第六章 急転

第28話 手紙のお遣い

 御者を務めるハリーを残して、ヨアンナは一人、蔓バラが絡むアーチをくぐった。緑の庭が、彼女を優しく迎えてくれた。

 マダム・ステイシーの宿。

 ここの女主人が、アナスタージアとバートの手紙のやり取りを仲介してくれている。ヨアンナが訪れたのは、これが二回目だ。

 初めて来た時は、既に相手方の手紙が届いていた。ヨアンナは、アナスタージアの手紙をマダムに託して、バートからの手紙を持ち帰ったのだった。


 今回は、あちらの手紙があるかどうかは関係なく、とにかく手紙を置いてすぐに帰るつもりだった。主には申し訳ないが、バートからの手紙は届いていなかったと伝えようと思うのだ。

 この手紙のやり取りは、決してアナスタージアの為にならないだろう。どう考えても、二人の仲は許されはしないのだから。いくら子爵家の出であるといっても、彼はしがない国境警備兵。アナスタージアと釣り合うはずがないのだ。

 これ以上長引かせて、苦しい思いをさせる前に、自然消滅するように仕向けた方がいいのではないかと思っている。

 後ろめたくもあるし、知られれば恨まれるであろうが、ヨアンナはアナスタージアの手紙にもう一通の手紙を添えようと考えていた。

 主には幼い頃から親しくしている高位貴族の婚約者がいる、という内容のものだ。もちろん、巫女姫だったアナスタージアに婚約者などいないのだが、そういえば諦めてくれるだろうと考えていた。


 ヨアンナは、足早に庭を通り過ぎ、宿の呼び鈴を鳴らした。

 それと同時に勢いよく扉が開き、背の高い男が現れた。丁度、出るところだったようだ。ヨアンナのはちみつ色の髪よりも、少し明るい金髪の男だった。


「あ……」


 男は少し驚いて、たたらを踏んだ。口をパクパクとさせて、何か言おうとして止め、ゴホンと咳をする。

 いきなり人が出てくると思っていなかったヨアンナも、驚きに声も出せずに思わず後退っていた。


「あらあら、これは良い偶然ですね」


 男の背後から、マダム・ステイシーの声が聞こえてきた。男が振り返るとニコニコと微笑みながら、彼女は手に持っていた手紙を差し出すのだった。


「私がお預かりしなくても、今、交換なさるといいわ。こんにちは、ジョアンさん、お久しぶりね」


 ヨアンナは、おろおろとマダムと男を交互に見やり、軽く頭を下げた。どうやらこの男がバートの遣いであるらしい。同じ国境警備兵の友人であると聞いている。

 男の方もヨアンナが手紙の遣いに来たのだと理解したようで、軽く会釈しニコリと微笑んだ。初対面だというのに、何故か妙に親し気な笑みで見つめられ、ヨアンナはドギマギと目を伏せてしまう。


「ダリオと言います。私たちは同じ役目を負っているようですね。よろしく」

「は、初めまして。ヨ、ジョアンと申します。あの、手紙を持ってきたのですが……」

「ええ、私もです」


 そういってダリオは、先ほどマダムから返された手紙を振った。


「分厚い手紙でしょう? 一体、何を書いているのか知りませんが、話したいことが山ほどあるということなのでしょうね」


 クスリと笑い、ダリオは外に出てきた。

 そしてマダムに少し庭を歩いても良いかと確認し、ご一緒にとヨアンナを誘うと、どんどんと先に行ってしまった。

 手紙を渡してさっさと帰りたかったヨアンナは、困ったなと眉をしかめつつも、ダリオの後についていくしかなかった。

 秋バラを横目に見ながら、建物の裏手に回る小道を進んでゆくダリオに声をかけた。


「あの、手紙を受け取ってもらえませんか」

「もちろんです」

「では、これを」


 振り返ったダリオに勢いよく差し出すと、彼は苦笑しながら首をかしげた。


「お急ぎなのですか? 彼らのことについて話したかったのですが……少しだけお時間をいただけませんか」


 ダリオはそう言って、小道の脇に置かれた小さなベンチを差した。

 ヨアンナは少し迷ってから、小さく頷いた。主の手紙に添えるはずだったメッセージを、この男に直接伝えようと決めていた。

 彼の用件が何か分からないので、気は抜くまいとキリリと表情を引き締めるのだった。

 ヨアンナがベンチに座ると、すっとダリオが隣に座った。小さなベンチは窮屈で身体が触れそうになる。ヨアンナはお遣いとは別の緊張を感じてしまうのだった。ずりずりと横移動で、ダリオから少しでも離れようとしていた。

 一方、彼の方は気にした様子も無く、秋のバラも綺麗ですね、などと呑気に呟いていた。


「……私、主から手紙をマダムにお預けしたら、そちらからの手紙は受け取らずに帰ろうと思ってましたの」

「それはまたどうして」


 不思議そうにダリオが覗き込んでくる。

 ヨアンナは、ゴクリと唾を飲んだ。


「実は、アンナ・マリー様にはご婚約者がいらっしゃるのです。ずっと以前から決っていたことで、覆すことなどできないのです。お分かりになるでしょう? ですから、どうかアンナ様のことはお忘れに……」

「ああ、なるほど婚約者が……あなたは、二人は決して結ばれることはないから、今のうちに別れさせようと思っているのですね」

「え、あ、まあ……そういうことです」

「分かりますよ。実を言うと私の友人も、そう易々と女性と付き合える状況にはありませんから、止めておけばよいのにと何度思ったことか」


 彼も二人の交際に賛成ではないようだ。だが、なぜかダリオはニコニコとダリオは笑いかけてくる。

 婚約者がいるという話を疑う様子もなく、バート側にも事情があって交際は難しいというのであれば話は早いと、ヨアンナは手紙はどちらも届いていなかったということにして、うやむやにしてしまいませんかと持ち掛けた。

 

「そちらにも難しいご事情があるのでしたら、断られたと伝えるよりも、手紙は来なかったと伝えた方が双方とも傷つかずに済むと思うのです」


 ダリオは相変わらずにこやかなまま、軽く頷いた。


「そうですね。できれば私もそうしたい。いや、そのような考えも確かにありました。……が、やはりあの方は諦めないでしょう。今回手紙が無かったと知れば、返事がくるまで、何度でも手紙をお書きなるはず。それ程にアンナ様に執心していらっしゃるのです。するとマダム・ステイシーの所に山と手紙の束が積まれることになり、ご迷惑を……」


 自分の提案に乗ったのかと思いきや、笑いながら首を振るダリオに、ヨアンナはムッと眉をひそめる。

 彼はバートの友人と聞いているが、このものの言い方では上下関係があるようだなと感じた。ダリオはバートに逆らうのを良しとしていないのを感じたのだ。

 そんな使者を説得できるだろうか、とヨアンナは不安になる。


「あら、ここまで届けずとも、あなたが手紙を握り潰せば済む話でしょう?」

「…………なんと無情な。女性とはかくも厳しい生き物でしたか」

「あ、主の為です!」


 少し声を荒げると、ダリオはクスリと笑った。


「ええ、侍女殿のお気持ちは分かります。けれど、やはりこの手紙はお持ち帰り下さい。あなたの主も、心待ちになさっているでしょうから。悲しむ顔は見たくないでしょう?」


 ねっ、とダリオに顔を覗き込まれて、ヨアンナは更にムッと顔をしかめた。そんなことは言われずとも分かっているのだから。

 頬を染めて夢心地に手紙を託したアナスタージアを思うと、再び罪悪感が襲ってくる。けれどリンザールの王女たる主と、一介の警備兵であるバートとの恋路の未来は、決して明るいものではない以上、気軽に応援などできはしない。 


「それに、私の友人は一度こうと決めたらなかなか譲らない方でして、手紙が来ないとなれば、強硬手段にでるやもしれないのです」

「強硬手段?」

「そちらのお屋敷に乗り込むかもしれません。それはご迷惑でしょう?」


 ヨアンナはハッと顔色を変える。勝手に名を拝借したマクミラン子爵家にアナスタージアを探しに行かれたりしたら、大変なことになる。一体彼女は何者なのかと探られることだろう。それは絶対にいけない。

 ヨアンナはぶるぶると頭を振り、そしてガックリと項垂れた。


「……分かりました。この手紙はお嬢様にお渡しします。ですから、お屋敷に来るのだけは止めて下さい。大混乱になります……お願いです」

「もちろん、お止めします」

「それから、お嬢様に婚約者がいることもちゃんと伝えて下さい。婚礼も近いと」

「……うーん、それは握りつぶします」

「何ですって!」

「だって、言えば彼は荒れに荒れて、やはりそちらに乗り込んでゆくと思われますから」


 ヨアンナはなんてことだと頭を抱えた。用意していた策を潰されてしまい、どうすればいいのかとため息をついた。


「大丈夫です。手紙のやり取りさえしていただければ」


 ダリオはそっと分厚い封筒をヨアンナの膝に置いた。


「正直申し上げて、この恋は実ることはあるまいと私は思っています。いずれ必ず別れがきます。だからこそ、今だけは夢をみさせて差し上げたいと。兵士でありながら惰弱なことと、貴女はお笑いになりますか?」


 ダリオは微笑みを消し、真剣な顔になっていた。

 ヨアンナは膝の上でグッと拳を握りしめる。

 あの祭りの日、見つめ合う二人の姿が鮮やかに瞼に甦る。お互いに向ける熱い思いに瞳を蕩けさせる様を、ヨアンナは間近に見てしまったのだ。彼らを笑うことなどできはしない。


「……分かりました」


 小さく呟いた。自分の勝手は判断で二人を引き裂くことはできない、見守るしかないのだと、ヨアンナはチクチクと胸を痛めながらそう思った。すると、主に嘘をつこうとしていたことさえも恥ずかしくなるのだった。


「……申し訳ありません。婚約者がいるというのは、偽りでした」

「ほお、そうでしたか」


 ダリオは驚いたのか少し目を見開いていた。


「申し訳ありません」

「お気になさらず。主を思ってのことと理解していますから。……貴女は誠実な方だ。黙っていれば分からないのに、自ら告白するのは誠実さの証です。よく仰ってくださった。信用に足る人だと確信しましたよ」

「そんな……私はあなたを騙そうとしましたし、主に逆らおうとしていたのに……」


 嘘をついたのに、信用に足る人などと言われて、返っていたたまれなくなってしまう。深く項垂れるばかりだった。


「いえいえ、それなら私だって友のためと思いつつも、ここに来るのが面倒でたまらなかったのですから。でも、これで手紙の交換が楽しみになりましたよ」

「……?」


 何を言っているのかと、そっと顔を上げるとダリオと目が合ってしまった。

 再び微笑みを浮かべていた彼は少し照れ臭そうで、すぐに目を逸らしてしまったのだが。


「貴女にまた会うことができる」

「は?」

「友人に申し訳ないですね。私だけ会いたい人に会えるなんて……」

――な、何を言いだすのよ!?


 ふざけないでという言葉を飲み込んで、ヨアンナは激しく鳴り出した胸を押さえた。

 ダリオはヨアンナが握っていたアナスタージアからの手紙を、すっとつまみ上げて立ち上がる。耳が少し赤くなっていた。


「三日後の同じ時間に、次の手紙の交換をしましょう」


 そう言って深々とお辞儀をすると、ヨアンナの返事も聞かずにそそくさとマダム・ステイシーの宿から去っていった。

 驚きにまだ鼓動が治まらないヨアンナは、呆然と庭のベンチに腰かけていた。

 今のは何だったのだと、思い返すうちに顔が熱くなってくる。当初、手紙のやり取りをなんとかして止めようと、そればかり考えていたから、相手側の使者のことなど然程気に留めていなかった。

 まさか、その使者が別の視点から自分を見ていたなど思いもしなかったのだ。


――何考えてるのよ、あの人。私たちはただのお遣いでしょう。


 ヨアンナは熱くなる頬を両手で包みこむのだった。

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