い寄せられるかのごとく、カウンター奥の調理場に足を踏み入れる。


 ジャージの上からエプロンをして、野菜を細かく刻んでいる香坂さん。

 きわめて地味な容姿をしているのにまん丸なお尻がやけにそそる。


 香坂さんが包丁を置いたタイミングを見計らって、


「ひゃいんっ!? な、なにするの、チズちゃんさんっ!?」


 私は思わず彼女のまん丸なお尻を両手でわしづかみにしていた。

 欲望の赴くままにお尻をもみもみしまくる。


「このむっちりとした弾力、枕にして眠りたい……」

「な、なんで私のお尻を触るのっ!?」

「香坂さんのお尻が可愛すぎるから……」

「か、か、可愛すぎるからって触らないでっ!」

「それに香坂さん、別に恋人とかいるわけじゃないんでしょ?」


 香坂さんの背中がビクッとする。


「こ、恋人とかはいないけど……そ、そもそも! 女の子同士ってまずいと思うし……」

「まあまあ、やってみたら案外いい感じかもしれませんから」

「やーめーてーっ!」


 私は香坂さんを調理場の床に押し倒し、容赦なくジャージのズボンを脱がした。

 その下から現れたのは色気も何もない綿100パーセントのショーツである……が、それがむしろ今は情欲をかき立てられる。


「天井のシミでも数えていてくださいね……」

「ま、待って! ここの天井のシミ、人の顔に見えるっ!」


 ×


「……チズちゃん! チズちゃん、起きるんじゃ!」


 遠くから聞こえてくる椿さんの声。

 私の意識が覚醒するうち、その声が耳元で聞こえているものだと分かった。


「んにゃ……椿さん?」


 布団からむっくりと起き上がる。


 私の目の前には、セーラー服姿の私……の姿をした椿さんが立っていた。彼女が帰ってきたということは、居眠りしている間に夕方になっていたらしい。


「解決法は見つかったかのう?」

「……あぁ、そんなのもありましたね」


 私と椿さんが入れ替わってから一ヶ月近くが経過しようとしていた。

 その間、解決方法は手がかり一つすら見つからなかった。


「見つからなかったのではなく、探すのに飽きてしまったの間違いじゃろう?」

「むっ……」


 私はモサモサと無造作に頭をかいた。


 自室には書き散らした地図ではなく、飲み散らかしたビールの空き瓶や空き缶や、食べ散らかしたお菓子の袋が散乱している。

 当然、部屋にはアルコールのむせかえるような匂いが充満していたが、酔いの抜けていない私には気にならなかった。

 それに対して、椿さんの顔のしかめっぷりはあからさまである。


「ほれ、さっさと行った」


 椿さんが掛け布団を引っぺがすと、その下から素っ裸の女の子が出てきた。暇そうにしていたので引っかけた住人少女である。

 彼女は脱いだ服を抱えると、気まずそうに部屋から出て行った。


「それにしても好き放題に飲みまくったのう……」

「椿さんだっていつも飲んでるじゃないですか」

「わっちはこれでも健康を気にしてるんじゃよ。コレステロールとかプリン体とか」


 椿さんが立ったまま話を続ける。


「……で、そろそろ真面目に話し合うべきじゃないかのう」

「何をです?」

「お互いのこれからの生き方についてじゃな」


 いつになく真剣な面持ちの椿さん。


「もしかしたら、わっちらはこれから元に戻れないかもしれない。その場合、わっちらは各々の人生を生きなければいけない。望むとも望まざるとも、その覚悟を固めなければいけないじゃろうな」

「それって……つまりはどういうことですか?」

「わっちは加納千鶴として、チズちゃんは倉橋椿として生きるということじゃ」


 椿さんの言葉が私の耳に反響する。


 私は椿さんとして生きる?

 不老不死の少女として、その正体を友人たちに隠しながら?


 それを理解した瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。

 この胸の奥から無限にあふれ出てくるものは……恐怖だ。


 何もない暗闇の中に一人だけ置き去りにされるような感覚!

 不老不死である椿さんは、こんな恐怖と常に戦い続けてきたのか……。


「本気……ですか?」

「本気もなにもそれしかなかろう。それとも、親御さんに説明してみるつもりか? お互いに正気を疑われて、会わせてもらえなくなるのがオチじゃろうよ。親御さんとはいえ、常識外の現象までは理解できまい」


 椿さんの言葉には納得せざるを得ない。

 少女九龍城での常識は、外の世界での非常識なのだ。


「そのことを踏まえたうえで一つ提案がある」


 私を真っ直ぐに見つめる椿さん。

 彼女の口から予想だにしない言葉が発せられた。


「別れよう」


「……えっ?」


 私は自分の耳を疑い、思わず椿さんに聞き返す。

 椿さんは改めて、小さな子供でも分かるような、ゆっくりとした話し方で言った。


「おぬしの入れ替わってからの生活態度は目に余る。人間的な魅力は失われてしまい、人生のパートナーとしてふさわしいとは思えない。おぬしはもはや以前のチズちゃんではなくなってしまったのじゃよ」

「そ、そんな……」


 私はもはや加納千鶴ではない。

 加納千鶴ではない以上、椿さんと一緒にいる資格がない。


「捨てないでください……」


 私は必死に椿さんの足にすがりついた。

 両足にしがみついて、膝小僧に顔を埋める。


「椿さんナシで永遠に生きられるわけないじゃないですかっ!!」

「ふむ……」


 椿さんは泣きじゃくる私を冷たい目で見下ろしていた。


「……反省してる?」

「してますっ!!」

「お酒を飲み過ぎたり、お菓子を食べ過ぎたりしない?」

「しませんっ!!」

「真面目に地図も作る?」

「作りますっ!! 少女九龍城の地図を作るのが人生の目標ですっ!!」


 私はついに鼻水まで垂らしてしまう。

 すると、椿さんが大きく長いため息をついた。


「不老不死になったあとは、わっちも自暴自棄になったものじゃよ。貯金がなくなるまで大酒を飲んだり、同僚の客に手を出したりな。不老不死になると余命が無限になる代わりに人生が希薄になる。それにあらがうには並大抵の精神ではいかん」

「あうう……荒療治で助かりました……」


 ここで椿さんから三行半を突きつけられなければ、きっと私のせいで彼女との関係は崩壊していたことだろう。

 そうなったら、私は永遠に忘れられない心の傷を負っていたに違いない。体が傷つかない分、心の傷はより深いものとなる。


「安心せい。生きてるうちはおぬしと一緒じゃからな」


 椿さんが膝をつき、優しく私を抱きしめてくれる。

 私は目をつぶって、身も心も彼女に預けた。


 椿さんの姿がまぶたの裏に浮かんでくる。私と入れ替わる前の心と体が一致している彼女の姿だ。

 子供のように幼いながらも、大人のように色気があり、それでいて母親のように包容力がある……それが私にとっての椿さんだった。


「よしよし。これからも一緒に頑張ろうかの、チズちゃん」

「は、はい……ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


 新婚初夜のような気持ちでぺこりとお辞儀する。

 このあと、二人してハッスルしてしまったのは言うまでもない。


 ×


 それからしばらくして、私たちの入れ替わりは唐突に終わりを迎えた。

 本当に前触れの一つもなく、朝になって目覚めたら元に戻っていたのである。


 私は元の体に戻れたことを喜ぶ一方で、椿さんに再び不老不死の苦しみを背負わせてしまうことが心苦しかった。

 でも、そんな私に対して椿さんは「これでよかった」と嫌がる素振り一つなく言ってくれたのだった。


 今回のことで椿さんの背負っている苦しみと、彼女の心の強さを改めて知ることができた。

 これから一緒に生きていくうえで絶対に忘れてはいけない。

 自分の心で……魂で実感したのだから絶対に忘れない。


 ちなみに元に戻ったあとのことを少し書くと、私は学校で『先輩に後輩に同級生、さらには教師や他校の生徒にまで手を出す、スクールカーストの頂点に君臨する伝説の女オオカミ』という扱いになっていた。


 椿さん、そういうのはやめてって言ったよね!!


(おしまい)

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