第27話 王妃シルヴァーナ

 己の考えの甘さに、バルトロメオは今更ながらに気付かされた。

 戦の事務処理の疲れや、戦いの不甲斐ない結果への苛立ちの最中に持たされた吉報・・は、彼の胃を更に重たくさせていた。


 これまで、後宮のことはまるで顧みてこなかった。

 バルトロメオとしてはどれも不本意な結婚であり、すべて政略と世継ぎを得るために結び付けられたものでしかなかった。

 どの妃に対しても、いつか愛情を抱く日もあるかもしれないと思いはしたが、日に日に足は遠のくばかりだったし、王妃に至ってはもう五年も共寝はしていない。公務以外で会話を交わすことさえ稀だった。

 三人には薄情なことをしているとは思ったが、女の前でため息を漏らすくらいなら、通わぬ方がいいと考えていた。

 恐らくは王妃が何も言わぬ故に、二妃も三妃も黙っていたのだろうが、それに胡坐をかいてバルトロメオは、四番目の妃としてアンナを迎えようと考えていた訳だ。


 三人の妃にはその地位に対して正当に遇してきたから、彼女たちの後ろ盾となる実家の諸侯も苦言は飲み込んでいたのだろう。それは偏った寵愛が無く、誰も子を成していなかった為でもある。

 今は王であるバルトロメオの権威が強い為に、妃の身内だからと言って簡単に権力を持つことは出来ないのだが、陰で王妃の実家であるベルニーニ侯爵家と、二妃のヴァローネ侯爵家が牽制しあっているのも周知の事実だ。

 ここにアンナを加えるならば、余程しっかりと守ってやらねばならないことは、バルトロメオにも分かっていたし、もちろんそうする覚悟もあった。

 今回の戦いにこれまで以上に注力したのは、リンザールを滅ぼせば王の力の強さを示すことにもなり、未来の四妃寵愛への批判の口を塞げるはずと考えたからなのだ。

 そして、彼女が王子を産めばその子を王太子にしよう。アンナが王太子の母となれば、地位を盤石にできるだろうし、誰にも文句は言わせない。

 戦に勝てば、リンザールを陥落させれば、愛しいアンナとの幸せを手にできる、そう思っていた。


 だがルイーザが身籠ったことで、自分の考えの甘さに気付かされたのだ。

 もし本当に王妃が三妃の子を我が子として育てるとなれば、王妃との関係も見直さなければならないし、生母である三妃も捨て置けなくなる。となれば、二妃だけこれまで通りという訳にはいかない。

 今までの、バルトロメオと三人の妃の微妙は均衡は崩れ、ベルニーニ、ヴァローネの両侯爵の対立が深まり、新しい妃を迎えることも妨害されるかもしれない。

 これは頭の痛い問題だと、溜息をついた。初めての子ができたというのに、喜びよりも戸惑いの方が大きく、苦悩の種としか思えない自分自身にも呆れ、本当に頭痛がしてきた。






「ルイーザ。それは本当にお前の意思なのか?」

「はい、そうでございます」


 本当に我が子を王妃に託すのかと問えば、深く頷くルイーザ。だが、バルトロメオが疑わし気な顔を崩すことはなかった。

 ルイーザが傾いた実家を心細く思い、自身の身体の弱さもあって、王妃に託した方が良いと考えたことは理解できた。

 子がもしも王子であったとしても、後ろ盾の無い王子は弱い。もしもこの先、誰かに王子が生まれた時、ルイーザの子は長子であっても王になれるとは限らないのだ。だが王妃に託せば、いずれ我が子が王になれると期待しているのだろう。

 バルトロメオからすれば、要らぬ心配、無駄な期待に見えてしまうのだが。


 チラとシルヴァーナを伺った。王妃の方は何故に、三妃の願いを受け入れたのかと。

 彼女は目を丸くし、ふわりと扇を広げると口もとを隠してほほっと笑った。


「まあ、私がルイーザ様のお子を取り上げようとしているとお考えですのね。情けないこと……」


 ルイーザはどうすればいいのかと、縋るような目でシルヴァーナを見つめていた。それに対して、大丈夫よと、今まで見たことのない慈しみ深い笑顔で答える王妃を見て、バルトロメオは小さく唸った。

 ルイーザは完全にシルヴァーナに取り込まれている。何があったか知らないが、二人の女の結託は固いようだ。

 肩にズンと重いものを感じて、バルトロメオはまたため息をつく。


「ルイーザ。あなたはもう後宮に戻って、休むといい。大事な身体なのだからな」

「そうね。あまり体調も良くないのですし、無理なさらないようにね」


 三妃抜きで話したいという意を、シルヴァーナは察しよく汲んで、ルイーザに退室を優しく促した。少し不安げな顔をしつつも、彼女は素直に従うのだった。

 そして、しんと部屋が静まると、バルトロメオは憂鬱な声で尋ねた。


「……で、シルヴァーナ。あなたの真意はどこにあるのだ?」

「私に作意などありませんわ。不安げにされているルイーザ様をお気の毒に思いましたの。それに、私も女ですもの、純粋に赤子を慈しんでみたいと思ったのですわ」

「自分の子でもないのにか? 王子かどうかも分からないぞ」


 ベルニーニ家の権勢の為といっても、王位継承権の無い王女である可能性もある。王子が生まれたならば育てたいというのならまだしも、懐妊が分かった段階で子を引き取ることを了承する、その意図が分からない。

 それに、今後アンナを迎えることを思えば、王妃に子どもをやるのは得策ではないだろうとバルトロメオは考える。

 シルヴァーナは、扇の要についた飾りのタッセルを弄びながら呟く。


「男の子でも女の子でも良いではありませんか。どちらでも陛下のお子ですもの、きっとお可愛らしいことでしょう。大切にお育ていたしますわ」


――実家の栄達を望むわけではない、と言うのか……しかし……


「だって、どんなにお待ちしても、私が陛下のお子を産むことは決して無いでしょう?」


 ギクリとし、バルトロメオは眉を歪ませる。

 いつも毅然とした顔を見せるシルヴァーナの台詞とは、とても思えなかった。まるで、寂しさを紛らわせるために赤子を育てたい言っているようではないかと、動揺するのだった。柔らかく微笑む今日の王妃は、いつもとまるで違う顔をしている。


「…………耳が痛いな」


 世継ぎを産むように実家からの圧はあっただろうが、シルヴァーナはそれをバルトロメオに伝えることは無かった。子を望むような発言も一度も無かった。彼女のもとから足が遠のいてさえ、何も言わなかったのだ。

 甘えて恨み言を言えるような関係性に無かったからかもしれないが、今になってこのように言うのは、もしかして心に秘めていただけで彼女は自分を待っていたのだろうかと、バルトロメオの胸はざわついた。


――まさかな……


 質の悪い冗談だと苦笑した。

 すると途端に彼女は、バルトロメオが良く知る硬質の笑みを浮かべたのだった。


「では、こう言えば納得して下さるのかしら。新しい妃・・・・に王妃の座を脅かされないようにする為、と……」

「シ、シルヴァーナ……」

――アンナのことを知っている?


 バルトロメオは息を飲み、射抜くような王妃の視線から目を逸らすこともできずに、椅子の背にもたれ込んだ。ここで何の話だととぼけたところで、彼女には通じない。嘘をつけばつく程、彼女が憐れむような目をすることは、過去に経験済みなのだ。

 広げた扇の陰で、彼女はしんと冷たい目を向けている。


「私の思い過ごしではございませんでしょう?」

「……ダリオに訊いたのか?」


 思わずダリオに視線を走らせたが、頬を引き攣らせた彼は曖昧に頭を振っている。

 アンナを妃にしたいと思っていることは、彼にしか言っていないのに、王妃がそれを知っているということは、ダリオが何かヘマをやらかしたに違いないと、舌打ちをした。


「訊くまでもありませんわ。あの宝石商にお声をかけられたとなれば、私でなくても見当はつきますわ」

「…………それなら、王妃の座が危うくなるなど、あり得ないと分かっているのだろう。子など関係なく、ベルニーニの出であるあなたを廃する訳がない……今までと変わらないさ」


 喉元に刃を突きつけられたような気分だった。

 王妃はいつも正しく高潔だ。決して理不尽を行ったことなどない。不埒なのは、三人の妃を持ちながら、新たな妃を欲しがっている自分の方だとバルトロメオは思う。

 それなのに、なぜだか自分とアンナが陥れられるような気がしてならない。


「そうですわね。後宮が賑やかになるだけのこと」

「…………決まった訳じゃない」

「どうぞ、お好きになさってくださいませ。私はお子のお世話をすることができれば、それでよいのです」

「それも…………生まれてから話し合えばいいのではないのか」


 真っ直ぐに見つめてくる王妃に、目を合わすことが出来ずに、立ち上がり背を向けた。話は終わりだと態度で示す。


「分かりました。私、どうかしてましたわ。まずはルイーザ様が、無事にご出産されるようにお助けして差し上げるのが先でしたわね。陛下、それなら問題ございませんでしょう?」

「あ、ああ……」


 バルトロメオが振り向かずにいると、しばらくしてサラサラと衣擦れの音がした。シルヴァーナは静かに退室していった。

 パタリと扉が閉まる音を聞いた途端、どっと身体の力が抜けるバルトロメオだった。執務机に両手をついて項垂れた。そしてどろりとした目で、側近を睨む。


「……ダリオ」

「へ、陛下! わ、私は告げ口など……」

「もういい……」


 ダリオを責めたところでどうしようもなかった。シルヴァーナを相手にして隠しきれるものでもないのだから。


 大きく息を吐き、バルトロメオは机の文箱を見つめた。文箱の中、一番上にある封筒を。

 それはアンナからの手紙だ。香が焚きしめてあり、ほんのりと甘い匂いが香ってくる。その香りが鼻腔に広がると、ゆっくりと緊張が解けていくようだった。彼女を思うと、全ての憂いが和らいでゆく。

 やはり、どんな障害があろうとも、彼女との未来を望まずにはいられないと思うバルトロメオだった。


 その手紙は、昨日ダリオが持ってきてくれたものだが、砦を破壊した戦の前に書かれたものだった。きっと彼女は心配しているだろう。早く無事を報せて、安心させてやりたい。


「……返事を書くから、すぐに届けてくれ。エレバスでゆっくり休んできても構わないから」

「は、はい……」


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