第五章 さだめの胎動

第22話 エルシオンの使者

 仮の玉座に座ったバルトロメオは鷹揚に足を組み、満足げにシヴァンのレスターを見おろしていた。

 期日通り、バチス城に大砲が持ち込れ、先程その試験発射にも成功したところだった。砲弾は、的とした厚い石壁をみごと破壊し、大地をえぐり取ったのだ。これであれば、あの堅牢な砦も瓦礫と化すだろう。

 城攻め用の巨大な大砲だった。威力はあるが機動性の悪い重砲を、極力軽量化し車輪を備えることで移動を可能したものであるらしい。それでも、その大きさは扱いづらいものではあるのだが。


「ご満足いただけて、私も光栄でございます」


 深々と頭を垂れるレスターに、バルトロメオは尊大に声を掛ける。


「だが、一台では不足だ。しかもあれでは、出撃してきた兵や騎馬どもを倒すのには不向きだろう」


 実際に大砲を撃ってみて、初めて気づかされたことだった。噂に聞くだけでは、長所に隠れた欠点とは、見えにくいものだなと思うのだった。

 重砲は、たとえ一発の威力が大きくとも、その大きさ故に簡単に標的を変えることができず、移動も容易ではなかった。

 城のように動かぬ的は落とせても、人馬入り乱れる野戦には不向きであると実感したのだ。

 

「最初の一発は大いに脅威を与えるだろうがな。もっと小型のものはないのか」

「あるにはあるらしいのですが、西方諸国もなかなか手放したがらないもので……」

「あるのならば、用意しろ!」

「……分かりました。少し時間を頂きますので、その前に銃をご用意いたしましょう」

「銃か」

「五十でしたら明日にでも」

「よかろう」


 頭を下げてレスターは退出していった。

 バルトロメオは口の端に笑みを浮かべる。その脳裏には、するすると勝利の絵図が鮮やかに描かれてゆくのだった。

 エルシオンは近く侵攻を開始する。

 リンザールの小娘を、心胆寒からしめてやるのだ。戦姫の神性など、泥水をかけて豚の餌にしてやる。必ず勝利し、この自分に屈辱を飲ませた罪を購わせるのだ。

 だが、命までは取らなくてもいい。むしろ端女に堕として辱めてこそ、溜飲を下げることができるだろう。存分に恥辱に悶えればよいのだ。

 この戦が終われば、リンザールの名は歴史の表舞台から消える。亡国の王女は、それを歯噛みしながら眺めれていればいい。

 そしてエルシオンの輝かしい時代が始まるのだ。バルトロメオは、うっとりと白い歯をこぼす。


――アンナ。君を迎えに行くまで、もう少しだ。待っていてくれ……








 リンザールの王宮に、国境の砦から重大な報告をもった兵士がやって来た。

 王の執務室、実質アナスタージアの部屋なのだか、そこに兵士は通され、王女とマルセル・リヒター、そして数名の廷臣の前で跪いた。皆の表情は硬い。

 報告を読み上げた兵士に、マルセルが質問する。


「で、その捕虜も連れてきているのか?」

「はい。ラインベルガー大尉、子爵家の者です」


 むむうと廷臣らの間で、重い空気が流れた。

 ラインベルガーは、夏の砦奪還作戦の時に敵に捕らえられ、他数名と共に捕虜となっていた。エルシオンは、このラインベルガーとリンザールが捕らえている捕虜との交換を求めて来たのだ。

 それは休戦の申し込みの体をしていたが、エルシオンから提示された条件は、何を勘違いしたのか、全くもって不当であり傲慢さに満ちていた。

 砦をリンザールに返還した・・・・のだから、その代りに砦とその近辺の武装を解くことや、捕虜全員の解放、更に先の戦闘を指揮した武官の身柄を引き渡すことや、休戦の調印の為にエルシオンの都にまで王と王女が来ることまで求めていた。さすれば、今後一切の攻撃は止めると。

 マルセルは、ガツンと靴を鳴らして一歩前に出た。


「何が返還した・・・・だ! 我らが自力で奪還したのだ。勝利したのは我らだ! バカげた事を言いおって!」

「誠に! 休戦などと言って、これではまるで降伏勧告のようではないか!」

「負けた側の言い草か? エルシオン王は痴れ者か!」

「捕虜の交換だけならまだしも、何を抜け抜けと!」


 ハウスヴァルト侯爵やほかの廷臣も、口々に怒りの言葉を吐いた。

 砦から来た兵士が憤って伝えるには、そのエルシオンの使者は大上段に構えて、この条件を飲む方が貴国の為になるのですよ、などと言い放ったというのだ。逆らえばただでは済まないという事だ。

 何を企てているのか。一同の胸によぎるのはその一点だった。


「……大砲の事を言っているのでしょうね」


 アナスタージアは呟いた。

 大砲を手に入れたという情報を、こちらが既に知っていることを敵も察知して、脅しをかけてきたのだろうか。それとも、こちらを煽って開戦の時期を操ろうとしているのだろうか。

 どちらにしろ次の戦いには、リンザールは大砲の脅威を目の当たりにすることになる。エルシオンが本心から休戦を望んだりはしないだろうから。


「宣戦布告とった方が良いのかしらね……」

「もちろんです」


 眦をキッと上げて頷くマルセルを、アナスタージアはじっと見つめた。

 彼が逸るように、大方の者たちも、エルシオンの使者の話を聞けばいきり立つはずだ。やはり、敵もそうと分かって挑発していると考えて良いだろう。

 挑発に乗るか。いや、その前に……とアナスタージアは口を開いた。


「休戦……。もしも休戦にすることができるなら、それにこしたことはないわ」

「何を仰います! 大砲を手に入れたエルシオン王に、そんな気などあろうはずもない。それは明白です」

「でも、こちらからも使者を送ってみても良いのではなくて? 曲がりなりにも、あちらから休戦を口にしたのだし、エルシオン王が直々に砦まで出向いてくるなら、私も会っても良いわ」


 アナスタージアがそう言った途端、マルセルが詰め寄り、ハウスヴァルト侯爵を始め廷臣らに取り囲まれてしまった。


「なりません!」「危険です」「休戦など信じられるはずもない!」「罠です!」


 一斉に口々に反対された。多分そう言われると予想はしていたが、アナスタージアはつい苦笑いを浮かべる。

 いつかは休戦し、和睦の協議をしなければならない。エルシオンをことごとく叩き潰そうなんて考えていては、いつまでも戦は終わらないだろう。

 何を血迷ったのか知らないが、偽りだろうとなんだろうと向こうから休戦の使者を送ってきたのだから、試しに条件を差し替えた上で、応じてみても良いかもしれないと思ったのだ。事態が動き、早期に戦乱が治まるならば、それにこしたことはないのだから。

 しかし、マルセルらの言うことも分かる。自身が協議に赴くのは、やはり危険だろう。もしも囚われてしまったら、と想像するとゾクリと震えてしまう。だがそれは、死を恐れたのではなく、バートに二度と会えなくなる事に絶望を感じた為だった。

 祖国を思う気持ちが消えた訳では無いのに、胸を締め付けるのはバートのことばかりだった。


「銃、五百丁。その威力をいかんなく発揮してみせましょう。兵士の訓練も滞りなく進んでいます」


 ハウスヴァルト侯爵が毅然として言った。彼は銃撃隊の指揮を任されてもいる。

 五十を目前にした男だったが、筋骨隆々な若々しい侯爵だった。敵を前にして怯むことのない、勇敢な戦士でもあった。


「エルシオンは大砲を手に入れたと驕り高ぶり、戯れに使者を送って来たのでしょう。しかし、我々も大砲への策があり、銃もある。休戦協議をするならば、一戦交え、奴らの鼻をへし折ってからで良いでしょう!」


 血気盛んな台詞に、皆が応と反応する。

 彼の言う通り、前回に続き、エルシオンに辛酸をなめさせることが出来れば、休戦協議も有利に行えるだろう。条件を付きつけるのは勝った側なのだ。


「では、我々は必ず勝たなければなりませんね……」


 アナスタージアが呟く。戦を避けて通ることなどできないことは分かっていた。

 休戦の使者のへの返答は、刃をもってすることになることだろう。


「勝ちます」


 力強く言うマルセルに、アナスタージアは頷き返した。

 ここで勝たねば、リンザールは滅びるだろう。バートと会う事も叶わなくなるだろう。まるで地獄の悪夢のようだ。

 絶対にそのような事態にさせない為には、戦って勝つしかない。

 もとより祖国の為に身命を賭す覚悟だったものが、今は愛しい人への狂おしいまでの恋情故に、アナスタージアは早期の勝利を心から望むようになっていた。




 捕虜となっていたラインベルガーと交換に、エルシオンの兵士を一人解放し、リンザール王からの親書を持たせることになった。

 その親書にて、エルシオンの前線基地となるバチス城の武装を解き、軍備を王都まで後退させ、過日の砦戦の賠償金の支払いを命じた上で、エルシオン王自らがリンザールの守護神の前で膝をつくことを求めた。さすれば休戦に応じ、命だけは助けてやると。

 読み上げられた親書の内容に、捕虜だったエルシオン兵は青ざめ、更に手土産として持たされたものに驚愕した。

 彼は、親書と休戦の使者の首を携えて祖国エルシオンに帰還することになったのだった。







「よく帰還した。ゆっくりと休むがいい」


 バルトロメオは、うっすらと笑みを浮かべながら、疲労困憊した兵士と血の滲んだ白い布に包まれたもの、そして手にした親書を見つめて言った。


「予定通りだ」


 その顔に怒りは露ほども無く、満足げだった。親書をくしゃくしゃと丸めて、ポイと放ると、元捕虜だった兵士に退出を命じた。

 それを見送ってから、ダリオ・ベルニーニがそっと耳打ちしてくる。


「あの者は、用心の為にしばらく軟禁しておきます」

「ああ、そうしてくれ。それからあの首の家族には十分な補償をやれ」


 再び笑みを浮かべる。猛禽の笑みだった。


「開戦だ」





 そして、リンザールは禍々しい重砲の威力を、目の当たりにすることになるのだった。

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