第32話 ブレイキング・バッド・ガールズ
注意:『少女九龍城 ブレイキング・バッド・ガールズ』は兎月竜之介の参加するサークル『明日から休講です。』の同人誌『百合小説』に掲載された作品です。同人ショップに委託中ですので、もしよかったらチェックしていただけると嬉しいです。
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家賃が安いからと入寮してみたら、思ってもみないような女子寮だった。
住人たちから『少女九龍城』と呼ばれている女子寮は、まず信じられないほど巨大である。外周に沿って歩いたところで、いつまで経っても一周して戻ってこれない。それなら寮の中はどうかと言えば、これがまた複雑な迷路構造になっていて、地図がなければ熟練の住人たちですら遭難してしまうそうだ。
さらに驚くべきは、少女九龍城では奇っ怪な現象が頻繁に起こることである。いつの間にか部屋が増えていたり、夜になったら幽霊と遭遇したり、迷子になって戻ってきたら何日も経過していたり……と、住人なら誰もが一度は遭遇する。
香坂白音(こうさか しらね)もそんな住人の一人。
それも入居して三ヶ月ほどの新米住人だ。
高校に進学する際、意を決して少女九龍城に入寮した。入寮の決め手になったのはずばり家賃の安さである。
一家離散……それが白音の置かれている状況だ。両親の経営していた会社が潰れて、住む家すら失ったのが一年前のこと。バラバラになって出稼ぎをしている両親に負担をかけまいと、なるべく家賃の安い場所を探した結果なのだった。
(まあ、現状には満足してるよ、うん……)
白音は少女九龍城の一角、大食堂のテーブルで醤油ラーメンをすすっている。
少女九龍城の家賃は生活費込みで、朝昼晩の食事も出るし、大浴場ではいつでもお風呂に入れるし、住人の多い区画ではネットだって使える。
曲がり角を一本間違って遭難してしまう危険性と、寮全体から滲み出る『何十年前から建っているのか分からないので、いつ倒壊してもおかしくありません感』に目をつぶれば、かなーり快適に過ごせるのだ。
他に気になることがあるとしたら、住人があまりにも多すぎることだろうか。白音が覚えているのは少女九龍城の管理人さんと数名の有名住人くらいだ。
結局、入寮から三ヶ月が経過しても、友達どころか顔なじみの一人も作れていない。
「ごちそうさまー」
食器を返却し、白音は食堂をあとにした。
今日は休日だが、することは特にない。いつもなら生活費の足しにするため、がっつりとアルバイトに励むところだが、バイト先が臨時休業なのだから仕方ない。
遊ぶ金があるわけでもなく、実のところ、昼食のラーメンを食べる少し前まで寝ていたところだ。
木造の廊下を歩いていると、ふと壁に掛かっている鏡が目に止まった。そこに映っている自分はなんとも冴えない。
髪の毛はボサボサ。服は学校指定のジャージで、先ほどすすった醤油ラーメンのスープが跳ねていた。
これでも一年ほど前までは、小さいながらも一企業の社長令嬢だったはずなのだが……。
「うわっぷ!?」
再び歩き出そうとしたところで、なにやら柔らかいものにぶつかった。
無様に尻餅をつき、白音はとっさに見上げる。
目の前に立っていたのは、金髪でジャージ姿の少女だった。
金髪は天然物ではなく、あからさまに染めた色合いをしている。
そして、着ているジャージは白音のような学校指定のものではなく、そこら辺のファッションセンターで売っているような代物だ。それもズボンの裾を引きずるようにだるだるにして着ている。
おまけに口には火のついた煙草がくわえられていた。
年齢は……おそらく同じくらい。
「ふ、不良だ――っ!?」
白音は驚いて思わず口走ってしまう。
少女九龍城はその独特の雰囲気故に、集まってくる住人たちも非常に偏っている。おかしな趣味を持っているとか、誰とも会いたがらず人を避けるとか……つまりは基本的におとなしめのオタク気質と言える。だから、こういう見るからに不良っぽくてギャルっぽい雰囲気の住人はとても珍しいのだった。
怒鳴り返されるか、その場で踏みつけられるか……。
白音が戦々恐々としていると、金髪の不良少女が不敵な笑みを浮かべた。
「ど、どうして、このタイミングで笑うの?」
「あなた、私にぶつかってただで済むと思ってる?」
「そ、そうですよねえ……」
これが不良の手口か、と白音はピンチなのにちょっと感心してしまう。
相手からぶつかってくれば、喧嘩の口実を作れるというものだ。
「さ、さよならっ!」
白音は立ち上がるなり一目散に逃げ出すと、目についた廊下の曲がり角に飛び込んだ。
最初は金髪の不良少女の追いかけてくる足音が聞こえていたが、曲がり角をいくつか曲がっていくうちに撒くことができた。
撒くことはできたのだが、
「どこなんだろ、ここ……」
案の定、見知らぬ場所にやってきてしまった。
年季の入った木造の廊下が延々と続いている。
歴史ある民宿の渡り廊下……なんて見方もできるだろうが、少女九龍城の複雑さを知っている白音には、たちの悪い無限回廊に囚われてしまったとしか思えない。
これで暗くなってきたら、電灯の一つもないので、月明かりだけを頼りに暗闇を進むことになる。
白音は足早に来た道を戻ろうとする。
そのとき、不意に金髪の不良少女のことが脳裏をよぎった。
(私もワルになれたら気分爽快だろうな……)
思い返してみれば、両親の会社が倒産したのだって、社内の裏切り者がライバル会社と手を組んでいたからだった。
世の中騙したもの勝ち、悪いことしたもの勝ちという気がする。
そういう人たちは良心が痛んだりしないのだろうか?
あるいは、自分も心を鍛えたら超一流のワルになれるとか?
「うーん、超一流のワルかぁ……んん?」
帰り道を間違ってしまったのか、見慣れない開けた場所に出てしまった。
四方を建物に囲まれている一種の中庭だ。バスケットコートほどの広さの中庭に、青々とした草がみっちりと生い茂っている。
細長い葉っぱが手のひらのように広がる……なんとも独特な形をした草で、白音にはどことなく見覚えがあった。
あれは、そう確か、食堂のテレビで流れていたニュース番組で――
「あっ!? これ、麻薬だっ!?」
中庭にびっしり生えている怪しげな草――それはニュース番組などで警察に押収されている大麻そのものだった。
麻薬の取締で違法化される以前に植えられて、そのまま放置されたのだろうか……少女九龍城のおかしさ加減にも白音は驚かされる。
こんなものは見なかったことにして忘れた方がいいだろうな。
本当はそう思うべきだったのだろうが、
(これ……売ったらいくらくらいになるんだろ?)
魔が差したというやつか、白音はそんなことを考えてしまう。
ニュース番組で麻薬が押収されている風景を思い出してみると、乾燥した葉っぱを袋詰めにしただけのものが、数百万円や数千万円の値段をつけられていた。
もしも、中庭に生えているものを上手に売りさばくことができたら、両親の会社が倒産したときにできた借金を返すことだってできるかもしれない。
白音はごくりと生唾を飲む。
あとは良心を捨て去ることさえできれば……。
×
「で、どうやって売りさばこう?」
一週間後、白音は中庭の出入り口に座り込んでうなっていた。
収穫した葉っぱを乾燥させ、袋詰めにするところまでは簡単だった。
問題はどうやって売りさばくかである。白音には一つも伝手がない。
一年前までは普通の女子中学生をやっていて、現在は故郷を離れた見知らぬ土地にいる。
友達もいないし、ましてや麻薬を買ってくれそうな知り合いなんているわけがない。
(危なそうな組織に飛び込み営業……って、そんなの絶対に無理!!)
それなら、ダイエット食品と偽ってインターネットで通販するとか……いや、そんなことを素人がやっても一発で逮捕されるだろう。
そもそもパソコンはおろか、携帯電話すら持ってないし。
「うーん、どうにもならない……」
白音がうなりながら、乾燥大麻の詰まったビニル袋を抱えていると、
「それなら、私がさばいてあげようか?」
何者かにひょいとビニル袋を取られてしまった。
「うわ、ちょっと……」
白音は振り返りながら立ち上がる。
彼女の背後に立っていたのは、一週間前にぶつかってしまった金髪の不良少女だった。
背中から嫌な汗が噴き出したのを白音は感じる。
(絶対に見られてはいけないだろう人に見られてしまった……)
「あ、あの……その袋、返してくれませんか?」
「そんな丁寧な言葉遣いなんてしなくていいから。これからお友達になるんだし」
「お、お、お友達? というか、あなたは……」
金髪の不良少女がニヤリとして答える。
「私は櫻井純(さくらい じゅん)……あなたのお隣さんよ」
「お隣さんって……あっ!?」
言われてみれば、隣の部屋のドアに『櫻井』と名札が掛けられていた気がする。
引っ越してきてから三ヶ月、お隣さんが出入りしているところを見たことがなかったが、まさか不良少女が住んでいようとは……。
金髪の不良少女――櫻井純がビニル袋をぽんぽんと片手でもてあそぶ。
「白音さん、お金に困ってるんでしょ?」
「どうしてそれを!?」
「食堂に置いてあるピンク色の電話で、たまに親と話してるでしょ?」
「聞かれてたのか……ま、まあ、お金には困ってるよ、うん」
「それならさあ」
ぐいっと迫ってくる純。
いかにも不良らしいど派手な金髪だからということもあるが、単純に白音よりも頭一つ分は背が高くて迫力がある。
だるだるっとしたジャージ姿はだらしないが、間近で見てみると化粧はしっかりしていた。
眉毛はすっきりと整えられ、目はくっきりとした二重で、唇は桜色のリップグロスで艶やかに仕上げられている。
服装はどれだけ適当でも、同性からなめられないようにメイクだけはちゃんとしているらしい。
それから、純からは不思議な匂いが漂っていた。
煙草の煙たい匂いと、香水らしき甘ったるい匂いが混ざっている。
最初の印象こそ、ミスマッチなものが混ざり合っていて不快だったが、一旦鼻の奥まで吸い込んでしまうと、なぜだかもう一度嗅ぎたくなってしまうのだった。
なんだか、こっちの方こそ麻薬みたいな――
「私がこの麻薬、売りさばいてあげるよ」
「えっ!?」
提案を聞かされて、白音はようやく我に返る。
純が強引に彼女の肩を抱き寄せてきた。
「私、こういうのを買ってくれそうな友達がたくさんいるんだ。大丈夫、あなたの名前は出さないし、ちゃんと仲介役を使って足がつかないようにするから。その代わりに売り上げは折半でいいよね?」
「あ、いや、でも……これ、売るかどうかはまだ……」
「ふーん、それなら自分で使うつもりだったんだ?」
耳元で問いかけてくる純。
吐息の吹きかけられるくすぐったさが、今はしびれるように感じられる。
「そ、そういうわけじゃ……」
「警察に通報しちゃおうかなー」
「わ、わ、分かったよ! 分かったから!」
屈した瞬間、白音の全身から力が抜けて、その場にくずおれる。
純は満足そうな笑みを浮かべて、こちらを見下ろしていた。
「それじゃあ、売り上げを期待してね。白音さん♪」
「う、うん……」
意気揚々と立ち去る純を、白音はもはや見送ることしかできない。
あとはもう、なるようになるだけ。
香坂白音が本物のワルになれるかというだけ……。
×
櫻井純に呼び出されたのは、それから十日後のことだった。
待ち合わせ場所は、あれから一度も足を踏み入れていない大麻畑の中庭前だ。
白音が集合時間の三十分も前から待っていると、純は意外にも集合時間ぴったりに姿を現した。不良だから時間は守らないだろう。待っている間に気持ちを落ち着かせよう。そんなもくろみはあっさりと打ち砕かれた。
「待った?」
デートの待ち合わせのように気さくに聞いてくる純。
二人とも相変わらずジャージ姿だが、表情は丸っきり対照的だ。
白音は顔面蒼白で、額には脂汗が滲み出ている。そんな一方、純はにやにやとした顔で煙草を吸っていたのだが、白音の態度があまりにも怪しいので、一転して怪訝そうな表情を浮かべるのだった。
「はい、これが白音さんの取り分ね」
純がジャージのポケットから、無造作に紙幣の束を取り出す。
一万円札が十枚。
貧乏暮らしの白音にとってはありがたい臨時収入だ。
差し出された十万円の束を――
「……ごめん」
白音は受け取らずに押し返した。
「あれから考え抜いて出した答えだから、これは受け取れない」
「どうして?」
「私、本当はワルになりたかった」
実際に口に出して言ってみると、なんと格好悪いことだろうか。
「ワルになって、他人を傷つけることなんか気にせず、自分が幸せになることだけを考えたら、どんなに気持ちが楽になるだろうと思っていた。だから、麻薬を売りさばいてお金を稼いで、罪悪感なんて一つも覚えず、楽しく暮らしたいと思ってた。でもね……」
白音は自分の体が震えていることに気づいた。
純に全てをゆだねてしまってから、気を抜くといつもこの調子なのだ。
「やっぱり、無理だったよ……。私の作った麻薬のせいで、いろんな人たちの人生がめちゃくちゃになったらと思うと……悪事を見透かされてるんじゃないかって、周りの視線が気になったり、全然眠れなくてふらふらになったり、気持ち悪くなって食事もまともにできなかったり……」
感情が言葉になってあふれ出し、それと同時に顔全体が熱くなってくる。
涙がにじんで視界が歪み、喉の奥から不快なものが込み上げてきた。
「だから、その、あの……」
膝から力が抜けて、ついには立っていられなくなってしまう。
純のことを見るのが怖くて、白音はうつむいたまま涙を流し続けた。
「私、これから自首するよ。麻薬を作って売っちゃったこと、白状する。ごめんね、櫻井さん。私がこんなところを見つけちゃったせいで、巻き込むことになっちゃって……。これって理不尽だよね」
白音はそのまま、頭を抱えて小さく丸くなる。
「怒ったなら、その、私のことは何してもいいから……。蹴ったりとか。でも、お金は全然ないし、自首する前にどこかに連れて行ったりとかは……だから、その、何をしてもいいってわけじゃなくて、あの……」
「――う、うそ! これ全部、嘘だから!」
思いも寄らない焦り気味の声が聞こえてくる。
白音が顔を上げると、純の顔が汗にまみれていた。
「う、うそ?」
「そう! 嘘だから! ごめん、白音さん!」
純が地面にひざまづき、戸惑う白音の手を握る。
(あ、あれ? 櫻井さんの手、震えてる?)
そのことに気づいて、白音は少しだけ冷静さを取り戻す。
そんな白音のことを見て、純の方もホッとため息をついていた。
「白音さんから奪っていった麻薬なんだけど、あのあと少女九龍城にある焼却炉で燃やしちゃったの。だから、誰も白音さんのせいで人生めちゃくちゃになったりしてない。私の方こそ、白音さんを苦しませてごめん……」
純にはもはや不良少女の迫力がなかった。
ど派手に染められた金髪も、今ではちぐはぐな感じにしか見えない。
「それなら、さっきのお金は?」
「あれは今月のバイト代……コンビニのアルバイトで稼いだやつ……」
「あっ、そうなんだ……」
もしかして、この人は怖くもなければ不良でもない?
白音の目前で純はしょんぼりと体育座りしている。
「私、いわゆる高校デビューなの」
「あー、高校進学を機に自分を変えたいっていう……」
「中学のときはガラが悪いのにいびられてたから、高校生になったら私もワルになって好き放題に生きてやろうと思って……でも、見た目だけは変えられても、中身までは全然変わらないから、高校ではやっぱり上手く振る舞えなくて……この煙草だって、まともに吸えるようになったのは最近だし……」
「ああぁ……」
目に浮かんでくる!
不良少女になりたくてもなりきれず、いかにも高校デビューするために染めてしまった金髪が悪目立ちしてしまって、普通の女子グループにも、不良の女子グループにも、なじむことができずにひとりぼっちになった櫻井純の姿が!
「だから、私、白音さんがぶつかってきてくれて嬉しかった……」
「ええっ? どういうこと?」
「いや、その、ワルぶれる相手が向こうからやってきたなぁ……ってね」
「ははは……」
あのときの笑みはそういう笑みだったのか、と白音は今更気づかされる。純の演技が上手かったのか、自分が余程にびびりだったのか。
「それで、ワルぶる演技をするのが楽しくて……」
「私の作った麻薬を売りさばいてやると言ってみちゃったと?」
「……うん」
問いかけにこくりとうなずく純。
白音もようやく安堵のため息をついた。
「私たち、似たもの同士なのかもね」
「……うんっ!」
純の表情が晴れやかになり、純朴少女の面影が見えてくる。
悪いことなんて逆立ちしてもできない。人を困らせようとしたら、自分の方が苦しくなってしまう。生き方がすごく不器用で、けれども自分を変えられなくて、誰にも相談できずに苦しんでいる。
可愛いなぁ、と白音はふと思う。
純のあからさまな金髪は、自分を変えようとした挑戦の証だ。小さな子供の折ったおりがみのような、不器用だけど精一杯に頑張った……でも、全然上手くやれなかった。露骨に染められた金髪が、二重のまぶたが、リップグロスの塗られた唇が、そんな純の頑張りを伝えてくれていた。
(努力もしていない私が、上から目線で言える立場じゃないけど……)
白音は純と手をつないだまま立ち上がる。
「で、視界に入るのがこれと……」
二人の前に広がっているのは、バスケットコートほどの中庭にわんさかと生えている違法植物だ。この大麻をどうしたものか……本当は全部刈ってしまって、燃えるゴミにでも出してしまうのが一番なのだろうか。
白音が一人悩んでいると、
「こんなものは、こうした方がいいよね」
純が口にくわえた煙草を大麻畑に投げ込んだ。
地面には落ちた枯れ葉もたまっており、煙草の火はあっという間に大きくなり、大麻畑全体を包むような勢いになった。心地よい熱風が二人に吹き付け、キャンプファイヤーを囲んだときのような原始的高揚がわき起こってくる。
「ねえ、白音さん」
「どうしたの、櫻井さん?」
「私のこと、白音さんの友達にしてほしい」
純からまっすぐな視線を向けられて、白音は頬が赤くなるのを感じる。
視線だけじゃなくて、こんなにまっすぐな言葉を向けられるのは、きっと生まれて初めてのことだ。そして、もしかしたら純の方も、こんなにまっすぐな気持ちを表現できたのは初めてのことかもしれない。なぜなら、友達にしてほしいと言った純の顔も、食べ頃の林檎のように赤くなっていたからだ。
「それはもちろ……んあっ!?」
ようやく気づいた。
「これって……他の建物にも燃え移るんじゃ!?」
「あっ――」
大麻畑の中央からは、すでに高さ五メートルを超える火柱が立ち上っている。中庭から吹き付けてくる熱風は心地よいと感じられるレベルを超えて、白音と純の肌をじりじりと焦がそうという勢いだった。
「ど、どうしよう!? とりあえず、他のみんなに知らせて――」
「消火栓あったはず! 消火栓、消火栓!」
二人は中庭から脇目も振らずに駆け出す。
少女九龍城の住人たちの手を借りて、どうにかこうにか火を消し止められたのは、それからすっかり日が沈んだあとのことだ。中庭の大麻畑は完全に焼き払われ、もう二度とよみがえることはないだろう。
×
「……はっ!?」
白音は目を覚まして飛び起きる。
自分の部屋だ。六畳一間、女子高生が借りているとは思えない年季の入った畳敷き。部屋の真ん中に敷いた布団で、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。部屋の電気はついておらず、南向きの窓から日の光が差し込んでいる。
中庭の火事を消そうと奮闘したあたりからの記憶が曖昧だ。火事を消し終わったあと、集まった住人たちで食堂に集まり、盛大な打ち上げが行われた。その打ち上げで大盛り上がりしたのはうっすらと覚えているが――
「んっ!?」
体が妙にひんやりすると思ったら、パジャマどころか下着も着けていなかった。
(どれだけ浮かれちゃってたんだ、私は……)
白音がうんざりしながら部屋を見回すと、
「あっ……おはよう、白音さん」
自分のすぐ隣に……つまりは同じ布団で櫻井純が横になっていた。
見るからに生まれたままの姿で、薄っぺらな布団に体の輪郭が浮き上がっている。
布団からあふれ出した金髪からは、微かな煙草の匂いと、甘ったるい香水の匂いが漂ってきており、本来ならだらしない印象を与えるはずが、どうしてか白音にはセクシーにすら見えてしまっていた。
「なんでここにいるの、櫻井さん!? なんで裸なの!?」
「純って呼んでよ、白音さん。昨日は呼んでくれたんだから……」
「呼んでないよ!?」
ふわぁ、と純が大きなあくびをする。
それから、幸せそうにうっとりとした顔になった。
「私、びっくりしちゃった。白音さんにこういう趣味があるなんて。私、こういうことに興味はないつもりだったんだけど、白音さんがすっごく優しかったし、昨日の夜だけですっかりはまっちゃったかも❤」
「えっ? えっ?」
「友達にしてほしいとは言ったけど、まさかその先にまで行っちゃうなんて……」
「いやいやいや!」
頭の理解が追いつかない。
「……そ、そうか。あれの仕業か!」
「あれって?」
「昨日の火事で、麻薬成分がそこら中にまき散らされちゃったんだよ! そっか、だから打ち上げであんなに盛り上がったのか……。そういうわけで昨日のことはノーカン! 昨日のことは全部忘れてね、櫻井さん!」
「……忘れられない」
純が布団を押しのけて起き上がる。
案の定、純は何も身につけておらず、白音の目に彼女の裸体が飛び込んできた。
「忘れられるわけないよ! 私にあんなことして!」
「いや、だから、私は何も覚えてなくて――」
たまらず逃げ出す白音。
そこから、白音と純の鬼ごっこが始まった。服を着ている余裕もなく、部屋の中を裸でドタバタと走り回る。二人の脱ぎ捨てたジャージが、足の指に引っかかってひらりと宙に舞い上がった。
立て付けの悪い自室のドアが、二人の起こした振動で勝手に開き、通りがかりの住人たちに覗かれてしまうまであと少し……。けれども、そんなことすらも少女九龍城の日常として、住人たちには受け入れられていくのだった。
(おしまい)
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