第23話 私を月に連れて行って

 幼い頃から宇宙に憧れていた。


 きっかけは地元にあるプラネタリウムだったと、私――大野頼子はおぼろげながらに記憶している。両親に連れられて、科学館に併設されているプラネタリウムを見に行ったのだ。半球状のスクリーンに映し出された星々に魅了された。


 私が宇宙そのものに興味を持つまで、それほど時間はさほどかからなかった。小学三年生の誕生日には、両親にねだって望遠鏡を買ってもらった。流星群に関するニュース、天体を扱った科学番組、果てには怪しげなUFO特番までテレビも必ずチェックした。


 この巨大な女子寮――通称・少女九龍城に入寮したのも、インターネットのUFO研究サイトで「あの変な建物の上空だと、UFOが頻繁に目撃されるらしい」という情報を聞きつけたからだった。

 私は地元の高校に進学することをやめて、両親を全力で説得して、少女九龍城の近くにある高校を受験したのである。


 少女九龍城と呼ばれる女子寮は不可思議な場所だ。地上何階、地下何階、総面積、部屋数がまったく把握できない。

 巨大迷路のような構造をしており、知らない廊下に足を踏み入れたら最後、絶対に素人では脱出できない。幽霊騒ぎが起こったり、時間が歪んだり、そもそも変な趣味を持った人が集まってきたり……まぁ、飽きることだけはない。


 期待していたとおり、私は少女九龍城にて多くのUFO写真、あるいは動画を撮影することが出来た。

 屋上にテントを張って、望遠鏡や撮影機材を設置した。落下防止用フェンスもない危なっかしい場所だったので、わざわざカラーコーンと『立ち入り禁止!』的なテープで囲いまで作った。

 自室で眠った日よりも、屋上で眠った日の方が多い。


 UFO写真はインターネットでそこそこ話題になった。少女九龍城のUFOガールと言ったら、マニアたちの間では結構有名である。

 ただ、なかなかUFOの正体に近づくことは出来なかった。未確認飛行物体はキャトルミューティレーションをすることも、屋上に着陸して「ワレワレハ・ウチュウジンダ……」と語りかけてくることもなかった。


 私はいつか宇宙飛行士になるのだ、とも考えていた。

 そのためには体力作りが必須である。英語もペラペラ話せないといけない。さらには何かに対して、博士号レベルの専門家である必要もある。

 その辺の努力を怠ったつもりはない。宇宙に無能な人間は足を踏み入れられないのだ。


 だけど、UFO写真だけ漫然と増えていく日々に私の感覚は鈍りつつあった。手段と目的が入れ替わって、自分が何を目指していたのか忘れてしまいそうになるのである。


 そんなときだ。

 少女九龍城に自称・宇宙人の少女――宇佐見・エレーナ・アリサがやってきたのである。


 ×


 月面出身の第三世代、日本人とロシア人のハーフ、生粋の月娘(ルーニャン)である宇佐見さんは、ワープゲートのテストをするため地球にやってきたらしい。だが、ゲートの座標がズレてしまって、間違えて少女九龍城の大迷宮に出てしまったのだ。


 以後、地球の環境に適応することを最優先に考えて、とりあえず少女九龍城にて療養生活を続けている。

 最初は地球重力のせいで立ち上がれず、消化器官が弱いせいでお粥しか食べられなかったが、今はかなり地球環境に適応してきている。


 んなアホな。

 ……と切り捨てちゃうことは簡単だろう。


 だけど、宇宙に憧れている私は違ったのである。

 宇佐見さんの話が嘘か本当かは全然分からない。だが、彼女の話が本当だとしたら紛れもないチャンスだ。

 冷戦期から始まっていた月面への移住計画、月面で育った生粋の宇宙人、満月の時だけ開かれるワープゲート……私は世界がひた隠しにしていた宇宙計画に接触していることになる。


 いや、接触するだけでは飽き足らない。

 私は覚悟を決めて、彼女に一つのお願いをすることにしたのだ。


「宇佐見さん、私を月に連れて行ってください!」


「……はい?」


 テーブル席に着いている宇佐見さんが顔を上げる。

 今は夕食の真っ最中で、三十人を軽く超える住人たちが食堂に集まっていた。

 本日の献立は月見うどんである。月面出身の宇宙人が、ちゅるちゅると月見うどんを食べる……実にシュールな光景ではないだろうか。


 宇佐見さんの頭に付いているウサミミがぴこぴこと反応している。

 私は彼女と同じテーブルに着いて、熱々の月見うどんを食べ始めた。


「本気ですからね、私は。なんとしても、月に連れて行ってもらいます」

「うーん……私は自称・宇宙人のコスプレイヤーということになっているのですが、」


 ごまかそうとする宇佐見さん。

 私はムッとして追求する。


「今さらになって嘘でしたってわけにはいきませんからね! 私は小さい頃から宇宙に憧れていたんです。この少女九龍城にやってきたのだって、この場所だとUFOがたくさん見られると知っていたから……だから、」


 とはいえ、宇佐見さんが私に協力する道理はないのだ。


 私は――少女九龍城の住人たちは、彼女から極秘プロジェクトについて説明を受けている。

 だが、それはあまりにも壮大で、SF的過ぎるが故に、他人様には簡単に信じてもらえる話ではない。もしも、私が「月に連れて行ってくれないなら、秘密を世間に公表します!」とか言ったところで、誰も私の話なんか信じてくれないのだろう。


 宇佐見さんは月見うどんを完食して、ペーパータオルで口元を拭いた。


「……つまりは月面人である私と接触して、月面行きのチケットをゲットしようというわけですね? 一世一代のチャンスを掴むためであれば、まるで絵空事のような私の説明を信じると……そういうわけですか。素晴らしい意気込みです」


 私はホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら、冗談半分でお願いしたわけじゃないってことは宇佐見さんに伝わったようだ。

 彼女は銀色の髪をさらりと払う。


「大野頼子さん、あなたの願いは分かりました。ですが、そう簡単に宇宙行きは許可できません……というより、私にはそこまでの権限がありません。ですが、月面移住プロジェクトの責任者に対して推薦するくらいなら可能です」

「本当に!?」

「ただ、一つだけ『試験』を設けさせてください。その試験に合格したあかつきには、私が責任者にあなたのことを推薦しましょう」

「じゃ、じゃあ、試験の内容というのは――」


 偶然に巡ってきた千載一遇のチャンス。

 私はいつになく真剣になって、宇佐見さんからの説明に耳を傾けた。


 ×


 試験についての説明を聞いたあと、私は大浴場で長々と入浴していた。

 鼻先まで湯船に浸かって、ぶくぶくと息を吐く。


 結局のところ、宇佐見さんは試験の細かい内容を教えてくれなかった。試験をする場所は宇佐見さんの部屋。そして、開始時刻は深夜零時――あと三時間後に迫っている。まさか、今日中に試験をしてしまうとは思ってもいなかった。


 必要な道具等の説明もなかった。ただ一つ、お風呂に入って体を清潔にするように……とだけ言われた。

 試験と言ったら筆記試験だと思いこんでいたけれど、もしかして健康診断のような感じなのだろうか?

 健康にはそこそこ自信があるけれど、虫歯になりかけている場所があるって、学校の健康診断で言われてしまったことが……。


 だが、その程度で月面行きの切符に手が掛かるのなら安いものだ。

 採血だろうと、胃カメラだろうと、ここは気合いを入れて挑む所存である……とかなんとか考えていたら、お風呂に浸かりすぎて頭が熱くなってきた。


 私は浴槽の縁に腰掛けて、火照ってしまった体を冷やす。

 すると、そこに住人仲間である倉橋椿さんがやってきた。


「どうした、頼子ちゃん。珍しく長風呂じゃのう?」


 彼女は銭湯にやってきたオッサンのごとく、タオルを右肩に掛けて仁王立ちしている。

 引っ越してきた当初は面食らったものだが、この光景も見慣れたものになってきた。


「えぇ、まぁ……」

「さてはアリサから提案された『試験』について考えておるな?」


 椿さんが私の隣に腰掛ける。

 別に隠れて話していたわけではない。食堂で夕食を取っていた彼女が、試験の話を聞いていても不思議ではないだろう。

 むしろ、私は宇佐見さんに対して熱くなっていた。声のボリュームが知らず知らずのうちに大きくなっていたのかもしれない。


「試験の内容を詳しく教えてもらえなかったので……」

「おぬし以外にも、月に連れて行って欲しいと頼み込んでいた子は結構いたぞ」


 それは初耳である。

 多くの少女たちが試験を通過できず、夢を諦めていったということか……。


 いやいや、と椿さんは首を横に振った。


「お遊びで月に行こうとしている人間と、本気で宇宙を目指している人間の区別くらい、リアル宇宙人であるアリサには見分けが付くのじゃろう。試験の提案すらされなかったと、いの一番に断られたスバルが言っておったよ」


 ちなみに虎谷スバルさんは、泡だらけになって体を洗っている最中である。

 椿さんが感心した様子で語った。


「おぬしが宇宙大好きであることは、少女九龍城に来てから間もないアリサも知っていたわけじゃ。毎日のように星空を観察して、宇宙飛行士になるための勉強、運動作りも欠かさず行っている。このチャンスは頼子ちゃんの努力が掴んだものだと、私は思っているよ」

「いやぁ、そんなぁ……」


 そこまで言われると照れちゃうではないか。

 私が体をモジモジとさせていると、今度は途端に椿さんが厳しい顔をした。


「しかし、おそらく試験は過酷なものとなるじゃろう……」

「ど、どういうことですか!?」


 彼女には試験の内容に予想が付くのだろうか。

 私だって一応、宇宙飛行士になるための試験や訓練について調べている。だが、詳しい試験の内容はあくまで極秘だ。閉鎖環境テストだとか、そういうものが本当に行われているのかも怪しい。

 というか、宇佐見さん一人だけで出来る試験って一体……。


 椿さんは物々しげに言った。


「おそらくは『月面人が大好きなコミュニケーション』で試験をするのではないかと」

「そ、それってまさか――」


 道具は基本的に不要(あればあるで)、体と体のぶつかり合う超健康的スポーツにして、性欲を満たすことも出来る『アレ』のことであろうか。


「間違いなくセックスじゃろうな」

「言わないでくださいよ、恥ずかしい!」


 せっかく顔を冷ましていたのに、また一気に熱くなってきてしまった。


 究極的に無駄の省かれた月面では、体の交わりというのがスポーツとして、同時にコミュニケーションの手段として好まれているらしい。地上では考えられない常識だ。

 だが、郷には入りては郷に従え――という言葉もある。私が月面コロニーで暮らすことになったら、そういったコミュニケーションを目の当たりにすることになるだろう。


「――って、いやいやいや! それはダメですよ!」


 冷静になっている場合ではない。

 私は単なる高校生なのだ。宇宙に行きたい気持ちは山々だけれど、そのために自分の体をあんなことやこんなことに捧げる覚悟はない。

 そもそも、体の交わりっていうのは好きな人とすることであって、間違っても遊び半分でするようなことでは……。


「……私が試験を無反応を通したら、宇佐見さんも常識の強制をやめてくれますかね?」


 私の問いかけに対して、椿さんは首をひねった。


「そこまでやれば、いい加減、あやつも理解してくれそうな気がするが……アリサの責めは半端ではないぞ。その気がない頼子ちゃんですら、どうにかなっちゃう可能性が高い。むしろ、確実にどうにかなる」

「そ、そんなぁ……」


 宇宙行きの切符が手に入るとしても、月面の常識に取り込まれてしまうのは勘弁である。

 私が頭を悩ませていると、椿さんがしたり顔で提案してきた。


「そこで一つアイディアがあるのじゃが、これから一時間、わっちのところでレクチャーを受けるというのはどうかな? わっちはアリサのくすぐったい場所を知っておる。あやつにも、いじられると立てなくなっちゃうポイントというのがあって――ぎゃんっ!!」


 突如、椿さんが悲鳴を上げて浴槽に倒れ込む。

 彼女を一撃でノックアウトさせたのは、いつの間にか背後に立っていた加納千鶴さん――通称・チズちゃんだった。

 彼女は言うなれば、住人少女たちを毒牙に掛けようとする椿さんのお目付役である。


「このナンパ女は連れて帰るね。あとできつく言い聞かせておくから」

「あ、うん……」


 チズちゃんは椿さんを浴槽から引き上げると、ズルズル(タイル床はよく滑るからツルツル?)と彼女の体を引っ張っていった。


 私は一人だけ取り残されて、今度は冷えてしまった体を温めるため、再び湯船に肩まで浸かった。

 試験開始まで三時間弱。正面から試験にぶつかるか、抗議して試験を改めさせるか、スッパリと諦めるか決めなくてはいけない。


「うぅう……でも、月に行きたいなぁ! どうにかして、宇佐見さんのテクニックに反応しない方法とかないかなぁ! 世界ってのは絶望なのかなぁ!」


 この世の終わりのように嘆く私。

 だが、救いの女神は現れる。


「――よろしければ、私が手を貸しましょうか?」


 ×


 午前零時、私は約束通りに宇佐見さんの部屋を訪れた。


 彼女の住まいは普通の住人たちと同じく、古びた木造のワンルームである。家具や寝具も、少女九龍城の余り物をかき集めてきたのだろう。

 宇宙人っぽさはない。ただ、間接照明の使い方が上手くて、ものすごく『雰囲気』が出ていた。これからやるぞ、という感じが。


 宇佐見さんはネグリジェ姿でベッドに横になっていた。薄い生地、濃い陰影が彼女の体のラインを浮かび上がらせている。重力六分の一の月面でも、こんな風に彼女は扇情的だったのだろうか……。


 私は後ろ手でドアを閉じる。

 宇佐見さんが半身を起こして、誘うように右手を差し出した。


「さぁ、こちらに来てください。頼子さんが宇宙に行くため、月面コロニーで生活するために必要なコミュニケーション能力の試験を行います」

「その前に確認したいことがあります」


 相手のペースに乗せられたくないので、まずは私の方から提案していく。


「私は月面行きを望んでいますが、肉体を使ったコミュニケーションには賛同しかねます。私はあくまで地上の人間ですから、同性の人とも、恋人以外の人とも、そういうことはしたくありません。したところで、気持ちが良くなったりすることはありません」

「私の愛撫には反応しないと?」

「もちろんです。そして、これは地上の人間のほとんどに言えることでしょう。私が宇佐見さんの攻撃に耐えきったときは、少女九龍城の住人に対して月面流のコミュニケーションを迫ることはやめてもらえませんか?」


 宇佐見さんは唇に指を当てて考え込む。

 化粧はしていないはずなのに、彼女の唇はルージュが塗られたかのように艶やかだった。


「……分かりました。頼子さんが私の責めを受けきったときは、住人たちを月面流のコミュニケーションに誘うことはやめましょう。そして、あなたのことは月面プロジェクトの責任者に伝えます」

「分かってもらえれば結構です。さっそく、試験とやらをやっちゃいましょう」


 私は自ら宇佐見さんのベッドに乗り込む。

 彼女は私を迎えながら、すでに指先でボディラインをなぞっていた。


「頼子さんは体力作りをしているおかげで、なかなか良い体つきを――」


 そして、気づかされる。

 宇佐見さんはハッとした表情で、私が穿いているパジャマのズボンを下ろした。


 ズボンの下に現れたのは金属の光沢、なめらかな本皮、絶望的な二重シールド、少女の性を徹底管理する一級品――貞操帯である。


 とまどいの表情を隠せない宇佐見さん。

 そうだろう。そりゃそうだろう。


 この貞操帯は完全に私の下半身を守っている。隙間から手を入れることだって出来ない。南京錠は豪華にも二個も付いている。ベルトを切るためには特殊な工具が必要だ。宇佐見さんが宇宙人であろうと、なんだろうと、もはや大事なところには手を出せない。


 貞操帯を貸してくれたお嬢様――西園寺香澄さんには感謝しても足らない。どういう理由でこんなブツを持っているのかは知らないけれど(古いやつだから、とか言ってたし)、今は最強の防具を手に入れられたことが嬉しい。


 この勝負、決まった。


「――ふむふむ、そんなことですか」


 突然、宇佐見さんが私の着ているパジャマの上着に手を掛ける。


「バンザイしてくださいね」

「へっ?」


 そして、あっけに取られていた私のパジャマをするりと脱がせてしまった。

 私は下着姿になって、宇佐見さんの目の前に転がされる。


「えっ、あっ、ちょっと……」


 草食動物を捕まえたライオンのように、彼女は四つんばいになって私の上に覆い被さった。


 私は逃げようと身をよじるが、すでに捕食者の間合いの中である。

 宇佐見さんが耳元で囁いた。


「下半身を守った程度では、私の攻撃からは逃れられませんよ。慣れていない頼子さんには酷ですが、今日は上半身だけで感じてもらいましょう」

「う、うそ……まさか、そんなこと、」

「開発すれば十分に可能ですよ? ただ、普通はその領域に達するまで、我慢することが出来ないですけれども。けれど、今の頼子さんなら大丈夫そうですね。なにしろ、触りたくても大事なところには触れないわけですから……」


 こうして、私と彼女の一晩限りの勝負が始まった。

 勝敗は戦う前から明らかだったけれど。


 ×


 翌朝、私は貞操帯を帰すために西園寺さんの部屋を訪れた。

 部屋には天蓋付きの大きなベッドがあり、彼女はそこに腰掛けて髪を梳かしていた。


「おはよう、西園寺さん」

「おはようございます、大野さん。結果はどうでしたか?」

「結果は……一応、宇宙行きを検討してもらえることになりましたけど、」


 まさに『試合に勝って、勝負に負けた』という感じだろう。


 私は宇佐見さんの攻撃に耐えきれなかった。

 全然耐えきれなかった。すっかり参ってしまった。

 お預けをされて、体が大変なことになっている。とんでもない話だ。

 あれだけ『その気がない』だとか『好きな人としか出来ない』と言っておきながら、この体たらくである。


 私は堕落してしまったのだろうか?

 いや、出来ることならば……地上の常識から解き放たれたのだと思いたい。この狭苦しい重力から解き放たれて、私は月に呼ばれたのだ。

 これで月面移住プロジェクトの責任者から、不採用を言い渡されたら立ち直れない。


「それで、貞操帯の鍵を取りに来たんですが……」

「あれ? 鍵は渡しましたよね?」

「えっ……」


 言われてみれば、私には貞操帯の鍵を受け取った覚えがあった。パジャマのポケットに入れておいたはずである。でも、今朝になってから確認したときは、上着にもズボンにも鍵が入っていなかった。


 ギィと背後から物音。

 振り返ってみると、宇佐見さんがちょうどドアを開けたところだった。

 右手には小さな鍵が握られている。

 宇佐見さんがニンマリとして西園寺さんに尋ねかけた。


「……この鍵、もう少しだけ預かっていても良いですか?」

「どうぞ、有効活用してください。使われてこその貞操帯ですから」


 このお嬢様、簡単に承諾しちゃった!?

 私は断固として抗議する。


「――ちょ、ちょっと、体の自由を勝手に引き渡さないでくださいよ!」


 すると、宇佐見さんがキリリと真面目な顔をして語り出した。


「プロジェクトの新メンバーに推薦するからには、頼子さんは優秀な人間になってもらわなくてはいけません。ですので、私が責任を持って教育いたします。また、性欲についても同様に管理します。月面人が性に対して開放的なのは、その一方、仕事に対しては極めてストイックになるからです。一つの失敗が命に関わるのですから……」

「いや、だから、月面の常識を受け入れた覚えは――」


 私の言葉には聞く耳を持たない。


 言いたいことだけ言ってしまうと、宇佐見さんは猛ダッシュでその場から離れていった。

 おそらくは食堂に向かったのだろう。そろそろ朝食の時間である。

 彼女は地上での食事をとても楽しみにしているのだ。


 ……それにしても足が速いなぁ、宇佐見さん。

 もしかして、単なる地球人の家出娘とかじゃないよね?


 大いなる不安を胸の内に抱えたまま、私は全力疾走の宇佐見さんを追いかけた。


(おしまい)

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