第14話 義足にまつわる不可避な運命
私――秋葉可憐が両足を失ったのは三年前のことだ。
梅雨の真っ直中である。その日は朝からシトシトと雨が降っていて、空は灰色の分厚い雲で覆われていて、空気は冬のように冷え込んでいて、頭のてっぺんから足の先まで憂鬱な気分で埋め尽くされていた。大人たちは知らないかもしれないけれど、小学四年生の少女だって憂鬱になるときくらいあるのである。
私の通う学校には通学班というものがあって、登校するときは近所の子供たちで集まらなくてはいけない。そして、親ガモに連れられている小ガモのように、仲良く一列に並んで歩くのである。馬鹿馬鹿しい限りだ……と、子供たちは誰もが思っていた。
事故が起こるときは、どれだけ注意しようとしたところで問答無用に起こるのである――というのは私の持論であるけれど、たとえ通学班を組んだところで、防ぎようのない事故というのは実際にある。事実、私たちは登校班ごとトラックの信号無視に巻き込まれた。
子供たちは逃げまどった。誰も彼もが逃げるのに必死で、自分の邪魔になる人間は問答無用に突き飛ばした。私は突き飛ばされて、一人だけ逃げ遅れてしまった。これは見方を変えてみると『登校班を組んでいなければ、集団が連鎖的な混乱を起こさなかったのでは?』ということになるだろう。
ともあれ、私はトラックの信号無視で両足を失った。
両足を失って以降、私はすっかり集団行動ということが馬鹿馬鹿しくなってしまった。病院から退院した頃は五年生になっていたけれど、なんだか進級したという実感もなく、学校に行く気力もなくなった。教師や生徒たちがお見舞いにやってきては、「早く一緒に勉強できると良いね」と言葉をかけてきたが、彼らの顔に「面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ」と書いてあるのが私には分かった。
ある日、母が「引っ越しをする」と言い出した。と言っても、母子で別々のところに引っ越すのである。母親は愛人の家に、私は見ず知らずの女子寮に……だ。私が愛想のない無気力な少女ではなく、大怪我にも負けない健気な少女だったならば、母親だって愛人のところに逃げ出したりはしなかっただろう。彼女を責めるつもりは特になかった。
×
私が引っ越したのは、知っている人からは『少女九龍城』と呼ばれている巨大な女子寮だった。全貌を見渡せることが出来ないくらいに大きい。食堂やお風呂までの道のりを案内してくれた先輩住人が「管理人さんでも部屋数が分からないらしいよ。それだけじゃなくて、住人が何人いるかもよく分からないみたい」と言っていた。
不安だらけのスタートだったが、少女九龍城での生活は思ったよりも不便ではなかった。車椅子で移動できる範囲が限られていて、場合によっては匍匐前進する方が早かったりすることもあるけれど、その辺はさほど困らない。そもそも、巨大迷路のような少女九龍城を不用意に歩き回ったりすることが間違っている。
何より快適だったのが、少女九龍城の住人に協調性がないことである。小学校でうんざりさせられるほど感じた……あの協調性である。朝に寝て、夜起きる――くらいのことなら当たり前で、お菓子だけ食べて生活していたり、勝手に壁に穴を開けたり、裸同然で歩き回ったりしている。それでいて、住人同士の大喧嘩が起こったりしないのだから不思議だ。たぶん、協調性がない代わりに自立心がしっかりしているのだろう。
そういったわけで、私は少女九龍城での生活をそれなりに楽しんでいた。確かに両足を失ったことは不便だが、協調性がない――けれども自立心のある住人たちが手助けしてくれる。その優しさに、良い成績を得るための偽善や、空気を読んだだけのパターン行動はなかった。彼女たちの好意は非常に心地よい。
神様がいるとしたら、そいつは私から両足を奪った代わりに、少女九龍城との出会いをくれたのだ――私はそう考えるようになった。住人たちは私に対して、今までに感じたことのないような幸福をくれたのである(小学生の私が語ると、とても大げさな話に聞こえてしまうだろうけれど)。
私は次第に明るくなっていった。考えが前向きになった。住人たちに助けられるだけではなくて、どうにかして対等な存在になりたいと思うようになった。私は再び学校に通うようになった。学区が変わったので、通う学校も変わったけれど……それは新しい出会いが待っているという風にも取れる。なかなかに前向きな思考だ。
そうして、私が学校に復帰してから一年ほどが経過した。
クリスマスの翌朝だ。
私の部屋にプレゼントとして、サンタさんが義足を置いていったのである。
×
住人たちは「サンタさんが来た!」と言っていたが、そんな言葉に騙される私ではない。小学校六年生を甘く見すぎている。私は子供の作り方だって知っているし、愛は金で買えることも知っている。サンタが実在しないことなんて、ずっとずっと前から知っていた(サンタさんへの手紙を書かされたのは恥ずかしかった)。
では、この義足は誰が用意したのか――唯一分からないのがそれである。愛人のところに逃げ出した母が送ってくるとは思えない。そんな金はない。そもそも、彼女は私のことを未だに毛嫌いしている。ならば、住人たちがプレゼントしてくれたのか……とも思ったけれど、住人たちは大体お金というものに疎い。散財癖があるか、貧乏性であるかのどちらかだ。
さらに不気味なのが、その義足が膝上の切断面にピッタリとフィットすることである。歩く練習をしていても、最初からほとんど違和感がない。痛みもない。膝や足首の関節もなめらかで、まるで本物の足が戻ってきたような心地だった。
小学校の卒業式を終えて、つかの間の春休みになると……私は義足で歩き回っても全然平気になった。階段を登ったり、重い荷物を抱えたり、それこそ走ったりジャンプしたりすることも出来る。あまりにも足にフィットしすぎて、何かあるんじゃないかという一抹の不安をぬぐえなかったけれど、私は義足の魅力にすっかり取り憑かれていたのだ。
そして、中学校の入学式には義足を付けて参加した。上にストッキングを穿くと、義足を付けているようには全然見えないのだ。もしかしたら、このまま義足であることがバレずに学校生活を送れるかもしれない――だなんて思っていたけど、すぐに私の義足は周囲の注目を集めることになった。
視線が私に集中して、とても不安な気持ちになった。中学校は小学校よりも規模が大きいコミュニティだ。それだけ、私の存在を受け入れたがらない人間の数も増えるだろう。理不尽な仕打ちを受ける可能性は大いにあった。
だが、クラスメイトの言葉が私の誤認を解いてくれた。
「……足、すごく綺麗ですね」
私を見ていた人たちは、義足の存在に注目していたのではない。
足の美しさに見惚れていたのだ。
ストッキングに包まれた義足の脚線美が、否応なしに人々の視線を釘付けにするのである。義足の放つ魅力は魔的としか言いようがなく、誰もが義足に注目してしまうせいで、ホームルームが成り立たなくなったほどだった。生徒も先生も黒板に集中できないのだ。
義足に見取れてしまうせいで、廊下で生徒同士が正面衝突してしまう――まるでコメディのような光景だが、自体は極めて深刻である。神様は私に義足をプレゼントしたけれど、その代わりに奇妙な現象まで起こさせた。この義足を使い続けるべきなのか……私は大いに悩むことになった。
×
その週末、一人の少女が新しい住人として少女九龍城にやってきた。その少女こそ、私に向かって「……足、すごく綺麗だね」とコメントしたクラスメイトである。榎本ゆずという名前であるらしいことは、引っ越してきた日になって初めて知った。
部屋に押しかけるなり、榎本ゆずが私に言ってきた。
「……足、触らせてくれませんか?」
私は少しぞっとした。
ゆずのまなざしは真剣で、何一つの冗談も混じっていなくて、拒否しようものなら何をされるか分からなかった。彼女はすっかり義足の魅力に取り憑かれていたのである。
私は必死になって、この両足が義足であることを説明した。ストッキングを脱いで、義足を太ももから外して見せた。偽物であることを知ったら、この義足から興味を失ってくれるだろうと思ったからである。
でも、結果は大間違いだった。
榎本ゆずは「もう一度、義足を付けて! お願いだから!」と私に迫ってきたのである。私は本当に怖くなって「義足はあげるから、帰って!」と突っぱねたが、彼女はどうしても諦めてくれなかった。そのうち、私の方が悪いことをしているような気分になってしまった。
結局、私は彼女に義足を触らせてあげることにした。まるで子猫でも可愛がるように、ゆずは私の義足を撫でた。ほおずりをして、顔を埋めて、終いにはペロペロと舐めた。踏んでくださいと頼んでくるので、顔からお腹まで指示されたところを踏んであげた。私はサンタさんが実在しないことを知っているし、女性の足に特別興奮する人間がいることも知っている中学一年生である。
どうやら欲求が解消されたらしく、榎本ゆずは夜が明けた頃になって正気を取り戻した。彼女のお遊びに夜通し付き合っていたせいで、私の方だってフラフラである。ベッドに倒れ込みながら、ゆずが必死になって謝っているのを聞いた。後になって謝るのならば、最初から暴走しないで欲しいものである。
つまるところは、こういうことではないか……という予測を私は立てた。
私はトラックの信号無視に巻き込まれて、否応なしに両足を失ってしまった。これは私の力ではどうにもならないことだった。神様のイタズラというやつだろう。神様が存在するとしたら、そいつは性根の腐ったクズに違いない。
その一方、榎本ゆずは私の義足に魅了された。否応なしに、だ。それは彼女の力ではどうにもならないことで、神様のイタズラというやつで、やはり神様は性根の曲がったクズなのだ。おかげさまで、私まで迷惑をしているのである。
そういったわけで、榎本ゆずが大暴走を起こしては私が朝まで踏んであげる――という奇妙な生活が始まった。外の世界でそんなことをしたら、周囲の人間から変な目で見られることは請け合いである。ゆずが変態に見られることは良いとして、私まで『踏んづけて喜ぶ』類の変態に見られてはたまらない。
唯一の救いは、やはり少女九龍城がフリーダムであることだった。ゆずが私のおみ足を求めて、人前だというのに抱きすがってきたとしても、住人たちは『いつもの出来事』として受け止めてくれる。ちょっと軸がずれていることでも、日常として許容してくれるのはとてもありがたいことなのだ。
さて、ここで予感である。
中学一年生の予感である。
全てが丸く収まろうとしているということは、あのイタズラ大好きな神様が放っておかないはずだ。
案の定、その予感が現実になったかのように……私は殺人鬼と出会ったのである。
×
ある日、私とゆずは暴漢に襲われた。場所は少女九龍城まであと数分という路地裏である。学校からの近道で、複雑に曲がりくねった裏道で、近所の人ですらあまり利用しない。少女九龍城の複雑構造が外にはみ出したような、常人には目の回りそうな路地だった。
黒いマスクを付けているせいで、暴漢の顔はよく見えなかった。ただ、私の恐怖心がイメージをオーバーにさせているのかもしれないけれど、私の倍くらいに体が大きいように見える。そして、右手にはギラギラと光る斧を持っていた。斧の側面が、沈みかけている太陽の光を跳ね返している。
暴漢の目は私の両足を見ていた。ストッキングに包まれた義足が暴漢の狙いなのだろう。路地の角から飛び出してきたそいつは、斧を振り上げながら速い足取りで近寄ってきた。一歩一歩が大股で、一瞬戸惑っている間に暴漢は私のすぐ近くまで来ていた。
「逃げよう、可憐さん!」
ゆずが私の手を握って、焦りながらも走って逃げようとする。
だけど、私は腰を抜かして動けなくなっていた。この義足がどれだけ優秀であるとしても、私自身の心が折れてしまったら使い物にならない。ゆずが必死になって引っ張っても、私の体は決して持ち上がらなかった。
ゆずの手を振りほどく。
すると、私を引っ張っていたゆずが前のめりになって転びかけた。
私は彼女に向かって「逃げて!」と叫ぶ。善意の心なんていうのが身に付いているわけでもないのに、とっさにそんな言葉が出たのには自分でも驚いた。言った直後、格好付けたことを後悔した。何の覚悟もないのに、適当なことを言うものではない。
腰を抜かしたまま、私はストッキングを脱ぎ始めた。この両足が義足であると分かれば、暴漢が私たちを見逃すと思ったからである。暴漢の目前でストッキングを脱ぎ出すだなんて、逆に誘っているように見えるかもしれない。でも、今はこれしかないのだ。
手が震える。
こういう大事なときに限って、すぐにストッキングを下ろすことが出来ない。たとえ、義足であることを分からせたことで、榎本ゆずがそうであったように、暴漢の欲求は止まらないかもしれない。なんて分の悪い賭けだろう。
暴漢が私の足首を掴んで、義足を切断しようと斧を振り下ろす。
いっそのこと、トカゲの尻尾のように切り離せればいいと思う。暴漢が襲ってくる。義足が壊される代わりに、私とゆずの命が救われる。釣り合いの取れている結果だ。
でも、そうやって命が救われたとして……そのあとはどうなる?
命が救われるということはプラスだ。だということは、そのあとはまた何かマイナスの出来事が訪れるということだろう。人生はプラスとマイナスの連続で、神様の力が働いているから常に不可避で、人間はいつも翻弄されてばかりだ。
ならば、今、この瞬間のピンチに抗うことが何になる?
もちろん、私は「死んでもいい」だなんてことは思っていない。それはおそらく、ゆずに向かって「逃げて!」と叫んだときと同じだ。悪い言い方をすれば、魔が差したというやつかもしれない。
斧が振り下ろされるのを私はただ見つめている。
ただ、見つめている。
そうしていたら……いきなり暴漢の手首が宙を舞った。斧は地面に突き刺さる。切断された手首は斧の柄を握ったままだ。切断面から血が噴き出している。暴漢は仰け反って、脳をかき乱されたような悲鳴を上げた。
暴漢が路地の外に向かって逃げていく。だけど、その直後に首から血を吹き出して倒れた。釣り上げられた魚のようにのたうち回っていたけれど、暴漢はすぐに動かなくなってしまう。人が死ぬところを初めて見た。
すると、暴漢の背に隠れていた――一人の女性の姿が現れた。太陽が沈みきると同時に、点灯した街灯の明かりが彼女を照らす。線が細いうえに、なんだか眠たそうな顔をしていて、とても暴漢の手首を切り飛ばしたようには見えなかった。
女性が折り畳みナイフを振ると、刃に付いていた血糊が地面に飛び散った。
「足を切り落とそうとしたってことは、自分の手を切り落とされても仕方がないってことだからなぁ……。まぁ、そんな私が世間に認められるわけないことは、とっくの昔に分かっているんだけどね。それでも、やめられないというか、なんというか――」
私と女性の目が合う。
すると、飄々としていた彼女が唐突に顔をこわばらせた。
ゆずが大声を上げた。
「三島悠里だ! 殺人鬼の!」
彼女に言われて、私は初めて気づいた。
暴漢の手首をナイフで切り飛ばした女性――彼女は殺人鬼として名高い三島悠里である。
私が義足を手に入れたクリスマスのあと、少女九龍城に三島悠里が潜伏しているという噂が流れた。サンタさんを見たという噂も一緒に流れて、写真や映像が残っているわけでもないので、その噂はあやふやなままだったけれど……事実、彼女はここにいる。
もちろん、テレビのニュースなんかで三島悠里のことは知っていた。無差別に人間を殺して回っているらしい。老若男女を問わず、誰でも彼でも殺してしまうのだ。さっきも暴漢を殺してしまった。
そんな彼女が――私の顔を見て、なぜだか動揺している。平気な顔で人を殺していたし、結果的に私とゆずの命を救ったことにもなるのに……。
「ええと、つまり、私がこいつを殺しちゃっていうのは、その――」
「神様のイタズラ?」
不意に思いついて、私は三島悠里に問いかける。
すると、彼女は大きく頷いた。
「それそれ。生まれたときから、ずっとこんな感じなんだよ」
「私も分かります。自分の力だけでは絶対に逃げられない、不可避なことに惑わされてばかりなんです。持ち上げられたり、落とされたりの繰り返しで、一瞬、そんな生き方に付き合っていくのも面倒な気がして、それで……」
「あるある。私もそんなことばっかりだよ、でも――」
三島悠里が折りたたみナイフをポケットにしまう。
それから、殺人鬼らしくない満面の笑みを浮かべた。
「世界のどこかしらには、君が元気に生きているというだけで、幸せな気持ちになれる人間がいることを覚えていて欲しいんだ」
それはあなた自身のこと?
私が問いかける前に、三島悠里は路地の向こうに駆けていってしまった。彼女の身のこなしは軽やかで、まるで機敏な野良猫のようだ。汚れた地面に残っている微かな足跡だけが、私が三島悠里と邂逅した唯一の証拠として残った。
×
その後になって分かったことだけど、私を襲った暴漢は十数年前に『足切り男』という名前で世間を騒がせた殺人鬼であるらしかった。つまり、私は一度に二人の殺人鬼と出会ったことになるけれど、三島悠里の殺人鬼っぽくない空気には正直感心する。
あれ以降、三島悠里は私の目の前に姿を現さない。どこに潜伏しているのかは分からないけれど、相も変わらず、各地で人を殺し続けている。呼吸をするように、水を飲むように、眠るように人を殺している。きっと、それは三島悠里にとって不可避なことで、彼女はその防ぎようのない面倒と付き合っていかなければならないのだ。
ちなみに私の方は……少女九龍城に助けられながら、それなりに楽しい生活を送っている。義足は猛威を振るい続けて、学校の授業を台無しにしたり、恋人の仲を引き裂いたり、ゆずを暴走させたりしている。
それなりの楽しさをぶちこわすため、神様は新たなマイナスを送り込んでくることだろう。だけど、私はもう迷ったりはしない。榎本ゆずや三島悠里が、私のことを大事に思ってくれている。ただのそれだけで、神様のいたずらに屈することなく生きていける。
まだ、私は支えられているだけの人間かもしれない。だけど、もう自分の意思で立つための義足を手に入れた。だから、今度は……私が誰かの支えになれたらいいなと、不可避の運命を少しでも楽しくできたらいいなと、そう思うのである。
(おしまい)
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