第34話 キミはキス魔になれない

 私が下宿先を少女九龍城に選んだのは、住人の数が把握できないほど巨大な女子寮だからである。

 普通の女子校程度ではもはや満足できない。星の数ほどの少女たちを支配できなければ、私の征服欲は満たされないのだ。


 これまでの人生を振り返ってみると、幼い頃の私は実に地味で目立たない存在だった。

 これと言った取り柄がなく、仲良しグループの影が薄い子として、当たり障りのない毎日を過ごしていたのだ。


 私の人生が大きく変わったのは、忘れもしない十歳の誕生日である。

 十歳の誕生日を迎えるにあたり、私は生まれて初めて、クラスの友達(もちろん女の子だけ!)を招いて誕生会を催した。

 たくさんの友達から誕生日を祝福されて、いつになく舞い上がっていた私は、集まった友達に片っ端からキスをした。


 私は幼い頃から、キスというものにあまり抵抗がなかった……というのも、いつまで経ってもラブラブの両親は、子供の前でキスくらい普通にしていたし、私だってママからは『いってらっしゃいのキス』や『ありがとうのキス』をしてもらっていた。

 キスというのはごく一般的な愛情表現だと思い込んでいたのである。


 十歳の誕生日、突然キスされた女の子たちの恥ずかしそうな……あの可愛らしい表情を忘れることはできない。あのとき、私は生まれて初めて『手応え』というものを感じていた。

 当たり障りのない……いてもいなくても変わらないような私が、生まれて初めて他者に衝撃を与え、感情を揺さぶったのである。私がキスの力の虜になるまで、そう長い時間はかからなかった。


 もちろん、同性からキスをされて嫌がる子は多かった。

 でも、はまる子にはこれがものすごくはまる!

 キスをされることの喜びを知らない女の子たちに、それを教え込んでいくのはこの上ない快感だった。


 勉強ができるわけでもない。 運動ができるわけでもない。美少女でもなければお金持ちでもない。そんな私のキスによって、たくさんの女の子たちがメロメロになる。

 中学校にあがると、キスの対象は先輩たち……さらには教師たちにまで及んだ。ときには教育実習の大学生や、部活動の臨時講師まで狙った。


 そうして、次なるターゲットとして狙ったのが、超巨大女子寮の少女九龍城である。ここには、下は小学生から上は大学生、日本国内だけではなく海外からも、さらには宇宙人や幽霊までいるという噂である。キスのやり甲斐がありまくりだ。


 そんなわけで、である。

 少女九龍城に引っ越してきて早々、私は住人たちのボスを訪ねていた。


 聞くところによると、住人たちのボス的な存在――加納千鶴(かのう ちづる)という少女は、この果てしなく広い少女九龍城の地図を作ろうとしているらしい。

 とても正気とは思えないが、そのチャレンジ精神は面白い。彼女の地図に向けられている情熱を、キスによって私の方に向けることができたら、どれほど爽快なことだろうか!


 私はちょっとした悪戯心で、ノックもせず、加納千鶴の部屋のドアを開けた。

 ここは挨拶もせず、いきなりキスしてやろうという作戦である。

 さあて、私のテクニックで未知の快感に――


「ちょ、ちょっと、椿さん! 変なところばっかり舐めすぎですっ!」

「ふふふ、それはチズちゃんが可愛すぎるのがいけないんじゃぞ?」

「やっ! んっ、くぅっ……そ、それなら私だってお返しですよっ!」

「んにゃっ!? わ、わっち、そこだけは弱くてぇ……ひぁっ……あっあっあっ……」


 次の瞬間、私は大声で叫んでいた。


「女の子同士でセックスしてるぅ――――――――――っ!!」


 マジか! マジなのか!

 こいつら、半端じゃないな!


 私の存在にようやく気づき、黒髪ぱっつんの日本人形みたいな子がこちらに振り返った。


「チズちゃん、お客さんのようじゃぞ?」

「ふぇっ!? あっ、すみません……こんなことしてて……」


 女の子同士のセックスが『こんなこと』程度の扱い!?

 こいつら、もしかして日常的にしやがってるな!!


「ええと、見ない顔ですから新入りさんですよね?」

「あ、はい……」

「私、加納千鶴です。少女九龍城の地図を作っていて、そのせいでみんなから頼られたりなんだり……とりあえず、少女九龍城で迷子になったりしたら、私に連絡してください。意外と携帯つながりますから」


 下着を身につけながら、普通に自己紹介する加納千鶴。

 私は半ば呆然としながら、彼女と携帯の連絡先を交換した。


「え、えと……桃原杏子(ももはら きょうこ)です。よ、よろしく……」

「よろしくね、桃原さん。私のことはチズちゃんでいいよ」

「チ、チズちゃんさん……」


 かちこちになっている私を見て、チズちゃんさんが優しげに微笑む。

 昼間からセックスしていたので驚いたが、どうやら彼女はいい人らしい。

 一方、日本人形みたいな子はけらけらと笑っていた。


「わっちは倉橋椿(くらはし つばき)、チズちゃんの恋人をしておる」

「こ、恋人ですか……」

「おぬしもどうじゃ? わっちらと三人で楽しむのは?」

「はいっ!?」


 私がなおさら困惑していると、チズちゃんさんが椿さんのほっぺたを軽くつねった。


「椿さん、新入りさんを困らせるのはやめてください」

「はっはっは! こうすればチズちゃんが焼き餅を焼くかと思ってのう!」

「も、もう……椿さんってば……」


 ついていけないわ、これ!

 私は静かにその場をあとにしたのだった。


 ×


 そんなこんなで、私――桃原杏子が少女九龍城で暮らし始めてから一週間が経過した。


 この一週間で分かったことが一つある。

 少女九龍城はあまりにも性的にフリーダムすぎる!!


 どうやら、女の子同士で付き合っているのはチズちゃんさんと椿さんの二人だけではないらしい。

 人前でいちゃいちゃしてるかと思えば、いつの間にか人気のない区画に消えていく……そんなカップルたちをそこかしこで見かける。

 否、カップルだけではなく、ときには三人、四人……それ以上のときすらあった。


 やばい。

 ちょっとしたレクリエーション感覚でセックスが行われている。


 これほど風紀が乱れているにもかかわらず、やけに秩序だっているのも不思議だ。

 部屋のドアには鍵なんてついてないのに泥棒一つ行われない。食堂の料理、生活区画の掃除なんかは当番制、あるいは家賃を引いてもらうためのアルバイト制で、みんな驚くほど真面目に働いている。

 女の子同士でいちゃいちゃしている様子はよく見かけるのに、人目のある場所であからさまな変態行為に及ぶものもいない。


 レベル、高いな……。

 こんな環境で、私のキスは通用するのか?


 私は半信半疑になりながらも、何度か通り魔的なキスに挑戦した。


 一人目のターゲットは、ふわふわの髪がチャームポイント、少女九龍城のマスコット的存在の虎谷スバル(こたに すばる)さんだった。

 私が虎谷さんにキスしようとすると、めちゃくちゃ目つきの怖い女の子と、自分のことを犬だと思っている女の子が駆け寄ってきて、猛烈な勢いで私のことを威嚇してきた。

 これではムードも何もなく、私はその場から退散するしかなかった。


 二人目のターゲットは、麗しい銀髪になぜかウサミミ、日本人とロシア人のハーフである少女、宇佐美(うさみ)・エレーナ・アリサだ。キスは簡単にすることができた……が、そのあとがとにかく大変だった。


「杏子さんも未来的スポーツとしてのセックスに興味がおありですか? 月面基地で開発された新技術により、私には清潔安心なセックス環境を提供する準備があります。お望みでしたら、三人以上でのプレイも可能ですが?」

「お断りします!!」


 私は一目散に逃げ出すしかなかった。

 まさか、あんな美人の子が自称宇宙人のセックス上級者だったとは……。


 私は反省を生かして、なるべく普通そうな子を狙うことにした。三人目のターゲットは影の薄い地味なメガネっ娘、木下真由(きのした まゆ)だ。

 彼女の地味さときたら、かつての私を彷彿とさせる。


 私は早速、廊下の通りがかりに真由さんの唇を奪った。

 かなりの手応えがあった。

 彼女はぽーっと顔を赤らめ、私のことを潤んだ瞳で見上げていた。


「も、もしかして……あなたが私の王子様ですか?」

「あぁ、そうだよ。きみのことをはるばる迎えに――」

「あ、あのっ……それじゃあ、縛ったりできますかっ!?」

「え?」

「三角木馬から降りられなくて困っていたところを王子様は助けてくれましたよね。私、ああいうことが実は大好きで、王子様から調教されちゃう想像ばかりふくらんじゃって……あ、あの、王子様? 大丈夫ですか?」

「いや、ええと……私、王子様じゃなかったみたい……ご、ごめんね!」


 私は三度、狙った獲物の前から退散した。


 少女九龍城にはキスしたことないピュアピュアガールは存在しないのか!? それとも、キスという手段がすでに古いとか?

 でも、キス以上のことをするのは避けたい! 私だって経験がない!

 そもそも、そんな簡単に女の子同士でセックスするってどうなの!?


 袋小路にはまった私は、次第に引きこもるようになっていった。


 本当なら私だって、目についた可愛い女の子にキスがしたい!

 気持ち悪がられたり、嫌われたりするならまだいい。

 問題は軽くあしらわれたり、簡単に上回れたりして、こちらの面目が立たなくなることだ。


 こっちは小鳥がついばむようなキスで、どうにかこうにかレーゾンデトールを確立してきたのである。

 それを変態上級者たちに軽く飛び越されたら、私の人生はおしまいだ!


 少女九龍城で暮らし始めて十日を過ぎた頃には、私はすっかり「引っ越そうかな……」と後ろ向きなことを考え始めていた。

 少女九龍城で失敗が続いたせいで、進学先の高校でも全然キスができていなかった。狙い目の可愛い子がいても、キスするどころか声をかけることもできない。

 私はいつしか、幼き日の影が薄い自分に戻りつつあった。


 こうなると、もう……誰でもいいからキスがしたい。

 でも、できない。

 それなら、もはや自分でどうにかするしかない!


 私は自室に大きめの鏡を用意すると、鏡に映った自分にキスするというアホみたいなことをし始めた。

 自分自身に恋をしたナルキッソスでもあるまいし!

 冷たくてつるつるとした鏡の表面は、私の心を決して温めてくれないというのに……。


 ×


 そうやって寂しい日々を送っていた、ある夜明け前の肌寒い頃のことである。

 コンコン、と自室のドアを誰かがノックしてきた。

 私はその音で目を覚まし、布団から這いずり出てドアを開けた。


「こんな時間に一体誰が――」


 瞬間、見たことのある人物が私の部屋に飛び込んできた。

 私だ。

 それはもう一人の私だった。


 これ、もしかして死ぬ!?

 ドッペルゲンガーに会ったから死ぬやつ!?


 もう一人の私に体当たりを食らって、私は生暖かい布団に押し倒される。


「落ち着いて! これには深いわけがある!」

「いや、落ち着けって言われても……」


 自分と同じ顔が目の前にあっては、落ち着けという方が無理だ。

 もう一人の私はお構いなしに言ってくる。


「これから三日後、私は……つまりきみは、少女九龍城で道に迷ったあげく、不思議な現象に遭遇する。過去に戻れる扉を発見するんだ。過去と言っても、せいぜい三日前が限界で……しかも、過去への扉は少しずつ薄れている」

「え、なに? 漫画の話?」

「真面目に聞け、もう一人の私!」


 未来からやってきたという私が、私の両肩をガッとつかんできた。

 これぞまさしく鬼の形相というやつを浮かべている。


「ここ数日のきみを客観的に観察してみたが、あの情けなさはなんだっ! きみはキスで自分の存在理由を確立するんじゃなかったのか! それなのにっ……気になる女の子がたくさんいながら、失敗することを恐れて引きこもってばかりっ!」

「こ、怖いんだからしょうがないじゃん……」

「うるさーいっ!! 今日はそんな情けないきみに気合いを入れに来たっ!!」


 途端、もう一人の私が顔を近づけてくる。

 私はとっさに両手でもう一人の私を押し返そうとした。


「な、なにをするっ……馬鹿なことはやめろっ……」

「自分の情けない姿を目の当たりにしてやっと気づいた! こんな腐った状況からは一刻も早く脱出しなければいけない! 自分が格好悪いことに気づかされるのは辛いぞ! ハッキリ言って、死にたくなるからなっ!」

「だからって、わっ、うわっ……ぎゃぁ――――――っ!!」


 唇と唇が触れあう。

 ざらざらとした表面で、けれども唾液でしっとりと濡れた舌が、微かな隙間から侵入してきて、まるで別の生き物のように絡みついてくる。

 これまでにない感覚だ。

 強烈な他者の存在感を体の奥底に刻み込まれる。


 鼻息と鼻息がぶつかり合って、呼吸が苦しくなってきた。

 そこには優雅な雰囲気も、洗練されたテクニックもない。

 原初の猛獣が獲物を捕食するような、とても乱暴で、慈悲深さのかけらもないキスだった。


「ぷはっ……」


 ようやく、唇と唇が離れる。

 私たちの間で唾液の糸がキラキラと輝いていた。

 二人一緒のタイミングでぺろりと唇を舐める。

 それから、もう一人の私が聞いてきた。


「これで、度胸がついた?」

「いや……度胸をつけたかったのはきみの方でしょ? 過去の自分を練習相手に選んだわけだから。自分の格好悪さに気づいたんだから、その勢いでキスでもなんでもすればよかったのに……わざわざ過去の自分を巻き込まなくてもよくない?」

「う、うるさいっ! やることはやったから帰る!」


 もう一人の私は不機嫌そうな顔で、私の部屋からさっさと出て行った。

 私は濡れた唇に指先で触れる。


 過去に戻れる扉、か……。

 残ってたら使ってみようかな。

 なんか、意外と物足りない気分だしね。


 ×


 未来の自分から気合いを入れられたおかげか、私は通り魔的なキス活動……略して『キスカツ!』を再開することができていた。キスカツという言葉は、まあ……ついさっき考えたわけだけども。


 改めて考えると、キスというものは実に奥深い。

 キスよりセックスの方が高度などと、どこの誰が決めたのだろうか?

 おそらく、それは私の単なる思い込みだ。そもそも、比べることが間違いなのだ。


 地道なキスカツのおかげもあって、徐々にではあるが成功体験も増えてきた。まずは一回一回のキスを大切にする。

 十歳の誕生日、嬉しくて友達にキスしまくった……あの日の純粋な気持ちを思いだし、私は今日もキスカツに精を出すのだった。


「ふう……ごちそうさま」


 食堂で軽めに昼食を終えて、私は食器をささっと片付ける。


 大食いはキスの天敵だ。キスの瞬間、お昼ご飯の匂いが込み上げてこようものなら、それは興ざめの一言に尽きる。

 キスのために最高のコンディションを整えたい……その気持ちただ一つが、勉強も運動も苦手な私にプロ意識を与えていた。


 さてと、今日は誰を狙ったものか。

 一度キスした相手をリピートするのはたやすい。

 けれども、それでは自分の腕前が上達しない。

 なるべくなら、初めての相手にチャレンジしたいものだが――


「やあ、杏子ちゃん。奇遇じゃのう!」


 そんなことを考えたら、少女九龍城で一番の遊び人、倉橋椿が声をかけてきた。

 昼間から酒を飲んでいるようで、幼さの残る顔を真っ赤にしている。


「おぬしの噂は聞いておるぞ。なんでも、住人仲間を相手にキス百人斬りを狙っているんだとか。面白いのう! キスだけとは言わず、わっちと一発やっていかんか?」

「お、お断りしまーすっ!!」


 ダッシュで逃げ出す私。

 キスより先のことは、ほら、そんなに焦らなくてもいいじゃん?


(おしまい)

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