第4話 さよなら、ピューリツァー

 初めて本物のカメラを手にしたとき、私はその重さにびっくりした。

 私はそのとき中学一年生で、携帯電話も当然のように持っていて、それで写真を撮影するのは普通のことだった。写真をメールで友達に送ったりとか、プリンターで印刷したりとか、それは日常であって大した感動を呼ぶことはない。


 でも、本物のカメラを手にした瞬間に思った。

 これは武器だ。

 レンズで照準を合わせて、引き金を引くようにシャッターを切る。私は程なくしてジャーナリズムの世界を知ることになった。世界の隠された真実を切り取って、それを写真にして周囲に知らしめる。私にカメラを触らせてくれた従姉も、駆け出しのジャーナリストとして世界中を飛び回っていた。


 誰もが直視したくない現実を、誰かが隠してしまった真実を、ありのままの事実を、私はいつしか自分のカメラで撮影してみたいと思った。特に趣味もなく、のほほんとした毎日を送ってきた私にとって、それは生まれて初めて感じる衝動だった。


 ありったけの貯金と前借りしたお小遣いで、私は高校進学と同時に一眼レフのカメラを購入した。両親からは反対されてしまったが、これは私が生まれて初めて熱中したことである。携帯電話やデジカメで妥協したくはなかったのである。


 私は相棒の一眼レフを抱えて、下宿先である少女九龍城にやってきた。

 写真コンテストなんかは頻繁に開催されているが、私が目指しているのは単なる風景写真ではなくてジャーナリズムである。私は自ら壁新聞を発行して、少女九龍城で起こった事件を取材することにしたのだ。


 私、二宮梢(にのみや こずえ)はジャーナリストに向けて一歩踏み出した。

 本気で踏み出したつもりだったのであるが……。


 ×


 私は少女九龍城のメインストリートで立ち尽くしている。

 玄関から真っ直ぐに伸びる通路――通称・メインストリートは休日の午後ということもあって少女たちの行き交いが激しい。少女九龍城は巨大な一つの建造物ではなくて、無数の建造物の集合体だ。そのため、メインストリートは通路というよりも、建造物と建造物の隙間に生まれた路地といった雰囲気である。


 で、そんな路地の途中に掲示板が設置されている。

 掲示板には毎日の献立、食堂や風呂掃除の当番、家賃の請求なんかの諸連絡が貼られており、私が発行する壁新聞『こずえ週報』も掲示させてもらっている。A4サイズの学級新聞みたいなやつだが、写真にはこだわりたいのでフルカラーだ。


 私は掲示板を眺めながら唖然としていた。

 こずえ週報の脇には『面白かった記事にシールを貼ってね!』というアンケート用紙を貼ってある。今週の記事は三つあって、一つ目が『少女九龍城に迷い込んだ野良犬の飼い主募集』で、二つ目が『少女九龍城の近くで起こったデモについての取材』である。一つ目はともかくとして、二つ目はかなり気合いを入れて調べた。


 それなのに!

 面白かったシールが大量に貼られていたのは三つ目の記事である。

 三つ目の記事がどんなものだったかって?

 情事の盗撮写真だ! 住人少女同士のやつな!

 見出しは『激写! 少女九龍城の奥深くで行われる禁断の同性愛!』である。


「うちは低俗なゴシップ紙じゃないんスよぉ!!」


 私は叫び、仰け反った。

 頭に被っていたキャスケット帽が床に落ちる。帽子の中に仕舞ってあったポニーテールがこぼれるように露わになった。私は急いでキャスケット帽を拾って被り直す。形から入ろうと思って購入した帽子だが、今ではすっかりお気に入りになっていた。


 私だって……好きで盗撮写真を載せたわけじゃない。

 見られた方が盛り上がるから盗撮して欲しいと頼まれたのである。

 理解に苦しむ趣味であるが、今まで写真の仕事を頼まれたことがなかったので、私はそれを二つ返事で了解してしまった。頼まれた証拠として、掲載した写真が思い切りカメラ目線である。盗撮風味なのにカメラを意識しちゃダメでしょ!


「評判のようじゃのう!」


 背後から甲高い声が聞こえてくる。

 特徴的なしゃべり方なので、顔を確認しなくても聞き間違えようがない。


「評判とかそういう問題じゃないッス!」

「ふむ? 面白かったシールがたくさん貼られておるではないか?」


 私はぷんぷんしながら振り返る。

 そこにいたのは住人仲間の倉橋椿(くらはし つばき)さんだった。


 椿さんは少女九龍城でも特に目立つ存在である。

 何しろ格好がヤバい。

 年齢は知らないがおそらく十三か十四歳。絶賛成長途中である彼女だが、着ているものは時代劇に出てくるような赤襦袢だけである。何とは言わないがチラチラ見える。フリーダムな少女九龍城の中でも常軌を逸しているため、彼女を超常的な存在と見間違える住人もいたりする。


 誰が名付けたのか『少女九龍城の座敷童』という通称もある。

 おかっぱというか、姫カットというか、そんな髪型なので座敷童というネーミングは実にぴったりだ。でも、そう考えると彼女のおばあちゃんみたいなしゃべり方は謎である。座敷童というキャラ付けとは正反対だ。


 椿さんが面白かったシールを指でなぞって数える。


「四、五十枚は貼られておるのう! わっちも大満足じゃ!」

「自分のプライベートを不特定多数に見られて満足ッスか……」

「今回は見られることをコンセプトとして、女の子と遊んだわけじゃからな」


 おばあちゃん口調でコンセプトとか言われるとすっごい違和感。

 それはともかくとして、本当にエロいことに対してオープンな人である。

 少女九龍城におかしな少女が集まることは引っ越す前から知っていた……というか、私はそれ目的でここを下宿先に選んだ。戦場カメラマンが戦地に飛び込むように、怪事件と怪人物の渦巻く少女九龍城にチャレンジしたわけである。

 でも、まさか、盗撮して欲しいと頼んでくる人がいるとは思わなかった。


「お相手はなんて言ってるんスか、遊びのお相手は?」

「恥ずかしくて死にそうだと嬉しがっておったぞ」


 恥ずかしくて死にそうなのに嬉しいのか……それは斬新だ。

 私には一生理解できない境地である。


「報酬も受け取ったし、依頼主が満足してるなら別にいいッスけど……でも、他の記事に全然見向きもしてもらえないのは悲しいッス! 私はグラビア撮影のカメラマンじゃあないんスよ?」

「でも、のう……梢ちゃん?」


 椿さんがこずえ週報に掲載されている写真の一つを指差した。

 それはデモの行進を激写したものなのだが――


「お主の写真、盗撮したやつ以外は全部ブレブレなんじゃけど?」

「…………」


 ぐうの音も出ない。

 私自身、全くの謎なのだが……私が撮影する写真は必ずブレるのだ。

 それは携帯電話のときや、家族のデジカメを借りたときも同じだった。とにかくブレてしまってまともな写真が撮れない。手ぶれ補正なんて生やさしいものは通用しない。何かの呪いではないかとすら思える。


 そのせいで私の写真は誰にも見向きもされない。

 私は生まれて初めて完璧に撮れた写真――それが件の盗撮写真だった。

 真っ赤なライトで照らされた薄暗がりの中で、艶めかしく絡み合い、唇を吸い合っている椿さんともう一人の住人少女。濃厚な陰影の中で微かに光る汗。それは撮影した私自身が惚れ惚れするほどの出来だった。


「でも、これは違うッス!」

「違うというのは?」

「私は事実、現実、真実を撮影したいッス。この写真は出来こそ素晴らしいッスが、ジャーナリズムの精神がないッス。私の価値観からしてみれば、たとえブレブレでも他の写真の方がいいッス!」


 それこそが私の目指す道なのだ。

 ということを考えていたら、


「うっひゃ!?」


 椿さんが人差し指で私の脇腹をなぞってきた。

 何!? 私も体を狙われてんの!?


「なんだかんだ言って、梢ちゃんもこの写真を気に入っておるんじゃろう?」

「そ、それは……」


 私は即答できずに口ごもってしまった。

 自画自賛になってしまうが、確かに写真の出来は素晴らしい。芸術的でありながら官能を失っていない。でも、写真を撮ったときの私は決して集中できていなかった。生まれて初めて見る女の子同士の絡みに面食らっていたのだ。素晴らしい写真を撮影できる精神状態とはとても思えない。


「と、とにかく! 盗撮写真なんてこりごりッス! エロ写真で人気になっても、私的には全然意味ないッス! 今度はどれだけお金を積まれても、裸の写真なんて撮らないッスから、依頼主にもハッキリと伝えて欲しいッスよ」

「百万積んでもダメかのう?」

「ひゃ、ひゃくま……いやいや、ダメッス!」


 というか、百万円なんて用意する気ないよね!?

 常時金欠の私の前で、大金をちらつかせるのは止めて頂きたい!

 ただでさえ、前借りしたお小遣いの返済や、フィルム代に現像代、こずえ週報の印刷費といった細々とした金が毎週吹き飛んでいくのだ。私にはそれ以外に使える金など一銭も持ち合わせていない。


「ふむう……そうかのう?」

「そうッス!」


 私はきびすを返して掲示板の前から立ち去った。

 椿さんが釈然としなさそうな顔で私を見送る。

 先ほどの会話を聞かれていたのか、住人少女たちも私のことを見ていた。

 みんなが何を期待しているかは知らないが、私は自分の信じる道を進むまでだ!


 ×


 で、私は自分の信じる道を即座に踏み外した。

 理由は非常にシンプルである。

 盗撮写真を撮ることがとても楽しくなってしまったのだ。


 私は椿さんと別れたあと、いつものように特ダネを探して歩き回った。カメラに収めるべき真実を求めて、少女九龍城の内外を問わずに情報を集めた。デモ行進は相変わらず続いていたし、近隣の学校で起こった生徒の失踪事件なんかも調べ始めた。

 でも、私のカメラが真実を捉えることはなかった。写真はブレてしまい、ときにはピンぼけしてしまい、まともに見られる写真は一枚も得られなかったのである。そうなると、椿さんの情事を撮影したあの写真のことが思い出される。


 こずえ週報の記事が一切できあがらないまま、私は何日も少女九龍城を彷徨った。

 新しい抜け道を見つけたのはそんなときのことである。

 あるいはすでに誰かに見つけられていたのかもしれないが、そこは少女九龍城のメインストリートから大きく外れていて、少なくとも好きこのんで出入りするような場所ではなかった。外界からの灯りも届かず、電灯の類も一つもなかった。


 私は井戸の中に吸い込まれるかのように抜け道を進んだ。少女九龍城の中で情報を集めるときは懐中電灯を持ち歩いている。それで足下を照らして進んでいくと、抜け道は徐々に狭まっていき、私一人が通るだけでやっとの細い路地に繋がった。

 最初は心細かったが、路地の奥に進むにつれて、微かな光を見つけることができた。雲間から太陽光が差し込むように、壁に空いた極小さな穴から光が漏れているのだ。白っぽくて無機質な蛍光灯の明かりである。


 私は床にしゃがみ込み、それから小さな穴を覗き込んだ。

 瞬間、目を見張った。

 穴から見えたのは住人少女の自室で、そこでは一人の少女が着替えをしていた。


 少女は下着を取り替えているところだった。お風呂に入りそびれちゃったけど、とりあえず下着だけは替えておくか……という感じである。彼女の足下にはパジャマがくしゃくしゃになって置かれていた。


 住人仲間の裸なんて見慣れている。少女九龍城には銭湯顔負けの大浴場があって、私を含む大半の住人少女はそこを利用しているのだ。同世代の少女だけの空間であるから気兼ねない。でも、どうしてだろうか……少女が自室で着替えているというだけで、普段にない艶めかしさを感じる。


 半分だけめくれているベッドの布団とか、カーペットに積まれている教科書とか、勉強机の椅子に掛けられているカーディガンとか……そんな生活感溢れる中に存在する少女の裸体が、蛍光灯の無機質な光に照らされている。


 私は気がつくとカメラを構えて、小さな穴越しに少女の裸体を激写していた。

 ライフル銃を指切り連射するように、何度も何度もシャッターを切った。

 少女は最後まで私の存在に気づかず、布団に潜り込んで眠りについた。

 撮影を終えたとき、私の全身は湯上がりのように熱くなっていた。


 私は逃げるように自室に戻ると、自前の暗幕の中で写真を現像した。

 写真は一切のブレもなくて、ピントも合っていた。小さな穴から撮影したせいで、縁が欠けているような映り方であるが、それがむしろ額縁に絵画を填めるかのように少女の華奢な裸体を際立たせている。


 惚れ惚れする仕上がりだ。

 私は実のところ、椿さんに頼まれて撮影した写真をちゃんと見ていなかった。まじまじと見すぎると、その魔力に魅入られてしまって、正常な判断を失ってしまうような気がしたのである。


「綺麗……」


 事実、私は新しい盗撮写真に見入ってしまった。

 盗撮写真を眺めていると、撮影したときの興奮が思い出される。全身が熱くなっていたし、無我夢中だったけれど、私はあのときカメラと一体になっていた。私自身がカメラになっていた……とでも表現すればいいのだろうか?


 一度はまってしまうとあとは早かった。

 私は学校から帰ってくると、すぐにカメラを抱えて例の路地に向かった。

 例の路地は様々な場所に繋がっている。おそらくは細々とした部屋を建て増しするときに生まれてしまったデッドスペースだ。少女たちの生活スペースをあらゆる角度からバレずに観察できる。

 存在が知られたら最後、閉ざされてしまうことは間違いない。あまりにも簡単に覗けすぎる。発見されるのも時間の問題なので、私は休日になると食料や寝袋まで持ち込み、少女たちのプライベートを撮影しまくった。


 気がつくと一ヶ月が経過していた。

 こずえ週報はあれから一度も発行していなかった。


 ×


「うわっ……梢さん、どうしたんですか? すごい目のクマですよ?」


 私が食堂に顔を出したのは徹夜明けの朝である。

 話しかけてきたのは住人仲間のチズちゃんこと加納千鶴さんだ。

 以前は近寄りがたい空気を醸し出していたが、最近は顔を合わせれば世間話するくらいの間柄である。もっさりとした長髪、黒縁眼鏡、ジャージにどてらという彼女の格好も今では馴染み深い。


 私は彼女と同席して、朝食のトーストを食べることにした。

 食堂には私のような徹夜明け組と、真面目な早起き組が混在している。

 ざっと数えて三十人ほど集まっていた。


「まあ、徹夜明けッス……というか、チズちゃんの方こそ、目のクマがヤバいッス」

「あはは、私の方も地図製作で徹夜明けでして……」


 お互いに特殊な趣味を持つと大変だなぁ……。

 ただ、私の方は完全に人間としてダメな趣味である。法律的にもダメだ。あれだけこだわっていたジャーナリズムの心も失ってしまった。他人には見せられない写真だけが溜まっていき、最後にはぺんぺん草すら残らない。


「新聞、作らなくなっちゃったんですか?」


 チズちゃんが痛いところを突いてくる。

 彼女に悪気がないのは分かるが、私は思わず顔をしかめてしまった。

 かじりかけたトーストをさらに戻す。


「新聞はもう作れないッス……自分はカメラマンとしても、ジャーナリストとしても失格なんスよ。あはは……ムキになってスクープ写真を撮ったり、新聞の記事を書いていたりしたのがバカみたいッス」


 あぁ、こんなことをチズちゃんに言って、自分はどうするつもりなのか……。

 励ましてもらったところで、再び真っ当な写真に打ち込める気はしない。少女たちのプライベートを覗き見して、写真に切り取る瞬間……あのときの充実感に勝るものがあるとは考えられない。私は盗撮写真の誘惑に負けてしまったのだ。


「私は……最初と全然違う理由で地図を作ってますよ?」

「そうなんスか?」


 意外だな、と私は思った。

 チズちゃんといったら地図好きで有名である。

 比喩でもなんでもなく地図が恋人とまで噂されているくらいだ。


「地図作りが好きになったのはほんの最近なんです」

「続けていくうちにいつの間にか……ってのはあるッスよね」


 それが私の場合は盗撮だったわけなのだが……。

 考えれば考えるほど憂鬱になってきた。

 自分の趣味をいつまで経ってもすることはできなさそうである。


「お困りのようじゃのう?」


 特徴的なしゃべり方のロリ声が聞こえてくる。

 私とチズちゃんが顔を上げると、椿さんがテーブルに手を突いて立っていた。

 椿さんを目撃した途端、チズちゃんがギョッとする。

 どうやら、彼女は椿さんを間近で見るのが初めてのようだ。

 赤襦袢一枚の半裸の少女が目の前にいたら、そりゃあ驚いちゃうでしょうよ……。


「その顔を見たところ、どうやら撮りまくっちゃったようじゃのう?」

「わ、悪いッスか? そうッスよ、その通りッスよ……」


 私は誤魔化す気力も失っていた。

 昨晩はずっと住人少女たちによる脱衣麻雀を盗撮していたのである。彼女たちは服を脱がすだけでは飽きたらず、点数を失ったものに対してさらに破廉恥な制裁を……あぁ、内容が刺激的過ぎて、素のときに思い出したら目が回りそうになる。

 椿さんが腕組みをして繰り返し頷いた。


「ふむふむ、梢ちゃんは自分を見失っているわけじゃな?」

「自分くらい見失うッスよ。心の支えを失ったわけッスから」

「わっちも女の子と遊ぶなと言われたら困る。心の支えを失うからな」

「一緒にしないで欲しいッス!」


 これでは『少女九龍城の座敷童』じゃなくて『少女九龍城の歩く十八禁』である。

 座敷童と十八禁って単語が真逆に位置してる気がする。


「お主の心の支えはカメラか? ジャーナリズムか?」

「むっ……」


 意外と鋭いところを突いてくる。


「究極的に言うならカメラなんスけど……」

「写真を撮れるなら良いではないか! むしろブレてるよりマシ!」

「で、でもぉ……冷静に考えると恥ずかしいッス!」


 法律的にヤバいとか、撮影対象の恨みを買いそうとか、駄目な理由はいくつもある。けれども、何が一番強烈に自分を思いとどまらせているかといえば、少女のプライベートを盗撮して悦に入っている自分自身に対する恥ずかしさだ。

 人間は羞恥心を覚えた猿であるとか……。

 ここで全てを受け入れてしまったら、自分は猿になってしまうのだ。


「ふむ……ならば、こうしようではないか」


 椿さんは何を思ったのか、ピンと背筋を伸ばして立って大きく深呼吸した。

 直後、


「みんなーっ! 梢ちゃんが盗撮写真を貯め込んでるそうじゃぞーっ!」


 彼女は食堂全体に響き渡る大声をあげた。

 全身が凍り付く。

 はい! 私、社会的に死んだ! 今の発言で抹殺された!


「あ、あ、あなた……なにを言ってるんですか!?」

「なにって……紛れもない事実じゃけど?」


 チズちゃんが椅子から立ち上がって、したり顔の椿さんに詰め寄る。

 優しい! でも、何もかもが手遅れ!


「だ、だからって、言っていいことと悪いことが……」

「梢ちゃんはお主の着替えも撮ってるかもしれんぞ?」

「なっ――」


 チズちゃんが困惑した顔で振り返る。

 ここで「撮ってないッス!」と即答できればよかったのだが……すみません、撮っちゃいました! チズちゃんが「何日着たっけな……」とか言いながら、ジャージを着替えてるところとか、がっつり激写しちゃいました!


 食堂に集まった住人少女たちも、驚いたというよりは、むしろ反応に困って戸惑っている子の方が多かった。大爆笑でもしてもらえたら、心の傷は浅かったかもしれない。リアルすぎる曖昧な反応が一番心に突き刺さる。

 全身がブルブル震えてきた。


「ジャーナリズムは死んだッス!」


 私は叫び声をあげながら、食堂から一目散に逃げ出した。

 どれだけ言い訳を並べたところで、私の疑いが晴れることはないだろう。依頼されたとはいえ、私が卑猥な写真を撮ったことがある事実は変えられない。頼まれて撮影しましたと今更公表したところで、むしろ言い訳がましくなるだけだ。


 さよなら、ピューリツァー賞!!

 これが盗撮の魅力に取り憑かれた人間の末路だ!!


 ×


 朝食を食べ逃したのでお腹がぐぅーっと鳴っている。

 手作りの暗室に引き籠もって、私は大量の盗撮写真を眺めていた。


 自室を暗幕で仕切って作ったので、暗室にはせいぜい私一人が体育座りするスペースしかない。窓には段ボールを貼り付けて、テープで目張りもしてある。現像作業に使っている机には、大量の盗撮写真が散乱していた。

 暗室は真っ赤なライトで照らされているため、写真の色具合までは判別できない。けれども、少女九龍城のレトロな雰囲気と相まって、むしろモノクロの方が味わい深い情緒を醸し出しているようにも見えた。


 まあ、盗撮写真なんだけどね……。

 きみたちは誰にも賞賛されることなく、アルバムに保管される運命なんだ。それでも、私だけはきみたちを見捨てたりしないぞ! だって、私にはもはや盗撮写真を撮るくらいしか心の安息を得られないのだから……。


 あ、でも、普通に考えたら、あの抜け道はすぐに閉鎖されるか。

 私はやっぱりお終いだ!


 コンコン、と部屋のドアがノックされる。

 私は暗幕から顔を出して投げやりに返事した。


「な、なんスかぁー? 新聞なら間に合ってるッスよぉー?」


 ややあってから、ドアがゆっくりと押し開けられる。

 ドアの隙間から顔を覗かせたのは、名前は知らないけど顔は見たことがある……そんな微妙な間柄の住人仲間だった。地味な顔で印象に残らないタイプの子である。とりあえず部屋に招き入れてドアを閉めさせた。

 私は暗幕から頭だけ出した姿勢で問いかける。


「で、一体全体なんの用ッスか? 盗撮魔を追い出しに来たんスか?」

「そ、そうじゃありませんっ!!」


 住人仲間の女の子が唐突に声を張り上げる。


「梢さんの持ってる盗撮写真、売ってくださいっ!!」

「ほぁっ!?」


 私はおかしな声を発しながら前のめりに倒れた。

 暗幕にくるまっていたせいで、それを吊ってるカーテンレールが脳天に落ちてきた。


 ×


 最初にやってきた子を皮切りにして、盗撮写真を買いたいという住人仲間が徐々に私の元を訪れるようになった。盗撮写真をばらまかれるのが怖くて、お金でネガを買い取りたい……という話ではない。気になるあの子の盗撮写真を買いたい。そんなガチなお願いをしに来るのである。


 私も最初は戸惑った。

 盗撮も犯罪ならば、盗撮写真を売りさばくのも犯罪である。でも、結局は「私の写真を価値の分かる人に見て欲しい!」という欲求が勝った。管理人さんや住人仲間たちから文句を言われることもなかった。


 たまに「私の写真もあるの?」と住人仲間から聞かれることがある。だが、チズちゃんのときのような轍は二度と踏まない。今では「撮ってないッスよ」と平気な顔で答えられる。私はいつの間にか、プロの盗撮魔と化していた。


 あの抜け道が封鎖される気配は全くない。存在が知られていないのか、それとも盗撮写真欲しさに放置されているのか……もしも後者ならば、住人少女たちの業の深さは半端じゃない。まあ、売り払った盗撮写真が鑑賞以外の目的で使われないことを祈るばかりである。盗撮写真の需要がある時点で普通はアウトだが……。


 椿さんについて言えば、彼女から定期的に写真の仕事を頼まれている。合意の上で自由に撮らせてくれるから、練習にもなるし、バレるリスクもないし、私にとっては非常にありがたい顧客の一人である。


 最後によくある質問に答えておくと、私自身は盗撮写真を使って変なことなんて一切使ってないからあしからず! 写真は一つの芸術品だが、写真撮影における快感の最高潮はシャッターを切る瞬間に存在するのである。


 私はカメラと一つになって世界を写真に収める。

 流石に人前で「カメラが恋人ッス!」なんてことは言えないけど……。



(おしまい)

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