第33話 ガールズ・アフター・ガールズ
西暦一万年くらい……地球は少女九龍城のせいで大変なことになっていた。
「どうしてこうなった!!」
永遠の命を持つ住人少女、倉橋椿(くらはし つばき)は悲痛な叫び声をあげる。
前髪を切りそろえた黒髪に着崩れた赤襦袢。
色気のある座敷童とでも言うような見た目の彼女は、少女九龍城の敷地内で――否、世界中でもっとも高い建物の最上階まで来ていた。
その高さはなんと三千メートル。これが八千年前は何の変哲もない時計塔だったのだから驚きである。
最上階の構造自体は、昔のままの屋根裏部屋的な雰囲気のままなのに、木枠の窓から広がる風景は完全なる雲海なのだった。
少女九龍城は女子寮である。
広大な敷地に複雑な建築物が絡み合い、カオスとしか言いようのない状況で風変わりな少女たちが生活していた。
建物は少女たちの手よって、あるいは大規模な工事よって、あるいは超常的な現象によって、止めどなく構造を変え続けていたのだが……いつの間にか建物が増殖を始めたのである。
西暦一万年(正確な日数は椿にも分からない)現在、地球全土はわずかな海を残して少女九龍城の建物に覆われてしまっていた。
高さ三千メートルの時計塔から見えるのは、地平線の彼方まで広がる木造とコンクリの建築物の森だけである。
生命の気配はそこら中から感じられるが、残念ながら人間の気配は感じられない。
管理人のような特別な権限を持つ人間を除き、少女九龍城に入寮できるのは少女だけに限られる。家賃を払ったところで入寮できるわけではないのが実に少女九龍城らしい。
無理に侵入しようとするものは、不思議と建物の外に追い出されていった。住人少女たちだけで命をつなぐことにも限界があり、あっという間に人類は絶滅に瀕した。
ならば、周囲から感じる生命の気配とは何か?
それこそ、現在の人類の主流である<少女>なのである。
おおおおおおおおおん!!
今日も<少女>の鳴き声が空に響き渡っている。
地上三千メートルの空を漂っているのは、全長五十メートルを超える白くてふわふわした生命体である。
卵形の巨体からは薄くて大きなひれが四方八方に広がっており、それが帆のように気流をつかまえている。
シロナガスクジラすらを越える巨体で浮かんでいられるのは、おそらく体内に暖まった空気をため込んでいるからだろう。
先ほど聞こえてきた鳴き声は、食事をするために高度を下げるため、暖まった空気を気孔から吐き出したためのものである。
「うわっ!?」
裸足のつま先がくすぐったくて、椿は思わずその場で跳び上がる。
足下に目を向けてみると、時計塔最上階の床を小型の<少女>たちが走り回っていた。
空を漂う巨大な<少女>と同じく、小型の<少女>たちも白くてふわふわとした体をしている。体長一〇センチ。頭のない熊のぬいぐるみとも言うべき形をしており、短い手足をじたばたさせながら、そこら中をカニ歩きしているのだった。
少女九龍城の増殖によって住処を奪われた人類が、人間の形を失うまでに長い時間はかからなかった。
少女九龍城の持つ防衛機能を擦り抜けるため、人類は肉体を捨て去り、白くてふわふわとしたよく分からないものに変化した。
もしかしたら<少女>の取っている形態は、いわゆる魂の形なのかもしれない……と椿は思っている。
現在、少女九龍城の敷地内には屋内屋外を問わず、様々な形態の<少女>がひしめき合っている。
空を飛ぶもの、地面を這うもの、水の中を泳ぐもの、建物を踏みつぶしながら歩くもの……その形態はもはや数え切れないほどに増えている。
「おぬしらは気楽なもんだ」
小型の<少女>を眺めながら、椿はうんざりした様子で呟いた。
<少女>はすでに人間らしい知性を失っている。
言葉をしゃべるレないどころか、意思の疎通すらできない。
<少女>たちの中には、無機物を食べて生きているものや、植物のように全く動かないものまで存在している。
<少女>たちはすでに人類というくくりから分化して、異なる種族になってしまったのだろうか?
恐竜だって二億年くらいかけたのに、人類はここ一万年足らずで爆発的に数と種類を増やした。
環境の変化を生き抜くためだとしても早すぎる。
人類とお別れする日はいつか来るだろうとは椿も思っていたが、これほど早いとは流石に予想できなかった。
「つ、着いた……やっと着いた……」
最上階に至る階段から、少女の疲れ切った声が聞こえてくる。
高さ三千メートルの時計塔をえっちらおっちらのぼってきたのは、唯一無二の不老不死仲間である神林清香(かんばやし さやか)だった。
つばの広いクラシカルな帽子に紫色の着物と、椿に負けず劣らず奇抜な格好をしている彼女こそ、椿が不老不死になる原因を作った張本人だが、今ではすっかり貴重な話し相手になっていた。
「私たちがいくら不老不死だからって、この時計塔を三日三晩かけて登り切ることなんてないだろ! 付き合わされている私の身にもなってみろ! あぁ、もう疲れた……で、新しい何かは見つかった?」
軋む床板に腰を下ろし、汗まみれの清香がまくし立てる。
窓枠に腰掛けていた椿は首を横に振った。
「なーんにも見つからん。ていうか、この高さからだと地上が全然見えない」
「本末転倒!?」
「わっちら以外の人類はマジでいなくなってしまったのかのう……」
「不老不死の人間なら探せばいるかもしれないけど、地球全土が少女九龍城で覆われてしまっている以上、探すのは困難を極めるだろうな。ここ数千年を費やしてすら、元々の少女九龍城の敷地内すら探索し終わってないわけでさ」
「そもそも、どうして少女九龍城が増殖し始めたんだか……」
椿は赤襦袢の懐から、ヨレヨレになった地図を取り出す。
それは自分の脚で少女九龍城を歩き回り、新たに書き起こした自作の地図だった。ただし、クオリティは最低の一言につきる。
少女九龍城はめざましい速度で増殖しているし、椿にはちゃんとした測量技術がないので、まともな地図ができあがるはずもない。
とどめに紙類は見事に劣化しており、せっかく地図を書いても風化して崩れてしまう。
結果、手元には地図とは名ばかりのメモ書きしか残らない。
「このまま少女九龍城が増殖し続けたらどうなると思う?」
椿の答えを待たず、清香が自分の考えを話し出す。
「増殖の速度は年々加速している。少女九龍城は地球を包み込むどころか、月や星々を飲み込み、終いには太陽にすら到達するだろうね。最終的には宇宙全体が少女九龍城の一部になり……」
「宇宙に進出した<少女>たちと宇宙人が少女九龍城で遭遇する?」
「いや、どうしてそうなる。そりゃあ、宇宙人もいるかもしれないけどさ」
「月面には月面人(ルナリアン)が暮らしていたらしいんじゃけど、あちらからは全然コンタクトしてないし……わっちらが知らないだけで、地球人が移民船を宇宙に飛ばしていて、どこかの惑星に移住していた移民たちが、故郷の地球を目指して戻ってくる的な展開にならないかのう?」
あるいは砂に埋まった自由の女神を見つけるみたいなやつとか。
「そんな移民船が飛ばされてたら大ニュースになってただろ」
あきれ顔になる清香。
そうじゃろうな、と椿もぐったりとしてため息をついた。
「はー、わっちはすき焼きを食べながらビールが飲みたい」
「すき焼きどころか、食べられそうな動植物もここ数千年見かけてないだろ」
「あとチズちゃんにも会いたい」
「椿の恋人か。いいじゃないか、思い出に浸れるだけでも。私なんか、不老不死の人生を振り返っても、お前くらいしか話し相手がいない。お前のことは好きでも嫌いでもない。まあ、はっきり嫌っているよりはマシだろうけどな」
「はっはっは。嫌われていないのなら結構じゃな」
地図とは名ばかりのメモ書きを椿は握りしめる。
「わっちは時々考えるんじゃ。もしかしたら、少女九龍城の増殖はチズちゃんが引き起こしたんじゃないのだろうかとな。チズちゃんは少女九龍城の完全な地図を作ろうとしていた一方で、地図が完成しないことを期待していたような気がする」
「地図が完成してしまったら、それ以上は地図を書けないからって?」
チズちゃんは――加納千鶴(かのう ちづる)自身はそんなこと、一言たりとも言ったことがなかった。
彼女は地図作りに対して熱心であり続け、少女九龍城にもっとも精通している住人として、住人仲間たちから頼りにされ続けていた。
地図を書くということは、少女九龍城の不思議と向き合うことだったと言える。
「秘密は暴かれないうちが花じゃろう? 地図が完成してしまったら最後、少女九龍城の秘密が全て暴かれてしまうかもしれない。そうなることを防ぐため、チズちゃんの魂的ななんかそういうやつが少女九龍城の増殖を引き起こした」
「なんだよ、なんかそういうやつって……」
曖昧すぎる言葉に清香が苦い顔をする。
「それなら、こうも考えられるんじゃないか? この増殖は秘密を暴かれそうになった少女九龍城が、自分の秘密を守るために引き起こしたものだってな。それにしたって過剰防衛過ぎるが……」
「なんかそれ花粉症みたいな話じゃな……んんっ?」
視界の端に奇妙なものが映る。
椿は窓から身を乗り出し、夕方と夜の境目くらいの空を見上げた。
「どうした、椿?」
清香も一緒になって空を見る。
二人とも絶句するしかなかった。
三千メートルの時計台よりも遥かに上空……濃紺の空に浮かぶ星々を蹴散らすようにして、一筋の光が地上めがけて落下してきている。
その輝きのまぶしさたるや、夜になりかけていた空を真昼の明るさに戻してしまったほどだった。
一筋の光が……燃えさかる隕石が墜落する。
衝突の瞬間に発生した衝撃波は、少女九龍城の建物を地表からはぎ取るようにして、時計塔ごと椿と清香を吹き飛ばしながら、音速を遥かに超えたスピードで駆け抜けていくのだった。
×
次の瞬間、椿は気がつくと真っ白な空間を漂っていた。
自分の体重を感じない。
けれども、湯船に浸かっているような心地よさがある。
「椿さん……椿さん……」
聞き覚えのある声で語りかけられる。
椿が振り返ると、すぐ目の前に一人の少女がふわふわと浮いていた。
青色のリボンを髪に結んでいる少女。
それは在りし日の加納千鶴、そのものに見える。
「おぬしは……チズちゃんではないな?」
「はい、姿形を借りてるだけです」
加納千鶴のような何かがこくりと頷いた。
「私は実体を持たない概念だから、あなたの心に影響されてるんじゃないですかね?」
「マジか! わっちが裸になってほしいと思ったら裸になる?」
「さ、さぁ……」
「なれっ! 裸になれっ! ぐぬぬ……」
ならない!!
夢(と思わしき空間)の中でくらいなってもいいのに!!
ふぅ、と椿は落ち着くために大きく息を吐いた。
「で、おぬしは何者なんじゃ?」
「いや、いきなり冷静にならないでくださいよ」
若干引いているチズちゃん似の何者か。
「まあ……少女九龍城の化身、みたいな?」
「あー、そういうやつね。いわゆる萌える擬人化的な? だったら、少女九龍城が増殖しまくってた理由を聞いておきたいんじゃけど、それはやっぱり隕石を受け止めるためというわけなのかのう?」
「そういうわけです。あと、私のことは化身ちゃんとでもお呼びください」
チズちゃん似の何者か改め、化身ちゃんがが神妙な面持ちで答える。
「地上を少女九龍城で覆い尽くさなければ、隕石の墜落で地球の三分の一ほどが宇宙空間に散らばってしまっていたことでしょう」
「人間たちが本来の肉体を捨てたのも、化身ちゃんの計算のうちなのかのう?」
「もちろんです。隕石衝突時の衝撃に耐え抜き、その後の激変した地球環境を生き抜いてもらうためには、人類には一度、人間らしさを捨ててもらう必要がありました。短くない時間はかかりますが、地球環境が落ち着くにつれて<少女>たちは本来の人間らしさを取り戻すことでしょう。魂も、形も……」
「おぬし、本当に少女九龍城の化身? この世界の神とかじゃなくて?」
「いやいや、まさかまさか」
怪しいのう、と椿は目を細める。
とはいえ、目の前にいるチズちゃん似の化身ちゃんが神様だとしたら、少女九龍城は神様の戯れで生まれたということになるわけで、それはスケールの大きな存在の割にやってることが小さいというか、神様すごい趣味してるなというか……。
「そういうことですから、人類が再び文明を築くまで、椿さんと清香さんにはしばらく眠っていてもらうことになります。お二人の肉体も木っ端みじんになって、魂も地球中に散らばっちゃってるので、再生まで相当な時間もかかりますし……」
「現実世界のわっち、そんなことになってるのっ!?」
そりゃあ、体重を感じないわけである。
意識もぽやぽやしてるし。
「二周目の少女九龍城で目が覚めるようにしておきますから」
「えっ、二周目って――」
困惑する椿に向かって、チズちゃん似の化身ちゃんが小さく手を振る。見た目だけではなく、手の振り方までそっくりなもので、なんだか懐かしくて眺めているうち、椿の意識は薄れていったのだった。
×
「生命の誕生って、どれくらい前じゃったっけ?」
「えーと、この前にドキュメンタリー番組でやってたけど、軽く四十億年くらい?」
「マジか……わっちら、四十億年くらい寝てたのか……」
少女九龍城の大食堂にて、椿と清香はテーブルを挟んで話し込んでいた。二人ともすっかり酔っ払って顔を赤くしている。
テーブルには飲み散らかしたビールの空き缶が転がっていた。
明らかな未成年が酒を飲んでいる。時代錯誤な服装をしている。そもそも家賃をまともに払っていない……というか、いつの間にか少女九龍城に住んでいた。
そんな二人のことをいぶかしむ人間がいないのが、少女九龍城の驚くべき懐の深さである。
「それにしても、よくもまあ、これほど同じ顔ぶれになったものじゃよ」
椿は少女たちの声でかしましい食堂を見回す。
夕食の時間は過ぎているが、食堂には住人少女たちがわんさかと集まっていた。
テーブルを囲んでボードゲームに興じているものたちもいれば、ブラウン管のテレビに貼り付いてドラマを見ているものたちもいる。
スマホでゲームをしているもの、漫画の原稿を描いているもの、住人仲間の写真を撮っているもの……個々人の過ごし方も様々だ。
そして、どの子も見覚えがある。<少女>たちからできあがった人類のはずなのにびっくりするほど前回とそっくりなのだ。
あれから化身ちゃんとも会っていないので、その辺の仕組みについて尋ねることもできていないが……。
で、そんな風にのんびりと仲間たちを眺めていたときである。
食堂の入口から見知った顔の少女が駆け込んできた。
「椿さーん! 新入りだよ! 新入りが来たよ!」
住人仲間の少女、虎谷スバル(こたに すばる)がテーブルに手を突き、ぴょんぴょんと跳び跳ね始める。
彼女の髪は相変わらずふわっふわで、テンションが上がりすぎてジャンプする様子は、さながら飼い主の前で遊び回る子犬のようだった。
テーブルがガタガタと揺れて、椿はとっさに空き缶を両手で押さえる。
「あのな、スバル。少女九龍城の住人が新しく増えたからって、毎回必ずわっちに紹介しなくてもいいんじゃよ? わっちは別に少女九龍城のボスというわけじゃなくて、むしろ今回は新参者の部類というか……」
「そうだったの!? 大物オーラが出てるのに!!」
目をまん丸にしたスバルが、今度は清香の方を見る。
「それじゃあ、清香さんの方が真のボス?」
「ないない」
真顔で否定する清香。
こいつは四十億年経っても無愛想だな、と椿は横から眺めて思った。
「あ、あの……」
スバルの後ろから、その新入りらしき少女がやってくる。
学校指定のクソダサいジャージを着ている幽霊のような子である。
長く伸びた前髪で、顔が半分隠れている。
「この人がさっき説明した倉橋椿さん! 少女九龍城のことに管理人さんよりも詳しいんだよ! で、一緒にいるのが神林清香さん! 椿さんといっつも一緒にお酒を飲んでる人で、えーと……よく知らない!」
「……です」
スバルの紹介を聞いて、ジャージ姿の暗そうな少女が名乗る。
けれども、声が小さすぎて椿には聞き取ることができなかった。
「すまん、もう一回言ってくれんか?」
椿は椅子から立ち上がり、ジャージ姿の少女にずいずいと近寄る。
すると、少女は顔をしかめて一歩後ずさった。
「やだ……お酒くさい……」
「あぁ、すまんな。で、おぬしの名前は?」
椿から問いかけられて、少女が苦々しい顔で答える。
「加納千鶴、です」
「ふぇっ!?」
瞬間、椿は少女の……チズちゃんのそばから飛び退いた。
酒盛りで赤くなっていた顔が、さらに茹だったように赤くなる。
地球のマグマが煮えたぎるように心臓が激しく高鳴っていた。
「そ、そうじゃったよね……最初はそんな感じじゃったよね……」
「もう、いいですか?」
こちらの返答を待たず、チズちゃんは食堂から出て行ってしまう。
そんな彼女を心配して、スバルが背中を追いかけていった。
爆発しそうな胸を押さえながら、椿はどっかりと椅子に腰を下ろす。
「うわーっ! チズちゃん、めっちゃ可愛かったのう! なんか、いい匂いしたし!」
「いや、その感想が出るのはお前だけだよ」
「なんでじゃ! 美少女の片鱗が感じられたじゃろ!」
「ないない」
再び真顔で否定してくる清香。
かと思ったら、珍しくクスッと笑った。
「今回もお幸せにな」
「うおぉ、興奮してきたーっ! 前回のファースト・ベッド・インは月面少女に取られてしまったからのう……今回はちゅーの仕方から始まり、ありとあらゆることをわっちが教え込んでやるぞい!」
「ごめん、やっぱり引くわ……」
「なんでじゃ!!」
そんな風に言い合いながら、椿と清香はガールズトーク(のようなもの)を再開する。
不老不死の少女二人の夜は、四十億年前とは比べものにならないほど、明るく賑やかに更けていくのだった。
(おしまい)
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