第15話 松沢六実の甘い誘惑
誰が最初に言ったのかは分からないが、私たち双子には『堕落姉妹』という通称が付いていた。
その的を射たネーミングは否定のしようがない。私たちが二人で、あるいは倉橋椿さんを含めて三人で、怪しいことをしているのは周知の事実である。そのうえ、ここ最近は「セックスはコミュニケーション」と言い張る宇佐見さんまで加わってきた。
そんな堕落した私たちではあるが、私――松沢七穂はこれ以上の堕落を許さない所存だ。なにしろ、姉妹そろって留年するかもしれないという危機を迎えているのである。出席日数がギリギリで、テストも赤点だらけで、素行にも問題がありまくりだ。
だというのに、妹の六実は決して態度を改めようとしない。学校も頻繁に休むし、授業も真面目に聞かないし、少女九龍城の外でも私にベタベタとまとわりついてくる。というか、そもそも生活態度がなってない。脱いだ洋服や下着は散らかしっぱなしで、夜遅くまで遊び回っているし、姉に対する敬いの態度もゼロだ。
六実には直す必要のある事柄があまりにも多すぎる。
とりわけ、特に最近気になっていることが……彼女の偏食だ。
その日、私と六実はいつものように学校をサボって、お昼頃まで自室のベッドの上で遊びほうけていた。私は学校に行くべきだと主張したのだが、六実の強引な手段によって却下されてしまったのである。おかげで内股が痛い。
そんな私を放っておいて、六実が昼食として持ちだしてきたもの……それが生クリームのたっぷりと載っているプリンだった。近くのコンビニで購入できるもので、よくイメージするプリンの一・五倍は大きい。生クリームは甘すぎず、プリンは口に含んだ瞬間にとろけて、カラメルソースのほろ苦さがプリンの風味を引き立てるのだ。
そういえば……と私は思い返す。
今朝、六実はチロルチョコを数個ほど食べていた。昨日の夜はエクレア、お昼はホットケーキ、朝はカントリーマァムを食べていたはずだ。甘いばかりを食べている――というか、甘いものしか食べていないではないか!
「ストップ!」
「へっ?」
私が制止を掛けると、六実はプラスチックのスプーンを構えたところで動きを止めた。全裸の妹がプリンを食べようとしている図は思いの外シュールである。あぐらをかいているので、何もかもがフルオープンだ。
六実が恨めしそうな目で私のことを見る。
「ナナちゃん、これから良いところなんだけど?」
私は生クリームたっぷりのプリンを指した。
「その『良いところ』に問題があるの。ここ最近、六実は甘いものを食べすぎ」
すると、六実がニヤニヤとした笑みを浮かべる。
どうやら、あらぬ勘違いをしているらしい。
「分かった。ナナちゃんもプリンを食べたいんでしょう? ナナちゃんってば、私よりも甘いものが好きだもんね!」
「そうじゃない!」
甘いものが好きで好きで仕方がなくて、実際に甘いものさえあれば他は何もいらない――というは確かだ。ハッキリ言って、三度の食事を抜いてまで甘いものを食べたいくらいである。ただ、そんなことをしたら体重に響くし、すぐに肌荒れを起こしてしまう。
六実は何を思ったのか、プラスチックのスプーンをぽいっと投げ出した。それから、人差し指と中指で生クリームをすくい取ると、それを自分の胸元に塗りたくる。そして、誘うような目つきで私に迫ってきた。
「……舐めていいよ、ナナちゃん?」
「舐めないってば!」
彼女に向かってティッシュ箱を突き出す。
六実は指をペロペロと舐めながら、ティッシュで胸に塗りたくった生クリームを拭った。
「とにかく!」
彼女の手から離れた隙に、六実のプリンをサッと奪い取る。
「甘いものばっかり食べてるのは体に毒だから、これは私が没収するからね」
「えー」
「六実は食生活が乱れすぎてる。もっと、ちゃんとしたものを食べないとダメ!」
ベッドに寝転がる六実。
キュッと締まった体つきをしていて、とても健康的なので余計に腹が立つ。生クリームなんて塗りたくらなくても垂涎ものである。
……アホか、私は。
「じゃあ、こうしよう!」
六実がピョンと飛び起きて、四つんばいになって私に迫ってきた。
彼女からの提案ということで、すでに嫌な予感しかしない。
「これから一ヶ月間、私はナナちゃんの言うとおりにする。甘いものが食べたくても、ナナちゃんに怒られたら食べない。ご飯も三食、キチンと食べる」
「で、私の方は何をすればいいの?」
「ナナちゃんは甘いものを食べちゃダメ」
私は必死のポーカーフェイスを貫き通そうとする。
甘いものを食べられないということは、私にとっては四大欲求の一つを我慢することを意味する。私の甘味欲というのは、食欲、睡眠欲、性欲と同列なのだ。我慢するとなれば、断食や不眠クラスの苦行が続くことになる。
小悪魔的なまなざしで、六実は私の顔を見上げた。
「一ヶ月間、ナナちゃんが甘いものを我慢できたら……これから一生、私はナナちゃんの言いなりになってあげる。私の食生活も、眠る時間も、学校に行くことだって、全てがナナちゃんの思い通り。それこそ、ナナちゃんの望んでいることでしょう?」
六実が私の思い通り。
私は自分自身に言い聞かせる。
これは六実を更生させるため……そして、私たち姉妹を堕落させないための勝負なのだ。決して、よこしまな考えで臨むわけではない。この賭けに勝たなければ、私たちに未来はないも同然なのである。
「分かった。甘いものを食べなければいいんでしょう?」
「そうそう、ナナちゃんにとっては簡単なことだよ」
六実は満面の笑みを浮かべて――かと思えば、素早く私の手からプリンをもぎ取る。カップを逆さまにすると、スプーン使わずにペロリと平らげてしまった。
こうして、私と六実の一ヶ月にも渡る戦いは始まり、私は甘いものを食べる最後のチャンスを失ったのである。
×
日常生活はだらけまくりなのに、ゲームのルールとなると、急に六実は覚えが良くなる。
私と彼女の勝負が始まってから、六実は確かに私の言うことを守るようになった。夜になったら眠って、朝になったら起きて、食事も三食をキチンと取った。おやつもそれなりにしか食べない。学校の授業もサボらないし、宿題だってやっている(出来は散々だけれど)。
「私は本気だからね、ナナちゃん」
数学のプリント(先生が特別に用意してくれた超基礎レベルのやつ)を解いているとき、六実が私に向かって言い放った。
「私が勝負に負けたとき、約束を破るんじゃないかって疑われたらイヤだもの。勝負に負けたら、私は本気でナナちゃんの言いなりになるつもりだよ。だから、ナナちゃんも本気の本気で甘いものを我慢してね?」
苦笑いを返す私。
六実の私に対する対抗意識というのは凄まじいものがある。
私たちがまだ幼い頃に『どちらがお姉さんなのか』という話題で大喧嘩したことがあった。
答えは明白――私の方が産まれるのが早かったのだ。私たちの出産は日付が変わる頃に行われていって、その結果、私は六月生まれ、妹は七月生まれになったのである。
(だったら、素直に私の名前に『六』を付けて、妹の名前に『七』を付けてくれたら分かりやすいのに……私は未だに、両親が何を考えていたのか分からない)
ともあれ、私たちの誕生日も一ヶ月後に迫っている。その日を明るい気持ちで迎えられるかは私次第だ。六実が念を押して、私の逃げ道を封鎖してきたけれど……私だって最初から逃げるつもりなんてない。
だが、私は苦戦を強いられた。
私の住んでいる女子寮――通称・少女九龍城は不思議な場所である。巨大な迷路のような構造をしていて、超常現象がたびたび発生する。とはいえ、住人たちが年頃の少女であることには変わりない。みんな基本的に甘いものが大好きなのだ。
あるときは住人仲間の虎谷さんが手作りクッキーを振る舞ってくれた。家庭科の授業で作り方を習ったらしい。みんなに食べてもらいたくて、それを食堂のキッチンで再現したのだ。器用な虎谷さんだけあって、外はサクサク、中はしっとりの美味しそうなクッキーが出来上がった。甘い匂いが食堂に漂った。
が、私はもちろん食べられない。
私は虎谷さんの呼びかけに気づかないふりをして、部屋に閉じこもって英語のプリント(やっぱり先生が特別に用意してくれたやつ)に没頭するしかなかった。私の分のクッキーはみんなに食べてもらった。
また、あるときは西園寺さんがマカロンを持ってきた。家族旅行でフランスに行ったときのおみやげで、なんと一粒が五千円くらいする本場の超高級品だった。金勘定に疎い住人たちとはいえ、この高級マカロンにはすぐに食いついた。
六実がマカロンをほうばると、生地に挟んであるジュレが彼女の口一杯にあふれた。酸味のある爽やかな木イチゴのジュレだ。生地の割れ目からこぼれ落ちたジュレが、彼女のあごから首筋に伝った。
で、私は当然のように見ているだけである。
西園寺さんには「実のところ、歯医者に行ってきたばかりで……」と説明した。案の定、歯医者設定が尾を引いて、その日の夕食まで満足に手を出せない結果となった。お腹を空かせたまま、私は泣く泣く宿題(以前と同様)をする羽目になった。
また、六実からの精神攻撃も激しさを増した。
宿題で難しい問題を解いていると、当然のように甘いものが食べたくなるのである。六実は当然のように板チョコを食べる。理屈は分かっているので、私に六実を止める権利はない。彼女だって私との約束を守り、板チョコもちゃんと丁寧に割って少しずつ食べているのだ。
その日の夜中だった。
六実がぐっすりと眠っている横で、私は正座をして板チョコと向き合っていた。甘いものを食べなくなって、そろそろ半月が過ぎようとしている。毎日の食事をキチンとしているので、栄養面の問題は全くない。だけど、体が甘いものを強烈に求めていた。
アルミホイルを剥いて、私は板チョコにかぶりつこうとする。
だけど、その瞬間、六実が寝返りを打って――私はどうにか我に返った。
「ううぅ……六実のばかぁ!」
×
そして、その翌朝のことである。
私と六実は朝食を終えて、学校に登校するための準備をしていた。時間割を確認して、教科書とノートをカバンに詰めていく。それから、必死になって解いた宿題のプリントも忘れてはいけない。単位も出席日数も足らない私たちにとって、もはや一つのミスが致命傷になりかねないのである。
ただ、私は昨晩の迷いもあって、どうにも準備に集中できていなかった。
六実が提案を持ちかけてきたのは、そんな風に私が頭を悩まされているときのことだ。
「お姉ちゃんが甘いものを食べちゃったら、罰ゲームだからね」
「えぇっ? なにそれっ!?」
私は驚いて声がひっくり返りそうになる。
その一方で、六実は淡々と教科書の準備を続けていた。
「この勝負に負けたら、私は一生ナナちゃんの言いなりになるわけだよ? それなのに、ナナちゃんに一切のペナルティがないのは釣り合いが取れてないよ。ナナちゃんはお姉ちゃんなのに、そんな常識的なことも分からないの?」
むぐぐ、と言葉に詰まる私。
お姉ちゃんなのに――という一言は気に入らないが、確かにペナルティがなければ勝負にならないのは事実だ。この提案は飲むしかないだろう。
六実はこの勝負に人生を賭けている。ということは、私だって相応の何かを賭けなければいけない。彼女が何を提案してくるかが問題だ。
振り返って、六実が私の頬を指でつつく。
「甘いものが大好きなナナちゃんには、みんなが見ている目の前で甘いお菓子を食べてもらおうかなー」
「な、なんだ、それだけ?」
「ただし、同時に一人えっちをしながら」
「鬼畜!?」
私たち姉妹が堕落していることは少女九龍城において周知の事実……とはいえ、この仕打ちはあまりにもひどい! 堕落した人間を通り越して、人間として終わっている!
「さ、さすがに管理人さんに怒られるんじゃないかな……」
少女九龍城から追い出されることは間違いないだろう。
「大丈夫だよ。ナナちゃんがお菓子を食べながら一人えっちするけれど、それでも問題ないよね――って管理人さんに聞いておいたから。もちろん、オッケーだって」
「聞いたの!? で、オッケーしたの!?」
ていうか、するかもしれない……じゃなくて『するけれど』って聞いてる。私が負けることを前提として話が進んでる。そして、管理人さんも私が一人えっちするものとして受け止めているじゃないか。私、完全にやばい人だと思われてるよ、それ!
いやいや、落ち着け。
この勝負に負けなければいいんだ。そうすれば、六実を私の言いなりにすることが出来る。彼女の生活態度を更生できれば、私たちは堕落しなくて済むのである。この勝負は大前提として、負けることなどあってはならないのだ。
私は決意を新たにして頷いた。
「その条件……受け入れる」
「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。ところで、今日の放課後は少女九龍城のみんなとケーキバイキングに行くんだけど、ナナちゃんも一緒に行く?」
「行かないよ!」
×
私と六実の戦いは熾烈を極めた。私は勉強の遅れを取り戻すべく、勉強と宿題に明け暮れる毎日を送った。体が強烈に糖分を欲する。まるで、減量中のボクサーが水を欲するような状態だ。私は炊きたてのご飯をゆっくりと噛みしめて、お米本来が持つ甘さにすがりついた。
私があまりにも諦めないので、六実にも少し焦りが出てきているようだった。これ見よがしにお菓子を食べてみせたりしても、私が全く反応しないのである。次第に六実からの精神攻撃も減っていった。
そうして、いよいよ最終日。
委員会の用事があったので、私は一人遅れて少女九龍城に帰宅した。
私の体は限界に達しようとしていた。甘いものを体が求めていて、ともすれば無差別に手を出してしまいそうになる。ミスドのドーナッツ、近所で売っている鯛焼き、コンビニに並んでいるスイーツの数々……。
だが、それも今日で終わりだから耐えられたことである。
ひとまずは夕食で糖分を補給しよう。カボチャ、サツマイモ、トウモロコシ……いっそのことニンジンでもいい。自然の甘みでいい。献立は管理人さん次第だけど、何か一つでも食卓に並んでくれていないだろうか。
私は食堂のドアを開け――
「ナ ナ ち ゃ ん、 誕 生 日 お め で と う !」
クラッカーの放った紙吹雪を頭からかぶった。
食堂には住人仲間が一同に集まっている。卒業生を送る花道のように、みんなが両脇に並んで道を作っていた。壁や天井は折り紙のわっかで飾り付けされており、食堂はいつになく色鮮やかで楽しげな雰囲気だ。
私はみんなに促されて、中央のテーブルに誘われる。
テーブルの上にあったのは豪華な料理の数々――そして、生クリームたっぷりのホールケーキだった。生クリームの塗りが甘くて、分厚くなっているところと、薄くてパウンド生地の見えているところがある。イチゴの配置も不格好で、割った板チョコや、ポッキーが刺してある……手作り感のあふれる代物だ。
管理人さんがケーキのろうそくに火をともす。
すると、不意に食堂の明かりが落とされて、周りのみんながハッピーバースデーの歌を合唱し始めた。こんな風に誕生日を祝ってもらえるのは初めてで、私は涙腺が緩むのを我慢することが出来ない。目尻に熱い涙がたまってきた。
歌が終わって、私はろうそくの火をふーっと吹き消す。
明かりが再び付けられると、管理人さんが手際よくケーキをカットし始めた。
大きな拍手を浴びながら、私はぽろぽろと嬉しい涙を流す。
「ありがとう、みんな……私、すごく嬉しい」
「ナナちゃんに内緒で準備するの苦労したんだよー」
住人たちの中から六実が出てくる。
彼女はケーキを皿に盛りつけると、フォークで生クリームたっぷりの部分をすくい取った。ふわふわの生地にクリームが一杯塗られていて、それはもう美味しそうだ。手作りなところがなおさら食欲をそそる。
「誕生日のケーキも私の手作りなんだよ。管理人さんや住人仲間に手伝って、みんなの気持ちがたくさんこもってるの。私が食べさせてあげるから……ナナちゃん、あーんして」
「あー」
私は大きく口を開けようとする。
寸前、六実が悪魔的な笑みを浮かべた。
かかったな、とでも言うような微笑みだった。
今日は勝負の最終日。何があっても甘いものを食べてはいけない。誕生日だから仕方がないだなんて、そんな甘いことを六実は言っていない。だから、この誕生日のケーキだって絶対に食べてはいけない。
だけど、大好きな妹が手作りしたもので、住人たちが手伝ってくれたもので……そんなものを食べないわけにはいかない!
「ナナちゃん、どうしたの? あーんして」
別の意味で涙が止まらない。
私はどうにか精一杯の笑顔を作った。
「い、いっしょう恨むからね……」
そして、六実は誕生日のケーキを私に食べさせる。
「ナナちゃんに一生恨まれるなんて素敵! これからも、私だけのことを考えてね!」
×
こうして、私は六実との勝負に最後の最後で敗北した。彼女とみんなが作ってくれたケーキはあまりにも美味しくて、ホールの半分くらいを一人で平らげてしまった。舌で感知された甘味が稲妻のように全身の神経を駆けめぐった。糖分が血管の隅々まで行き渡って、私を官能のどん底に突き落とした。
六実はお菓子が食べ放題になって喜んだが、それも三日くらいですっかり飽きてしまった。最近はインターネットでレシピを調べた『毎食500キロカロリー前後で済ませられる食事』に凝っている。どうやら、住人仲間とパーティの食事を準備したときに、料理の楽しさに目覚めたようだ。友達も出来たようで嬉しい限りである。
後日、私は罰ゲームを実行することになったのだけど……それはまた別のお話だ。
別のお話、なのだ。
(おしまい)
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