第20話 少女九龍城メトロダイアリー
ここ最近、私――加納千鶴は少しおかしくなっている。
「お、おはようございます……」
「おはよう、チズちゃん」
椿さんと顔を合わせると、なぜだか心拍数が急激に上昇するのである。学校の授業でマラソンを走らされている時に似ている。鼓動がジリジリと速度を上げてきて、胸の辺りから顔に書けて熱が登ってくるのだ。
自分の見た目を気にするようになるまで、私は典型的な引きこもり体質の人間だった。コミュニケーションが苦手で、話し相手も虎谷さんか管理人さんくらいなものだった。
今の私は、住人の中でも友達の多い方だと思うけれど、時折、こうしてコミュニケーション下手の気質が蘇ってくるのかもしれない。
相手は倉橋椿――少女九龍城でもトップクラスの問題児である。
私のことを「可愛い」だの「ペロペロしたい」だのと、強烈にいじり倒してくる相手だ。彼女に臆していては、私はあの引きこもり気味だった頃の自分に逆戻りである。
朝食のトレーを抱えて、私は椿さんの相向かいの席に着いた。
私の朝食はトーストと目玉焼き。
対する椿さんの朝食は……すき焼きとビールだった。
「え?」
キャンプに使うようなカセットコンロを設置して、その上に一人用の小さな土鍋を載っけている。土鍋の中では牛肉、ネギ、豆腐、しらたき、しいたけなどの具材が、甘いタレで熱々に煮込まれていた。
椿さんは具材を溶き卵に浸して、とても美味しそうに食べている。
で、よく冷えたビールをジョッキで飲む。
「あぁー、たまらんのう!」
「……朝っぱらから、すき焼きにビールとは良いご身分ですね」
匂いだけでお腹一杯になりそうな私。
私の方を見て、椿さんが赤い顔でニヤリと笑った。
「何を隠そう、わっちはすき焼きとビールが大好きなのじゃ。モダンじゃろう?」
「モダンというか明治時代みたいですよね」
それから、私は黙々とトーストを……椿さんは黙々とすき焼きを食べた。
いつもなら、そろそろ椿さんが私のことをおだて始めるはずである。彼女は常に少女の体を狙っていて、その巧みな話術でベッドに誘い込むのだ。例えば松沢姉妹とか、松沢姉妹とか……ええと、他には?
あれ? もしかして、さほど椿さんの毒牙に掛かった人っていない?
椿さんは暢気にすき焼きを食べている。まるで、誕生日に大好物を作ってもらった子供のようである。
いや、まぁ、実際に彼女は子供なんだけれども。
しかし、椿さんが色々と言ってこないと妙なつまらなさがある。
…………。
いやいや、つまらなさを感じてどうするんだ!?
私は彼女にお世辞を言われるのを嫌がっていたはずだ。だというのに、そこで寂しげな気分になっているというのは、まるっきり椿さんの口車に乗せられているという証拠ではないか。
朝食を食べ終えて、私はすぐさまトレーを持って椅子から立ち上がる。
顔を上げて、椿さんが問いかけてきた。
「チズちゃんは今日も地図作りかの?」
「えぇ、休日は地図作りと決まっています。私は地図に生きる女ですから、はい」
「……そうそう、チズちゃんは地図以外に興味のない人間じゃったな」
「その表現には語弊がありますが、私は地図作りに熱中しているんです。椿さんにいくらおだてられても、秘湯を探したり、ガールズバンドを始めたり、ベッドに誘い込まれたりはしませんからね!」
食器を片づけて、私は食堂から出て行こうとする。
その直前、
「……あのな」
ドアノブに手を掛けたところで椿さんに声を掛けられた。
振り返ってみると、彼女は私に向かって小さく手を振っていた。
赤ら顔で、上機嫌で、けれども、いつものような元気が彼女からも感じられなかった。
すき焼きとビールを唐突に食べ始めたのは、もしかしたら椿さんなりの対処療法なのかもしれない。
「じゃあの、チズちゃん」
「……行ってきます、椿さん。夕食までには探索を終えて帰ってきますよ」
私も小さく手を振って、それから食堂をそそくさと後にする。気恥ずかしくて、励ましの言葉みたいなのも出てこない。私は椿さんの気配を断ち切るように、食堂のドアを後ろ手で閉めるだけだった。
まだ心臓が高鳴っている。
椿さんから距離を取ったというのに、早まった鼓動はなかなか落ち着いてくれなかった。
×
ここ最近、私は少しおかしくなっているのだけれど、その変化というのは椿さんと顔を合わせている時だけにとどまらない。どうも、一人でいる時にも集中力が散ってしまうのだ。
方眼紙に地図を書き込んでいるときも、鏡を覗き込んでいるときも、どうしても一つのことだけを考えてはいられないのだ。
そのため、今日こそは不調を脱しようと思っている。
リュックサックを背負って、中には遭難した場合に備えて食料なんかを入れておいた。夕食までには戻ってくる予定だけれど、なるべくギリギリまで遠出するつもりである。
などと思っていたら、自室を出てから三十分ほどで、まだ探索していない領域に到達した。ちょうど、ぐるりと大回りをして食堂の裏手あたりに戻ってきた感じである。いつもの生活スペースの周辺ですら、未だに踏破されてない場所がある……それが少女九龍城の地図作りにおける魅力の一つだろう。
コンクリート剥き出しの階段を下っていく。階段にはほこりが積もっていて、足を付くたびに空気が濁るほどだった。ゆるやかな螺旋状になっていて、気が遠くなるくらいに長い。
光源は何もなかったので、懐中電灯で足下を照らしながら進んだ。
そうして、突き当たりに現れたのが……赤く錆びた鉄扉だった。
ドアノブをひねって、錆びた鉄扉を押し開ける。
「おじゃましまぁす……」
「――ん? だれ?」
完全に独り言のつもりだったが、鉄扉の奥からは女性の声で返事が聞こえてきた。
鉄扉の奥に広がっていたのは、コンクリート打ちっ放しの巨大な空間だった。
階段がやたらと長いことから、何となく予感はしていたが……とてつもなく天井が高い。
そして、巨大空間の真ん中には一両の電車がドンと存在していた。
電車はいわゆる客車ではなくて、一番前で客車を引っ張る先頭車両だった。私の地元でも二両編成は見かけたが、こういう単行列車は生まれて初めて見る。よく磨かれているようで、銀色のボディが天井のライトの光を跳ね返していた。
車両の腹の下から、不意に見覚えのある人物が顔を出す。
「……なんだ、なんだ。チズちゃんじゃないか!」
「管理人さんじゃないですか!?」
這い出てきた彼女は作業着姿で、オイルで汚れた厚手の手袋をしていた。どうやら、電車のメンテナンスをしていたようである。彼女が炊事洗濯だけではなくて、機械をいじることまで出来るとは知らなかった。
私は彼女の元に駆け寄る。
遠くを見つめながら、管理人さんが呟いた。
「実は高専出身なのさ。あの頃は若かったなぁ……」
「この電車、どうしたんですか? まさか、管理人さんが一から組み立てたとか」
「はは、それは流石に無理だってば」
彼女は手袋を外して、銀色の車体を優しく撫でた。
「管理人として引っ越して間もないとき、自分の部屋に隠し通路があるのを見つけたんだ。チズちゃんが入ってきたのとは逆方向の出入り口かな……。見つけたとき、この車両はちゃんと動くように手入れされていた。というか、誰かが動かした直後だったと思う。最初の持ち主が戻ってくる気配がなかったからね……私が管理を受け継ごうと思ったんだ」
そういえば、天井裏から電車の走る音が聞こえてくる――なんていう怪現象を聞いたことがある。
地下にある電車の音が、どうして天井から聞こえてくるのはよく分からないが、少女九龍城では珍しい話ではない。
ともあれ、私は手持ちのレポート用紙にメモを取っていく。
正確な測量は後で行うとして、この空間がどの位置に、どれくらいの深さにあるのかを書き記していく。
あの緩やかな螺旋階段で、ええと……ううむ、階段が長すぎたせいで、自分の位置がよく分からない。
普段なら、こんな簡単なことで迷ったりはしない。少女九龍城の地図を作っていくうちに、大体の方角や距離を掴めるようになってきたのだけど……今日はその感覚がサッパリ機能してくれない。
「難しいことはあとにしなって!」
管理人さんが私の肩をバシバシと叩く。
「これから、この電車を――メトロ九龍を走らせようと思ってるんだけど、せっかくだから乗っていきなよ。図面を眺めてばかりだと肩が凝る」
「この電車、走るんですか!?」
「走る――というか、走らせてあげないと可哀想だ。私は鉄道に詳しくないから、この電車が何という機種で、かつて何線を走っていたのか想像も付かない。調べるのも手間取る。けれども、きっと電車なんだから走りたいんだろうなぁ……と思うのさ」
メトロ九龍と呼ばれた車両の下から、真っ直ぐ正面に向かって線路が敷かれている。その先はトンネルになっていて、線路はその中に吸い込まれるかのごとく続いていた。
開け放たれているドアから、管理人さんがメトロ九龍の運転席に乗り込む。彼女がスイッチを押すと、プシューッという空圧というか油圧というか、いつもの音を立てて客車部分の自動ドアが開いた。
私はメトロ九龍に乗り込むと、赤紫色の柔らかなシートに腰を下ろした。
オロナミンCやらオロナインやら、年代物の広告ポスターが中刷り広告として吊されていたり、車内の壁に貼ってあったりする。天井には空調ではなくて、ギラギラしたフレームの扇風機が設置されていた。
管理人さんが車掌の帽子をかぶって、白い布手袋を手に填める。
それから、ホイッスルをピピーッと吹いた。
完全に車掌さんになりきっている。
「青春と言ったら鉄道! 出発進行!」
彼女がレバーを前に押し倒すと、メトロ九龍はゆっくりと加速し始めた。
×
ライトで線路を照らしながら、列車は地下のトンネルを遊覧する。
管理人さんも速度を出すつもりはないようで、まるで紅葉を眺める観光列車のようなノロノロ運転だった。ただ、トンネルの内部は灰色の壁が続くだけである。
「……あんまり代わり映えのしない風景ですね」
壁を眺めるのも五分ほどで飽きてしまって、私は貸し切りの客席にごろんと寝そべった。
背負っていたリュックサックを抱き枕の代わりにする。電車の揺れる音は子守歌のようで、つい私はウトウトと眠ってしまいそうになった。
ふと私は椿さんのことを思い出した。
自称・月面人の宇佐見さんにすっかり騙されて、思い切り風邪を移されてしまった日……椿さんは私の部屋にやってきた。
それから、風邪を移してもらうとかなんとか言って、私のベッドに潜り込んできたのだ。
あの時は……椿さんが私の体を抱きしめていた。
「ほら、一つ目の駅に着いた」
管理人さんがメトロ九龍を停車させる。
リュックサックを放り出して、私は窓の外の風景に目を向けた。
駅のホームから下りた先――点滅する蛍光灯の下に、蓮の葉っぱの浮いている丸い池が広がっている。
広さはバスケットコートくらいはあるだろうか……トンネルはコンクリートで出来ているのに、池の周りだけはちゃんと土が敷き詰められていた。水面には魚や蛙の泳いでいる影が見える。
天井から水滴の垂れる音が、トンネルに反響して何重にも聞こえた。
「すごいですね、ここ」
自然と感心の声が漏れた。
手すりに寄り掛かりながら、管理人さんも不思議な風景を眺める。
「私はこの駅を『蓮の池』って単純に呼んでる。どこの誰が、いつ頃に作ったのかも分からない。少女九龍城の迷路化が進むのは大迷惑だけど、こういう風景が増えてくれるのなら……誰かが内緒で工事しているのも悪くないと思う」
「そうですね……」
少女九龍城の地図を作ってきて、私も薄々ながら勘付いていた。
私たちが住む女子寮――通称・少女九龍城は増改築を繰り返して迷宮構造になった。部屋や通路を増やして、利便性を高めた結果……逆に不便になってしまったのだ。
だけど、その副産物として幻想的な風景が生まれることもある。
「この先には、他にも個性的な駅がいくつもある。一つずつ見ていこう」
そして、管理人さんはメトロ九龍を再発進させる。
地下鉄に揺られて、私は彼女と一緒に様々な駅を巡ることになった。
無数の配管が天井を走って、ある意味では近未来的な光景にすら見える『パイプ回廊』駅。
視界の先まで竹林が続き、風が吹き込んではざわめく『青色の竹林』駅。
年代物のアンテナとスピーカーが設置されて、聞いたこともないチャンネルの放送が聞こえてくる『ラジオ』駅。
強力なスポットライトが芝生を照らして、そこにたくさんの猫が集まっている『猫の集会所』駅……などなど、個性的な駅は私たちを飽きさせない。
用意した食料で昼食を済ませて、なおも私と管理人さんの駅巡りは続いた。
「青春と言ったら鉄道……」
「それって出発前にも言ってましたよね?」
鉄道に詳しくないと言っていたはずだけど、管理人さんはその台詞をいたく気に入っているらしい。決め台詞を言えただけで満足なのか、ニヤリとした顔で私の方をチラ見する。
「何か悩みがあるんじゃないの、チズちゃん?」
途端、バクンと心臓が強烈に高鳴った。
「ど、ど、ど、どうして私が悩んでいるって証拠ですか!?」
「チズちゃん、日本語がブレイクしてるよ」
リュックサックを抱えて、私はフカフカの客席に倒れ込んだ。
「……分かりますか?」
「地図を作っていられたら幸せのチズちゃんが、地図作りに集中できていない時点で大事だと私は思うけどね。ズバリ――恋の病だ!」
「な、なぜそれを……」
「三度の飯より地図作りが好きなチズちゃんにとって、それ以上の悩みといったら恋くらいしかないじゃないの。まぁ、お金の悩みだったら、私は全然相談に乗れないけども」
かつて、中庭で出会った女性を捜すため、虎谷さんに部屋から連れ出された時のことを思い出す。あの時、女性の正体を教えてくれたのは管理人さんだった。
「話すだけでも気が楽になるかもよ?」
リュックに顔を沈めていた私は、彼女の呼びかけに応じて顔を上げる。
新しい空気に触れて、赤くなった頬の辺りが涼しく感じられた。
「……好きな人がいたんです」
「過去形?」
「他にも気になる人が出来てしまったんです。私はずっと……最初に好きになった人のことだけが、一生変わることなく好きなんだと思っていました。だけど、最近になって気になってきた人のことが、どんどん胸の中で大きく膨らんできたんです」
「最初に好きになった人を追い出してしまうくらいに?」
管理人さんの問いかけに私は頷く。
「だけど、私には二人目を好きになることなんて許されません。好きな人がすでにいるのに、別の人に目移りするだなんて――なんだか変じゃないですか」
もちろん、最初に好きになった相手が自分自身で、最近になって気になってきた相手が椿さんだなんて言うことは出来ない。この相談は実に不完全だ。
そもそも、私は椿さんに自分の本心を伝えることなんて出来ない。
未来の自分に恋をしたことがバレたら、私はあまりの恥ずかしさに逃げ出してしまうだろう。椿さんだってイヤな顔をするに違いない。
住人たちは笑って流してくれるかもしれないけれど、私が……私自身がその苦しみには耐えられない。
そうやって、私が深刻な顔をして考えていると――
「あっはっは!」
管理人さんが大爆笑した。
ひ、ひとが大まじめになって相談しているというのに!
「いやいや、ゴメン。チズちゃんの恋愛処女っぷりが半端じゃなかったからさ」
「れ、れんあいしょじょ……」
「チズちゃんは見た目が綺麗になったけど、中身は本当に昔のままだ。恋愛に奥手で、なのに妄想ばかり得意なタイプだね。深く思い悩んでいるみたいだけど、二股を掛けたりしなければいいだけの話じゃない?」
管理人さんの言いぐさに、私は客席から滑り落ちそうになった。
「そ、そんなものですか?」
「重要なのは気持ちを伝えることだよ。言葉にしなければ何も始まらない。何も始まっていないのに、始まった後のことを気にする方が面倒だと思うけどなー」
メトロ九龍が速度を落として、駅のホームに停車する。
半日近くに及ぶ運行の末、最後に到着した場所は何もな真っ暗闇だった。列車に付いている強力なライトでも、壁の突き当たりを照らすことは出来ない。よほど広い空間のはずなのに、音が反響しないのも不自然だった。
「ここが終着駅。私は『世界の果て』と呼んでる」
「世界の果て?」
「私のネーミングじゃなくて、看板が駅のホームに突っ立ってたんだ。すごく古いやつだったらしくて、触った瞬間にボロボロになって崩れちゃったけどね」
私は車両の窓を開けて、窓の外にそっと手を伸ばしてみる。すると、窓の外に指先が出た途端――暗闇に飲み込まれるように指先が見えなくなってしまった。まるで、黒い煙が充満しているような感じだ。
「怖くて寂しい場所ですね」
地上のことが、少女九龍城の住人仲間のことが、そして……椿さんのことが恋しくなる。
この場所にはいたくない。一刻も早く、安心できる場所に戻りたい気持ちで一杯だった。死後の世界があるとしたら、きっとこんな場所であるように思えるのだ。
椿さんに気持ちを伝えなくてはいけない。
この暗闇に心が飲み込まれてしまわないうちに……。
管理人さんがレバーに手を掛ける。
「帰ろうか、チズちゃん。夕食も作らなくちゃいけないからね」
×
帰りは駅に停車しなかったので、大体半分くらいの時間で戻ることが出来た。
夕食の時間が迫っていたので、管理人さんは列車のメンテナンスを後回しにして、ひとまずは食堂に向かって駆けていった。
私は食事当番ではないので、とりあえず荷物を自室に置きに行くことにした。夕食の席では椿さんと顔を合わせることだろう。彼女に気持ちを伝えるのはその後になるだろう。
流石にお風呂で話すことは出来ないので、椿さんの部屋まで押しかけることになる気がする。
今から想像するだけで恥ずかしい。
「告白なんてしたことないからなぁ……」
そうして、自室のドアを押し開いたときのことだった。
一歩踏み出した足下に、便せんと小さな紙袋があるのを見つけた。
私は便せんを拾い上げる。裏返してみると、そこには妙に達筆な感じに『倉橋椿より』と書いてあった。
もちろん、私は思わずドキドキしてしまった。まさか、この手紙を書くのに四苦八苦して、景気づけにすき焼きとビールを――なんていうのは都合の良い想像だろうか?
リュックサックを投げ出して、私は地図だらけのベッドに飛び込んだ。そして、虎谷さんあたりが部屋に入ってきたりしないか、無駄に聞き耳を立てながら封を切る。まるで、憧れのアイドルからファンレターの返事が来たような気分である。
手紙の冒頭はこうだった。
『あなたがこの手紙を読んでいる頃には、私は少女九龍城にはいないでしょう』
×
チズちゃんへ
あなたがこの手紙を読んでいる頃には、私は少女九龍城にはいないでしょう。
私は少女九龍城を離れて、人目の付かないところで生きることにしました。きっと、いつかはまた寂しさに耐えきれなくなり、少女九龍城に戻ってくるかもしれませんが……あなたと顔を合わせることは絶対にないと思います。
私はあなたに恋をしてしまいました。それから間もなく、あなたが隠してきた恋心についても悟ってしまいました。あなたが鏡の前で自分を慰めている姿を見てしまったのです。
私の願いは一つきり――私はあなたが幸せになることだけを望んでいます。そして、私はあなたの本心を知ることが出来て良かった。なぜならば、私の許されざる恋を諦められたからです。
私には人に知られてはいけない秘密があります。それは決して幸せになれない呪いのようなものです。そして、私に関わった人間を不幸にしてしまう呪いでもあります。
あなたへの恋を諦められて良かった。あなたを不幸に巻き込まなかったことが、今の私に対する最大級の幸福なのです。
私に幸せをくれたお礼として、この青色のリボンを送ります。ある日突然、とても可愛くなったあなたの髪によく似合うと思います。不要であれば捨ててしまってください。私のことも忘れてください。
倉橋椿より
×
紙袋の封を切って逆さまにすると、中から二本のリボンが出てきた。
柔らかい手触りで、優しい光沢を持っていて、深い海のような青色は私の好みにピッタリだった。
左右でくくる髪型を考えて、ちゃんと二本揃えてくれたのだろう。
だけど、私はそのリボンを身につけることは出来なかった。ましてや、捨てることだって出来なかった。
私に出来ることは、遅すぎたことを嘆くことだけだった……。
(おしまい)
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