どうせ僕らも自殺する。

ささやか

どうせ僕らも自殺する。



 朝起きてリビングに行くと、大学生くらいの見知らぬ青年がいた。


「やあ、はじめまして。新しい兄です。通達が来て、今日から荒畑家の一員になることになりました。よろしくね。」

「……どうも、はじめまして。」


 突然現れた兄へ理子は挨拶する。


「確か理子ちゃんだったよね。」

「はい、そうですけど。」

「じゃあ早速で悪いんだけど、電話お願いしていいかな。」


 新しい兄は言う。


「お母さん、自殺しちゃった。新しい母親が必要だね。」


 確かに母はキッチンで自殺していた。

 包丁で胸を刺すというシンプルだが確実な方法だ。死体から溢れた血がキッチンを赤く染め、生臭い臭いを発している。業者に頼んでクリーニングしてもらわなければならない。

 

 理子は溜息をついた。

 すぐに出勤しなければならない父に代わり、理子は役所に電話した。今日の午後には業者が来てくれるらしい。新しい母親も一週間以内に手配されるそうだ。


「私、これから学校があるから。」


 通学の準備をして兄に言う。もう家で朝食をとる気分ではなかった。


「うん。後は僕に任せて。」

「お願いします。」


 理子は家を出た。だらだらと駅に向かう。分厚い灰色の雲がどんよりと世界を覆っていた。


 通勤通学のため相変わらず駅は人間で溢れていた。しかし実際にホームからそれらが零れることはない。堅牢なホームドアが設置されているからだ。一昔前はホームから簡単に飛びこみ自殺ができたが今ではそれも叶わない。

 間もなくして電車が来た。その他大勢に埋もれながら理子も電車に乗った。


 しばらく窮屈に揺られ、目的の駅で電車から吐き出される。人ごみの中、理子はクラスメイトの実夏を見つけた。

「おはよう。」


 人波を縫って彼女に声をかけると「おはよう。」と疲れた笑みが返った。彼女も満員電車が苦手だった。


「大丈夫?」

「うん。ちょっとお手洗い寄るから先行ってて。」

「待ってるよ。」

「いいって。時間危ないし先行ってて。」


 実夏は理子を振り切って女子トイレに消える。理子は一人学校に向かった。


 教室の席はまばらだった。理子がスクールバックから教科書を取り出していると朝のHRの時間になる。実夏はまだ来ない。先に担任が来てしまった。彼は制服の違う三名の生徒を引き連れていた。


 先月変わったばかりの担任が言う。


「まずお知らせがあります。休日の間に岩崎さんと工藤君と光永さんが自殺しました。その補充として木下さんと藤田さんと和田君が転校してきました。仲良くしましょう。」


 ぱらぱらと拍手が起きる。適当な自己紹介の後、彼らは空席に座る。そして授業が始まった。


 結局実夏は学校に来なかった。

 部活がなかったので理子はさっさと帰宅することにする。ついでに駅の女子トイレを確認すると一番奥の個室に実夏がいた。カッターで深く切った左腕を便器に沈めている。水は真っ赤に染まっていた。床には空の薬瓶が転がっている。睡眠薬だ。


「実夏。」


 声をかけ肩を揺らす。返事はない。わかりきったことだ。実夏は死んでいた。


 理子は溜息をついてから駅員に連絡した。駅員は顔をしかめる。後始末が面倒だからだ。


「わかりました。ご苦労様です。あとはこちらで処理しておきますから。」

「お願いします。あの、彼女、私のクラスメイトなんです。名前とか必要ですか?」

「そうですね、手間が省けるので彼女の名前と高校を教えてもらっていいですか。」


 理子はそれらを言った。礼を述べる駅員に頷いてから彼女は電車に乗る。電車は朝より混んでいなかった。


 家に帰る。「ただいま。」と言っても返事はない。誰もいない。母は自殺したのだ。窓からさしこむ夕陽が家の暗闇を一層強調していた。


 理子はキッチンを確認する。母の死体もその痕跡もなかった。不自然に綺麗なキッチンだ。包丁が無造作に置かれている。母の自殺に使われたものに違いなかった。理子が手に取ると夕陽を反射して赤く光る。蛇口から一滴の音がやたら大きく反響した。


「もう死んじゃおうかな。」


 独り呟いて理子は包丁を左腕にあてる。試しに軽く力を入れてみると細い線ができた。引かれた線から血がにじむ。理子の血は夕陽より赤かった。


「ただいま。」


 兄が帰宅した。理子の手が止まる。キッチンで包丁を持つ彼女に気づいた兄は尋ねる。


「自殺するの?」

「まあ気分で。今朝友達自殺しちゃったし。」

「ポンポン家族が自殺するの嫌だな。やめてほしい。どうせまた新しく来るんだろうけど。でもやめてほしい。」


 兄の顔を見る。理子は包丁を置いた。


「わかった、やめる。」

「ありがとう。」


「別にただの気まぐれだよ。」

 

 理子は溜息をついた。


「どうせいつか自殺するんだし。」

「そうだね。どうせ僕らは自殺する。」


 兄は少しだけ笑った。


「でもそれまでは生きてるよ。夕食どうしようか?」

「ビーフシチュー食べたい。」


 理子は言った。



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