第6話 堕落姉妹
「ダメ、ダメ、ダメーッ! こんな生活を続けてたら、ダメーッ!」
ベッドから跳ね起きて叫ぶ。
隣で眠っていた妹――松沢六実が冬眠から目覚めた熊のように、大口を開けて「うんわぁーっ!」と大きなあくびをした。眠たそうに目元をこすり、半開きの目で私のことをジロッと見る。寝起きなので目つきが悪い。
「なにさ、ナナちゃん。いい気持ちで寝てたのにさー」
彼女は二度寝に洒落込もうと、タオルケットを肩まで引っ張り上げる。
寝かせてたまるかと、私――松沢七穂はタオルケットを思い切り引きはがした。
現れたのは妹の裸である。
一卵性でないとはいえ、私と六実は双子の姉妹だ。大体、ベースは同じである。けれども、私は彼女の体を美しいと思っている。そして、自分と似たり寄ったりのはずなのに、なかなか顔も可愛い。若干、小生意気な感じだ。
まぁ、性格の方は小生意気ってレベルはないけれど……。
「寒いから布団かけてよ。ナナちゃんだって寒いでしょ?」
私も彼女と同じく、下着一枚すら穿いていない状態だった。
のそっと起きあがって、六実が私の耳に息を吹きかける。
「ふーっ」
「うわわわっ!」
首筋から腰の辺りまで謎のしびれが走った。
それから、六実は私の耳を甘噛みしながら、おへその辺りに指を這わせていく。
「や、やめてよ、六実! 私は真面目な話を――」
「ナナちゃん、ここが弱いんだよね?」
「わっ、あっ、」
「ナナちゃんのなか、あったかーい」
「やだっ、ひゃっ、」
「ほらほら、もう足腰が立たなくなっちゃった。ナナちゃん、感じすぎだよ」
「くぅっ――」
おしりを高く突き上げながら、シーツを噛んで声を我慢する私。
朝っぱらから変な声を出して、住人少女たちから注目を浴びることだけは避けられた。
そのまま、私はぐったりとベッドに沈み込む。
六実はネトネトになった中指を、アイスキャンディーのようにペロペロとなめていた。
「口、あーんして」
あーんして……とか言われなくても、私は脱力して口が半開きである。
「お裾分けしてあげる。ちゃんとゴックンしてね」
そして、六実はおもむろに大人のちゅーをしてきた。
一方、私は走馬燈のようなものを見ていた。
最初の過ちはいつだったろうか……そうだ、あれは小学校の四年生のときだ。どういう伝手を頼ってか、六実がエッチな漫画本を持ってきたのだ。私たちはその本にとてつもない衝撃を受けて、その日の夜、二人で早速実践に移したのである。
以後、毎日のようにこんな感じだ。
私たちの親密さは異常なまでに加速していった。学校では「あの双子は仲が良い」という程度の認識にとどまっているけれど、勘の鋭い子からは疑いの目を掛けられている――という気がする(実際に確認を取ったことがないから分からないけれど)。バレたらどうなるのかと考えると……怖い。
無論、私は六実を頻繁に注意している。妹は少女九龍城の外でも平気で(子供がする方の)ちゅーをしてきたり、やらしい手つきで体を触ってきたりするのだ。挨拶代わりに胸を揉んできたり、とにかく酷い。
少女九龍城で暮らすようになってからは、なおのこと酷い有様である。
私たちは一つの部屋に住んでいるのだが……まずベッドが一つしかない。で、ベッドで寝ていると六実がベタベタと擦り寄ってくる。ここで拒否すると、彼女はすぐにへそを曲げてしまうので、とりあえず付き合ってやる。
で、気が付くと朝になっている。
夜通しで遊んでいるせいで、昼過ぎに起きることもしばしばだ。どうにか朝のうちに起きられても、寝不足で授業などまともに受けてはいられない。ここ最近は三日に一度くらいしか登校していない。このままでは留年……あるいは退学だろう。
ここで、私たちは自立しなければならない。そうでなくては、私たち姉妹は完全に堕落しきってしまうだろう。堕落してしまった人間の末路なんて考えたくもない。少女九龍城には堕落した人間の見本がたくさんいる。想像は容易だ。
「とにかく!」
私は再びベッドから跳ね起きる。
半分眠っていた六実が「はゎ?」と変な声を出した。
「六実は私以外に友達を作るの! 私も別の友達を作るから!」
「えーっ!」
あからさまに嫌そうな顔をする六実。
だが、拗ねられようと拒否されようと……今日こそは強行するのだ。
「私は今日から、六実のワガママは聞かないから。私たちはしっかりしなくちゃダメ。その第一歩として、ちゃんと友達を作るの。私たちは双子だから、その辺が『なあなあ』で来ちゃったけれど、友達のためだと思えば頑張れるでしょ?」
「そんなのヤダよー。ナナちゃんの単位だから、落としてもいいかなーって思えてたのに」
「そこがいけないの! ていうか、本来なら私の単位だからって落としても良いわけじゃないっての!」
六実が飛びかかろうと構えを取る。
だが、私はガードする素振りも見せずに、ドンと胸を張って待ちかまえた。
「いくらやっても無駄だからね。お姉ちゃん、今日こそは本気だから」
六実は両手をワキワキとさせたが、どうやら私の本気を感じ取ったらしい。ベッドから飛び降りると、脱ぎ散らかしていた下着を着用し始める。そして、パジャマ代わりのワイシャツを引っかけた。
子供のようにアッカンベーをする。
「お姉ちゃんのことなんか、もう知らないからね! バイバイ!」
それだけ言って、六実は私たちの部屋から出て行った。
これで少しはまともになってくれたらいいのだが……まぁ、簡単に効果は出ないだろう。それよりも、私が彼女を許してしまわないかどうかが問題だ。六実が泣きついてこようが、体を責め立ててこようが、鋼の意思で跳ね返さなければいけない。
携帯電話のディスプレイを見る。
時刻は午前十時をまわって、完全に遅刻スケジュールだった。
「……学校は明日からにしよう」
×
「ダメ、ダメ、ダメーッ! そんな子と付き合ってたら、ダメーッ!」
昨日の夜、結局六実は帰ってこなかった。家出から半日も経たず、帰ってくるような根性なしではなかったようである。
少女九龍城における私たちの立ち位置は、ほとんど外界と同じである。友達らしい友達というものはいない。近所付き合いをしているおかげで、住人仲間と良好な関係を築いてはいるが……六実の方は壊滅的だ。せいぜい、管理人さんの部屋に泊まっているのか……虎谷さんに泣きつくのが関の山だろう。
などと思っていたのだが――
「はい、あーんして」
「わっち、ホットケーキが大好物なのじゃ」
翌朝の食堂である。
私の妹たる六実が、赤襦袢の少女――倉橋椿さんにホットケーキを食べさせていた。ぴったりと密着して、腰やら肩やらに手を回している。そして、おそらく椿さんに借りたのだろう……おそろいの赤襦袢を着ていた。
頭がくらくらする。
たぶん、目の前が真っ赤だから――というのが理由ではない。
「ほら、椿さん。口の端にメイプルシロップが付いちゃってる」
「むむむ、わっちとしたら子供っぽいことを」
「ちょっとの間、じっとしてして」
肩に手を添えると、六実は椿さんの口元をぺろりと舐めた。
「椿さんって甘いんだね」
「ふふふ、それはメイプルシロップじゃよ?」
そう言って、椿さんは彼女に舐められたところに舌先を伸ばす。そして、メイプルシロップが残っていないか、改めて自分で舐めて確認した。
なんだ、自分の舌が届くんじゃないか。
「――って、無視するな!」
私は隙間に割って入り、座っている椅子ごと二人を遠ざけた。
「あ、ナナちゃんだ。いたの?」
「さっきから、そこで朝ご飯を食べてたっての!」
「……制服なんて着ちゃって、どうしたの?」
「学校に行くの! あなたも早起きしたんだから、ちゃんと制服に着替えて登校しなさい!」
すると、隣にいる椿さんが煙草に火を付けながら答えた。
「いや、わっちらは夜通し遊んでいたところじゃ」
「えっ」
家出当日から完徹ですと?
よくよく見れば、目の下のクマを隠すためなのだろうか……六実はうっすらと目元に化粧をしているのだった。
六実が椿さんの裾を引っ張る。
「ナナちゃんより良かったよ、椿さん」
「そう言ってもらえると嬉しいのう。なにしろ、わっち、これで生きてるようなものだし」
完全崩壊していた私たち姉妹のモラルが、今度はすりつぶされていくのを私は感じていた。モラルの破片をかき集めて、どうにか再構築しようとしていたのに、今はもう砂粒になってしまったのだ。
椿さんが吸っていた煙草を六実にくわえさせる。
煙草のフィルターには、椿さんが使っている薄い色のルージュが付いていた。
あぁ、エッチなことしか知らなかった六実が、ついに煙草の味まで覚えてしまった……(ひどさのレベルで言ったら、どっちもどっちな気がするけれど)。
六実が私に煙を吹きかける。
けむたっ!
「私を捨てたナナちゃんのことなんて、もう知らないから」
「べ、べつに捨てたわけじゃ……」
「行こう、椿さん」
椿さんの手を引いて、六実は食堂から出て行こうとする。
さっきの言葉が妙に堪えてしまい、私は二人のことを追いかけることが出来なかった。
二人が食堂からいなくなると、そこには椿さんが愛用している香水の匂いだけが残った。
×
六実の説得を諦めたわけではないが、ともかく私は学校に行った。同じ日に生まれた双子だとしても、私には姉としての責任というものがある。彼女を自立させる前に、私自身が自立しなければいけないだろう。
それに別々の友達を作ると言ったが、せっかく作るなら少女九龍城の外で作るべきだ。たとえば椿さんのように、少女九龍城にこもりきりの人と仲良くなっても意味がない。なおさら、あの場所で堕落していくだけである。私が外で友達を作ったなら、六実だって当然うらやましがるだろう。
などと意気込んでいたのだが、
「今日は松沢さん、一人なんだ? ふーん」
「昼食は妹と一緒に食べるんでしょ? 私、他の人と約束があるから」
「二人一組だから、七穂さんは六実さんと組んで……あ、六実さんは休みなんだ。じゃあ、仕方ないから七穂さんは一人でやってね」
私は自分でもビックリするくらい、クラスメイトから相手にされなかった。
いつもイチャイチャしている双子だから、私たちは物珍しさ故に人から注目を集めていたのだ。だから、私一人が学校に来たところで、ただ一人きりの孤独を味わうだけなのだった。すごく惨めな気持ちだ。
掃除の時間になると、ゴミ捨てすら一人で行かされた。
私が「ゴミ捨ては二人一人で行くはずでしょう?」と抗議すると、同じ掃除当番の子たちから「妹の分も働くのが当然でしょう?」と聞き返された。私は何も言い出すことが出来ずに、教室とゴミ捨て場を往復しなければいけなかった。
ただ、私も簡単には諦めない。
クラスメイトと仲良くなれないのなら、部活動を始めればいいじゃないか。
そう思って、いくつかの部活動を見学しに行ったのだが、その度に「あの松沢姉妹の姉の方ね」と言われた。その時になって、私は自分たち姉妹が学校でどんな見方をされていたのか、遅ればせながらようやく理解できた。
六実のことばかり見ていたせいで、たぶん私は外のことが見えていなかったのだろう。
そのくせ、私はお姉さん面をして偉ぶっていたのだ。
そんな姉の言うことなんて、素直に聞いてくれるわけがないのである。
結局、部活動の終わる時間まで粘ったあげく、私は一人で帰り道を歩くことになった。
×
少女九龍城に辿り着いたのは、そろそろ夕食も食べ終わろうという時刻だった。玄関のドアを開けた途端、美味しそうなミートソースの匂いが漂ってきた。そして、楽しそうにおしゃべりする少女たちの声も聞こえてきた。
その中でも、六実と椿さんの声はハッキリと聞き分けられる。
「……また、あーんしてる」
このタイミングで玄関を上がったら、食堂の前で二人と鉢合わせするかもしれない。
私は玄関のドアを閉めると、外壁に沿って時計回りに歩き出した。
そうやって、五分ほどして見えてくるのが少女九龍城の『裏口』である。非常口のごとき無愛想な鉄扉だ。少女九龍城には入り口が無数にあるのだけれど、正面玄関に次いで馴染みがあるということで、とりあえずは裏口と呼ばれている。
以前、玄関のコンクリを塗り直したとき、裏口を使って自室に戻ったことがある。すでに半年近くも前の話だけれど、たぶん、ちゃんと帰れるはずだ――と思う。万が一、迷子になったときは……チズちゃんにでも電話すれば大丈夫だろう。
裏口の鉄扉を開ける。
錆びた金属と、湿った空気の匂いがした。
×
案の定、私は迷ってしまった。
あれから三時間近くは彷徨っていただろう。夕食を食べ逃したせいで、お腹がきゅるきゅると音を立てた。歩き疲れて膝が痛くなり、私は上り階段の一段目に腰掛けて、膝を抱えて小さくなっているのだった。
携帯電話は圏外になっている。そのため、いくら電話を掛けても繋がらない状態だ。電話番号を知っている相手は、管理人さん、チズちゃん、虎谷さん……六実の四人だけ。そして、六実にはもちろん電話していない。
電話を掛けられるわけがない。
先ほどから同じところを何度も巡っている。この階段がある廊下まで必ず戻ってきてしまうのだ。思い切って、階段を上ってみたのだけれど……気が付いたら、やはり同じ場所に戻っているのである。私は少女九龍城に弄ばれているのだろう。
自分の部屋に戻りたい。食堂で管理人さんの作った夕食を食べたい。ゆったりと大浴場で暖まりたい。
六実……。
だが、どうにか迷路から脱出できたとして、こうして噤んでいるのと何が変わるというのだろうか? 自室のベッドで眠れるだろう。管理人さんの料理を食べられるだろう。ゆっくりとお風呂に浸かれるだろう……。
けれど、私は一人きりではないか。
私は大切な半身を突き放した。自分の身の程を知っていたならば、そのような馬鹿なことはしなかっただろう。とっくの昔に、あるいは生まれながらにして、私は一人で生きていく力を失っていたのだ。
ならば、六実のところに戻ればいいのか?
それこそ……出来ない。彼女には新しいパートナーを手に入れる力があった。六実に友達を作れと言ったのは私だ。今更、どの面を下げて彼女を連れ戻そうというのだ。妹を気に入ってくれた椿さんにも失礼だろう。
ならば、私には居場所なんてものはない。
こうして、少女九龍城で迷うことになったのも必然だ。双子が二人で一人だというのなら、片割れが自立したとき、もう一方は不要と判断されて処分されるのだろう。私は今、ゆっくりと処分されている最中なのだ。
足音が聞こえてくる。
きっと死神か何かの足音だろう。
「……探したぞ、七穂」
そう思っていたのに、死神にしては優しげな声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、そこにはジャージ姿の椿さんが立っていた。
「椿さん……どうして、」
思ったことが声に出てしまう。
ジャージの胸元をパタパタとさせながら、椿さんは当たり前のように答えた。
「チズちゃんから地図を借りてきてな、しらみつぶしに探してたところじゃ」
「そうじゃなくて、どうして私のことなんか……」
「私が探しに来てはいけないのかや?」
そして、彼女はしゃがみ込む。
私と椿さんの視線が合った。
「お主は六実の大切な人じゃ。それなら……六実の大切な人は、私の大切な人ということにもなる。探しに来るのは当然のことであろう」
「でも、六実は私のことが、」
「七穂を探してくれと最初に頼んだのは、誰でもない六実自身じゃよ」
椿さんが私の携帯電話を指さす。
「何度も電話を掛けておった。後で着信履歴を調べると良い。それに今朝のことを覚えておるか? 六実は化粧をしていただろう。あいつは夜通し泣いておった。涙の跡を隠すために、私がしてやったことじゃ」
「六実……」
私は携帯電話を強く握りしめた。
安心できた。自分に片割れが必要であると思っていたのは私だけではなかった。やっぱり、私たち姉妹は二人で一人なのだ。やっと、そんな当然のことが分かった。
「今は来てくれるかの、七穂?」
「……うん。椿さん、ありがとう」
椿さんの手を借りて、私はゆっくりと腰を上げる。
「なんの。大切な友達からの頼みだからの」
彼女は普通の女の子のように、少し恥ずかしげにはにかんだ。
×
「――どうしてこうなった!」
自室のベッドから跳ね起きて、私は大きな声で叫んだ。
私の隣には椿さんが、その隣には六実が横になっている。そして、私の大声が脳まで届いたらしく、二人一緒になって重たそうなまぶたを押し開いた。
「……どうしたのさ、ナナちゃん?」
「あと五分で良いから眠らせてくりゃれ……」
順々に記憶を掘り起こしていく。
昨日の夜、私は椿さんに連れられて食堂にたどり着いた。私は六実と再会して、人目を忍ぶことなく大号泣……からの腹の虫で住人仲間の大爆笑を誘う。管理人さんが暖めてくれたスパゲッティミートソースを食べて、それから三人で入浴した。
お風呂から上がったところで、とりあえず三人で私たち姉妹の部屋に移動……この時、椿さんが『とても美味しい飲み物』を持ち込む。飲み物をガブガブと飲んで、テンションの上がったところでベッドへ。
で、今に至る。
「別に良いじゃん。ナナちゃんは難しく考えすぎだよ」
「そうじゃ、そうじゃ。二人より三人の方が楽しいぞ。やれることも増えるし」
「違う! そうじゃない! 私が求めていたのはこれじゃない!」
私は携帯電話のディスプレイを覗き込む。
見事に十一時を過ぎていて、完全なる遅刻スケジュールだった。
「ねえねえ、椿ちゃん。昨日のやつの続きやってみようよ。あの三角形になるやつ」
「うむ。私が前屈みになるので、六実は後ろ側を頼む。七穂はそこで寝ておれ」
「え、なに、三角形のやつって、え、な、」
六実と椿さんが一緒になって覆い被さってくる。
明日から頑張ろう……そう考えて、私は思考力のスイッチをオフにした。
(おしまい)
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