倍々ゲーム

@tanukids

倍々ゲーム

 これは遠い昔、ある小さな村でのお話。その村は特別裕福という訳ではありませんでしたが、村人たちは助け合いながらそれなりに幸せに生活していました。そんな村には私たちの村と同じように、昔から誰からともなく伝わった古い言い伝えがあったのです。


「村の社には近づくな」


 村の社とは裏山の普段は誰も立ち入らない場所にひっそりと佇む社のことです。手入れもされていないのに、新木の香りを漂わせ、異様な艶を見せるその社は村人に気味悪がられており、言い伝えが風化しつつある今でも近づく者はおりませんでした。


 そんなある日、山で猟をしていたある男が突然降りだした春先の冷たい雨に煽られて、社の前までやってきました。言い伝えを覚えていた彼は一瞬躊躇いましたが、バケツをひっくり返したような雨に背に腹は代えられぬとて、少しの間雨宿りすることにしました。


 社を背に軒先で雨が上がるのを待っていると、突然ひんやりとした空気が背中をかすめ男は身震いしました。そんなことだから、「ねえ、僕とゲームをしないかい」という声が背後から聞こえた時は思わず心臓が飛び出しそうになりました。


「そんな怖がらなくてもいいからさ。ちょっと遊んでほしいだけなんだ。倍々ゲームっていうんだけど」


 普通ならば恐ろしくて振り返ることもできないでしょうが、男はやはり山の男、肝が据わっていたのでしょう。ゆっくりと振り返ると3段階段を上がった先にある賽銭箱に腰かけて、年は7つ程の男の子がにこにことこちらを見ていました。


「1から始めて、数をどんどん倍にしていくんだ。次の数か何か当てることが出来れば、その数だけ君の望む物をなんでもあげるよ。何でも言ってごらん?」


「……じゃあ長靴が欲しい」


 変に口答えしない方が良いと判断した男は、びしょ濡れになった靴を見てからそう答えました。


「そう。何足?」


「……2足」


「おめでとう。僕は賢い人が大好きなんだ。ほら」


 男の子が下を指さすと、男の靴はいつのまにか黒い長靴に代わっていました。


「またゲームをしにおいで、いつでも待ってるよ」


 そう言って小さく笑うと、男の子の姿はすっと見えなくなりました。




 村は男の話で持ちきりになりました。興味を持つひと、気味悪がってさける人など、いろいろでしたが。そんな中、恐怖心と戦いながら社へ向かった若い夫婦がいました。彼らは男の子に答えました。4人、と。次の日、妻の体には4つの尊い命が宿りました。人々は奇跡だと騒ぎました。


 これを期に、社には少しずつ人が訪れるようになりました。しかし一人一人がゲームに向かえば、数は増えていくばかりできりがありません。そこで村が社への通行を管理し、村民を代表して村長が「お願い」をしに行くことになりました。


 村は急激に豊かになりました。何戸も連なった蔵には米俵が所せましと並べられ、村の正面には金塊で山が作られました。村人たちは言いました。あの言い伝えはきっと、「彼」を独占しようとした者がでっち上げたものに過ぎなかったのだ。


 しかし豊かさは危険と隣あわせ。村は他の村、さらには国にも攻撃されるようになりました。村長は社から大量の武器弾薬を仕入れ、それでも厳しい場合には自衛のためだからと最後の切り札を使いました。あの国の民の命が欲しい、と。村は全ての人々から恐れられる存在となり、攻められることはなくなりました。


 こうして栄華を極めた小さな村にも、一つ問題がありました。もうこれ以上何を頼もうにも、数が大きすぎて村に収まりきらなくなってしまったのです。悩んだ村人たちは、頭を捻って一つの妙案を思いつきました。




「やあ、今日も遊んでくれるのかい」


「わしに寿命をくれ。もちろん、年単位でな」


 男の子の挨拶を無視して、村長は強く言い放ちました。


「そんな焦らなくても……まあいいや。何年欲しいの?」


「2097152年」


「正解。じゃあまたね。いつでも待ってるよ」


 男の子はそういってすっと消えていきました。しかし、村長はある異変に気づきました。あまりにも静かなのです。いつもは虫や獣の鳴き声がこだまする社には、風の音しか通りません。いや、風の音すら響かないといえるでしょうか。青々と緑が生い茂っていた山には、あのさらさらとした音を奏でる木の葉一枚も残っていないのですから。


 何か嫌な予感がした村長は山を駆け下りました。村に戻ってきたころにはもう日が傾き一日の終わりを感じさせましたが、それでもこの静かさは尋常ではありません。冷たい汗を額に滲ませながら、村長は家々を回っていきました。しかし、大きすぎる部屋の一つ一つを祈るように探しても、人っ子一人見当たりません。最後に鉛のように重い脚取りで自宅に帰った村長がキッチンで見たのは、コンロの前に無造作に投げ捨てられたお気に入りの割烹着。彼はその場にペタンと座り込みました。


 村長はやっと全てを悟りました。なぜ村を襲いに来た彼らの頬があんなにも痩せこけていたのかを。人間だけではない、動物や草木の寿命までも彼の願いは食い尽くしてしまったのです。絶望した村長は自室で一枚のメモを書き残し、小さく死にました。


 再び静かになった村には山のほうから幸せそうな笑い声が流れてきました。それはそれは、喜びもひとしおでしょう。これから悠久に流れる時間はただ彼のためだけにあるのですから。二度と返らぬ「バイバイ」とともに。

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