第25話 深夜の旧聖堂

 砦から北東にある、フォルト村は今までにも何度か戦禍を被ってきた。砦への補給の役目も担っているし、先ごろ砦が敵の手に落ちていた一時期には、この村がリンザールの最前線となっていた。

 今回、リンザールの軍勢が王都から砦に向かう際、この村の人々はエルシオン軍の侵攻を匂わされた。

 砦は無傷ではすまないだろうから、と。

 たとえ敵の力をどんなに削いだとしても、砦が機能しなくなればリンザールも再び後退せざる得ないのだから。


 砦の背後には山が連なっている。そして、山越えの街道は夏の戦いの時に土砂で封鎖されたままだ。エルシオンがリンザールの王都を目指すなら、山を北に迂回してこの村を目指すしかないのだ。

 崩れ去った砦から、傷だらけの兵士たちが引き上げてくるのを見て、フォルト村の住民たちの顔も強張った。そして、自分たちも戦わねばならないことを悟るのだった。

 前回、村を蹂躙された際の恨みを強く持つ者もいる。アナスタージアの姿を目にし、言葉を聞き、なけなしの戦意を振るいたたせた者もいる。

 リンザールの守る関として、再びフォルト村は役を果たさなければならぬのかとと、重い空気に包まれるのだった。

 






「いやはや、派手にやりあって、一日で終わりとはね……どちらもせっかちだと思いませんか?」


 深夜、旧聖堂の一室で、レスターとスペンサーが向かい合っていた。

 揺れる燭台のほのかな灯りのもと、薄笑いを浮かべる武器商人を、司教は苦々しく見つめている。壁で揺れる大きな影も禍々しく見えて、スペンサーは息苦しさを感じていた。


「本当に終わったわけではないでしょう」


 スペンサーの息のかかったエレバスの国境警備兵が、先ほど彼らのもとに戦況を伝えに来たのだった。

 昨日の朝から始まったエルシオンとリンザールの戦いは、夕刻には一応の決着が着いていた。

 圧倒的に兵力の劣るリンザールのしぶとさは、大量の銃の投入によるものだ。エルシオン軍は、敵の猛烈な抵抗の前に侵攻を断念して退却したのだ。大量の兵を失い、部隊を再編しなければならなくなったようだ。大砲さえも放棄せざるを得ない状況だった。


 リンザールの砦も、使い物にならない程に破壊されてしまった。しかし大砲の攻撃を受けると知っていたため、半ば放棄していたようではあるのだが。それでも、折角奪還した砦を破壊され、戦線を後退させることになったのは大きな痛手になったことだろう。

 警備兵からの報告は、レスターの予想通りのものだったが、この戦闘にかかった時間が、まるで想定外だった。


「砦の攻防だけで、数日かかると私は思っていたのですがね。これでは早すぎる」


 エルシオンもリンザールも、勝ちを焦っているようにレスターには見え、それが不思議でならなかった。銀朱の闘王も瑠璃の戦姫も、士気を高めるカリスマであるようで、両軍の兵士たちはおおいに逸り、激しくぶつかり合ったと思える。一気に方をつけるつもりであったのだろうか。

 レスターにとって、この流れは早すぎた。なりふり構わない戦いに進展してゆく予感が胸に広がってゆく。


「さて……どうやってコントロールするべきか……」

「彼らは、あなた方の利益の為に戦っている訳ではないのですよ!」


 我慢ならないというように、スペンサーが吐き出した。全身に嫌な汗をかいている。不気味なものを見るように、露骨に嫌悪を表わしてレスターを睨んでいる。


「おや? 何を仰るのですか。我らシヴァンと司教の利益の為、ですよ? それにしても、戦闘が一段落ついたという事は、また両国からの接触が近々あるということですね。また、この旧聖堂を会談の場にご提供頂くことになりますから、司教もお立合いの程よろしくお願いいたします」

「……次は何を売る気なんだ」

「さあ……それはまだ」


 レスターはニタリと笑うと、胸の前で両手を合わせて深くお辞儀をした。そして、スペンサーを残して部屋を出て行ったのだった。


 商人が去ると、夜の静けさが重苦しくスペンサーにのしかかってきた。思い描いていた絵図と異なる現実、見通せない未来に不安を募らせていた。

 何もかもが思い通りではないのだ。二つの大国を牛耳るのはエレバス、自分でなければならないというのに、鍵を握っているのはシヴァンなのだ。

 大きく息を吐きだしたところで、ドアを叩く音がした。ビクリと身を竦めると、ギギッと軋みながらドアが薄く開いた。レスターが去った廊下へ出るドアではなく、続き部屋のドアだ。

 スペンサーはチッと舌を打って、椅子に深く沈みこんだ。


 ドアの向こうから、薄茶色の髪をぼうぼうに伸ばし、やつれきった男がそっと顔を出した。

 ラインベルガー。リンザールの兵士で、つい先日エルシオンから解放された男だった。媚びを売るような笑みで、そっとスペンサーに近づいてくる。


「も、もういいかと思いまして……」


 卑屈な声に、スペンサーは眉をしかめる。レスターが去れば、こっちから声を掛けるから待っていろと言っていたのに、この男は我慢が出来なかったようだ。バカめとスペンサーは苛立つ。

 ラインベルガーの事は、レスターには知られてはならない。あの商人に好き勝手させない為にも、自分も彼の知らない切り札をもっておかなければならないと思っていた。それがラインベルガーなのだ。

 だが、この男が使い物になるのかまだ分からないし、飼うならば躾が必要だなとため息をついた。


「エルシオン王に言われた通りにやった……。あんたにコイツを渡せば、あれ・・をくれると聞いてる」


 ラインベルガーは上着のポケットから、折りたたまれた紙を取り出し、差し出した。

 スペンサーは無言で受け取り、その場で広げて確かめる。

 リンザールの地図。

 事前に、エルシオンから聞いていた通りのものだ。リンザールに送り込んだスパイから地図を受け取ったら、即座に王のもとに届けるように指示されている。

 リンザールの貴族でありながら、敵国であるエルシオンのスパイに成り下がったラインベルガー。彼は地図を手に入れると、一目散にエレバスを目指しスペンサーの元に身を寄せたのだった。


 ラインベルガーは、夏に起きた山越えの街道での戦いの折に、仲間と共にエルシオンに捕らわれ、バチス城にて軟禁されていた。

 エルシオン王を嘲笑した仲間は、王自らの手によって首を落とされたが、彼は死を免れていた。ラインベルガーは、あいつも大人しくしていれば殺されはしなかっただろうに、バカなヤツだと思っていた。

 バチス城での扱いは思いの外、悪くはなかった。地下の部屋から一歩も出ることは許されなかったが、殴られたのも捕らえられた当初だけだったし、食事も与えられた。そして、何よりあれ・・が貰えた。

 あれ・・を吸うと、身体が軽くなって夢心地になり、まるで天国のいったような気分になる。苦しいことも嫌なことも忘れられる。最高の気分、得も言われぬ快楽が味わえるのだ。

 ただ、しばらくあれ・・を貰えないと、吐き気や頭痛に襲われて、全身を虫が這うようなおぞましい嫌悪感に苛まれてしまう。死ぬのではないかという程に苦しむのだ。もう、あれ・・を欠かすことなどできはしなかった。

 あれ・・を貰う為なら何だってできると思う程、ラインベルガーはその魅力に取りつかれ、欠かした時の恐怖に怯えていた。


「司教様……あれ・・を……」


 ドロリと濁った目をして、ニタリと笑いながら震える手を差し出す。

 スペンサーは目の前でひざまずく汚物を見下ろし、十分に焦らしてから戸棚から一本の煙草を取り出し、放り投げた。

 ラインベルガーは思い切り目を剥いて急いで拾い、ヒャッヒャと笑った。そして手を差し出して、次を待った。だが、スペンサーが何も投げないのを見るを、不満げに呟くのだった。


「もっと、頂けるはずでは……」

「私が声を掛けるまで、じっとしていろと言ったのを破っただろう。言う事を聞かなければ、与えるわけにはいかん!」

「も、申し訳ありません……今度からちゃんと言う事を聞きますから、もう一本だけ……」

「ダメだ。今日はそれだけだ」


 ピシャリと言うと、ラインベルガーは醜く顔を歪めたが、もう我慢が出来なくなったのか、煙草に火をつけようとした。

 スペンサーはその手を蹴り飛ばし、怒鳴った。


「向こうでやってくれ!」


 人の頭を狂わせる煙など吸いたくなかった。この屑めと、激しく舌を打つのだった。

 しっしと手を振ると、だらしない笑みを浮かべたラインベルガーが、ペコペコと頭を下げて先ほど入って来たドアへと向かっていった。

 背を丸めてニタニタと笑いながら歩く様子は、醜悪なものだった。もとは貴族でそれなりに人望もあったという話なのに、墜ちたものだなと、若干の憐れみを交えて、スペンサーはその後姿を見送った。


――この男、それなりに使えるかもしれんな。この餌さえあれば、何でも言う事を聞きそうだ……


 明日、日が昇る前にラインベルガーをリンザールに戻す予定だ。

 ここに来るときは、徒歩と盗んだ馬に乗って隠れながら丸一日かけてやって来たらしいが、部下に送らせれば明日の夕刻までにはフォルト村に到着できるだろう。

 フォルト村にはリンザール軍が駐留している。彼が姿を消していたことに気付かれないうちに戻さなければいけない。戦闘後の混乱に乗じれば紛れ込むのも難しくはないはずだ。

 まだまだ彼には、やってもらわねばならないことがあるのだから。

 

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