第23話 吠える大砲

 朝焼けを背にしたリンザール軍の前に、かつて見たことの無い巨大な鉄の塊が、その威容を現していた。


 リンザールの砦から西は、だだっ広い平原だ。緩い高低のある草地には、茂みや地表から顔を出した大きな岩が点在し、その先に小高い丘がある。

 不明瞭な国境ではあるが、この草地がリンザールとエルシオンを隔てている。丘より西は明確にエルシオン領だ。丘の向こうには、敵方の小さな要塞もある。

 今、この一帯の空気はピリピリと張り詰めていた。

 丘の麓に現れた巨大な黒い砲身が、大口を開けてリンザールに睨みを利かせているからだ。


 休戦の使者を、首だけにして送り返してからわずか二日後のことだった。使者を出す前から、やはりエルシオンは戦闘の準備を始めていたという事だ。

 これに対して、リンザールは遅れをとってしまった。

 夏の戦い以降、これまでにない程警戒が厳しく、敵地を偵察することが出来ずにいた。丘の陰になっている敵の要塞に、既に大砲が持ち込まれていたことも察知できなかったのだ。

 こんなに早く動くとは、とリンザールの諸侯は臍を噛む思いだった。

 大砲が丘を越えてくる前に、要塞を攻撃すべきだったのだ。

 それでも、夜の闇に乗じて移動してくる大砲に気付き、朝が来る前に銃隊の配備が間に合ったのはせめてもの僥倖といえる。


 重々しい重砲の後方、赤い軍勢が丘の上に悠々と陣を構えていた。

 リンザールも砦の外に陣を敷き、迎え撃つ体制を整えている。

 赤い軍旗と青い軍旗が遠く睨み合っていた。そして、戦の火ぶたを切ったのはエルシオンの方だった。


 耳を貫く轟音が響いた。

 重砲が地響きを立てて発射された。ぽっかり開いた大口からは、白い煙が吐きだされている。

 砦に鉄の砲弾が打ち込まれていた。初弾は城壁の一部を破壊していた。

 強固な石壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる様に息を飲んだのは、何もリンザール軍だけではなかった。放ったエルシオン軍でさえも、一瞬凍り付いていたのだ。


 マルセルが息を飲んで呟いた。ゾクリと背を震わせる。


「本当に届くとは……」


 敵の要塞を攻撃し、大砲を使わせないことが第一だったが、それが叶わなかった場合の作戦も当然立てていたし、準備も行っていた。

 大砲が現れる場所は予測通りだった。ハウスヴァルト侯が、これまでのエルシオンの進軍経路や地形から読みを立てたのだった。大砲の移動のしやすさを考えれば、敵の動きを読むことは難しくはない。その読みを前提として、ハウスヴァルトが作戦を提案し、それが採用されたのだった。


 しかし、予測したよりも大砲は前進してこなかった。これ程の長距離を、本当に砲弾が飛ぶのだろうかと訝しみ、実はただの脅しで、エルシオンは大砲を扱えないのではないかと侮りかけたくらいだ。

 だが、空気を鳴動させて空に放たれた鉄球は、大きく円弧を描いて、堅牢な石壁を破壊したのだ。

 マルセルはぎゅっと拳を握って、敵陣を睨みつける。

 大仰角を取った大砲が、再び唸る時を待ちかねていた。


「凄いものね、マルセル……」


 アナスタージアの落ち着いた声に、ハッと我に返ったマルセルは小さく頷き、伝令に合図を送った。ハウスヴァルトが率いる隊への合図だ。


「撃て!」


 伝令が空に向かって一発、銃を撃った。

 それを合図に、砦から右手、エルシオンの大砲とのほぼ中間距離の茂みから、一斉に銃が火を吹いた。

 茂みや岩に擬態していた銃撃隊がそこにいた。同時に、左側からも一斉に弾丸が飛んでいた。V字に銃隊の陣を敷いていた。ハウスヴァルトが、V字の最奥で指揮を執っている。

 しかし弾丸は、大砲までは届かない。前面に出ていた騎兵たちを撃ち取ったのみだ。ハウスヴァルトは銃撃隊に前進を命令する。エルシオンの大砲が、想定通りにもっと前進していたならば、最初の発射で砲手らを一網打尽にできただろうにと舌を打つのだった。

 左右の銃撃隊から二番隊が前進し、二度目の銃撃が始まる。敵の怒号と絶叫が響く中、三番隊が更に前に走り出ていった。


「撃て! 撃てぇーー!」


 ハウスヴァルトの号令は一瞬でかき消される程の爆音が連続する。発射準備の出来た一番隊が再び前に出て、二番、三番と少しづつ前進し、的となる赤い騎馬の数を減らしてゆくのだった。

 だが、それでも銃弾をかいくぐって、突進してくる騎馬がいた。

 砦の前面ではバリケードが張られ、その戸板の陰からは、やはり銃口が騎馬を狙っていた。砦にたどり着くエルシオン兵は誰もいなかった。


 そして地面を揺るがす轟音が再び鳴り響いた。

 一弾目よりも少し深い所に砲弾が落ち、今度は建物が大穴を開けることになった。

 


 バリケードの内側にいたアナスタージアは、自軍が銃撃を開始すると同時に、砦から少し北の位置へと移動した。

 砦の東側、山岳部との間には、かつては村があり農地が広がっていたが、度重なる戦で荒れ果ててしまった。住民たちはここより北東の村に移り住み、今では砦の物資の補給を担う役を負っている。

 かつての村の跡地から、アナスタージアは戦況を見守るのだった。

 マルセルを長とする、銃と槍の小隊が彼女の周りを囲っていた。ここであれば、容易く方向を変えられない重砲の的になることはないと判断し、陣を置き突貫の櫓を建てていた。


 エルシオンが大砲を手にしたと分かった時点で、砦に被害が出ることは、半ばやむなしと考えていた。その代わり、徹底的に敵の兵力を削ぐ事を目的とした。

 丘に向かって深いV字に展開した銃撃隊が、進んでくる敵を包囲し、壊滅させる策だった。戦闘は開始されたばかりであり、突出してきた隊は撃ち取ったが、まだ大砲の背後には無傷の本隊がいる。


「銃隊が前進しています。直に包囲できるでしょう」


 マルセルは前方をぐっと睨み、自軍と敵軍の動きを注視していた。丘の上の軍勢が動き出し、左右に広がってゆく。

 あの中にエルシオン王はいるはずだ。降りて来い、ハチの巣にしてやると牙を剥く。マルセルは、銃撃音と叫喚を唇を歪めて聞いていた。


 戦いの最中に、いつも胸をよぎる人がいる。亡き父は勇敢な騎士で憧れだった。二度と会えぬ幼馴染とも共に戦場を走った。

 父や友を殺したエルシオンへの復讐の念は、マルセルの胸にいつも黒い霧のようにわだかっていた。そして、いざ戦が始まれば、ぐつぐつと煮える怨念の霧を一気に噴出させて、戦場を駆けたるのだ。

 今も、銃を手にしてあの丘めがけて走りたい衝動に駆られている。しかし、彼にはアナスタージアを警護するという役割がある。動く訳にはいかなかった。


 大砲の後方にいた隊が動き出し、リンザール兵はそれに銃弾を撃ち込んでゆく。あと少しで、砲手たちを仕留めることが出来るだろう。

 いくら破壊力のある大砲であろうとも、飛んで逃げることなどできはしないのだから、使用不可能な状況に追い込めばよいのだ。

 リンザールの銃撃隊の前進は続いていた。


「マルセル、私も櫓に……皆の姿を見せて」


 請われて、マルセルはアナスタージアを櫓の上に案内する。

 二人は並んで丘を見つめた。


「……あそこにエルシオン王がいるのね」

「はい」

「父と兄の仇が……」

「そうです」


 静かな表情で前方を見つめるアナスタージアだったが、その目が燃えていることにマルセルは気付いてた。

 あの夏の日、ニーデルマイヤーの死の報に涙した時の、苦し気な戸惑うような色は無かった。正に戦姫の名に相応しい、凛々しく誇り高い目だと、マルセルはその横顔を見つめて、ゴクリと唾を飲むのだった。







 大砲の前に出ていた騎馬たちが、銃弾の雨に晒されるのを目の当たりにして、バルトロメオはガリッと唇を噛んだ。


「なんて数だ……銃隊前進! 奴らを前進させるな!」


 手にしていた長槍でドスンと地面を突いた。

 シヴァンにしてやられたと、苦虫を噛み潰す。何という夥しい数の銃だ。リンザールにも何か入れ知恵をしていると踏んでいたが、これがそうだったのかと。

 このまま敵の銃隊が前進を続け、砲手たちを撃たれては、大砲を持ち込んだ意味が無いではないかと苛立つ。

 銃隊に彼らを守るように、指示を出した。しかし、圧倒的に銃の数が少ない。

 続いて大砲の後方にいた騎馬隊も前進を開始した。

 さっと馬に跨り、バルトロメオは咆哮する。


「大砲隊、もっと撃ち込め! 砦を瓦礫に変えて恐怖を与えろ! 騎馬隊左翼ブルーノ、右翼ロッシ! 敵銃隊の背後に回り込め! 切り裂け、踏みにじれ!」

「はっ!!」


 エルシオンの騎馬が、激しく土埃を舞い上げて丘を駆け下りていった。

 何としてもあの砦を瓦礫の山にして、リンザールの戦線の要を潰すのだと息巻くのだった。

 この一戦だけで、リンザールを陥落できるとは思っていない。しかし、王手をかける為に大事な戦いだった。

 望むものを手に入れる為には、絶対に勝たなければならない、とバルトロメオは逸る心のままに馬を駆るのだった。







 砦の中では、兵糧や武器、弾薬を外へ持ち出す作業に追われていた。砦に激しい毀傷きしょうを被るであろうと、物資を隠し通路から通じる林に移動させていたが、内部にはまだ荷が残っていたのである。

 慌ただしく兵士たちが、砦の中を荷を運んで走り回っていた。その中に、薄茶色の髪がばさりと目を覆う程に伸び、無精ひげも長くやつれた男が混じっていた。

 捕虜として囚われていたが、先日解放されたラインベルガーだった。エルシオンの使者と共にやってきて、その後そのまま砦に残っていた。今はまだ療養中の身ではあったが、彼もリンザール兵の一人として荷を運び出しを行っていた。

 だが、長い監禁生活で体力が衰えたか、休み休みしか動けずにいた。


「あんたはもういいから、林に行って荷の番でもしててくれよ」

「……分かった。そうするよ」


 若い兵士に言われて、ラインベルガーは面目なさげに苦笑するのだった。

 そして、林に到着すると、数名の兵士と共に荷を見張り、戦況を伺った。


「……砦が」


 呟く兵士の視線は、砲弾を何発も浴びて崩れてゆく砦に釘付けだった。ラインベルガーは、その兵士の肩をポンと叩く。


「我らが戦姫アナスタージア様は、あそこにおられる。大丈夫さ」


 そう言って、櫓を指さした。

 兵士がじっとそちらを見つめ始めると、そっとその場を離れ、ラインベルガーはため息をつきながら荷の周りを歩くのだった。

 ちらりと周囲を伺う。そして、先ほど砦の中で目をつけていた木箱を見つけ出すと、静かに蓋を開けた。

 そこにはリンザールの地図が入っていた。山や川などの地形も詳細に記され、所領を治める貴族の名も記されている。

 ラインベルガーは無表情で、それをサッと折りたたむと懐にしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る