第24話 かれんゲンガー
最初におさらいしておくと、私――秋葉可憐には両足がない。
小学四年生の時に交通事故にあって、太ももの真ん中当たりから下をやられてしまったのである。現在はどういう因果か、サンタさんからプレゼントされた義足を愛用している。
この義足が持つ能力たるや凄まじいもので、私は大した訓練をすることもなく二本の足で歩けるようになった。
それに加えて、義足は驚くほどに人々の目を引きつける。クラスメイトの榎本ゆずなんて、義足の虜になったあげく、私の住んでいる女子寮『少女九龍城』にまで引っ越してきたほどだ。
私は不幸に見舞われて両足を失った……だけど、義足が全ての不足を埋めてくれたと表現しても過言ではないだろう。自分の力で歩けるようになって、さらには友人まで与えてくれたのだ。
マイナスを軽く打ち消してくれるだけのプラスである。
×
そして、プラスのあとには必ずマイナスがやってくる。
ここ最近、私はやたらと朝に起きるのが辛くなっていた。生理というわけではない。低血圧というわけでもない。
朝が過ぎると、けろりと体調が回復するのである。何か夢を見たような気がするけど、ハッキリと思い出すことが出来ない。
ただ、私は中学一年生の少女である。身体のバランスが不安定になることはあるだろう。
それに輪を掛けて問題なのは、さらなる問題が私の身に降り注いだからである。私の経験則で言えば、こういった泣きっ面に蜂、傷口に塩をすり込むような現象は立て続けに起こる。
教えてくれたのはゆずだった。
「怒らないで聞いて欲しいんだけど、少女九龍城にテケテケが出没するらしいの」
その時、私は自室の椅子に腰掛けて両足をパタパタさせていた。
ゆずは常識的な少女だが、私の義足のことになると急に『変』になってしまう。私の部屋にやってくるのは、大体が謎の禁断症状に見舞われて、ストッキングに包まれた義足を触るためである。
そんな彼女が単なるうわさ話をしに来るのは珍しかった。
「テケテケって、学校の怪談に出てくるやつ?」
急いで来たからか、ゆずは眼鏡の下で顔を赤く上気させている。
「住人たちが語るには……」
私は小学生の頃、図書室で読んだ怪談本のことを思い起こした。
テケテケというのは両足がない妖怪で、ふわふわと空を飛んで子供を追い回すのである(おそらくは『両足がない』という点について、私が過剰反応しないか心配したのだろう)。
俗説によれば、事故で両足が切断されて死んだ人の幽霊だとか……。
少女九龍城では不可思議な現象がたびたび起こる。
幽霊や妖怪に類する『怪しい影』の目撃談は跡を絶たない。
ただ、幽霊の正体見たり枯れ尾花、柳に幽霊とはよく言ったもので、複雑な構造故に見間違いが多いのも事実である。
ゆずはベッドの上で正座して、私に噂の詳細について語った。
「テケテケはすでに五人が目撃しているわ。わっちさん、松沢姉妹のお二人さん、竹原さん、管理人さん……全員が深夜に目撃しているの。両足のない半透明の影が、ふわふわと廊下をさまよっているそうよ。幽霊みたいに足がスーッと透明になっているわけじゃなくて、ハッキリと太ももの真ん中で切れてるんだって。その表情は物憂げで、みんなは視線が合う前に逃げ出してしまったと……」
彼女の語る内容は、確かに怪談本で読んだことのあるテケテケの事例に似ている。
見つかったら追いかけ回されて、最後には両足を切り取られてしまうのだとか。
目が合う前に逃げ出すという判断は正しかっただろう。
見間違いが多いとしても、実際に超常現象が起こっているのが少女九龍城だ。本物の可能性を否定することは出来ない。
それだけでなく、プラスのあとにはマイナスが必ずやってくる――そんな私の人生観が、この一件は単なる思い過ごしではないと告げている。
テケテケの存在を無視できないと思った矢先、ゆずが不穏な面持ちで言った。
「でも、私はもう一つの可能性を危惧しているの」
「どういうこと?」
「五人の目撃したテケテケが、可憐のドッペルゲンガーではないかと考えているの」
×
ドッペルゲンガーも有名な怪異の一種である。
死期が迫ったとき、自分にそっくりな人間が目の前に現れる――転じて、自分とそっくりな人間を見ると死ぬという単純明快にして悪意の高い現象だ。
脳や精神に異常が発生してみられる幻覚とも言われているが、全くの第三者によって目撃される例もある。
ベッドの上で正座をしていたゆずが、パタンとそのまま横に倒れた。
「五人とも全員揃って、テケテケらしき影は少女のようだったと言っている。少年だとか、怪物じみているとか、そういった印象は受けなかった。太ももの真ん中から両足の切れている少女――これが可憐と無関係であるとは思えない」
「写真にでも撮影してあれば、少しは考察する材料になったかもね……」
自分とそっくりの影。
判断材料はとても少ないが、私も『ドッペルゲンガー説』が気になり始めてきた。
浮遊する影が妖怪テケテケだとしたら、積極的に人間を追いかけてくるはずだ。目撃例が五件もあるのに、誰も追いかけ回されていないのは逆に不自然である。その一方、ドッペルゲンガーは何も語らずに消えてしまうことが多いらしい。
まさか、本当に私のドッペルゲンガーだというのだろうか?
ゆずがベッドのシーツを両手で掴む。
「可憐がドッペルゲンガーと会ったら死んじゃうかもしれない。私、そんなのヤダ……」
「そ、そうなの?」
ずいぶんと彼女が悲しそうな顔をするので、私は少々面を喰らっていた。
「私が死んじゃったら、この義足は必要なくなるから……その時はゆずにあげるけど?」
「そういう問題じゃないよ……」
ゆずの興味対象は私の義足であるはずだ。無償で義足が手に入るというのなら、それだけで万々歳というものだろう。それとも、彼女は美脚よりもストッキングの方に興味があったのだろうか?
そういう性癖の人間が存在することはもちろん知っているが……。
私が思案していると、ベッドに寝ころんでいたゆずが急に起きあがった。
「こうなったら、ドッペルゲンガーの正体を突き止めないと! 可憐、早く行こう!」
「えっ、どこに!?」
彼女は右手を掴むと、椅子に座ってる私をぐいと立たせる。
「とりあえずは食堂に行くの。先輩住人たちが解決案を出してくれるかもしれないから!」
「そ、そうだね!」
一縷の望みを託すように、私はゆずと一緒に自室を出た。
×
休日の昼間ということもあって、食堂には十名近い住人たちが集まっていた。
私とゆずはドッペルゲンガー……もとい、妖怪テケテケについての聞き込みを行った。
結局、最初の五人以外に目撃証言は得られなかったけれど、目撃した時間、場所についての正確な情報を知ることは出来た。
「わっちが見たのはこの辺じゃな」
先輩住人・倉橋椿さんがテーブルに広げられた地図の一部分を指さす。
そして、チズちゃん――加納千鶴さんが指定されたポイントに赤ペンで丸を書いた。
テーブルに広げられた地図は、チズちゃん先輩が自作したものである。通称『チズちゃん地図』と呼ばれているもので、正面玄関と食堂、それから住人たちの主な住居が集まるメインストリートを中心として、生活圏内が分かりやすく図にまとめられている。
地図には五つの目撃場所、テケテケの存在した位置、テケテケの移動していった方向が赤ペンで書き記されている。
目撃場所はメインストリートの周辺に集中しており、徐々に人気の多い場所へ移動しているようにも見えた。
椿さんが首を横にひねる。
「テケテケって鎌を持ってる妖怪じゃなかったかの? あれは素手だったようじゃが、それならば、どうやって人間の足を刈るのか……あぁ、素手で引きちぎるのか」
「こ、こわいことを言わないでくださいよ、椿さん!」
チズちゃん先輩が赤ペンを片手に身を震わせた。
それから、不意に彼女は棒立ちしている私に視線を向ける。
「……可憐ちゃんは怖くないの?」
「えぇ、まぁ……死ぬときはあっさりと死ぬものだと思いますから。もちろん、そう簡単に殺されるつもりはありませんけれど。あと、私はトカゲの尻尾みたいに義足を外すことも出来ます。運が良ければ、それで助かることもあるでしょう」
「なんというか達観してるよね……」
中学一年生らしくはないな、とは私自身も思っていることだ。
ただ、普通の中学一年生にしては不思議な出来事に巻き込まれすぎているのだろう。
トラックに轢かれそうになったうえ、殺人鬼とまで遭遇したことのある人間はそうそう存在しないはずだ。
ゆずが先輩二人に本題を切り出す。
「目撃された影というのは、可憐のドッペルゲンガーなんじゃないかと思ってるんです」
一理あるのぅ、と椿さんが頷いた。
「確かに言われてみれば、あれは背格好が可憐に似ていたような気がする。テケテケに比べたら信憑性があるかもしれんなぁ……」
すると、チズちゃん先輩が小さく手を挙げる。
「一応、十年後の自分が会いに来るっていうパターンもあるけど」
「それならば、可憐ちゃんのところまで真っ直ぐに会いに来るんじゃないかの?」
椿さんの指摘で、彼女の『十年後の自分説』はあっさりと却下されてしまった。
貧相な感情表現能力をフル活用して、私は先輩二人に訴えかける。
「私はこんなところで死にたくはありません。でも、ドッペルゲンガーの正体を暴くことも、退治することも出来ないんです。どうにか、アイディアを貸して頂けないでしょうか? 殺人鬼がお化けを退治してくれる……なんていう偶然に期待するわけにもいきません」
ゆずも一緒になってお願いしてくれた。
「椿さんとチズちゃん先輩なら、きっと助けてくれるって思ったんです。今の私たちには先輩たちが頼りなんです! このままドッペルゲンガーを野放しにしておいたら、可憐は少女九龍城を自由に歩くことも出来なくなってしまいます……」
先輩二人は困惑して顔を見合わせる。
「とはいえ、ドッペルゲンガーをやっつけた経験はないですしねぇ……」
「少女九龍城には巫女さんかシスターさんが必要じゃのう……」
そんなときだった。
私は背後から強烈な殺気を感じて、まるでアクション映画の主人公みたいな反応をして振り返った。
「……あ、ごめん。眼鏡を掛けるの忘れてた」
会議をしている私たちの背後にいたのは、ものすごい目つきをした先輩住人・結城アキラさんだった。
彼女は胸ポケットから黒縁の眼鏡を取り出して装着する。すると、別人になったかのように目つきが柔らかくなった。
アキラ先輩はオドオドとした様子で提案する。
「さっきから話を聞いてたんだけどさ……私、少しは霊感みたいなのがあるから、本当に心配なら一緒に付いていようか? 目撃場所がメインストリートの付近なのも気になる。もしかしたら、君を探しているのかもしれない」
「私を探している……」
あるのだろうか? 明確な答えは分からない。
正体を推察することすら出来ないのだから、相手の意思を読み取ることだって出来ない。
今はただ、深夜の少女九龍城を闊歩する謎の存在が、さらに奇怪に思えてくるだけだった。
×
あれこれと思い悩んだ結果、私はアキラ先輩にボディガードを頼むことにした。
彼女は『霊感のようなもの』が具体的には何かを教えてくれなかったけれど、自ら提案したからにはきっと自信があるのだろうと思う。
あまり人に言いふらさないようにする――という条件付きで、私を守ってくれることになった。
時間は緩やかに過ぎていった。ドッペルゲンガーが目撃されていたのは決まって深夜だ。
むしろ、日付が変わってからが本番である。
アキラ先輩は寝袋まで持ってきて、私の部屋の前で浮遊する影を待ちかまえてくれることになった。
「今日は応援を連れてきた」
「カイ、アキラ、キライ!」
彼女が連れてきたのは、虎谷さんの飼い犬である少女・カイだった。
アキラ先輩に首輪のリードを握られて、大層不機嫌な様子で暴れ回っている姿が、半分開いているドアの隙間から見える。
「ドッペルゲンガーだろうがテケテケだろうが、メインストリートに何かの出入りがあればカイが察知してくれる。万が一の場合には戦力としても期待できる。今晩は私たちに任せて、君たちはゆっくりと眠るといい」
「スバル! スバル、ドコ!?」
ばたん、と閉じられるドア。
私はゆずと二人でベッドの縁に腰掛ける。
今日は私のことを心配して、ゆずが私の部屋に泊まりに来てくれているのだった。時刻は午後十一時を回るところで、すでに私も彼女も寝間着に着替えている。
先ほどから眠気の波が押し寄せてきているのだが……私はあまり眠る気になれなかった。
「もう寝る?」
ゆずがベッドの布団をポンポンと叩く。
心配して来てくれた彼女だが、私以上にドッペルゲンガーの存在を怖がっているらしい。
そのため、今日は一つのベッドで一緒に眠ることにしたのだ。
私は歯切れの悪い返事をする。
「う、うん。先に義足を外しちゃうね……」
「なるほど、だからスパッツなんだー」
当然、ゆずは義足のことになると興味津々だ。
私は義足を取り外そうと屈んだ姿勢になる。
だが、どうにも彼女の視線が気になって取り外せない。
切断面が外気に触れてしまうのが怖い。見られてしまうのが怖い。
二本の義足は私の両足なのである。
これらを取り外すということは、私が欠けてしまうということなのだ。
じわ、と背中に汗がにじんできた。
ゆずに見られるまで気が付かなかった。
私は義足を外すことが怖くなっていたのである。
義足が私に与えてくれたのは二足歩行の自由だけではない。学校に通う自主性、榎本ゆずという存在……細かく数えていったら限りがない。
私がためらっていることに気づいて、ゆずがくるりと背を向けた。
「ごめんね、私が見てたりしたら外しづらいよね?」
「いや、そうじゃなくて、そうなんだけど、その、ゆず……」
言い淀んでしまう私。
すると、ゆずは呼び止められた子犬のように振り返った。
私はうつむいたまま、不思議がる彼女に問いかける。
「これから、私は眠るために義足を外すんだけど……義足を外したあとでも、ゆずは私のことを友達と思ってくれるのかなって」
「……可憐?」
「この義足は私の全てなの。これがなければ、私には何もないようなものだから――」
左手の指に人肌の暖かさを感じた。
ゆずが私の左手に、彼女の右手をそっと重ねたのだ。
「そんなことを言わないで、可憐。私、あの時も悲しかったもの」
「あの時も?」
「可憐が死んでしまったあと、義足をくれるって話をしたとき。そんなことで義足をもらったとしても、全然嬉しくなんか思えないよ……」
「ど、どうして?」
私が困惑していると、彼女は私の手をきゅっと握りしめた。
「だって、私は可憐の友達だもの。たとえ義足が失われてしまっても、私は絶対に可憐のそばから離れないよ。あなたが歩けなくなったら、私が両足の代わりになる。心が折れそうになってしまったら、いつだって近くにいて支えるから」
左手にゆずの体温を感じる。
女の子らしい細い指、弱い力……だけど、私にはどんな励ましよりも支えになった。
誰かの存在をこれほど近く、力強く、心地よく感じたことは今までにない。胸の奥底から、歌い出したいような、踊り出したいような感情の波が押し寄せてくる。
こんな感情は初めてで、私はもどかしい気持ちになりながら、
「ありがとう、ゆず……」
小さく呟くだけで精一杯だった。
ゆずが私の手から離れて、いつも掛けている黒縁眼鏡を外す。
もう少し、あのままでも良かったのに――と思いながら、私は義足を取り外した。
×
そして、私とゆずが眠り始めてから数時間後……。
私たちは自分の寝姿を見下ろしながら、自室の天井に近い位置をぷかぷかと漂っていた。
夢を見ているからか、不思議な現象に遭遇したにもかかわらず、私とゆずはとても穏やかな気持ちでいられた。
ゆずがぽかんとした顔で尋ねる。
「遊体離脱?」
「……たぶん」
私は解答を見つける。
廊下をさまよっていたものは、妖怪でもなければドッペルゲンガーでもなかったのである。
あれは義足を外すのが怖くて、知らず知らずのうちに苦しんでいた私自身だ。少女九龍城を彷徨う孤独な浮遊体なのだ。
壁をすり抜けて廊下に出ると、アキラ先輩が私の部屋の前で見張りを続けていた。彼女は私たちに気づいて、いってらっしゃいと小さく手を振ってくれる。アキラ先輩に寄りかかって、飼い犬少女のカイがくぅくぅと寝息を立てていた。
ふわふわとした半透明の体には重さが感じられない。
義足を付けていない私はまるで風船のようで、少しのすきま風でもバランスを崩してしまいそうになった。
だけど、その時は隣にいるゆずが支えてくれる。眠る前も、眠っている最中でも、きっと起きてからも私のそばにいてくれることだろう。
私はゆずと手を繋いで、きっと最後になるであろう真夜中の散歩に繰り出した。
(おしまい)
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