第31話 待ち人は来ず
バルトロメオはワイングラスを傾けながら、なぜ目の前にいるのがダリオなのだろうと、不快気にため息をついていた。旨い料理を口にしても、質の良いワインを飲んでも、少しも楽しくなかった。
シヴァンのレスターからは望む回答は得られず、楽しみにしていたアンナからの手紙も届いていなかったせいだ。
今日は全く冴えない一日だなと、恐縮するダリオを睨みながらワインをあおるのだった。
レスターに小回りの利く大砲を用意するように命じていた。
実戦での威力は高く評価したが、やはりあの重砲は扱いにくいものだったのだ。戦いの後即座に書簡で注文し、必ず用意するので少々時間をくれという返事があったから待っていたというのに、一向に品は届かず連絡もない。
しびれを切らしてエレバスを訪れてみれば、今日になってレスターは西方の大国との商談が難しい状況になっていると言いだしたのだ。あちらでも再び戦さの気配があるらしく、大砲の輸出を渋っているのだと。
バルトロメオは金ならいくらでもだすと言ったが、金だけでは解決できぬなどと小賢しいことレスターは言う。代わりに新式の銃を用意していると言うのだが、軽く見られたものだと歯噛みしたものだった。
自国の関所でキャラバン隊を止め荷の検査をしているため、リンザールへの武器の供給は今のところ無いとみているが、エルシオンの目をかいくぐって相当な迂回をすれば運べなくもない。敵より先んじて大砲を手に入れなければと焦るばかりだった。
おまけにレスターは余計なことを言って、バルトロメオを怒らせた。
どこから聞きつけたのか、三妃ルイーザの懐妊のことを知っていたのだ。といっても、かなり前から後宮内では既知のことであったらしいから、おしゃべりな侍女どもから市井にも噂が流れていたようなのだ。夫であるバルトロメオが一番最後に聞かされたようなもので、歯がゆいことである。
そしてこの懐妊は、恐れていた通り妃たちの実家である侯爵家同士の対立を表面化させてしまったのだ。次こそはリンザールとの決戦だというのに、この対立はバルトロメオの足かせにしかならない。
バルトロメオの機嫌は、レスターの言葉によって更に悪化した。何がめでたいものかと、レスターを睨みつけたものだった。
それでも、一つだけ朗報があった。
レスターを退出させたあと、スペンサーからラインベルガーの動向を聞くことができたのだ。
捕虜交換の折に、スパイとしてリンザールに送り返した男だ。蛆虫のようなヤツだが、生かしておいてやったのだからそれなりの働きはしてもらわねばならない。
彼は怪しまれることなく、フォルト村付近に駐屯するリンザール軍の中に今もいるらしい。砦を落とした後、一気に王都まで侵攻できていたなら、ラインベルガーの出る幕など無かったのだが、今となっては手札の一つにはなるだろう。
彼を通じて手に入れたリンザールの地図を元に、バルトロメオは侵攻計画を立てている。近々行動にでる予定だ。敵に休息を与える程、バルトロメオは甘くはなかった。
できればそれまでに武器を充実させておきたかったが、自軍の騎馬隊の能力であればフォルト村の一つくらいすぐに落とせると見込んでいる。
スペンサーを通じて、ラインベルガーに次の指令を与えたのだった。
――アレさえ与えておけば、あいつは親でも殺すだろうさ。
今バルトロメオは、ダリオと共にマダム・ステイシーの宿にいる。
実りのない会談の後バチス城に戻る気にもなれず、手紙を待ちかねて自らやってきたのだ。バルトロメオが自分で手紙を受け取ればいいのだから、ダリオは用なしになったのだが、私も行きますと彼は半ば強引に付いてきたのだった。一人歩きは不用心ですからと。
先日手紙を預けに来た時に、ダリオはアンナの侍女ジョアンと鉢合わせし、三日後つまり今日、また手紙を交換しようと約束したと報告を受けていた。
だから絶対に手紙きているはずだし、侍女からアンナの様子も聞けるだろうと、バルトロメオは楽しみにしていたのだ。
アンナに会えないのなら、せめて今どうしているのか知りたい。少しでも多く、どんなことでも彼女のことを知りたいと思うのだ。
だが宿に手紙はなく、いくら待ってもジョアンは現れなかった。
そしてすっかり夜になり、もう女が一人で遣いにやってくるような時間でもなくなってしまった。
バルトロメオはだんまりのまま、窓を外を眺める。食事はもうとっくに終わっていた。
アンナからの手紙があれば、少しは気分も晴れようものなのにとため息がでてしまう。頭の中では不快な笑みを浮かべるレスターの顔がチラついていた。
「バルトロメオ様、そろそろバチス城に戻りましょうか」
「……お前が絶対に手紙がきていると言ったくせに……」
恨めし気にダリオを睨むと、彼は恐縮しきりといった感じで頭を下げた。
「申し訳ありません。私の早合点でした……。侍女殿、いえアンナ様のご都合も聞かずに、勝手に三日後などと言ってしまいましたから」
「まったく……とんだ待ちぼうけだ」
「はい……」
ダリオも、はあと大きなため息をついていた。
バルトロメオは、ダリオを叱責したわけではない。しきりに残念がって多少嫌味を言ったりはしたが、二人の間ではそう珍しいやり取りではなく、いつもの事である。それなのに、今日のダリオはやたらに落ち込んでいる様子だった。
帰りましょうと言いつつ、彼も腰が重いのだ。一緒になって、どことなく切なげなため息をつくものだから、何事なのかと気になってしまう。
「お前がなぜそこまで残念がる?」
「え? あ、いえ、私が絶対にあの方は来ると申したばっかりに、バルトロメオ様に待ちぼうけさせて……」
ダリオの返答に、バルトロメは目を瞬いた。
「ほお、ほほおぉ、なるほどそういうことか」
「……え?」
「お前にとって今日は、手紙が来る日ではなくてジョアンが来る日、というわけだ」
バルトロメオがニヤリと笑うと、ダリオは慌ててブンブンと頭を振りついでに両手も振って、否定と弁明をするのだった。
「と、と、とんでもない! そういう事ではなく、私はただ、手紙が、その来てなくて、あの、申し訳ないと……いえ、侍女殿のことは別に……」
頬が上気し、しどろもどろだった。全く否定になっていなかった。
バルトロメオにプッと笑われ、ダリオは観念したのか「申し訳ありません、私事が少々絡んでおりました」と白状したのだった。
「俺だけでなく、お前も待ちぼうけだったわけだ。待っていたものは違っていたがな」
「え、あ、その、申し訳ありません」
「あのジョアンも美人だったしな。会うのが楽しみになるのはよく分かるぞ。うん、あれもなかなか良い女だった」
「…………」
「だが、俺がなかなか会えぬのに、お前ばかりに良い目をみさせるのも癪なものだなあ。もしかして個人的な約束までしているのではあるまいなぁ?」
「そ、そうようなことは……あの、申し訳ありません、もうその辺で……」
ダリオがあまりにも項垂れて赤面するものだから、バルトロメオは腹を抱えて笑った。
ようやく、少しばかりではあるが胸のつかえがとれてきた。己の任務に支障をきたさぬ限りは、忠臣の恋路をとやかく言う気はない。むしろ、からかいのネタができたことは、一服の癒しになった。
愉快気にバルトロメオは笑い、これ以上彼を肴にするのは少し可哀想かなと思いつつもつい悪戯心が湧いて、何処が気に入ったのだなどと質問しながら帰り支度をはじめるのだった。
少し肌寒くなってきていた。二人は旧聖堂に行くときに使った神官のローブではなく、国境警備兵のマントを羽織る。
変装も度重なれば慣れたもので、エレバスの門を通る時は商人、旧聖堂へは神官、そしてマダム・ステイシーの宿では国境警備兵へと早変わりをしていた。
ダリオはこの程度の変装では、いつ見破られるやもしれぬと、出来ればもうエレバスにくるのは控えてくれというのだが、バルトロメオは少しでもアンナに会える可能性があるなら、何としてでもエレバスに来るつもりだった。
出会った日と、結ばれた日、両日あわせても二人で過ごした時間は数時間しかない。もっともっとと願ってしまうのも、無理からぬことなのだ。
いっそもう連れさってしまおうかと思う程、アンナに会えない日を過ごすことが辛かった。
*
マルセルは、旧聖堂の周辺に止められている馬車を探ったが、どれも周囲に広がる葡萄畑での作業用で、スペンサーを訪ねてきた客人の物とは思えなかった。馬で来た様子もない。
――徒歩か? それならば、この近辺の者であろうか……
司教の言葉通り、ただの熱心な信徒が訪れただけかもしれないが、マルセルは念には念をいれて、その客人が旧聖堂から出てくるのを粘り強く待った。しかし辺りが薄暗くなるまで張っても、客人らしき者は出て来なかったのだった。
もしかしたら客人の用向きは短く、周辺を見回っている間に帰っていたのだろうか、正面口や裏口以外にも出口があって、こっそりと出たのを見落としたのだろうかと、マルセルは舌を打つ。レスターの姿さえも見なかった。何度か、神官が出入りしたくらいだったのだ。
辺りは急速に暗くなってきた。
それでもしばらく物陰から様子を伺っていると、灯りを持った下男とスペンサー司教が出てきて、無言で歩いていった。家路についたのだろう。この近くは司教や神官などの聖職者の住居が多くあるのだ。
旧聖堂の灯りも徐々に消え、これ以上ここに居ても無駄だなとマルセルはふうと大きな息を吐いた。そして、まだ明々としている町の中心部に向けて歩き出す。
金で旧聖堂の使用人の口を割らせることも考えたが、アナスタージアからは隠密にと言われているのだから控えた方がいいだろう。
張り込みに失敗してしまったからには、せめて普段の旧聖堂にどういった訪問者があるのかくらいは調べておかなければなるまいと思う。
アナスタージアからの信頼が厚いからこそ、命ぜられた任務なのに、何もわかりませんでしたとはとても言えない、とマルセルは拳を握るのだった。
その足は大聖堂へと向かっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます