第24話 遠く見つめ合う
収穫祭から二週間と少しが過ぎていた。
今年も、例年通り華やかに行われた祭りの余韻はとうに去り、エレバス教皇領を囲む城壁の上では、朝から警備兵たちが緊張した面持ちで監視を続けていた。
リンザールの砦をめぐって、また戦が起こっているのだ。ここから遥か北の戦場が視認できるわけも無いのだが、風に乗って幾度もドドンという不穏な破裂音が運ばれてくるため、これまでにない緊張が警備兵たちの間に広がっている。
音の正体を探るために出された偵察隊が帰ってくると、エルシオンによる大砲使用とリンザールによる大量の銃発射の報に、やはりかと国境警備隊の隊長は眉をひそめたのだった。朝から始まった破裂音は、夕刻が近くなってもまだ続いていた。
先日、彼は国の上層部からシヴァンの男を紹介された。
その男は「いつでもお納めできますよ」などと言って、銃と大砲をにこやかに勧めてきたのだ。
現場に立つ彼としては、中立を旨とするエレバスがそのような強力な武器を手にしては、エルシオンとリンザールの両方に不興を買い争いに巻き込まれかねないと考えた。そして、なぜシヴァンが武器の売り込みに来たのかと訝しんだものだった。
だが今朝の轟音で、シヴァンが戦の糸を引いているのだと、苦々しくも理解した。この大砲と銃の投入で、今まで剣と弓で続いてきた戦乱がどう動くのか、まるで分からない。予断は許されないだろう。
軍上層部の人間たちは、武器入手に傾いていたが、果たしてそれが自分たちにとって利することになるだろうか。
長年国境を警備してきた彼には、過ぎた武器は己の首を絞めることになるように思える。だが、なんにせよ彼は意見を述べるだけであって、入手の是か非かを決められる立場にはなかった。
*
櫓の上から、アナスタージアは戦況を見つめ続けている。
男たちの怒号と絶叫を引き裂くような銃撃の音。無残に飛び散る体や、倒れ踏みつけられる死体。血塗られた戦場を、じっと見つめていた。
朱色に染まった太陽は西に傾き、丘が深い影を作り出している。その影の底で、死闘が続いていた。
恐ろしいと思わないわけではない。しかし、死の充満する戦場に恐怖するよりも、負けられないという切羽詰まった気持ちの方が強かった。
衣装の下に隠したルビーのネックレスを、そっと震える手で押さえていた。このネックレスをくれた人とまた会う為には、絶対に負ける訳にはいかないとキュッと手のひらに握り込む。
三日前、ヨアンナにこっそりとエレバスのマダム・ステイシーに会いに行ってもらった。何度も書き損じてようやく書き上げた手紙を持って。嬉しいことにヨアンナは、帰りにはバートからの手紙を携えていた。
力強い筆跡が彼らしいと、惚れ惚れと眺めた。
バートは新年には会えるのではないかと綴っていた。新年までの二ヶ月で、戦は何かしらの決着はつくだろうと。アナスタージアも同じ考えだった。
その後手紙には長々と、アンナ・マリー君は誰より美しい、愛している、あの宿での一時は素晴らしかった、君の事が頭から離れない、君無しではもう生きていけない、などと歯の浮くようなことがびっしり書き連ねてあって、思わず赤面しながらも笑ってしまった。
他には、身代わりをしてくれた友人の事や、今回自分は偵察には出ないから心配しなくてもいいということ、そして最後に、君と結婚できたなら毎夜毎朝のキスを欠かさないと誓いが書かれていた。
恥ずかしさと共に胸がキュンと鳴って、アナスタージアは手紙を抱きしめた。同じ思いを抱いているのだと知って、嬉しくてならなかった。彼女も毎夜毎朝あなたへの愛を誓います、と手紙にしたためていたのだから。
ネックレスを握り締め、アナスタージアは忙しく鼓動を打つ胸を抑えようと、ふうと大きく息を吐いた。
以前の戦いの時との、自分の変わりように罪悪感も沸いていた。戦いの最中に、恋しい人の事を考えるなんてと。
あの時は失われたリンザール兵の命を惜しんで涙していたし、祖国を守るのだとその一点のみを胸に誓っていた。それなのに今は、勝利を望む思いは同じでも、その動機がまるで違っているのだ。
もちろん祖国を守ろうという気持ちが消えたのではない。ただ恋する思い、バートにまた会いたいという願いが、アナスタージアを強く突き動かしているのだ。
エルシオンを破り、リンザールに平穏をもたらせば、幼い弟でも廷臣らの助けを受けて王として治めていけるはずだ。自分がいなくてもきっと大丈夫だ。だからその時は、市井に降りることをどうか許して欲しい。バートのもとへゆくことを。
このような思いを抱くことは、祖国の為に今まさに命を賭して戦っている兵士たちへの裏切りになるだろうに。
リンザール軍の銃撃隊は、時間と共に陣形を大きく崩していた。それでもじわじわと前進していた。大砲を守る敵の銃撃隊と撃ち合いになるも、数に勝るものはない。押すしかないと、ハウスヴァルトは思う。
大砲の後部に控えていたエルシオン騎馬隊が、まるで羽を広げる鳥のように左右に開いて丘を駆け下りてきて、銃撃隊の背後に回ったのだった。
大砲を包囲しかけていた銃撃隊だったが、雨のように弓を放つ騎馬への応戦もしなければならなくなった。
砦の前にいた隊も前進し、銃、弓、剣入り乱れる乱戦となっていった。
ハウスヴァルトは懸命に指示を飛ばし、エルシオンの騎馬隊をこれより先に一歩も進ませぬと奮闘するのだった。
味方の兵士たちには疲れが出ていたが、エルシオンには退く気配はなく、こちらもなかなか退き時を見つけられないでいた。
大砲は徐々に前進していた。最初の位置よりもかなり砦に近い。仲間も銃隊に護られながら、リンザールの銃弾をしのぎながら進んでいたのだ。
大仰角をとっていた砲身が水平に近くなってくる。
その事に、敵と切り結んでいたハウスヴァルトは気付くことはできなかった。
大砲を守っていた兵がサッと左右に割れると、ドンと爆音が響いた。
ハウスヴァルトのすぐ横を、重い鉄の風が飛んで行った。リンザール兵をなぎ倒しながら、それは砦の城壁に大穴を開けた。
強烈な衝撃を受けて倒れ伏したハウスヴァルトは、腕を持って行かれたかと思ったが、どうやら肩をかすっただけのようだった。それでも腕はズキズキと骨の折れた痛みを訴えているのだが。
砲弾は上空に飛ぶとばかり思っていたリンザール兵たちに、容赦なく次弾が打ち込まれてきた。ハウスヴァルトは叫ぶ。
「伏せろ! 這って撃て!」
爆音と叫喚が響き渡り、砦はどんどんと崩れていった。
その時、応と声が上がった。
銃撃隊も数を減らしていたが、大砲の砲手らを全て撃ち倒したのだ。大砲は丸裸になったのだ。後方にいた騎馬たちがザッと出てきて、リンザール軍の前進を止めたが、もう大砲が撃たれることはないだろう。
アナスタージアは、その時、敵軍の中に赤い馬具を付けた馬に跨る甲冑の男を見つけた。彼の後ろには赤い旗印を持った兵士もいる。
薄暗く遠すぎてその姿形は、ぼんやりとしか見えないのだが、とても目を引く男だった。
「……マルセル、大砲のすぐ前にエルシオン王がいるわ」
「王が!?」
「赤い馬に、輝く甲冑の……」
彼女が指さす先を見て、マルセルも頷いた。ここから指令が届くわけはないのだが、思わず「王がいる! 殺せ!」と叫んでいた。
アナスタージアは、一際目立つ体格の良いその甲冑の男をじっと見つめた。
何故か、動きを止めた男の方でも、自分を見つめているような気がして、目を離すことができなかった。
ゾクリと背を冷たいものが這い上がってくる。あの男の殺意が、ここまで届いてきたような気がした。
――……王よ。これで終わりにしませんか? 砦を破壊してご満足でしょう?
アナスタージアが見つめる前で、リンザールの小隊がエルシオン王の進路に飛び出した。間を置かず銃を構える。
撃て、撃てと、マルセルが大声で叫ぶ。
アナスタージアの目に、頭を撃ち抜かれて落馬する王の幻影が映った。
そして、発射される銃弾。
数騎の騎馬が崩れ落ちる。しかし、エルシオン王は倒れなかった。
――しぶといこと……
次弾が発射されるまでの時間をついて、一騎当千のエルシオンの騎馬たちが走り出した。砦に向かって真っすぐに、向かってくるのだ。リンザールの銃隊をなぎ倒していった。
アナスタージアは息を飲んだ。まだ止めないのかと。
リンザールは砦を破壊され、大量の戦死者を出している。
だが、エルシオンも銃撃隊の前に壊滅に近い損耗を受けていたし、大砲もその役を果たさなくなった。まだ王を頂点とする指揮系統は生きているようだが、これ以上の戦いは無策となるに違いないのだ。
櫓の上では、マルセルと護衛の兵が、さっとアナスタージアの前に立ちふさがり、銃隊が構えを取っていた。
その時、エルシオン王がぴたりと馬を止め、戦場に鳴り物の音が響いた。
敵軍が西に後退を始めた。倒れた仲間を拾いつつ、ゆっくりと後退していったのだ。
アナスタージアは、ふうと息を吐いた。
しかしエルシオン王とその周囲の一団は動かない。
王は堂々たる姿勢で櫓に顔を向けていた。手にした長槍を、我こそは闘王であると誇示するように、頭の上でグルンと一回転させる。そして、馬の首にぶら下げていた首級を落とすと、ぐしゃりと槍で貫き地面に縫い付けた。
「戦の神を奉じる戦姫……覚悟せられよ! あなたもいずれこうなる!」
呪いの言葉を吐くと、エルシオン王と側近たちも、西へ向かう騎馬の群れに加わって走り出したのだった。
*
戦場から本国に向かってエルシオンの軍勢が駆けていた。
バルトロメオは兜を投げ捨てて、低く唸りながら走り続けている。
――なんて虫唾の走る! 女だてらに戦場に立つとは!
遠く櫓の上に女の姿が見えたのだ。見間違いではない。もちろん顔など分からなかったが、肩程の髪が風に揺れているのが見えたし、胸冑をつけていてもなお華奢な身体つきは女でしかない。
そして、戦場に立つ女など、戦姫を名乗るあの王女しかあり得ない。
リンザール兵の士気向上の旗印になっているのは分かる。しかし、まさか王女が戦場に繰り出してきているとは思わなかった。出陣の際に激励を飛ばせば、あとは王都で報告を待っているものと思っていた。
それなのに、あの王女は戦場にいた。
作戦を立てる頭脳、戦士を惹きつける将器、それは認める。しかし元巫女の女に剣を振るえはしまい。弓を放てはしまい。一人で馬に乗れるかどうかも怪しい。足手まといになるだけだ。
そんな女が戦場に顔を出していた。その事が無性に腹立たしかった。命がけの戦いを愚弄されている気がした。
――戦見物か! 何が戦姫だ、ふざけるな! 俺は己の命を懸けている!
ギリっと唇を噛み、そして歪んだ笑みを浮かべる。
――小賢しくも戦姫を名乗るなら、その覚悟をしっかりと俺の目に見せて貰わねばな……
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